第12話

 東の貴族。東京都23区を半分にして、東一帯の地域を縄張りにしているからそう呼ばれている。東の貴族がいるので、当然というか西の貴族もいる。西の貴族は二十三区をはみ出して、その支配地域は西東京と埼玉や、神奈川の方まで及んでいるらしい。それに比べると東の領地はかなり狭い。しかし東の貴族の名は、世界に轟いている。エリート集団らしい。らしいというだけで、俺もそんなに詳しいわけじゃない。ただ、東京都の東地域には、リングの大鉱脈がたくさん眠っている。ネット上の汚染物質や、地図データの破損も比較的少ない。このエネルギー不足の時代に東の貴族は、リングを惜しみなく戦争に使っている。そりゃ強いわけだ。

 貴族同士の争いごとは頻繁に起こっている。東の貴族は、はるばる大陸の方から攻め込まれた事もある。戦争で一番被害をこうむるのは一般市民だ。しかし市民は、どんな理由で戦争が起きたのかを知る由も無い。どこかでいきなり大規模な戦闘が始まり、近くの街の市民が巻き添えを食う。街を追われた市民がスラムに流れ着き、川沿いのハリボテの街を大きくして行く。この100年間はずっとその繰り返しだ。

 貴族には一応、市民を守っているという意識もあるらしい。例えば東京都文京区(とうきょうとぶんきょうく)にある俺達の街は、東の貴族の統治下にある事になっている。搾取されながら守られるというのはまったく納得がいかない。しかし例えば埼玉の野良貴族の統治下(とうちか)にあるよりは、東の貴族の下にいるほうがいくらかマシのような気もする。とは言え、それは市民にしてみればたいした問題じゃない。守ってもらった覚えなど一度も無い。ケイスケが言っていたように、市民と貴族では住んでいる世界が違う。現実もネットも、頭の中に見えている世界が全然違う。

 浅草に東の貴族の屋敷がある。大戦中、中央政府の地下要塞があったところだ。そこが今は、東の貴族の根城になっている。奴らはネットワークの中では超人的だが、現実世界では普通の人間と変わらない。だから、東の貴族に戦いを挑むとしたら、現実の世界で戦った方が効率的だ。しかし東の貴族も馬鹿じゃない。ネットワークの世界以上に堅固な防衛システムを、現実世界に築いている。もちろんリングが大量にあるから出来ることだ。

 現実世界の浅草はほとんど地雷原のようになっている。大気は汚染され、草木も生えない不毛の土地。通りかかった人間は警備機械によって即刻に処理される。一般市民はそれを知っているので、浅草周辺には絶対に近づかない。

 だから俺も、ネットワークを介して浅草に行くことにした。空から遠巻きに近づいていけば、いきなりぶっ殺されるということはないだろう。俺はディフェンダーだから、ネットのセキュリティにはある程度対応が出来る。

 隅田川沿いに、立派な御殿でも建っているのかと想像して来て見たが、そんなことは無かった。浅草にはシンプルな街並みが広がっていた。恐らく、東の貴族がリングをインフラに供給して、地図データを完全に修復したのだろう。生まれてこの方、こんなにきれいな景色は見たことがない。空から浅草の街を見下ろして、俺はしばらくぼんやりと眺めていた。これと同じ風景が、100年前には現実世界にも存在していたのだ。嘘みたいな話だ。

「なかなかいい眺めだろう?」

 いきなり背後から声をかけられて、俺はとっさに盾を身構えた。いつの間にか近づかれていた。

「ディフェンダータイプか。じゃあ間違いないな。カジハルだろ? あんた」

 背丈が2メートルぐらいあって、ごっつい男だ。髭がむさ苦しいが、眼差しは優しい。ジジくさい感じだが肌がけっこう若い。たぶん年齢は、俺より一回りぐらい上だ。

「まさか貴族様? 東の」

 俺は言った。

「まさしく。俺は東の貴族、ブラスタ・アヅマだ。カイナが世話になってるな」

 その大男が軽く頭を下げて言った。礼儀正しい。確かにカイナの兄という感じがする。全然似てないけど。

「母親が違うんだよ。カイナとはな」

 ブラスタと名乗る男が、ニヤッと笑って言った。

「貴族は心も読めるのか?」

 慌てて俺は言った。

「まさか。カイナと俺を、兄弟だと信じない者が多いからな。初めに言うことにしている。似てないだろう?」

 ガハハと豪快に笑ってそいつが言った。

「俺は文京区に住んでるカジハルというモンです。まあ、とっくにご存知だったみたいですけど」

 盾を消して俺は言った。

「カイナが心配でな。色々調べさせてもらった。あんたのことも、妹さんのことも。あんたの街の事とかもな」

 ブラスタが含みのあるような言い方をした。

「それで?」

「いや、カイナがだいぶ世話になってしまったようで申し訳ない。あいつは末っ子根性というか、真面目だが強情なところがあってな。俺も扱いかねているんだわ。しかし、あんたの所でずいぶん楽しそうにやっているらしい。このままではいかんと思いつつ、かと言ってどうすればいいかもわからず。放置していた」

 少し困った顔で笑って、ブラスタが言った。

「なんだかずいぶんフレンドリーで嘘みたいだな。カイナもそうだし、最近の貴族はみんなそうなんですか?」

 俺は言った。

「いやいや。相変わらずだ、貴族は。俺やカイナは特殊な方だな。とは言え、俺も市民の奴隷は使うし、戦争も日常茶飯事だ。あんたには弟の恩があるからこうやって顔を見せて話をしているわけだ」

 さすがは貴族。物言(ものい)いが偉そうだ。しかしまあ、このブラスタって男はなかなか面白そうだ。

「俺も別に、貴族とお友達になるつもりはありませんよ。ただ……つまり、カイナと妹の件をどうしたもんかと思って。それで浅草に来たんですよ。いきなりお出迎えいただけるとは、思ってなかったですけどね」

 ようやく俺も落ち着いてきた。

「せっかく来たんだ。少し浅草を案内しよう。そうだ、その前に少し試させてもらってもいいかね」

 ブラスタが腕の骨をバキバキ鳴らして言った。試すって、力試しかよ……。嫌だなあ。貴族相手に。

「受けるだけでいいですか?」

 しょうがないので、俺は盾を出した。

「充分だ。手加減はする」

 いくぞ、と言って、ブラスタがコブシを俺の盾に叩き込んできた。グワンと盾が震えて、全身に衝撃が走った。吹っ飛ばずには済んだ。しかしすごい一撃だった。

「おうおう、やはり。次はもう少し強めに行くぞ?」

 俺が答える前に、ブラスタがさらに強烈な一撃繰り出してきた。いいかげんにしてくれ! なんとか受け止めたが、盾を構えていた左腕が、一瞬麻痺して感覚が無くなった。すげえパンチ力。しかも奴は全然本気じゃない。

「なるほど。これで納得が入った。これならカイナのスピードガンに耐えられるはずだ。この前の板橋での一件、市民にやられたと聞いて不審に思ってたんだが。あんた市民じゃあないだろ? どこかの兵隊くずれか? 元は」

 ブラスタが興味深そうに俺に訊いた。

「俺は正真正銘(しょうしんしょうめい)の市民ですよ。北区生まれの、生粋(きっすい)の下町っ子!」

 痺(しび)れた腕をさすりながら俺は言った。

「うーむ。よっぽど血がいいみたいだな。あんたの妹さんも相当出来るらしいじゃないか。なるほどなるほど。カイナめ。なるほどな」

 勝手に何かを納得しまくっている。戦うこと自体が相当好きなんだろう、こいつらは。恐ろしい。

 ブラスタはひとしきり納得した後、じゃあ俺についてきてくれ、と言って、眼下に見える浅草の街へ向かって飛んでいった。俺も後を追って飛ぶ。


「俺のオヤジが懐古趣味でな。だいたい150年前の街並みにしてある。当時のデータを集めるのが大変でなあ。足りない部分は紙の資料まで取り寄せて、かなり忠実におぎなってある。老人のマニアックな趣味だよ」

 道を歩きながらブラスタが、俺に説明した。素晴らしい風景だ。ビルや住宅が輝いて見える。塵(ちり)一つ無いほどの清潔感があるが、味気ない訳ではない。むしろ情感たっぷり。なんと表現したらいいのか分からない。初めての場所なのに、妙に落ち着く。人間が平和に暮らしていた時代の、まっとうな街の姿だ。

「カジハルよ。気に入ったみたいだな。遠い昔の風景だが、なんだかいいだろう? 俺もこの街が好きだ。これで人が増えればもっと面白くなるだろうな。今は支配下の貴族と、市民がほんの少しだけ住んでいる。まあ、奴隷だな。あと商人の店が数件か」

 ブラスタが言った。

「ブラスタさん……ブラスタ様? それともミスターアズマとかお呼びしたほうがいいですか?」

 俺は言った。

「ブラスタでかまわんよ」

 ブラスタが笑った。

「じゃあブラスタ。俺はこの街をスラムの人間に見せてやりたいよ。別にあなたにお願いしている訳じゃない。今この街を見て、なぜか俺の頭に奴らの顔が思い浮かんだんだ。スラムは本当にひどい所だけど、一番人間味がある所だと俺は思う。苦しい生活をして、でもみんな笑って生きている。そういう奴らにふさわしい場所のような気がする、この街は。貴族に分かるかなこの気持ちが」

 俺は言ってみた。

「……情勢が落ち着いたらな。そういうことも可能かもしれん。スラムの事は俺も把握している。ただ、すぐには無理だ。俺の代で、出来れば成し遂げてみたい。野望に近いことだがな」

 ブラスタが少しきびしい顔をして言った。

「そういやオヤジさんは? カイナが言ってたけど、危篤状態なんだとか?」

「うん。危篤とまでは行かないが状態はかなり悪い。まあ時間の問題だな」

 ここだ、と言って、ブラスタが小さな家の門をくぐった。表札に「東」と一文字書いてある。この家が貴族の家か?

 ブラスタがガラガラと玄関の引き戸を引いた。

「今帰ったぞ!」

 大声で言うと、突然目の前に凄い美人が現れた。

「これ俺の嫁さん。こいつは俺の客だ」

 ブラスタがぶっきらぼうに言った。

「いらっしゃいませ。ようこそ」

 凄い美人が、俺に向かってにっこりと微笑んだ。

「はぁ、どうも」

 俺は腑抜(ふぬ)けた返事をしてしまった。貴族の家だよな、ここは。

「気にせず上がってくれ」

 ブラスタが言うので、俺は後に付いて行く。本当に普通と言うか、貴族にしてはあまりに粗末な家だ。

「全部冗談でした、みたいな事はないよな?」

「なにがだ?」

 ブラスタが振り返って言った。

「いや、貴族だろ? もっと派手で、贅沢な暮らしをしてると思ってたんだが……」

「質素に暮らすのが家訓みたいになっている。オヤジに叩き込まれているんだよ。有事に備えよって事でな。そんな事を言ってオヤジは、街を整備するのにリングを湯水のように使っているんだが。他の貴族はたぶん、かなり贅沢をしているはずだ。うちはちょっとおかしいんだよな。金がないわけじゃないんだ。オヤジがケチなだけなんだよ。学生時代の時は、小遣いが少なくて苦労した」

 ブラスタが笑って言った。結構しゃべる奴だな。

「貴族にも学校とかあるんだな」

「もちろんさ。俺の2人の息子も今、ヨーロッパの方にやっている。寄宿生というやつだ。息子たちも苦労してるだろう。あんまり金を送ってないからな。まあそこは、我が家の伝統と言うことだ」

 ブラスタがでかい声で笑った。小さめのテーブルを挟んで、ブラスタと俺はソファに座って向かい合っている。現実だったら酒を出せるんだが、とブラスタが残念そうに言った。

「さっき見せた俺の嫁さん。あれも今、実体(じったい)は遠くに避難させている。映像だけリンクさせているんだ。というのもな……いきなりで悪いがカジハル、本題に入るぞ。はっきり言って情勢はかなり悪い。東の貴族は今、追い詰められている。もう少しで大規模な戦争が始まるだろう。勝てる可能性は現状で3割というところだ」

 ブラスタが言った。

「はぁ? いったい何の話だよ。俺はカイナと妹の話をしに来たんだぜ? 貴族同士の戦争は俺には関係ないでしょう。まあ戦争が始まれば、市民もただじゃ済まないんだろうけど……」

 俺は慌てて言った。 

「西の貴族とは一応同盟を結んである。だが助勢(じょせい)は期待できない。西は西でいろいろ問題を抱えているからな。目下の敵は北関東の奴らだ。どうやら大陸の方からバックアップを受けているらしい。今までは雑魚の集まり、烏合(うごう)の衆だった。しかしここ最近、急に統制が取れてきている。手ごわい奴も何人かいるようだ。そうなるとこちらは駒が少ないからな。力で勝てても、数で負ける可能性が高い。我々の油断もあったが……似たような状況で、10年前はオヤジも現役だったからなんとか防げた。しかし今回は厳しい。まっことに厳しい」

 なぜか笑顔でブラスタが言った。

「それを俺に話してどうするよ。俺には何の力もないぜ? まいったな。なんでこんな話になるんだよ……」

「東の貴族はな、俺が言うのもなんだが、個体の能力がズバ抜けている。俺の親族がだいたい2~30人か。全員で戦えば、そこらへんの貴族、100人は軽く相手に出来る。自慢だけどな」

 嬉しそうにしてブラスタが言った。このオッサン、どこまで本気なんだろ。

「それで、実際の敵は何人いるんだよ」

 俺は仕方なく訊いた。

「奴隷を含めて300人ぐらいだな。やはり大陸から人を呼んでいるのだろう」

 ブラスタが腕組みをして言った。

「300人なら相手に出来るんじゃない? その……東の? 優秀な貴族たちで」

「……。東の貴族は確かに優秀なんだが、気まぐれな人間が多くてな。修行とか留学とか言って、世界中に散らばってしまっている。今回はタイミングが悪かった。緊急に召集をかけたが、どう見積もって10人しか集まらん。この非常時に全く何を考えておるんだか」

 語気を荒げてブラスタが言った。

「じゃあどうするんだよ」

 俺は言った。

「だから言ったろう? 勝率は3割だ!」

 机をコブシでドカンと叩いて、ブラスタが言った。俺に怒ってどうするよ。

「それで、俺に何をしろと?」

 俺は一応訊いてみる事にした。

「悪いなカジハル。カイナをなんとか連れ戻して欲しい。それと……できればお前も戦闘に加わって欲しい。無理を承知で頼む!」

 ブラスタが、テーブルに自分の額を押し付けて言った。

「いやいやいや。頭を上げてください。カイナは一族ということで分かりますが、俺は? 関係ないし力も無いし。どういう事ですか?」

「今回の戦争で、免疫系の人間が足りない。正確に言えば、免疫系に対抗する手段が乏しい。汚染物質まみれの免疫系に特攻されたら、東の貴族でも太刀打ちが出来ん。十年前の戦いで俺の母親と俺の弟……次男だがな。それで殺られた。オヤジも汚染を受けて死期を早めた」

 凄い表情をしてブラスタが言った。次男って事は、カイナにもう一人兄がいたという事か。

「俺に、汚染物質の盾になれってことか。引き受けたくないな。そもそも何のために俺がそれをやるんだ? まあカイナが死んだら、俺の妹は発狂するだろうけどな。貴族に協力して俺に何かメリットがあるのか? 別にリングとか金を貰いたいって話じゃないですよ」

「東の貴族が負ければ当然、北関東の奴らがこの地を支配する事になるだろう。あいつらは徹底的だぞ。領地内の人間は強制的に奴隷だ。逃げ出した市民を、見せしめに殺したりもする。貴族の風上(かざかみ)にも置けない奴らだ。確かに東の貴族も、市民から搾取はしている。それは認める。だが、それなりの自治も認めてきたつもりだ。貴族と市民は相容れない。それはが原則だ。しかしもっといい形で共存できるはずだ。俺はそう信じている」

 燃えるような眼差しで、ブラスタが俺の目を見て話した。こいつは熱い男だな。

「ちょっと待った。例えばの話ですよ? カイナが戻って、勝てる可能性はどのぐらいになる?」

 俺は訊いた。

「さっき見せたように俺は近接格闘タイプだ。カイナは長距離狙撃タイプ。俺とカイナのコンビネーションには隙が無い。しかも弟は、素質で言えば俺より上だ。弟が戻れば勝率5割だな。ぎりぎり5割」

 ブラスタが言った。

「仮にですよ? 俺がもし仮に免疫系の盾になったら、どれぐらい違う?」

「8割以上だな」

 ブラスタが真面目な顔で即答した。

「マジかよ……」

 俺は呆然として言った。


「力の点で心配することは無い。さきほど試させてもらって確信した。お前ほどのディフェンダーは中々いない。隠しても無駄だ、カジハル。お前には間違いなく貴族の血が入っている。こちらで少々調べさせてもらった」 

 ブラスタが言った。

「いや、隠してるわけじゃあない。俺は自分の血筋に関しては、ほとんど何も知らない。オヤジが何も教えてくれなかったからな」

 俺は言った。

「本当に、何にも聞いていないのか? お前のオヤジは何も言わなかったのか」

 ブラスタが意外そうな顔をした。

「俺のオヤジ? 伝説の免疫系と呼ばれて、市民のヒーローだったよ。割と有名だろ、ここらじゃ」

 俺は言った。

「なるほど、知らなかったんだな。聞いて驚くなよ。お前のオヤジは正真正銘の貴族だ。大陸の名門貴族、クバイ家の一族だ。貴族の人間でこの名を知らない者は居ない。免疫系が多いのもクバイ家の特徴だ。俺はてっきりお前が知っているものだと思ってたんだがな……」

「オヤジが? 貴族?」

 驚くなと言われても驚く。あのオヤジが、名門貴族……。


「そこからはワシが話そう」

 頭の上から声がした。

「父上、まだ意識がございましたか!」

 ブラスタが急にあたふたして言った。

「馬鹿! お前は黙っとれ! カジハルと言ったな。ワシはもう無理ができんのでな。音声しか伝えられん、許せ」

 偉そうな声が天井から響いてくる。ブラスタの父ってことは、東の貴族の頭領ということだ。死にかけの。

「ハイ。どうぞどうぞ」

 ブラスタの態度を見て、俺も妙な感じに緊張してきた。

「お前のオヤジはな、ワシのライバルだった。20歳(ハタチ)ぐらいだったか。大陸の方から武者修行を目的に、この地に来たのだ。当時の東の貴族は今以上に、武勇で名を世界に馳せておったからな!」

 ワッハッハ、とジジイが偉そうに笑う。死にかけてるんだよな……。

「まあ奴は強かった。ワシの方が4つ年上だったが、まったく歯が立たなかった。一族の中でも相手が出来たのは、ほんの一握り。東の貴族の跡取りとして、ワシも悔しくてな。初めの頃は腹も立ったが、お前の父親は何か不思議と人を惹きつけるところがあってな。それでワシとお前のオヤジは、仲のよい友人となった。奴は一族も同然のようになり、皆に好かれておった……」

「あの……父上。あまり話されるとお体に障ります。それと早く本題を……」

 ブラスタが恐る恐る言った。

「黙れ! ……まあよい。カジハルと言ったな。お前のオヤジが、ワシの婚約者を盗みおったのだ。それがお前の母親のマリカだ」

「母ちゃんが? マジで?」

「マリカは戦争孤児(せんそうこじ)だったが、東の貴族に拾われた。戦闘の才能があり、希少な免疫系(めんえきけい)でもあった。お前の母親を東の一族に加えれば、当然免疫系の子が生まれる。そうなればもう恐いもの無しだ。世界にうって出ることも出来よう。お前の母親は、ワシの許嫁(いいなずけ)になった。付け加えておくが、ワシは純粋にお前の母親に惚れていた。頭が切れて、美しかった……。免疫系がどうこう言っていたのは一族の者であって、ワシは違うぞ。断じてな」

 爺さんがしみじみと語る。……俺はなんて言えばいいんだよ。ブラスタの顔を見たら、気まずい表情で首を振っている。

「オヤジが俺の母親……つまりあなたの婚約者を盗んだという事ですか」

 俺は言った。

「そうだ! いつの間にかコウダイがマリカの心を奪っておった。奴も免疫系だったからな。免疫系は戦争の役には立つが、差別の対象にもなりうる。マリカはその事で傷つく事も多かったのだろう。その心の隙に忍び込んだのだ! 奴は!」

「父上、それぐらいにして置いて下さい」

 頭領がブチ切れたので、ブラスタが慌てて言った。俺はこの状況にもかかわらず、笑ってしまいそうになった。

「フウ……少し疲れたな。とにかくお前のオヤジは、ワシの未来の妻を盗んで駆け落ちしたのだよ。後はだいたい想像がつくだろう。詳細が知りたければカジハル、お前の妹に聞くがよい。以上だ!」

「ちょっと待ってください。俺の妹がどうしたって?」

 俺は言った。

「……ワシは疲れた。とにかく……カジハル。ワシはサイカちゃんを裏切るような事はしない。貴族は友人を裏切らない。息子も、頭は悪いが約束は守る。覚えておけ」

 爺さんがきめ付けるように言った。

「裏切るって、どういうことですか?」

「さらばだ!」

「ちょっと待ってください!」

 俺は叫んだ。

 ……天の声が消えた。裏切るって何? サイカちゃん?

「まいったまいった。オヤジはもう虫の息のはずだったんだがな。アレはまだ生きるぞ」

 ブラスタが頭の毛をかきむしって言った。俺は……もうどうしたらいいのかよく分からない。オヤジが貴族で、駆け落ち? 母親は東の貴族の婚約者で……。あとさっきのジジイが、サイカと友人だと言ってたな……なんだそりゃ! 頭痛い。超面倒くさい。天井を見ながら、ぼんやりしている俺に向かってブラスタが言った。

「まあ、家に帰ってじっくり考えてくれ。とは言え、そんなに時間の猶予は無いがな。戦争はいつ始まってもおかしく無い。カイナの説得をどうか頼む。俺の言うことはまず聞かないからな、あいつは」

 ブラスタが大きなため息をついた。

「それは分かるよ。俺の妹もちっとも言うことを聞かない。勝手なことばかりしやがる。長男はつらいな」

 ブラスタが泣笑いのような顔になった。このオッサン、表情が豊かだな。

「お前は市民だ。戦争のことは忘れてくれていい。無理な事を言った。もともと俺一人でやるつもりだったのだ。俺には部下もいるしな」

 ブラスタがソファーから立ち上がって、腕をバキバキ鳴らした。それを見て俺も立ち上がった。

「カイナも自由に生きればいいと思っていた。まだ子供だからな。だが、今日お前が浅草に来て、何かの縁だと俺は思った。それでつい変な願いを言ってしまった。お前のオヤジさんと、俺のオヤジと。駆け落ちの話は俺も初めて聞いた。とにかくお前に会えてよかった」

 そう言ってブラスタが右手を差し出した。貴族と握手なんてしたら、街のみんなにに申し訳が立たない。だが俺は、自然に右手を差し出していた。

「あんた死ぬ気か?」

 俺はブラスタの目を見て言った。

「命を懸(か)けて戦う、死ぬほどに戦う」

 ブラスタが勇ましい顔で言った。

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