第8話
ネットへのシンクロが完了した。自分の街の上空から、スラム街の中心地、北千住に向かって飛ぶ。
大戦前の時代には、ネットで一瞬に他の街に飛ぶことが出来たらしい。例えば会議のために、東京からロンドンまで一瞬で移動。次はパリで。その次はモスクワ。月まで飛ぶことも出来たらしい。瞬間移動はネットワーク最大の利点だ。しかし今は、それを使うわけにはいかない。
転送の為のバイパスは、大戦の時、真っ先に汚染物質とウィルスが詰め込まれた。転送装置を使って兵隊を送り込まれたら、自分の街があっという間に占拠されてしまうからだ。結果的に、ネットワークと現実の物理世界は、同じくらい不便になった。
キダ君と回線が繋がった。
「あと10分ぐらいで北千住だけど。持ちこたえられそうか?」
俺は言った。
「ありがとうカジハル。いつもの奴らよ。一応お金とリングで話をつける予定だけど、交渉は難航中よ。今回は死人が出るかも」
力の無い声でキダ君が言った。
埼玉の貴族は昔から本当に性質(タチ)が悪い。定期的にスラムを襲い、金になるようなデータ、そしてリングを奪っていく。最終的にはトップ同士の話し合いで決着が付くことが多いが、それまでスラム街は一方的な攻撃にさらされる。
奴らが川を越えて侵入してくることはまず無い。川の内側は、東の貴族の支配地だからだ。貴族同士の戦いは極力避け、弱い一般市民から搾取するやり方だ。荒川沿いで小規模な略奪を繰り返すだけなので、東の貴族も黙認している。市民を守るような事は、貴族は決してしない。
「川まであと3キロだ。キダ君、どこに居る?」
俺は言った。
「下流に移動しながら攻撃を受けてる! 今回は略奪のレベルを超えてるわよ。カジハル早く!」
「了解」
俺は川の手前で大きく右に曲がって、下流に進路を変えた。攻撃を受けて破損した情報が、スラム街の上空にゆらゆらと浮かび上がっている。ツギハギにツギハギを重ねたような、見ようによっては魅力的なスラムの街並。ネットワークならではの風景だ。
スラムは元々は基地だった。現実世界では、川の上に金属板で蓋をして巨大な暗渠になっている。太陽の届かない暗闇の中に、飢えと貧困がひしめいている。リアルとネットワークで、ここまで見た目に差がある場所も珍しい。スラム街の人々は現実逃避するかのごとく、ネットワークの街をきらびやかに飾り付けている。
前方の空に人影が見えた。スラム街の人間が30人ほど出て、必死で応戦している。対する貴族の数は3、……4人か。貴族に攻撃された市民が次々と消えていく。圧倒的な戦力差だ。スラム側はキダ君を中心として、守るようにして戦っている。キダ君は狙撃タイプなので、敵と距離を取らないと持ち味が出ない。現状、味方の背中が邪魔になって、まったく手が出せないでいる。
「お待たせお待たせ!」
俺はようやく現場にたどり着いた。
「俺が前線(ぜんせん)張(は)るからな! キダ君は下がって狙い撃ちしてくれ。いつもの形だ。みんな喰らい付いていけよ!」
そう言って俺は、街の人間と陣形を作って貴族に相対(あいたい)する。貴族といってもこいつらは三流だ。十分対抗できる。盾を押し付けて、奴らの動きを強引に止める。同時に、市民が横から攻撃を加えていく。スラム街の上空から荒川の方へ、じりじりと押し戻して行く。
「カジハル! あんたの盾が邪魔で狙いが定まんないわよ!」
キダ君が叫んだ。十分距離が取れたみたいだ。
「キダ君の愛の鞭なら甘んじて受けるよ。俺に気にせず撃ってくれ」
俺は言った。キダ君の腕ならたぶん大丈夫だ。たぶん。
盾で敵の動きを固定し、キダ君が狙い打ちする。もしくは俺が一瞬盾を消し、その隙にキダ君が撃つ。よっぽど呼吸が合ってないと出来ない荒業(あらわざ)だ。
こちらの攻撃が上手く回り始めた。一進一退の攻防と言った所。貴族たちにも疲れが見え始めた。そろそろ交渉を再開してもいい頃だろう。いくら三流と言っても貴族は貴族。適当なところで停戦しないと、結局損をするのはこちらの方だ。
「キダ君、話は付きそうかい?」
俺は言った。キダ君はスピードガンで敵を牽制しながら、音声回線で貴族の大将と交渉を続けている。忙しいにも程がある。
「それが今日は様子が変なのよ。簡単に撤退できない理由があるみたい。はっきりとは言わないけどね。カジハル左(ひだり)!」
キダ君が叫んだのと同時だった。盾が間に合わなくて直撃を喰らった。スピードガンかと思ったら、格闘タイプの拳(こぶし)だ……。かなり効いちまった。
「大丈夫? カジハル!」
キダ君が叫んだ。
「……なんとか。結構いいパンチ貰った。こいつ……初めて見る奴だ。今まで力を抑えてたな」
俺にパンチを喰らわせたのは、カイナと同じくらいの若造だ。若いのに根性の入った顔つきをしてる。
「もしかしたら北関東の貴族かも。まずいわね。三流貴族とは訳が違うわよ。埼玉の奴らが交渉に応じないのも、こいつに頭を抑えられてるからじゃないかしら」
キダ君が言った。その間にも俺は、この若い奴の攻撃をめちゃくちゃに受けている。俺はディフェンダーなので、防御に徹すれば簡単には崩れない。ただ、こちらから手が出せないとなると、いずれはやられる。
「狙えるか? キダ君」
「動きが速すぎるわ! 牽制で手一杯よ。近づいてみる?」
「いやそれはマズイ」
スピードガンの牽制が無くなったら、防戦の陣形も保てなくなる。俺らはじりじりと押されて、またスラムの上空まで戻されてしまった。マズイな。
カジハルさん! と街の人間が叫んだ。俺が若造を抑えている間に、他の貴族が一人、キダ君を狙って上空へ飛んで行った。誰も後を追えない……な。キダ君がやられたらスラム街はおしまいだ。俺も上へ飛んだ。キダ君は必死に、敵と距離を保とうとしている。
なんとか俺は追いついて、敵の顔面に盾を押し付けた。その瞬間、俺の背骨がミシリと音を立てた。
「カジハル!」
キダ君が叫んだ。俺は三秒くらい息が出来なかった。後ろを振り返ると、若い貴族が、固い表情の口元だけで笑った。すぐ次に来た蹴りを、盾で重たく受け止める。衝撃が背中に響いて激痛が走った。ダメだ、リンクが切れそうだ。俺が今消えたら、スラム街とキダ君がヤバイ。息つく暇も無く、若造の速くて重いパンチが飛んでくる。もう防ぎきれない。終わった。
若造が回し蹴りを放つ為に体を半回転させた。俺は盾を構えて衝撃に備える。その瞬間に、バシっと音がして、若造の首が変な方向に曲がった。後頭部にクリーンヒット。
キダ君? と思って俺は振り返ったが、ちょっと威力が凄すぎる。
「わたしじゃないわよ?」
キダ君が言った。
「話は後で。とりあえずは後始末を」
カイナの声だった。位置は上空2キロ。そんな距離からスピードガンを当てられるのは、確かに貴族だけだった。
さっきの若造はどこ行った? ……なんとサイカが派手に殴り合いをやっている。
「もう何も言う気になれんよ……」
俺は呆れて言った。
「サイカちゃん気を付けて! そいつは並じゃないわよ!」
キダ君が大声で言った。
「わたしも! 並じゃないわよ!」
サイカさん絶好調。一流貴族相手にビシビシと蹴りを決めている。まあ若造は、カイナの一発で相当なダメージを受けているからな。
「キダ君どうするよ。敵さんとの交渉は」
「今更ムリよ。ややこしい事になったわね……」
キダ君はさすがに情勢が見えている。そうなのだ。俺らは別に貴族に勝つ必要は無い。むしろ勝ってはいけない。若い2人はそれが分かっていない。
「もうそれぐらいにしとけ!」
俺はサイカに言った。
「何でよ! 二度とスラムを襲えないように、痛めつけてやるわよ!」
貴族の若造の脳天に、サイカのかかと落としがバッチリ決まった。あーあ、やっちまった。残像を残して若造の姿が消えた。サイカも強くなったもんだ。泥棒(しーふ)タイプというより、もう暗殺(あさしん)タイプみたいになってきたな。末恐ろしい。
残りの埼玉の貴族たちは、形勢不利と見てあっという間に逃げ出して行った。さすがは三流。プライドが無い。
「まずは礼を言うよ。2人ともご苦労だったな。皮肉じゃなくて、ホントに助かった」
俺は言った。
戦いを終えて、ネットワークのスラム街、キダ君のアジトの一室に、俺らは集まっている。
「怒ってないの? てっきりお説教から始まると思ってた」
サイカが拍子抜けしたような顔をしている。
「うんまあな。お前らが来なかったら全滅してたかもな。結果オーライという事にするよ。まあ、実際はオーライとも言えないんだが。カイナは分かるな?」
俺は言った。
「……貴族が貴族に手を出せば、大規模な戦いに発展する可能性があります。最悪、全面戦争になります」
カイナが目を伏せて言った。
「そんな……。だって攻めてきたのは相手の方でしょ? それを撃退しただけなんだから問題ないじゃない。悪いのは埼玉の奴らよ!」
サイカが憤慨して言った。
「そうね。埼玉の奴らだけなら、問題は無いかもしれないわ。でも今回はちょっと違ったのよ。サイカちゃんが止(とど)めを刺した若い貴族、あいつね、恐らく北関東の貴族よ。埼玉の三流とは違う。やられて黙っているタイプじゃないと思うわ……」
キダ君が困った顔で言った。
「それじゃあスラム街は、もっとひどい目に会うかも知れないの? 私のせいで……」
視線を落としてサイカが言った。
「サイカちゃんが責任を感じることは無いわ。スラムの為にやってくれたことだもの。わたしは感謝してるわ。この数年間、ずっとあいつらにやりたい放題にされてたし。蹴っ飛ばしてくれて、スカッとしているのよ? だから暗い顔をしないで。一番大事なのは今日の晩御飯。そうよね、カジハル?」
キダ君がサイカの肩に手を置いて言った。
「まあそうだな。とりあえず俺らは生き延びたんだ。カイナもほら、暗い顔スンナ。なんとかなるよ。なんとかしてやるって」
カイナの肩を叩いて俺は言った。なんだか泣きそうな表情でカイナが頷いた。カイナは自分も貴族だけに、事(こと)の大きさが分かっている。しかしキダ君が言ったように、まずは晩飯だ。晩飯を食ってからゆっくりと考えよう。
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