第5話 赤三葉紫橋
その日——法号つるぎが死んだ日の夜、僕は光野さんに呼び出され、喫茶店へと向かうことになった。
バスでしばらく揺られながら、窓側の席で眠りについた東条さんを見る。
この人が僕のところに着いてからは早かった。
すぐさま僕の襟首を掴んで立ち上がらせ、そのまま誰かに電話をした。
『殺人現場と事後の処理を頼みたいです。あなたには、我々にそれなりに貸しがあるはずだ』
その時の東条さんの表情といい口調といい、少なくとも好意的ではなかったように思う。少しばかりの不安と疑念が頭に残る。
一度寮に戻って再びバス停に来た時、まるでそこで殺人なんてなかったかのように、隅から隅まで掃除されていたのだから無理もない。寧ろ不審がらない方がおかしいってもんだ。
電話の向こうには、一体誰が居たのだろう。
景色はだんだんと夜の闇に負けず、明るさと共に賑やかさを放つ都心部に移り変わる。止まることが少なかったバスが信号にぶつかる回数も増え、自転車に追い越されることが多い。
「ほら、東条さん。着いたよ」
肩を揺すって眠る彼女を起こす。微睡んだ瞳をしている……どうやら寝起きが悪いらしい。
このまま放置できるものでもない。そこまで感情を失っている僕ではないのだから。
仕方なしに東条さんの手を取り、代金を払って外に出る。
街の騒がしさは一瞬にして東条さんの意識を覚醒させた。都会、恐るべし。
「も、復活したよ」
「そりゃあよかった」
すぐに手を離し、何事もなかったかのように僕たちは喫茶店へと向かった。
「姫乃くん」
「うん?」
「多分、先客がいるから、その人には敬語で対応してね」
「……? ああ、分かったよ」
不思議な忠告だ。それでいて具体性に欠けるっていうか。忠告ならばもっと丁寧に説明してくれてもいいのにな、と思った。
しかしまあ、東条さんの心底不快そうな表情から察するに、語ることを避けたい人物なのだろう。
……そうか、あの電話の人物か。
と、そこまで理解できたところで喫茶店に着く。
僅かな戸惑いを見せてから、東条さんは中へ入った。いつも通り光野さん、柩ちゃんが居て——そして、奥のソファー席に座る少女が一人。
年齢は柩ちゃんと同じく十四歳ほど。ワインレッドのお団子髪。真っ黒な服に対照的な白い肌。なんだただの美少女か、と思って彼女と目を合わせる。
少女は右が黒、左が朱殷色のオッドアイだった。しかしまあ、なんというか……何から何までゴミとして見ていそうな、そんな感じの目だ。
「あなたが藍歌姫乃?」
「え? あ、はい」
東条さんはいつもの席に座るが、なぜか僕は座るに座れない状況。そんな中、ワインレッドの少女が隣の席に座るように手招きした。
うわあ、すっげー怖い。浅沼先生に職員室に呼ばれた時レベルで怖い。さすがに逆らえる空気でもないので、せめてもの抵抗として正面に座ることにした。
「藍歌」
「はい?」という間も無く、少女は僕の襟首を引っ張った。
「私の目は生まれつきだから! というか、あなたの方が気持ち悪い目してるし! さすがに死体見ても動じないだけある……あなたの目そのものが死んでるんだもの!」
そう大声で叫んでから、少女は僕を解放する。それから左目を長めの前髪で隠した。
自分のコンプレックスに触れられたのが嫌だったのか。まあたしかに、年頃の女の子に対して配慮が足りなかったな。反省反省。
……あれ? 僕って声に出したっけ?
「そこまでいじめることもないでしょう」
光野さんがグラスを拭きながら言った。
「落ち着いてください。人は第一印象が全てだと教えてくれたのはあなただ」
冷静な言い分に少女は唸り声を上げて抵抗する……が、それも長くは続かなかった。気が強いんだか弱いんだか曖昧だ。
……すると、少女は俯き目をこすり始めた。ええ……泣いてるのかよ。
困惑する僕に、光野さんは少女について説明してくれた。
×
「『ちゃん』じゃあなくて『さん』」
……そして、幼い頃から他人の心を読み取ることのできる魔眼の持ち主でもある。
赤三葉の家の子は毎回魔眼を持って生まれるようだ。しかし、歴代に比べてその力が弱かった紫橋さんは、不足した部分を努力で補うことに成功した。
過去にどういう事があったのかは説明してくれなかったが、なんと光野さんに読心術を教えたのは紫橋さんって話だ。
なるほど……『心が読める』ってんなら、成功するのは難しい事ではないかも。しかし、拠点は日本にとどまらず海外にまであるってんだから、魔眼のおかげってわけでもないのだろう。
「当たり前じゃない」紫橋さんは誇らしげに言った。「というか、大半は努力よ」
「努力、ですか」
「あなたは努力は報われるなんて思わないタイプね。やって後悔するよりやらずに後悔する方を選ぶ……でしょう?」
さっきまで泣いてた少女とは思えないほど強気だった。
「友情を信じない。感情など無意味。信頼できる人間は片手で数えられるほど。孤独が好きってわけじゃないけれど、集団がすきってわけじゃない。なら、あなたはどうしてここに……」
「……それ以上探る必要がありますか?」
僕が聞くと、紫橋さんは「ひうっ」と自分の頭を防御するようにした。
その様子を見て笑う光野さん。
「おいおい姫乃。今のはダメだろ」
「…………」
どうやら、僕がこの人を殴ろうとしたことを読み取ったらしい。
「財閥の娘さんを殴ったら、さすがに首が飛んでたぜ。まあその前に柩が止めに入っただろうけどな。あっはっはっは」
首が飛ぶってのに笑い事で済ますのか。光野さんはやっぱすごいなぁ……。
「殴ればよかったのに」と、東条さんの小声が聞こえる。即座に東条さんを睨む紫橋さん。
「なんですって⁉︎」
「ジョーダンですよ、ジョーダン」背中を向けたまま適当な対応をする東条さん。この人の方が首が飛びそうだが、大丈夫なのだろうか……。
「それより光野さん。私たちを呼んだ理由は何?」
「さあな。殺人現場を処理してくれた紫橋様に聞いてくれ」
肩を竦めて光野さんは言う。
「処理って……紫橋さんが? どうやってあんな短時間で……」
怪訝な眼差しを向けると、紫橋さんは「ふふふ」と嬉しそうなんだか何か企んでいるんだかよく分からない笑みを浮かべた。
「動かせるお金は無限にあるからね!」
「お金?」
「そう、お金。あなた、お金の価値を知らないんでしょう」
まあ、学費や家賃を払う事以外にお金を使うことはあまりないし、知らないといえば知らないのか。
「例えば信頼、例えば権力、例えば世界を買うことができるのよ。お金には無限の可能性が秘められている。殺人現場の処理、そしてその後の口止め等々のことは余裕ね」
「あー……そういうことか」
東条さんがこの人を嫌っている(確証はないが、多分嫌っている)理由が分かった。この少女はかなり歪んでいる。情緒不安定なのもそうだが、もっと根本的な部分だ。
この世界のモノの全てを金で買えば済むと思っているところが、とことん歪んでいる。
友情などの見えない繋がりまでも買ってしまうような人間に、東条さんが好意を抱けるわけがない。
東条さんは——困っている人がいたら無償で助けてしまうような、そんな聖人なのだから。
「……なるほど、分かりました。金ってすげえなあ」
「嘘つき」
「ま、そう言わないで……」
やりにくいなあ、と思っていることすら筒抜けか。
一見はただの気の弱い女の子なんだけどな。
「それで、紫橋さん。僕と東条さんに一体どんな用が?」
「用は……そうね」ニヤニヤと不適な微笑みを浮かべる紫橋さん。「ねえ、色奈。ちょっとこっちに来て」
「…………………………………………」
東条さんは乱暴にコップを置く。いつにない態度に僕と光野さんは驚きを隠せなかった。
「ほら、早く」
「………………」
あと少しで怒りが爆発しそうな顔をしていた。そんな東条さんを見て、さらに表情が歪む紫橋さん。
近づいて来た東条さんに耳打ちで彼女は小さく「愚か者」と言った。
東条さんは無言で応じる。
二人の真意を僕に汲み取れるわけもなく、とても不思議に思える時間だった。
東条さんは席に戻る。
「二つ目は?」
そう質問するのは光野さんだった。紫橋さんは彼の問いに答えず、僕を見つめたままでいる。
「……あの……」
「この眼でしっかりと見ておきたかったの。目の前で赤の他人とまでは捨てきれない人物が殺されたのに、それなのに顔色ひとつ変えない心の持ち主を」
「——……」
髪の毛の隙間から覗く、全てを見透かしたような瞳。
光野さんに柩ちゃん……そして紫橋さん。どうしてこうも、簡単に心を読み取ることができるのだろう。
やめてほしいな、そういうの——。僕の心と過去には悔恨しかねえってのに。
「満足しましたか?」
「ええ。それはもう十分に」
紫橋さんはつまらなそうに言って立ち上がる。
「縁があったら、また会いましょう」
本当に何を考えているか分からない不気味な少女は含みのありそうな笑みを浮かべて喫茶店を出て行った。
午後九時半。学園の寮を利用する学生にはとっくに門限破りの時間だが、僕たちにはある程度のライセンスがあるので気にすることはない。
それよりも、とある疑問が——
「なぜ彼女が私たちに協力してくれたのか。それは単純で、私たちには返しきれないほどの恩があるからなの」
「東条さんも東条さんで勝手に心を覗いてくれるなよ……」
まあ、そんな理由だとは思っていたが……財閥の娘さんが電話一本で動かなければならなくなるほどの恩とは、一体——。
そこに踏み込もうとした時、東条さんの視線が下に落ちていることに気づく。何かをうしろめたいのか、思い出したくない過去でもあるのか。とにかく、恩とやらについては触れないでおこう。
「紫橋のヤツが言ってたけど、さすがに死んだことをなかったことにするのは不可能だから、とある殺人鬼に殺されたって設定にしたらしいの。一応頭に入れておいてね」
「……設定ね。把握したよ」
僕たちの目的は、顔も名前も知らぬ誘拐犯の拘束。その為には一分たりとも無駄に過ごしてはならない。
あの殺人現場だと、僕が明らかに容疑者候補になるだろうし、無実を証明するのにどれだけの時間が掛かるか分からない。次の被害者が出るまでまともに身動きが取れない状況は避けなければならない——だから、東条さんは駆けつけてすぐに紫橋さんに連絡した。無実の証明より、事件に関わっていないことにし、傍観者としての記録すら隠蔽する方が時間が掛からないのだから。
なんて残酷なやり方だ。
法号さんのことを考えると心が痛む——なんて嘘はさて置いて。
彼女は自らの意思で進んで罪を犯すような人間だろうか。……いいや、違う。彼女以上に分かりやすい人間はいない。
法号さんは駒として使われたと判断するのが正しい。そして、駒として捨てられた。
まずは報われなかった彼女がどうして犯罪者となったのか、その経緯を探ってみることにしよう——。
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