第11話 生き様
深夜帯に訪問。これは相手が誰であろうと確実に『失礼』な行為だ。常識的に考えて、自分より立場が上の人にそれをするとなると、あらゆる覚悟を決めなくてはならない。
たとえ相手が授戒であろうが依頼主であろうが、緊急だからといって午前一時過ぎに訪問するのは非常に迷惑だ。
一応、土下座をするつもりでいよう。
燈明学園の正門の警備員に事情を説明して通してもらい、特別館へと向かう。
至る所に外灯が設置されているので、そこまで視界は悪くない。
「にしても、住み込みとはね。もしかすると、話す時間もなかったりするんじゃないの?」
「それくらいの時間は確保してもらうよ。いくら依頼主とは言え、不思議——というか、不審な点があったら、そこは解消しておきたい」
頼もしい言い分だった。たくましい目つきといい、僕には絶対に真似できない。
仮にできたとしても、欠陥が目立つ代替品程度にしかならない。これはきっと東条さんと桜内を入れ替えたって同じことだ。
……勝手に他人と自分を比較し、そして落ち込むのは僕の悪い癖だ。
昔、姉さんにこんな事を言われたか。
“あんたはあくまであんたしかいない。他人なんか見なくていい。自分だけを大切にしなさい”
しかし、それは周りに人が増えれば難しくなっていく。せめて自身の成長に繋がればいいんだけどな……。
……なんて思考をしているうちに特別館に辿り着いた。三階建ての横に広い洋館。その二階の右端のみ明かりが漏れている。僕と東条さんは特に何も言わずに巨大な扉を開いて中に入った。
清潔感のある内装は正に『特別』といった雰囲気を漂わせる。学園内の他の館が見劣りするほどには、ここは綺麗という言葉が当てはまっていた。
揃わない足音のみが耳に入る。僅かな緊張をほぐす為の深呼吸すらも意味を持たない気がした。
そして、扉の前で立ち止まる。
「はあ——」
東条さんは息を吐き出し、扉をノックする。
「夜分遅くに失礼しま……」
扉を開けた東条さんの動きが固まった。
遅れて中を覗き込む……と、硬直の理由が分かった。
広々とした部屋の隅には本棚が敷き詰められており、中央にはソファーが二つ。その奥の窓よりの場所に本が積まれた机があり、そこに座っている若い女性が一人。
オールバックに赤眼鏡と、特徴的がすぎる彼女が授戒の娘さん……
そして、蒼夜さんの襟首を掴んで今にも殴りかかりそうになっているのが、桜内桃春である。
…………何やってんだろう。
「コラあぁああああぁああ!」
東条さんは叫びだし、大慌てで桜内を止めに入った。
あんな声でるんだなあ。ちょっと意外。
「何やってるの⁉︎」
桜内を軽々と床に叩きつけ、あっという間に拘束してしまった。それでも桜内は蒼夜さんから目を離すことはなく、八重歯が剥き出しになるほどの怒りの表情を浮かべていた。
焦り出す東条さんは、桜内の後頭部目掛けて容赦ない頭突きを放つ。ゴンと鈍い音がして、桜内はようやく大人しくなった。
……だけでは済まず、東条さんは桜内を廊下に放り投げた。また頭をぶつけたようだけど、死んでないよな……?
「姫乃くん! 扉閉めて!」
「あ、はい」
さよなら桜内……生まれ変わったら、お前はきっと清楚な人間になってるよ……。
扉を閉めて振り返ると、東条さんが即行で土下座をしていた。
「すみません! 本っ当にすみません!」
おでこが凹みそうな勢いだ……。さすがに止めようと一歩踏み出した瞬間、彼女が静かに言った。
「別にいいさ」
蒼夜さんは東条さんを見て続ける。
「なんでもかんでも上司の責任にする文化は嫌いだ。あのガキの行いはあのガキの判断でしかない。なのに、お前はいつまで頭を下げているつもりだ?」
涼しげな無表情は、見た者に恐怖すらも与えかねない。
東条さんはすみません、と呟き立ち上がる。
「とにかく座れ。でないと落ち着いて話すことができない」
それから僕に視線を移し、蒼夜さんは言う。
「未来視のガキ。おまえも座れ」
当然のように未来視を所有していることをご存知なんですね……。なんだか不安になってくるな。
僕は軽く頷いてから、東条さんの隣に座った。
「あの、どうして桃春ちゃんがここに?」
「おまえが来た理由と同じだろう。『授戒ならば白鏡を潰すことができる、なのにどうして何もしないのか?』……こんなところだ。あのガキには黙って仕事をしろと言ったのだがな、『次いつ誰が殺されるかも分からない! あんたはそれでもいいのか⁉︎』と発狂していたよ」
蒼夜さんはおかしそうに嘲笑った。何がおかしいのか質問したいところだったが、僕にそんな勇気はなく、俯く東条さんに視線を送るだけ。
「……正直、私たちが動くよりも、あなた方が動いた方がいいのではないかと思います。白鏡誠司の単独の行為ならば勝機がないこともないですが、白鏡そのものが敵だとすれば、私たちには手に負えません」
それに、と顔を上げて続ける東条さん。
「あなたは——この事件が白鏡の仕業だと知っていたのでは?」
「……ほお」
やけに鋭い目つきだ。
「何故そう思った?」
「勘です。……私の勘って、結構頼りになるんですよ。それで過去に三回事件を未然に防いだことがあります」
「……ふん。まあ、勝手に妄想してるがいいさ」
僅かな視線の動きと、肯定も否定もしない話し方。どうやら東条さんの言っていることは真実らしい。僕でも分かるということは、当然東条さんも分かっているだろう。
「あなたが直接白鏡を捕らえないのはなぜですか? 白鏡の力は授戒にとって格下のハズです」
さすがに強気の東条さん。疑念は確信となる。殺人を黙認していた蒼夜さんは、その事実を知られても変わらずのすまし顔。絶対に敵に回したくないタイプだ。
そんな彼女は、数秒間沈黙を選び、ようやく口を開いた。
「“血の契約”——」
聞かない言葉だ。言い終えると、蒼夜さんは自分の首元を触った。
まるで付いていることを確かめるような手つきだ。
「……ここまではセーフか」
「白鏡と——ですか。一体なぜ……」
「そこまで言わせるな。私の首が飛ぶぞ」
「……、……残念です。結局、ここに来た意味はなかったわけですね」
東条さんは不貞腐れたように言って、立ち上がる。迷いのない歩調で扉まで移動し、ドアノブに手をかけた。
「……この上に白鏡誠司の娘の記録がある。見たければ勝手にしろ。あと、もしも私が死んだら、父上に報告しておけよ」
物騒な話に納得しているのか、東条さんが振り返った時に見えた顔つきはいつもより真剣だった。
そして一礼し、部屋を出て行った。
僕も遅れて部屋を出ようと立ち上がると、
「なあ、未来視」
蒼夜さんに声をかけられた。絶対に話しかけられたくなかったな……。でも、それを顔に出したら死ぬ気がする。僕は得意の無表情で応じる。
「……なんですか?」
「最近は、いい未来を見るか?」
「はい? えっと……」
最後に未来を見たのは、大山さんと対峙した時か。アレがいい未来だとは言えない……かといって、過去にいい未来を見たかと問われれば——
「——そんな未来見たことないです」
「そうか。まあ、そもそも未来なんてそう見るものでもないしな。……使い方には気を付けろよ。閲覧と違い、予測はお前から何かを奪っていく」
僕は一礼し、逃げるように部屋を出た。
扉の向こうの彼女は、まるで何を考えているのか読めない。今の忠告にさえ、何か裏があるのではないかと思ってしまう。
嫌だな……あの手のタイプの人は久しぶりだ。もう関わることはないことを祈ろう。
「……さて、と」
廊下に東条さんの姿はなく、気を失っている桜内が伏せている。
さすがにこのままってわけにもいかないだろう。僕は桜内の肩を揺すった。
「こんな所で寝ると体痛めるぞ」
既に痛めてそうだけど。
というか、東条さん相当怒ってるな。廊下に人を放置するなんて、あの人なら絶対しないことだろうし……。
「んにゃ……」
猫のような声を出して桜内は起き上がった。
「おはよう」
「……あー……」
壁に寄りかかり、目の前の扉を睨みつける。その奥にいる彼女を、まるで憎悪の対象としているかのようだ。
「なあ、どうしたんだよ? 授戒ってのは、魔術世界でのお偉いさんだろ? そんな人にたてつくなんて……」
途端に桜内は僕の襟首を掴み、壁へと押しつけた。
頭を思い切りぶつけてしまい、意識が飛びそうになる感覚を覚える。
「——っ、おまえ……」
「あんたなら! ……どうだ……、仮に犯罪者を見て見ぬふりした奴がいたとして、そいつを憎むことができるか⁉︎ 『あんたは悪だ』と言うことができるか⁉︎」
どうして僕がそんなことを問われなくちゃいけないんだ? 答えてやる義理はない。
けど——このまま蒼夜さんの部屋の前で睨み合いを続けることにも、絶対に意味がない。
だから僕は正直に答えてやることにした。
「知らねえよ」
「…………そう、だよな。あんたはそういう奴だ」
脱力するように手を下げ、桜内は顔を伏せる。そして何も言わずに階段を降りていった。
……今、あいつの八つ当たりにかまっている暇はない。
僕は天井を見て肩を竦める。
不思議と、俯いているような感じがした。
×
上の部屋は本棚で埋め尽くされており、東条さんは白鏡誠司の娘の資料を探すのに難儀しているようだった。
僕に手伝えることは無さそうなので、なんとなく窓の側に寄って景色を見た。
桜内の小さな背中だけが、暗い木々の闇に消えてゆく。
「あの……」
「んー?」
手を止めることなく、東条さんは答えた。
「何かな?」
「桜内のこと。あいつ、ちょっと異常じゃない? 馬鹿みたいに正義の味方してるっていうか……」
ド直球な言葉に、東条さんは笑った。
「かもね。正義を振るうこと自体は、私はいいと思うよ。ただ——時と場合を考えなきゃならない」
だからあの仕打ちか。ちょっとやりすぎだとは思うけど、それは桜内にしたって同じか。
「どうしてあんな人格ができたのやら……」
ふと口にすると、東条さんが「気になる?」と言った。
「まあ、興味はある」
「姫乃くんが他人に興味を持つなんてね」
僕にだって人並みの好奇心くらい持ち合わせてるんだよなあ……。この人は僕を人間として見ていないのだろうか。
「……あの娘はね、一ヶ月悪霊と同じ空間に閉じ込められていたの。両親がちょっと変わった人間でね」
「……え……」
なんだ? 想像以上に飛躍した話だな。悪霊って……普通に生きているなら聞かない言葉だ。
疑問は口にする間も無く、東条さんは続ける。
「霊術の専門家として、桜内の名を馳せていた。その研究の一環として、死者の魂を生きている肉体に入れ込むことに挑戦。生者と死者の共存を試したかったんだね。一人の男がそんな桃春ちゃんを救ったの。彼自身を犠牲にしてね……。結果、桃春ちゃんの肉体には《名前のない彼女》が宿った。精神的負担は全て彼女が請け負うから桃春ちゃんは常に桃春ちゃんでいられる」
「そりゃあ……なんとも不幸な話だ」
「ねえ、姫乃くん。人が変わるきっかけは、すごく単純だったりするんだよ。夜空を見上げると星が綺麗だったから宇宙飛行士を目指す者。運動会の五十メートル走で一位を取ったから陸上選手を目指す者。数学が好きだから数学者になる者。——正義に助けられ、その意思を継ぐ者」
東条さんは作業を止めて振り返り、真っ直ぐに僕の目を見た。
「それらは理由にしては軽く見えるかもしれない。でも、決して馬鹿にされるようなものではないんだよ。単純だからといって、貶されるようなことがあってはならない。何にせよ、その人の人生に良い影響を与えたんだからね」
僕は答えない。無言で東条さんの言葉の続きを待つことしか、今の僕にはできない。
「たしかに桃春ちゃんは集中すると周りが見えなくなるし、女の子らしさってのが全然ない」
「……」
「でもね」
優しい声音であるはずなのに、どこか重みを感じる。二つの碧眼は、相手に戦慄を覚えさせるほどの迫力がある。
これが、東条色奈の本性——。
「あの娘の生き様は、間違いなく素晴らしいものだよ」
「……僕には、わからないな」
僕は正直に答えた。
正義を振るうメリットはなんだ? 依頼料がなかったとして、僕は他人を助けることができるのか? ……きっと、気分次第だ。暇だったら依頼を受けるかもしれない。早く帰りたかったら断るかもしれない。
それはそうとして。
僕は、誰かの為に命を落とせるか?
答えは——
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