第12話 桜内桃春

 ×桜内桃春


 本来ならば小学五年になるはずだった年。あたし、桜内桃春にとっては地獄の始まりだった。

 記憶が無意識に抑圧しているらしいため、正確な場所までは思い出せないが、とにかく山奥だ。なんでも、そこは死者が集いやすい場所らしく、霊術の専門家である両親の職場に最適というわけだ。

 研究材料として、一人の死者の魂と、あたし自身が必要となった。

 牢のような地下室はわずか五畳ほど。

 剥き出しのパイプ管に足を拘束され、自由を奪われた。

 暗闇の中でも、『あいつ』の気配は感じ取れた。

 あたしたちは対角線上に向かい合っていた……それが監禁されてから二日ほど経った時。

 そいつはくっきりとした『影』のようで、体つきから女だと分かるほどだった。


『あんた、誰』


 今思えば、幽霊に話しかけるなんて馬鹿なことをしたもんだ。さすがはあたしって感じの武勇伝にもならん。


『ねえってば』


 あたしの呼びかけは無意味で、虚しさが募るばかり。

 そして一週間、或いは二、三週間経ったその時、あいつは姿を消した。

 更に数日が経ち、あたしの精神が崩壊寸前だったその時、天井の扉が音を立てて開いた。

 しばらくぶりに光を浴び、何故かあたしは気を失った。


 ×


 次に目を覚ました時、そこはまた地獄だった。

 夏の日差しに熱せられた山中のアスファルトに寝ていた。立ち上がってみると、遠くには妻城市が見え、あたしは家族から解放されたことを知る。

 とっとと警察に行って、クソみたいな両親を捕まえてもらおうと歩き出そうとした、

 その時——ポタポタと、何かが落ちる音が聞こえる。

 振り返ってみると、数メートル先に血溜まりがあって。


 視線をあげてみると、そこには木の枝に突き刺さった父の死体があった。


『そ、そこまでは、望んでな…………』


 またその奥に、仰向けに倒れている男がいた。多分、年齢は二十代前半。

 彼の胸の真ん中に突き刺さっていたのが、父の愛用していた出刃包丁だったことを鮮明に覚えている。


『こ、の娘は……』


 掠れた声で、父が足をばたつかせて言った。


『成功作、なん、だ』

『だからさあー』


 死んだと思っていた彼は、不敵に微笑んで拳を引いた。

 それと同時に、父の体が更に深く木の枝に突き刺さってゆく。まるで操り人形のようだ。


『あんたみてえな親、存在しちゃあダメだって』


 父が動かなくなったあと、男は吐血した。自身の金髪をかきあげて、あーあと脱力して言う。


『ヘイ、お前さん。今やりすぎだと思っただろ。なにも殺さなくても、とか思っただろ』


 胸に刺さったナイフを気にせず、彼はおかしそうに喋り続けた。


『こいつはなあ……いや、こいつら、おまえさんの両親はなあ、お前さんを監禁する前におれの妹をこの山で殺したんだぜ。それでもやりすぎだと思うか?』

『そしたら……あんたも、人殺しだよ』

『だろうな、知ってるよ。ただ、お前さんのクズ両親と一緒にするなよ。おれのはあくまで復讐だ。うん? なんだろうと殺人はいけないってか? 復讐なんて虚しいだけだってか? 馬鹿だねえ。復讐は虚しくなんかない。それは被害者やその身内の無念を晴らすことができる。結局のところ、殺人者に対する罰は死以外にありえねえんだよ』


 あの時、まだ小学生だったくせにあたしは彼の言葉の意味を理解した。

 正論だと思ったのだ。だからあたしは何もいえなかった。

 父の死体と、同じく彼に殺されたであろう母を想像しても涙すら出なかった。そうなるのが当然の結果だと思った。そもそも、あたしを助けてくれたのが彼なのだろう。だとしたら、恨むことはできないのだ。


『あんたは、正義の味方なの?』

『そいつは少し違うな。正義ってのは困ってる奴らを無償で助けたりする愚か者のことを言うんだ。そんなのはおれのスタイルじゃない。……てか、正義マンは人を殺したりしないだろ?』


 彼は上半身を起こし、ポケットから一本のタバコを取り出し、そして火を付けた。


『なら、おれは“悪の悪”ってところだな。本当に裁きたい人間ってのは、案外法律に守られていることが多い。おれはそれを無視して悪を裁く。悪にとっての悪。それは案外、正義と似ているのかもしれねえけどな。やり方を変えれば、おれにも、もっと——救えたものが……』


 彼は目を瞑って煙を吐いた。悔恨の表情がとても印象に残っている。しかし、妹の復讐を果たしたという、満足感もあるようだった。

 正義と悪の境界線に、彼は立っていた。

 こんな状況だというのに、あたしは……彼に恋をしたのだ。

 こういうのは単純なものだろう。

 偶然手が触れたとか。

 偶然目があったとか。

 偶然すれ違ったとか。


 偶然、正義の味方に助けられたとか。


 あたしにとってはこんな理由で十分だし、大抵の人はその程度の理由なのだ。


『あ……あたしが、救うよ』


 彼は吐血した後に「何を?」と言った。


『あんたが、救いきれなかった人を』

『…………、おれは光野紅葉。お前さんは?』

『桜内桃春』

『妻城駅周辺の路地裏に、名前のない喫茶店がある。全てが落ち着いたらそこへ行け』


 あたしは無責任に頷いた。そんな少ない情報で辿り着けるかわからないのに。

 すると彼——紅葉はタバコを取り出し、あたしに向ける。


『吸うか?』


 あたしは間を空けずに即答した。


『いらん』


 ×


 結局、あたしがその喫茶店を訪ねたのは、中学校に入学して三ヶ月たった後だった。


『お、お邪魔します』


 中には小柄な少女が一人、美人の先輩さん(であろう人)が一人いて、カウンターに顔に傷の入った男が一人。

 彼の名前は光野勝というらしい。それで真っ先に連想した人間が、あたしの初恋の人。

 話を聞くと、案の定、勝さんと紅葉さんは兄弟らしかった。


『そんで、お嬢ちゃん。おまえはどうして俺の弟を知っている? そして、なぜここに来た? 依頼か?』


 あたしは数年前の事を説明した。勝さんは、弟である紅葉さんの死の理由を知り、何故か微笑んだ。


『“悪の悪”……少数にとっての正義、か。そんな生き方をして死んだってんなら、あいつらしい最後だったんだな』

『違いないね。最期まで自分を貫き通すなんて、あの人らしいよ』


 色奈さんはずっと前から勝さんたちと知り合いだったみたいだ。


『ただまあ、死んじまったら意味ねえだろうに』

『……あたしは死なない』


 言うと、二人(柩ちゃんに至ってはよく分からない)は期待の眼差しであたしを見つめた。


『人助けに興味がおありで?』


 その時、色奈さんは満面の笑みだった。仲間が増えることへの喜びか、同じ意思を持った人が現れたことへの喜びか、或いはその両方。

 ほんの僅かな時間だった、光野紅葉との邂逅。それは、子供なあたしには、十分すぎるほどに影響を与えた。

 彼の意思は——あたしのこれからを作り出す。

 あの時のことを思い出すと、やはり……こう思ってしまう。


 あたしって、チョロいよなあ……。

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