第7話

 ヘロヘロになって俺は街に戻り、自分の頭から4時間かけてリングを抜いた。どっと疲れが出てそのあと、ベッドに横になったまま二十四時間ぐらい眠った。ネットワークで活躍すると、脳の疲労も半端無い。ドクターに起こされなかったら、2日ぐらいは平気で寝てただろう。

「カジハル! カジハル起きて。サイカがまた抜け出したわよ」

 ドクターの声が部屋にビリビリ響く。声デカすぎ!

「抜け出した? ネットワークで?」

 半分寝ぼけたまま俺は言った。

「違うわよ。スーツを着て、街の外に出ちゃったのよ。またスラム街かしら。心配だわ……」

 ドクターが言った。

「まあ今回の件で、俺にうるさく言われる前に逃げ出したんだろ。スラムにはキダ君がいるから心配ないよ。後で確認しておく」

 俺はあくびをして言った。二度寝したい。

「わたし、探しに行ってみようかしら。なんだか胸騒ぎがするのよ」

「止めとけ止めとけ。スラムで人探しなんてドクターには無理だよ」

 ドクターのカンはだいたい当たらない。

「ちょっとカジハル! あなた、もうちょ」

 俺は回線を切った。

「休みの日くらい寝かせてくれよ……」

 大戦前のホームドラマで、同じようなシーンがあるよな。サラリーマンの父親が家族に言うやつだ。思い出して俺は笑った。そして目を閉じた。


 それから4週間後。再び俺の部屋にて。目の前にはなぜか貴族の息子がいて、俺の目を見ながら熱く語りかけて来る。やっぱり凄いイケメン。誠実な感じ。なかなか悪くない。だけど貴族だからなあ。


「父の日記データが盗まれたんです。父はもう寝たきりで、ほとんど身動きも出来ません。僕ら兄弟(きょうだい)もたまに見舞うだけです。葬式の準備をしておけと兄に言われました。まあ、そういう家なんです。それで僕が父の端末データを整理していたんですが、日記の中身が無いんですよ。たまたま僕が気が付いて父に聞いたら『泥棒に盗られた』と父が笑って言いました。この10年ぐらい、笑顔なんてほとんど見せなかった父がです。それから屋敷中が大騒ぎになりました」

 カイナが少し笑って言った。貴族の屋敷に侵入して、データを盗むなんてリスクが高すぎる。普通は誰も考えない。普通は。

「ログもきれいに消えていて、きれい過ぎて逆に怪しかった。被害は父の日記だけでしたし、兄は放っておけと僕に言いました。無かったことにすると。だけど僕は気になって、徹底的に調べたくなったんですよ。いったい誰が何の為に、父の日記を奪ったのか」

「人の恨みは買ってるだろう、お前のオヤジは。相当な」

 俺は言った。

「もちろんです。でもそれなら父を殺すか、傷つければいい。だけど、ただ日記が取られただけでした。挑戦状だと思いましたね。いつでも寝首をかけるぞ、という」

「だけど貴族の家ってセキュリティが完璧だろ? どうやって侵入したんだろう。誰かが手引をしたのかな」

「そこなんです。屋敷のハッキング対策は並じゃないですよ。逆に言えば、それをやれる人間は限られているという事です。泥棒(シーフ)タイプの貴族か、それに限りなく近い人間」

 カイナが真面目な顔で言った。

「いい読みだな」

 俺は言った。

「しかしそこからが大変でした。泥棒(シーフ)タイプの貴族なんて、恐らく世界に100人もいないですよ。貴族が貴族を襲えば戦争ですし、そもそも日記を奪う理由が分からない。時代に合わない。調査の為にかなりの金額と時間を費やして……。でも出てくるのはうわさ話と、ほこりをかぶった過去のデータばかり。ほとんどさじを投げました。スラムのバーで飲めない酒を見詰めて、僕はため息をついていました。そうしたらですね、後ろから肩を叩かれたんです。振り返ったら元気そうな女の子が1人、笑顔で立っていました」

 カイナが嬉しそうに言った。

「あの馬鹿(バカ)……」

 俺は頭が痛くなってきた。

「『わたしのこと探してる?』と彼女が微笑んで言いました。真っ黒なショートの髪と、緑色の瞳がとても美しかった。一目惚れでしたね。僕にはこの子なんだなって、一瞬で分かりました。それまで女性と付き合ったことは何度かありました。貴族の女性も、あとはそういう、仕事の女性とか。女には不自由しないわけです。だから女性への尊敬も忘れていました。それが……どうか笑ってください。甘ったれた貴族のガキが、たわけた事を言っているとあなたはお思いでしょう。しかもサイカさんのお兄さんに対して、こんな事を話している……」

 カイナが目を輝かせて話をしている。こいつなんだかサイカに似ているな。テンションが上がったり下がったり。激しすぎる。

「いいよいいよ。お前の気持ちは分かったから。それでどうした。2人は付き合ってるの? まあ、身分を越えた恋だけどな」

 俺は笑って言った。

「僕は真剣にサイカさんを愛しています。彼女も、僕のことをそう思ってくれている、そう信じていたんですが……」

「フラれたか」

「はい。1週間前に突然、もう会えないと。嫌いになったわけじゃないけれど、身分が違うから忘れてくれと。一方的でした。確かに彼女の言うとおりです。僕も一度は忘れようと思いました。しかし無理ですよ! 忘れることなど出来るはずがありません!」

 深刻な表情でカイナが言った。これは……どうしたもんかね。めんどくさいなあ。しかし放っておくわけにもいかない。

「ちょっとさ、カイナ。そこの棚の後ろに移動してくれる? 椅子ごと。……そうそう、そこに隠れててくれ。声を出さずにな。俺がいいって言うまで動くなよ。いいな?」

 さすがに貴族は躾(しつけ)がいい。貴族のお坊ちゃんは、俺の言葉に素直に従った。カイナの姿が棚の影に隠れた。

「ケイスケ。しっかり盗み聞きしてたか?」

 俺は天井に向かって言った。

「……すみません。でもカジハルさん不可抗力ですよ。回線をブロックしてないんだもん」

 すねたような口調でケイスケが言った。

「それでいいんだよ。この状況で、盗み聞きしてない方が俺は心配だ。さすがはケイスケ。頼りにしてるぞ」

 俺は言った。

「へいへい。それで親分、お次は何ですか? サイカさんを呼び出しますか」

 ケイスケが言った。こいつはまだ15だが、そこら辺の大人よりずっと頭が回る。

「いいぞケイスケ。サイカにな、俺の部屋に来るように言ってくれ。理由は無しだ。とにかく至急来いとだけ伝えてくれ」

「サイカさん怒るだろうな〜」

 楽しそうに笑ってケイスケが言った。


 10分後。エレベーターのドアが開き、まさに鬼神のごとく、サイカが俺の部屋に姿を現した。怒りで髪の毛が逆立ち……というのは言いすぎか。しかし顔を真っ赤にさせてかなりお怒りのご様子。風呂上りだったらしく、前髪がピタリとおでこに張り付いている。アニメの柄が入った子供パジャマを着ている。こうやって見てみると、やっぱりまだ子供だと思う。

「よく来たなサイカ」

 俺は笑った。サイカは汚染源である俺に近づけない。10メートルぐらいの距離で歩みを止めた。

「それなりの理由があるんでしょうね。音声回線はブロックされてるし、ケイスケが緊急だって言うから来たんだけど? 髪の毛も乾かさずに来たんだけど? ずいぶん気楽な顔をしてるじゃない。当分お兄ちゃんの顔は見たく無いって言ったはずですけど? 汚染のせいで記憶もおかしくなって来たの?」

 サイカがまくし立てた。よく口が回るな。

「まあそう怒るなよ。もう1週間になるし、外出禁止は取り消してやる。最近どう? ドクターによれば、スラムから帰って来て以来、ずいぶん元気が無いって話だったけどさ」

 俺は言った。

「外に出れなければ、ストレスが溜まるのは当たり前でしょう? まあいいわ、外出禁止を取り消してくれるのなら。でもそのために、わざわざ私を自分の部屋に呼んだわけ? 馬鹿じゃないの?」

 どこまでも辛辣だな。誰に似たんだ。ドクターか?

「それで元気かよ」

 少し真面目に、俺は言った。

「別に普通よ。ふつう」

 苦虫を噛み潰したような顔でサイカが言った。サイカが普通だって言う時は、あんまり調子がよくない時だ。分かりやすい。さらに分かりやすいことに、髪の毛に母親の形見のヘアピンをつけている。サイカが心細い時のサインだ。

「いいぞカイナ。出てきても」

 俺は言った。棚の影から貴族の息子が、神妙な顔つきで現れた。せつない目線をサイカに注いでいる。

「そんな……なんで? あの……どうして、わたし、こんな格好で」

 サイカがエレベーターの方に逃げて走った。

「サイカ。内側からは、俺が開けないと開かない仕組みだよ!」

 俺は大声で言ってやった。

 無言でカイナがサイカに近づいて行く。壁に追い詰められた妹は、じっと下を見ている。そして二人は……抱き合った。なんだそりゃ。妹が男の背中に手を回して、服を引き裂かんばかりに鷲づかみにしている。なんかもう……まあいいんだけどさ。俺の部屋だよな? ここは。


「すみませんカジハルさん。お取り込み中に」

 ケイスケから緊急回線で連絡が入った。ご丁寧に俺にだけ聞こえるようにしてある。 

「ほんとにお取り込み中なんだけど。どうしたよ、深刻そうな声だして」

 俺は小声で言った。

「スラム街のキダさんから緊急通信です。スラム街が、埼玉の貴族に攻撃を受けてるみたいです」

 ケイスケが言った。まったくなんちゅータイミングだ。

「俺はすぐ出るからな。サイカに気取られるなよ。聞かれたら、俺は買い物にでも行ったと伝えてくれ。あいつらが絡むとやっかいだからな。頼んだぞ」

 俺は言った。

「あんまり自信無いなぁ。サイカさんに嘘は通じないですよ……」

 ケイスケがため息をついて言った。


「お二人さん! おふたりさん!」

 人の部屋で抱きしめあっている若者達に、俺は大声で呼びかけた。カイナが面倒くさそうに俺の顔を見る。なんつー態度だ。ちょっと腹が立ってきたな。サイカは完全に俺の事をスルーして、ピッタリと男にくっついている。

「俺は野暮用が出来たからな。これからマシンに入る。だからこの件は保留にするぞ。とりあえずカイナは俺のベッドルームを使え。洗浄してあるから汚染は心配ない。自由に使ってくれ。入り口は一応開けておくが外には出るなよ? それとサイカ、この件が片付くまでとりあえず外に出るな。ネットも禁止だ。いいな? 約束を破ったら、今度は外出禁止1週間じゃ済まないからな。分かったな?」

 サイカが俺の顔を見て小さく頷いた。早くどこかへ消えてくれという顔だ。……いいけどさ。なんか腹が立つなあ。恋愛は別にいいんだけど、まるで世界に2人だけみたいな? まあしょうがないか! クソ!

 とにかく全部保留だ。俺はマシンに飛び込んで、意識を集中し始めた。

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