第7話 詮索
法号邸は学園からバスで四十分のところの高級住宅街にあった。思いっきり西洋風に造られた、高級感溢れる白の三階建ての家。門の脇に設置されたインターホンを僕は押した。
『どちら様でしょう』
暗い声色で応じる女性。
「僕はつるぎさんの……友達です。少し——いえ、凄くお話がしたくて、失礼を承知で訪ねさせてもらった次第です」
『……。ええ、分かりました』
ぷつんと途切れる音がする。
なんだ、予想外にすんなり受け入れてくれたな。警察の息子だとか適当な嘘も言うつもりだったのに。
「あんたのことをやばい奴だって思ったんだろうね」
隣の桜内が言う。
「やばい奴? なんで」
「来客が来たと思えば、見覚えのない、頭に包帯を巻いて頬にはガーゼを貼った男子が、『法号つるぎの親友』を名乗ってるからさ」
……ま、たしかに不格好ではある。そこは認めてやろう。
「でも、やばい奴なら、普通は招き入れることはしないんじゃないのか?」
「死んだ娘の名前を出されたら、否が応でも話を聞くしかないだろ」
桜内は数メートル先の扉を睨んで言った。僕も扉を見ると、ちょうど法号さんの母親と思われる人が出てきた。
なんとも無気力そうな人。明日死にますと言ったら信じてしまうほどに、すべてがどうでもいいと思っていそうな遠い目をしている。
僕らは中に入り、広々としたリビングのソファーに並んで座った。テーブルの上には既に人数分のお茶が用意されていた。
特になにも言わずに桜内がコップに手をつける。僕はそれを無視して法号さんに目を向けた。
意外なことに、第一声を発したのは法号さんだった。
「つるぎの、お友達なんですね」
「……ええ。もっとも、知り合ったのは昨日なんですけどね」
僕は目を逸らし、壁に飾られた家族写真に目を向けた。両親と、法号さんと、妹さんが写っている。
「転校したばかりで右も左も分からなかった僕に、つるぎさんは優しく声をかけてくれたんです。それはもう運命的な出会いだと思いましたよ。惚れるまでに時間は要りませんでした。きっと、結婚するならこの人だと思っていたんです」
平気で嘘をつく僕の脇腹を桜内が小突く。
「ちょっと」
「それはまあ。あの娘もきっと喜んでいたことでしょう」
「ええ……」
信じるのかよ、と言いたそうな桜内だった。
「けれど、あの娘はもう好きな人がいたらしいですけれど」
「みたいですね。残念です。けれど……彼女が死ぬこと以上に残念なことはない」
法号さんは顔を伏せて頷いた。
「その通りです。少なくとも、通り魔に殺されなければならない……その必要はなかったはずです。しかし、銃を持った殺人鬼なんているのでしょうか?」
痛い指摘だ。日本で銃を使った犯罪がないわけではないが、しかし殺人鬼が使うにしては珍しい気もする。
「さあ、どうなんでしょうね。分かりませんよ、殺人鬼の思考なんて。そのうち警察が犯人を捕まえるでしょうし、その時に聞いてみたらどうでしょう。一番に聞くべきは動機ですけど」
まあ、そんな殺人鬼がいたとしたらの話だが。
「そうですね。……ところで」法号さんの訝しむような視線が送られる。「あなた達は、どうしてここへ?」
当然の疑問だ。ここへ来る前、東条さんに一応正体は隠すように言われている。ので、僕はまた息をするようにウソをつく。
「ただの探偵ごっこです」
「……嘘ね」
「嘘です」
……そして、うっかりと変なところで正直になってしまうのだった。僕って本当に頭悪いんだなあ、と思った。きっと桜内もそう思っていることだろう。そんな顔をしているし。
「まあいいですけど。あなた達が何か悪さをするような人とは思えませんし」
「ありがたいです……」
今日初めての本音をこういう形で口にするとは思ってもいなかった。
「じゃあ、早速ですけど……ここ最近で、つるぎさんに変わったことはありませんでしたか?」
それっぽい台詞に恥じらう気持ちを覚えつつも、僕はいつも通りの表情で言った。
「ありません」
即答された。
「じゃあ……何か怪しい動きってのも……」
「ありません」
「………………」
ここまで断言されると、もう法号さんについて聞けることは何もないだろう。ウソをついているとも思えないし、この人は本当に法号さんが何をしていたのかを知らないのだろう。
なら、質問を変えるか。
「……四人家族、ですか」
「ええ、まあ……今となっては三人ですが」
なんとも寂しい物言いだ。
「家族っていいですよね。何か辛いことがあった時、寄り添ってくれるんですから。僕にも姉がいて——」
言っている途中で、桜内が僕の頬を殴った。明日川くんに殴られたところをピンポイントで殴られたから、かなり痛かった。
「え、なんで?」
と聞くも、桜内は僕ではなく法号さんを見ている。
「こいつの話は大半が嘘なんで気にしない方がいいっすよ」
「……嘘かどうかはともかくとして。妹さんはどちらに?」
「妻城総合病院に。あの娘は心的外傷後ストレス障害でして、学校にもほとんど行ってませんでした。……ああ、面会は私たちも止められているので、そこのところはよろしくお願いします」
「つまり……」
「しばらくは掛かるそうです」
「……ですか」
結局、法号さんは娘が何をしていたのか心当たりもなく、明日川くんが聞いた言葉の意味も分からなかった。
収穫はなしか。
法号さんの妹に何を聞いたところで知れることはないだろうし、何より面会謝絶になるほどの状態だ。
これからどうすりゃいいんだ……。
僕が悩んで頭をかいていると、桜内が不思議そうに聞いた。
「そもそも、どうしてストレス障害? になったんです?」
ほんの世間話のつもりだろう。しかし、さすがに踏み込みすぎではないだろうか……そんな僕の心配は意味もなく、法号さんは更に沈んだ表情をし、ため息を挟んでから答えるのだった。
「昔に強姦されたんです」
「……あ……そーですかぁ…………」
「………………」
マイペースで定評のある(らしい)桜内も気を使う空気が訪れる。
どうやら妹さん、法号みずきちゃんは現在十四歳で、十歳の時に襲われたらしい。決して癒えることのない心の傷を負い、入退院を繰り返す日々のようだ。
この話を聞いて、僕たちは法号邸を後にした。
もう学園に戻るつもりだったのだが、桜内が休憩したいと駄々をこねるものだから、仕方なく近くの喫茶店に足を運んだ。
ホットケーキを頬張る桜内に対し、僕はメロンソーダを飲むだけ。さすがにあの話を聞いた後では食事をする気にはなれなかった。
「案外脆いところあんじゃん」
「『脆い』ね……。ま、そうかもな。他人どうでもいい主義の僕が、まさかあの話を聞いただけで……」
「言い方が悪かったわ」桜内はフォークで僕を指して言う。「案外『普通』のところあるじゃんって言いたかったの」
「『普通』……? そりゃあなんとも……」
なんとも不思議な響きだ。
一番縁遠い言葉にも思えるが、手を伸ばせば届く距離にあるとも思える。
「なんとも?」
首を傾げる桜内に、僕は「いや、なんでも」と誤魔化した。
最初はムッとしていた表情も、時間が経つにつれて柔らかくなっていった。
天真爛漫というよりは傍若無人。しかし正義の心は忘れずにある。ここ最近で桜内桃春という人間が掴めてきたな。
そして少し経って、携帯が振動する。
「はい」
『あ、姫乃くん?』
東条さんは言った。
『やっぱり、昨日から寮に戻ってない女の子が一人だけいた。私は今から色々調べるけど、そっちは?』
「そうだな……、僕たちは——」
突然。
もう一つの世界が現れる。
これは、未来だ。
廃れたアパートの駐車場に停まっている白いバン。
僕と桜内の前に尻餅つくニット帽をかぶった彼。
「——……僕たちは、法号さんの頭をぶち抜いた野郎を追う」
返事を聞かずに通話を切る。
僕のセリフを聞いていた桜内が、最後の一口を食べ終え、真剣な眼差しでこちらを見る。
「あんた……見えたんだな、未来が」
僕は無言で頷いた。
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