第6話 慈悲
法号つるぎが死亡した翌日。さすがにクラス内の雰囲気は最悪だった。
それはそうだ。転校生に颯爽と接触するような誰にでも優しい人物が、どこぞの殺人鬼の標的にされたってんだから……設定上の話だけれど。
誰もが好むクラスメイトが殺されて、一体誰が平気な顔をできるのか。
いや、できる人はいるか。彼女に興味なかった人や僕みたいな存在が。
しかし、悲しげに顔を曇らせる人が多い。彼女と仲が良かった人や、次の標的は自分になるのではと殺人鬼に怯える人。
——中でも目立っていたのが、明日川睦太。法号つるぎの幼馴染み。
講義が終わり、彼は僕に声をかけてきた。
「少しいいかな」
いつもの弱気さに更に磨きがかかっていた。おどおどとしているそのさまはまるで小動物。断ろうにも断れなかった。
彼に導かれるがままにたどり着いたのは、とうに使われなくなった旧一号館だった。てっきり食堂に向かうのだと思っていたのだが。
口を開くことなく、彼は施錠されていた扉の鍵を壊して中に入った。
端の教室に入り、明日川くんは机の上に座る。僕は窓枠に腰をかけた。
案外日当たりのいいところじゃないか。風通しもいいし、のんびりと気持ちの良い時間が過ごせるな。
……突然、明日川くんがポケットからタバコを取り出した。慣れた手つきでライターで火をつけ、煙をふかす。
「勿論未成年だろ? よくないと思うけどな」
「大丈夫さ。バレて後悔する未来を見たことはない」
「……まるで未来視でも持っているかのような言い方だね」
僕の指摘に、明日川くんは薄く微笑んだ。
「持っているからな」
——ここまで来ると、もう不敵な笑みにまで見えてくる。
本当に驚いた。まさか、こうも早くに未来視の持ち主が現れるとは。いや……現れていたとは。
「もっとも、俺の未来視のタイプは《閲覧》でさ。もしもつるぎが頭を撃ち抜かれる未来が見えたとしても、俺には何もできない」
「…………。そうか——見えていたんだな。一体いつ?」
「藍歌とファーストコンタクトを取った日さ。食堂で藍歌を見かけて、つるぎが言ったんだ」
『ねえ、あの人、藍歌くんじゃない? やっぱすぐには馴染めないよね……かわいそう。ちょっと声かけてみようよ』
「……そうだったんだ」
大きなお世話だったな、法号つるぎ。全員が全員、孤独を嫌うわけじゃないってのに。
本当に、まったく……いい人だな。
「その事すらも知っていた赤三葉財閥が口止めに来た時は本当に驚いたよ。だってよ、未来視のことは親にだって秘密にしてたんだぜ? この学園に潜伏したって、そう簡単に分かることじゃないだろうに」
「恐ろしいな、財閥ってのは。どう頑張っても好きになれそうにない」
同意見だね、と煙を吐く。
「なんなんだろうな、未来視って。俺の場合はコントロール出来なきゃ、いつ知りたくもない未来を見るか分からない。それも《閲覧》ってんなら最悪だぜ。こっちは手の出しようがないからな。……せめて《予測》だったらなあー……」
「でも、悪い未来ばっかり見る訳じゃないだろ?」
「それはそうだな。良い未来も見る。でもな……『幸福』は繰り返し見ると耐性がつくんだよ。反対に『不幸』を繰り返し見たところで耐性はつかない……少しずつ身を滅ぼしていくんだ」
「なるほどね……たしかにそれじゃあ、割りに合わない」
幸福が多い分には何一つ文句はないが、不幸が多いのなら、まともな神経をしている人間は不満を言いたくなるのはたしかだ。
マイナスが付く能力など最初から要らない。だったら自分は凡人を選ぶ。
これは明日川くんの意見であり——僕の意見でもある。
「一つ聞きたい」明日川くんは声の調子を整えて言った。「できれば正直に答えて欲しい」
「約束するよ」
僕は即答した。勿論約束なんてできない。
「つるぎが撃ち抜かれた時、どう思った?」
「……それは」
「閲覧は絶対だ。あの瞬間にお前がいた事実は変わらない。つるぎが撃ち抜かれる直前、お前は助けようと思わなかったのか?」
忘れることもない殺人事件だ。その時の自分の感情は、嫌と言うほど鮮明に覚えている。
正直に語っていいものだろうか……。いや、本人がそれを望んでいるのに、どうして迷う必要がある?
「……まあ、忠告をする時間くらいはあっただろうね。彼女がそれを聞くかは分からないけれど。僕が彼女に何もしなかった理由は、正直自分でもよく分からない。突然だったから驚愕して立ち尽くしていたのか、或いは当然の報いだと思って何もしなかったのか」
「当然の——?」
「そう。確証はないけれど、法号さんはきっと何か『汚れ仕事』をした。僕は殺人だと思っている。……しかし、結果ただの捨て駒にされた」
けれど。
だからと言って——
「だからと言って、同情できるか? 知り合って間もない女の子が、良くないことをして、それが偶々僕にバレて、僕を殺そうとして、結局は捨て駒にされて、殺されて。それでいて同情しろと?」
口に出して、改めて思う。
そんな人の為に流す涙など、一滴もないと。
「無理な話だ。悪いけど、僕は悪人に対しても同情するような心優しい人間じゃあないんだよ。法号さんみたいな奴に対しても慈悲深い奴が居るとしたら、僕はそいつを気持ち悪いとさえ思うね。どれだけ壮絶で悲惨な過去があろうと、悪人は悪人。その事実が変わることはないんだぜ」
煽るような言い方に流石に苛立っている明日川くん。タバコを素手で握り潰すと、昨日の法号さんと同じく殺意を宿した瞳を僕に向けて歩いて来る。
「言っておくけど、僕は被害者だからね」
「ああ——分かってる。だからこれは……」僕から数歩手前で立ち止まり、彼は拳を引く。「ただの八つ当たりだ」
僕の左頬は明日川くんによって殴られた。久しぶりの痛みに声を上げる。
お構いなしに顔面を殴り続ける明日川くんは、とても悲しそうだった。だからなんだ。
殴って、殴って、殴って、それでもおさまらない彼は僕の頭を掴み、薄い窓ガラスに叩きつけた。ぱりんと音を立てて破れた窓ガラスの破片が、僕の額に傷をつける。僅かな出血を見て、明日川くんはようやく落ち着きを取り戻したようだった。
「お、俺は…………」
現実逃避をするように僕から距離を取り、床に座り込む。
立つことすら苦痛に思えるほどの激痛に顔を歪ませ、僕も床に座った。
「すまない……、こんなこと……」
「……僕にも一人、親友が居るんだ。そいつは家から出ると発作を起こす病人でね。迷惑ばっかりかけられてるけど、あいつが死んだとしたら、こんな傷よりも心が痛むだろう。もしも僕が明日川くんの立場で、明日川くんが僕の立場だったとしたら……きっと、僕は明日川くんを殴ってる。だから、気にすることはない。どうせもう二度と話すこともないだろ」
突き放すような言い分に、明日川くんは諦めたようなため息を吐いた。
「怪我のことなら心配いらないよ。慣れてるから。別に他の人にチクったりもしない……面倒だしね」
「……お前は……なんなんだ」
どうして、と掠れた声で言う。
どうして法号さんは死ななければならなかったのか。
明日川睦太の幼馴染みは、変わらなくてはならなかったのか。
「僕は法号さんに何があったのか知りたい。彼女に変わったことはなかったか? どんな些細なことでもいいんだ。彼女になくても、周りの人とか」
「変わったこと……」
繰り返し、頭を掻く明日川くん。しばらく悩むようにし、ふと顔を上げた。
「関係あるかどうかだけど、あいつ、妹がいてさ。心的外傷後ストレス障害なんだ。だいぶ時間がかかるって言われてたんだけど、つるぎのやつ……『もしかすると早く治るかもしれない』って」
「……そっか。それは本当に些細な事だな」
どちらにせよ、法号家に訪問するしかないか。
痛みにも慣れてきたところで、僕は立ち上がった。特に何も言うことはなかったので、そのまま出口に向かった。
「な、なあ!」
明日川くんが呼び止める。僕は背中を向けたままで足を止めた。
しかし、一向に次の言葉が聞こえてこない。振り返ろうとしたが、やっぱりやめた。そのまま旧一号館を出、医務室を目指す。
「……あれだな」
やっぱり、人ってのは見た目じゃ分からないもんだ。あれだけ気弱そうに見えた彼が、タバコを吸い、八つ当たりに人を殴るんだから。
法号さん……君は明日川くんのどこに惚れていたんだ?
「はあ……」
意識が朦朧としてきた。そりゃあそうか……一応窓ガラスに叩きつけられたんだし。
なにが痛みに慣れているだ。痛みに耐性なんて付くもんかよ。
——途端。僕の横を誰かが通り過ぎた。走っていたにしては早すぎる。それに、なんだか等速直線運動のように見えたぞ。いよいよ頭がおかしくなったのか。そう思って、確認の為に僕は振り返った。
数メートル先に、靴と地面を擦りながら緊急停止の動作をしている桜内がいた。
「………………」
「あぁぁああ! 擦り減っちゃったぁ!」
そう叫び、靴裏を見て涙する。赤い霧のようなモノ(おそらくこれが魔力というやつだろう)を足に帯びている。どうやらさっきのは幻覚でもなんでもなかったらしい。その事実に安堵する。
「それで……なにやってんの? お前」
「いやいや、サボって散歩してたらさ、突然窓ガラスが割れたような音がしたから。もしかすると何か事件かと思ってさ」
一目散に駆けつけようとするその心意気は素晴らしい。拍手を送りたいくらいだ。でも、やっぱりサボってる時点でプラマイゼロになるんだよなあ……。
「でも、あんたが居たから止まってやったんだよ! 靴代弁償しろコラ」
「ふざけるな吹っ飛ばすぞ」
「まあ弁償は確定として」
確定とするのかよ。
「あんた、旧一号館から出てきたの? あの音はあんたの仕業? てーかその顔なに!」
「僕もサボってたのさ。あそこで幽霊を見かけて、驚いて頭をぶつけたら窓がパリンと……」
「ねえ、面白くない冗談はやめてよ」
試しにおもしろい冗談を考えてみたが、何一つ思い浮かばなかったので、僕は先ほどのことを正直に嘘偽りなく答えた。
「それは……突き放しすぎだって。馬鹿じゃないの?」
「……分かってる」
だけど、と桜内は苗色の髪をかき上げて僕に背を向けた。そして、旧一号館に向けて歩き始める。
「ここまで傷つけていい理由にはならない」
「ちょ、ちょっと……どこ行くんだよ」
「明日川んとこ」怒りを露わにした声で言う。「文句ある?」
「なんで……」
僕は桜内の二の腕を掴んで歩みを止めさせた。
「どうして止めるわけ? あんたをボコした野郎を、同じ目にあわせてやろうってのに」
「どうしてお前がムキになるんだ?」
「同僚を傷つけられてムキにならない奴なんていないっつーの!」
鋭い目つきに射抜かれた瞬間、ふと力が抜けた。力強く僕の手を払い、桜内は歩き始める。
「多分……僕の意思なんだ」
桜内に聞こえるかどうか、それくらいの呟きだった。彼女が足を止めたことから察するに、耳に入ったのだろう。
恥を捨て、僕は続きを口にする。
「彼や彼女のことを尊重はできない……。でも、哀れだとは思った。だから……とにかく、今は犯人探しに専念しよう。先生に法号さんの住所を聞いて、すぐにでも突撃インタビューしに行くけど、お前はどうする?」
すぐに振り返ってはくれなかった。三十秒ほど悩む動作をして、ようやく桜内は僕を見る。
「『突撃インタビュー』……。そんな言い方するやつを放ってはおけないでしょ」
目を細め、ため息混じりに息を吐く桜内。
「とりあえずあんたの提案に乗ってやる。でも……」
桜内は親指で後ろの建物を指さした。
「明日川睦太は、きっとボコボコにするから」
「……まあ、そこまで言うなら止めはしない。明日川くんが生きてようが、法号さんの後を追って死のうが、僕には関係ないからな」
何を言ったところで無駄と悟ったのだろう、桜内はそれ以上は何も言わなかった。
僕らは二人並び、法号さんの家の住所を聞きに行こうと歩く。
「あ、忘れてた」
「なしたの?」
僕に遅れて桜内が足を止める。
「多分気絶するから、できれば運んでくれ。それか誰か人を——」
言っている途中で、突然の暗転。頭部の痛みは倒れてしまったことにより激しさを増す。
「はあ⁉︎ なになに? 気絶する予定なんてあんの⁉︎ ちょ……」
叫ぶ桜内の声も、やがて遠くなっていった。
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