第8話 未知

 この森林に囲まれた公園を、例えば突風のように駆け抜けることが出来たらどれだけ楽だろう。

 いや……突風とまでいかなくとも、せめて桜内のように身体能力の向上ができたらいいのだけれど。

 脇腹を押さえて地面を蹴る僕に対し、桜内は水平に飛ぶように走るというよりは飛んでいる。

 脚部に纏っている赤の霧を羨ましそうに見る僕。


「ところでさあ」


 若干張り気味の声で彼女は言った。


「本当に方向は合ってるわけ?」


「間違いない。僕が見た未来もな」


 いや、あれはあくまで可能性の一欠片にすぎないのか。あの未来が変わることは十分にある。だからこそ、とにかく急いであの場所に行かなくてはならないのだが……。

 いよいよ体力が限界に達した。足を止めて呼吸を安定させようとする。


「体力ねえなあー」


「短距離走なら得意なんだけどね」


「ふうん?」


 しばらく歩いて公園を抜け、ようやく呼吸が安定してきた時、桜内が疑問を口にした。


「どうして都合良く未来を見れるんだろう」


「……まあ、そこは僕も気になっていた。法号さんを殺したであろう人間と関わる未来を見ることができたなんて……そんなの、出来すぎているっていうか……」


「あんたの未来視って《予測》?」


「えっと……多分」


「無意識のうちに視覚で得た情報の全てを処理して予測したってんなら、もしかすると法号つるぎの母親か妹のどっちかが、法号つるぎを殺した男と関係があったんじゃない?」


「……だとしたら……」


 これが……これが僕の予測なのか。もしもこれが正しいのだとしたら、尚更彼を放っておくことはできない。

 無意識のうちに、僕は再び走り出していた。


 ×


 目的地にたどり着いたのは午後四時頃だった。廃れたアパートの周りには、建物も人気も少なく、犯罪者が身を隠すにはもってこいの場所に思える。

 一階と二階合計四部屋。駐車場は四台分あり、止められているのは白いバンのみ。ナンバープレートは外されている。その状況を、僕と桜内は二十メートルほど離れた空き地から観察していた。

 プライバシーガラスのせいで中は見えないが、少なくとも彼は車内には居ないだろう。

 さて、ここからどうしたものか。

 コンクリの壁に寄り掛かっていた桜内が、アパートに向かって歩き出す。


「おい、どうするんだ?」


「どうせどこかの部屋に隠れてるんでしょ。なら、適当にビビらせて出すしかない」


「いやいや、ちょっと待て。もしかするとまるで関係のない人がここに住んでいるかもなんだぜ? それに、僕が見た未来が百正しいとは……」


 僕の言葉を無視して桜内はバンの前で足を止める。何をするのかと覗いてみると、人差し指から出した血で、ボンネットに文字を書いていた。何語だろうと読み取る前に、桜内は僕の手首を引っ張って空き地まで戻った。


「——manifestation」


 桜内がそう言って、指を鳴らした。ぱちんと言う音に続いて聞こえたのは、豪快な爆発音。バンのボンネットは火を噴いており、明らかに桜内の仕業だと分かる。


「なにやってんの……?」


 驚きを通り越して呆れてしまった。もしもまったく関係のない人の車だったらとか考えないの? 馬鹿なの? 多分馬鹿だよね。

 光野さんがこいつに単独行動をさせたがらない理由がようやく分かった。


「考える必要はなし! そして、今は出てきたあいつをぶちのめす!」


「あいつ?」


 桜内が指差すその先。一階の部屋の扉から出てきていた男がいた。ニット帽を被っており、見た目は高校生というよりは大学生かそれ以上といった感じ。

 彼は愕然とした表情だった。そりゃそうなるよなぁ……。


「……!」


 彼が僕ら——いや、僕を見て状況を察した時、既に桜内は動いていた。

 溢れ出る魔力は、足からだけでなく、強く握る拳からも。殺意ではなく敵意を向けて、あっという間に彼の懐に入り込む。

 さすがに動揺する男だったが、すぐに敵意をぶつけ返す視線を作る。

 彼はポケットから小さな宝石を取り出し、桜内の拳が衝突するギリギリのところでそれを投げる。

 宝石は形を変えて、薄く広範囲な壁となり、桜内の拳を防いだ。——だけでなく、彼は続けて桜内の鳩尾に回し蹴りを喰らわす。


「が、」


 吹き飛ぶ桜内を見て、僕は考えなしに走り出す。

 どうする……どうすればいいんだ?

 単純な身体能力だけでどうにかできる相手でもないだろう。


「——!」


 彼が僕に気付く。

 背中に手を回したと思うと、次の時には折りたたみナイフを手にしていた。


 ああ、死ぬじゃんか。心臓とか刺されるんじゃなくて、頸動脈とか顔面とか、確実に再起不能になるように刺してくるだろ。

 そう思ったのが、未来視なしの予測。

 僕が実際に見たのは、もう一つの世界。

 彼は真っ直ぐに、僕の顔面を目掛けて突き刺してくる。あまりにも単調だった。


「……これなら……」


 一歩踏み込んで、すぐにナイフが僕に突っ込んでくる。

 でも。

 一度見たビジョンの通りだとしたら、恐れることなく回避できる。僕は明日川くんと違い、不幸や恐怖には耐性ができるのだから。


 力強く踏み込み、ナイフを首の動きだけで回避。

 懐に入り込めたら特に恐れることは何もない。あくまで機械的に攻撃をするだけ。

 男の顎に平手打ちをし、怯んだところを逃さずに、次には首を掴む。全力で足払いも仕掛けりゃ大抵の人は転ける。この男もそうだった。だけど——転ばすだけじゃあ、甘いだろう。

 僕は余った左手で服の後ろ側を掴み、勢いよく男を地面に叩きつけた。

 鈍く重々しい音がして、男はそのまま気を失った。

 死んでなきゃいいけれど……。


「……あー、くっそ」


 袖で口元を拭い、お腹を押さえて立ち上がる。


「この前酒を間違って一気飲みした時にこんなポーズしたわ」


「……」


「まあどうでもいいや」


 熱しやすく冷めやすい。そんな性格の彼女は、男の首を掴んで往復ビンタをした。


「ほら、起きろ起きろ」


「んあ……?」


 男は先ほどの出来事を思い出したようで、情けない声を上げて桜内の手を払ってアパートに背中を預ける。

 ——僕が見た未来と合致した。


「……えっと、聞きたいことがあるんですけど」


「お、俺は! 何も言えないっ!」


「あなたがウチの学校の生徒を誘拐してきた主犯だとは思えない。教えてください。あなたの雇主は誰ですか?」


 僕から目を逸らして男は黙り込む。どうしようかと桜内に視線を送ると、自信に満ちた視線が返ってきた。


「おい、お兄さん」


 大きな一歩を踏み込む。


「あんたが小さな女の子に悪戯したことは知ってる」


 桜内も僕と同じ考えのようだった。あの聞き込みでこの男の予測ができたというのなら、確実に法号家と関係があったと判断できる。それは『街を歩いた時にすれ違った』程度のものだったかもしれないが、僕らが一番印象にのこったのは、やはりみずきちゃんの事。

 男が否定すればそれまでのことだったのだが、明らかに「何故それを知っている?」といった顔をしているので、どうやら予想的中らしかった。


「あんたなんか! 赤三葉にチクったら一瞬で首が飛ぶぞ!」


 その反応を見て、桜内が叫んだ。


「強姦をなかったことにするくらいの野郎なんだろ、そいつは! でも、赤三葉には常識も非常識も通用しない! あんたもそいつもムショぶち込むことができる!」


 安っぽい脅しだ。これでダメなら、きっとこいつが次にするのは拷問。人が来る前になんとかしないとな、と思っていると、男が言った。


「《赤三葉》……って言ったな」


 立ち上がり、桜内の肩を掴む。

 若干の勝機が見えたかのような、希望を見る目。


「す……全て話す。だから、頼む……」


 僕と桜内は互いに顔を見合わせる。しかし、それで意味がわかるはずもなかった。

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