第18話

 街の上空でリンクを切った途端、目の前が真っ暗になった。その瞬間「俺死んだな」と思って息を呑んだ。だけど目の前が真っ暗なままで、意識は続いている。体が水の中に漂っているような、不思議な感覚だけがある。死ぬ前の人間はこういう状態になるのか。気持ちはすごく落ち着いている。苦しみも全くない。

 その内、足元の方がぼんやりと明るくなってきた。足元と言っても、自分自身の体は見えない。ただ、下の方から光が広がってくる感じ。これは天国行きということなのかね? でもそれだったら、下じゃなくて上のほうが明るくないとイメージと違うな。

 遠くから泣き声が聞こえてきた。泣き声はだんだんと近づいてくる。小さい子供の、激しい泣き声。この声は聞いたことがある。これは……サイカの声だ。そういえばサイカは、小さい頃すごい泣き虫だった。気が弱くて、いじめられっ子で。今じゃ想像もできない。無口で、大人しい子だった。いじめられていたのは他でもない、免疫系(めんえきけい)の子供だったからだ。

 泣いているサイカの姿が目の前に見える。

 泣いているサイカに俺は声をかけようとする。だけど言葉が出ない。その内、小さなサイカの横に、ひょろっと背の高い少年の姿が現れた。これは……俺だ。昔の俺。サイカの姿が3歳くらいだとして、俺は14歳というところか。懐かしい。まだオヤジが生きていた頃だ。

 激しく泣いているサイカを目の前にして、14歳の俺は何も言うことが出来ない。サイカを慰(なぐさ)めたいと思ってはいるのだが、その方法が分からない。サイカは恐らく、他の子供達に仲間はずれにされたのだろう。免疫系の子供にはめったに友達が出来ない。近づくと汚染されると思われて、毛嫌いされる。

 3歳のサイカ。汚染率は極めて低い。他人への影響は皆無に等しい。そのことを理解している大人たちさえ、ほとんど近寄ってこない。俺も同じだった。泣き叫ぶ妹を目の前にして、こういう時に母親がいてくれたらな、と17歳の俺は思っている。

 俺自身はいくら差別を受けても、嫌な気持ちになったことは殆ど無い。昔からそうだ。自分が免疫系だと分かっていたから、他人に近づこうとしなかった。街で暮らしていく上で、あからさまな差別を受けることもあった。そういう時でも俺は、なぜか怒りや悲しみを全く感じなかった。

 差別されていることに気を回すのもめんどくさいし、差別してくる奴に対抗するのもめんどくさい。仲間はずれにされるなら、別にそれでいい。それよりも、面白いことを探すことに時間を割いたほうがいい。自然にそう考えるようになっていた。オヤジや母親に、特別そういう教育を受けたわけではない。母親が俺に向かってよく言っていた。

「あなたは性格まで免疫系(めんえきけい)ね」

 それを聞いて、オヤジは笑って言った。

「こいつは俺に似て、頭が空っぽなんだよ」

 なるほどな、と俺は納得した。俺は頭がからっぽなんだ。馬鹿だと言われているようなものだが、的を得ている。

 しかしサイカは違う。サイカは母親に似て、人一倍繊細(せんさい)だ。

 泣いているサイカを慰める母親は、もう死んでしまっている。慰めようとしている俺は頭がからっぽだ。どうすればいいんだ。どうしようもない。泣き続ける小さな妹の頭に、俺は母親の形見のヘアピンを留める。そっと肩を抱いてやる事しか出来ない。

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