第10話 その先

 その後。

 宝石は光野さんに渡そうということになり、僕らは喫茶店へと向かった。

 光野さんは宝石を丁寧に保管し、知り合いの魔術研究者に見てもらうと言って足早に出て行った。その直前に光野さんが注いでくれたココアをいつもの席で堪能していると、桜内が「先に帰る」と言って出て行った。

 ほんの数分前、東条さんから連絡があった。


『私は光野さんと合流して行方不明者と被害者の一致を確かめるから』


 と一方的に言って切られてしまった。まあ、僕もさっきは自分勝手なことをしたし、これでおあいこか。

 さて、僕も今日は引き上げるとするか。立ち上がったその時、右端の席から声が聞こえる。


「ねえ」


 当然柩ちゃんの声だ。この空間には僕と彼女しかいないのだから。


「どうだった?」


 この短文だけで返事ができる人はそうそういないだろう。


「……主語をはっきりさせてくれ」


 柩ちゃんは相変わらずグラスを見つめたままで——、いや……何も見ていないのか。そこら辺は曖昧だが、とにかく僕のことは見ていない。


「死体。見たんでしょ? どうだったのよ」

「死体を見た感想……?」


 意図がまるで分からない質問だ。


「別に、なんとも」

「最低ね。死ねば?」


「君ほどじゃないよ」と軽口を叩ける場面でもないので、僕は黙って首を傾げた。

 最低……最低か? 客観的に見たら最低なのか……。にしても、柩ちゃんが最低って思うのか。この娘は案外優しかったりするのかな。

 ……って、一度命を救われてるのに何様だよ僕。


「まあ、彼女は自分で茨の道を選択した訳だし……その結果があれだとしたら……」僕は素直に続けた。「哀れだとは思うかも。というか、思った」


 恐ろしいほどの家族愛だ。

 この事実をみずきちゃんが知ったら、一体どうなるのだろう……。やはり、彼女の妹だというのだから——


「——家族って大変ね」


 柩ちゃんは独り言のように呟いた。


「自分に関係ない行動でも、それが家族のしたことならこっちにまで影響がくる。家族って、滅多なことがないと繋がりが切れないじゃない。不便でしかないわ」

「家族は必要ない?」

「もちろん」


 迷いのない返事だった。


「……そういえば、柩ちゃんって何歳なんだ?」

「十四」


 十四歳。だってのに、今年で十八の東条さんと口論していたのか。

 良くも悪くも気が強いタイプなのかな。


「でもさ、家族がいなかったら君もいないんだ。そういうことを言うのはつまり……」

「あたしは、産んでくれなんて頼んでない……」


 柩ちゃんには何かと『問題』がありそうだ。この僕と同じく……。

 親は子を選べない。

 子も同様に親を選べない。

 産んでくれる必要なんてない。

 子は産まれないことを選べない。

 その思考……嫌なくらいに理解できる。


「今まで色んな人を見てきたけれど、ここまで僕に近い人は初めてだ」

「当然よ。あたしたちみたいな奴、そう多く存在しちゃいけないもの」


 普通じゃないからこそ、それに憧れて振る舞ってみるも、結果は今の通り。

 つまらない邂逅で——改めてそれを知る。直感ならばいいのだが。


「法号は羨ましいわ。まさに家族っていうか」

「そうだね。四人の中で誰が欠けても、きっと悲しむんだろう。なにせ、家族の為に人を殺せるんだからな……」

「愛だか依存だかよく分からないわね、そこまでくると」

「まったくだ。でも、どっちにしたって、僕らに必要かどうか……」


 目の前にあったところで——それを掴む機会が与えられたところで、手にするかは分からない。

 予想通り、柩ちゃんは小さく頷いた。


「こんなあたしでも死ぬのが怖いんだから、詮ない話よね」


 そう言って、柩ちゃんは僕と目を合わせた。


「あんたは? 死ぬのは、怖い?」


 淡い灰色の瞳は、僕の心を覗いているようで。

 この場に居ること自体が苦痛に思えてくるほどに——恐ろしかった。


 ×


「えっと……今日が二十三日木曜日だから……」


 四日ぶりの我が家なわけだ。やっぱり住み慣れた場所が落ち着くな。

 学園の寮よりも少し狭いが、僕にとってはこれくらいがちょうどいい。

 適当に時間を過ごして、時刻は午後十一時をまわっていた。

 そろそろ寝ようかとソファーに横になった——その時。

 ガチャリ、と。

 扉を一枚挟んだ廊下の向こう側から聞こえる。

 この時間に来客……? ありえない。連絡一本すら寄越さない知り合いなんて……。

 さすがに体を起こした。何か武器になるものはないだろうかと周りを見るが、さすがは僕、この部屋には何も無かった。

 持たないよりはマシかと思い、シャーペンを手にして部屋の端で身構える。

 ——そして、扉を開けたのは……


「あ、起きてた。やっほー」


 ビニール袋を片手に持った東条さんだった。


「……どしたの? そんなところで勉強?」


 彼女のきょとんとした表情が、僕の緊張した心を和らげる。


「そんなわけないだろ……。そもそも、僕は家で勉強をしない」

「へえ? じゃあどこでするの?」

「学校でしょ。そういう場所なんだから。……じゃなくて」


 東条さんは小さな冷蔵庫に買った物を詰め込んでいる。そのことも含め、僕は


「なにしてんの?」


 と聞いた。


「え? 姫乃くん、食生活最悪っぽいし、心優しい先輩が色々買ってきてあげたんだよ」

「聞き方が悪かった。こんな時間にインターホンも押さず、事前に許可も取らず、なんで僕の家に上がり込んだの?」


 全て仕舞い込み終えたのか、東条さんは冷蔵庫を閉めて唇に手を当てた。

 マジかこの人……自分のしてること分かってないの? 常識なさすぎるんじゃないのか? 頭いいのに常識ないとかどういうことだよ。どうやって生きてきたんだよ。


「言っとくけど、僕が通報したら東条さん捕まるからね」

「通報するの?」

「……、しないけど」


 これ以上は何を言っても無駄だと思い、僕はペンを脚の低いテーブルに置き、ソファーに座った。


「そうだ。ちゃんと鍵かけなよ」


 どうして説教されなきゃならないのだろう。


「別に大丈夫だって。ここら辺は人通り少ないし」

「だからこそだよ」


 それもそうか、と納得してしまった。だから僕はそうだねと適当な返事をして、東条さんに顔を合わせる。

 ——満面の笑みだった。

 僕が直視できないくらいには、眩しい笑顔。


「ねえ、何か食べた? 食べてないなら作るよ」

「この時間に? 東条さん、帰り遅くなるよ。高校生なんだから、十一時くらいには家戻ってないと」


 まあ、もうとっくに過ぎているけれど。


「分かってるよ。ま、私を怒る人はいないし、問題ないけどね」

「ふうん?」


 一瞬、東条さんは沈んだ表情を見せた気がした。

 その事について触れる勇気はなく、僕は空気を読んで黙り込むだけ。


“変わらないね、お前は”


 と、誰かが馬鹿にしたように言った気がした。


 ×


 東条さんの作ってくれた料理は、僕が普段食べている非常食よりも格別に美味しかった。

 これからは料理に挑戦してみようかな、と食後に考えていると、正面に座る東条さんが真剣な表情をして言った。


「少しいいかな」

「……なんでしょう」


「あの宝石について。あれはね、魔術道具というよりは魔法道具に近いものなの」

「つまり……、超能力的な?」


 現実感のない話だが、東条さんは迷わず頷いた。


「人間を死に追いやって、しかしその死体の腐敗を進めることはない。簡単に言うと、宝石の内部で時間を固定させているの」

「へえ…………」


 頭が痛くなりそうな話だ。


「まあ、とにかくそうだとして。死体の鮮度を保つ理由はなんだろう。白鏡誠司の目的って……」


 何だろうと口にすることはなく、一つの予測が頭に浮かぶ。

 見てはいない。

 未来視など、使ってはいない。

 不意に完成した予測にしては、あまりにも常軌を逸しているようにも思える。それくらいにおかしな妄想。

 僕は慎重になって言う。


「白鏡誠司の身内で……誰か死んだりした?」


 思ったよりも早く東条さんは頷いた。


「数年前に、娘さんが殺されている」

「そこらへんを調べてるってことは、東条さんも同じ考えだよね」


 人を——つくろうとしている。


「人間ってのは必ずしも左右対象って訳じゃあないからな。適当にパーツ分けをして、人を選んでいたんだろう。それはいいとして……」


 だとしたら。だとしたら、どうしても分からないことが二つ。

 完璧な入れ物を作ったとして、肝心な中身……つまり、魂はどうするのか。

 そして、なぜ燈明学園の生徒をターゲットにしたのか。


「魂を引き抜く技術はないこともない。ただ……白鏡がそれを手にしていたとは考え難い。可能性があるとすれば、授戒一族から盗んだとか。……そもそも、白鏡って時点で私たちには荷が重すぎる。どうして授戒は動かないのか、魂のことも含めて明日——いや、今日か」


 零時が過ぎて、すでに二十四日の金曜日になっている。


「今日、聞きに行こうと思う」

「…………いや、今行こう」


 僕の提案に東条さんは驚いたようで、目を丸くさせていた。


「白鏡さんもすぐに僕たちが気づいた事に気づく。ゆっくりしていられない」

「——まさか、姫乃くんの口からそんな言葉が出るとはね」


 不敵な微笑みを浮かべ、東条さんは立ち上がる。

 恥ずかしさを誤魔化すための言葉を使おうとしたが、何も思い浮かばなかった。だから僕も立ち上がる。

 無言で目の前の碧眼を見つめ、小さく頷いた。

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