第4話 殺人

 窓から差し込む暁光に起こされたのは十二時ジャストだった。

 昨日の体調が嘘のように思えるほど回復していた。ひょっとしたら、僕は強健タイプだったりするのかもしれない。


「何勘違いしてんだよ、貧弱」


 起き上がり、軽く体を伸ばして脱力。顔を洗って着替えを済ませ、さてどうしたものかと考える。

 残り三時間の講義を受ける為だけに歩くのは面倒だと思う反面、顔を出さなきゃいけないなとも思ってしまう。桜内がうるさそうだし……それに、事件解決の為にはこんな何もしない時間を作ってはならないだろう。

 そんなわけで、僕は講義を受ける為の支度をした。窓の側に置いてあるリュックに手を伸ばしたその時、


 僕の視界が、なにかを捉えた。


 三階の窓からの景色は一面森。だからこそ、多少開けた空間において、彼女の姿は目立っていた。

 百メートル以内の距離だが、さすがにその表情は見えない。

 ——法号つるぎ。

 なぜ彼女がここに? ただの散歩だろうか。しかし、彼女も最近の事件は知っているはず……割合的に女子が多い事も。だってのに、一人でふらふらと……。


「おいおい、冗談だろ……」


 部屋を飛び出す。走りながら東条さんの携帯に連絡をするが、どうしてか彼女は出ない。電波が届いていないわけでもなく、電源が入っていないわけでもないだろう。ならばただタイミングが悪かっただけか。

 畜生……僕一人で大丈夫か?

 不安はあるが、今から東条さんや桜内を呼びに行ったら、法号さんを見失ってしまうかもしれない。

 だから僕は走る事をやめなかった。


 ×


 五十メートルほどの距離を保って、僕は彼女の背中を追い続けた。隅々まで手入れが行き届いているので、情けなく転ぶようなアクシデントもなく、そのまま五分、あるいは十分ほど過ぎて。

 いよいよ彼女はこの学園を囲む壁にぶち当たった。

 さて。三メートルか、もしくはそれ以上ある石造りの壁を、果たして彼女はどのようにして乗り越えるのか。もしかするとすり抜けるのかも。そうだったら少しは愉快な絵になるな。

 ……と、思っていたのだが。

 彼女は助走なしで近くの木の枝に飛び乗り(この時点で既に二メートル以上は飛んでいる)、そこから壁を越えて姿を消した。


「……うーん……」


 そっか……東条さんもビルから飛び降りたりしてたっけ。さすがは魔術師。これで納得しよう。そうしなくてはだめだな、うん。こんな事で驚いてたら身が持たない。


「で、どうしよ……」


 ここは正門から真逆の位置だ。わざわざ回って行ったら確実に見失う。

 ここはもう、気合で乗り切るしかない。

 ……体力ないし、危なっかしいのは嫌なんだけどな。


「言ってられるか」


 僕は彼女が飛び乗った枝の下に立つ。うん……これくらいなら僕の体重がかかっても折れることはない(そう信じたい)。

 いつまでも迷っている時間はない。決心し、僕はジャンプして枝にぶら下がった。そこから逆上がりをして着地。この時点で既に手の皮を擦りむいている。カッコ悪いよなぁ……。

 そこから壁に飛び乗り、少し躊躇ってから飛び降りる。五点着地を決められたことに僕は驚いた。

 案外鈍ってないじゃないか。これならもう少し無理をしても大丈夫だな。


「……さてと」


 古びた一車線の道路の端を歩く法号つるぎに目を向ける。彼女がこちらを振り向いた時点で尾行は失敗だが、それでもいい。今はとりあえず、彼女が一人でいること、その事を回避しなければならない。

 さらに十分ほど歩き、法号さんはバス停で足を止めた。そして、近くのベンチに腰をかける。意を決して、僕は彼女の側に駆け寄った。


「よっす、法号さん」


 僕の気さくな挨拶に法号さんは驚いていたようだが、すぐに「よ、よっす、藍歌くん」と返事をした。

 まあ、さすがに動揺しまくっていた。残念だが、これがただの散歩でないことが確定した。

 どんな出来事にも迅速な対応ができるように、僕はベンチの横で立ったままでいる。


「……どうして、藍歌くんがここに?」

「ただの散歩……引き際が分からなくなったから、このまま街にでも行こうと思って」


 不自然にならないように意識していたが、やはり僕には難しいようだ。

 僕には……良くも悪くも、表も裏もないのだから。

 法号さんは「はは」と乾いた笑いを浮かべた。


「君は……なんというか、不思議だね。表情からも声色からも、何も感じ取れない。他人に深入りさせない、常に防御態勢っていうか」

「否定はしないよ」

「肯定もしないんでしょ?」


 やけに食い気味だった。本当に分かりやすい苛立ち方だ。


「僕を育てた人に言われたんだ。『感情を表すな。それはただの弱さだ』ってね」

「『僕を育てた人』……随分と回りくどい言い方をするね」

「ただの事実だ」


 自然と鋭くなった目を彼女に向ける。そこでようやく、妙に遠い目をした法号さんと目があった。

 予想とは反する敵意のない瞳に思わずぽかんとしてしまう。


「ねえ……藍歌くんは、人殺しをどう思う?」

「人殺し……。少なくともそいつは天国には行けないと思う。まあ、そんなものが本当にあるのだとしたらだけど」

「つまり?」

「ああ。間違いなく許されない行為だ」


 僕は間を開けずに断言した。


「だって、そうだろう。人として生きているってのに人を殺すって、何様のつもりだって感じしないか? 確固たる信念や決意があるのなら話は変わってくると思うけど。例えば——姉を殺された、とかね」

「——姉を……」

「けれど。ただの醜い感情から——或いは理由がないのに殺人衝動に駆られるような奴は、生きる資格なんてない。殺したのなら早急に死ぬべきだ」

「でもさ」


 法号さんは目を逸らして言う。


「藍歌くんのそれは……人殺しに死ねと思うその気持ちは、ただの殺意だよ。人のこと言えないじゃん」


 高校生とは思えない拗ね方に僕は肩を竦めて反応する。


「違う。死ねと思う気持ちと殺してやると思う気持ちはイコールじゃない。僕の場合、人殺しは僕に関わらないなら、どこの道を歩こうと誰を殺そうと興味はない。死ねって思うけど、殺してやるまで思わない」


 とても残酷な響きだ。

 自分で言ってて気持ち悪くなる。

 でも——ここで嘘をついたとしても、まるで意味がない。

 嫌いな人には嫌いと言う……今までだってそうしてきたんだ。


「法号さんに死ねと思いたくはないな。これからは友達として関わっていけると信じたい。——さあ、お喋りも散歩もここまでにしよう」


 僕のポケットの携帯が振動する。

 ——途端。

 法号さんは、諦めたように、壊れたように、笑った。

 そして、遠くから一台の黒いバンが走ってくる。


「私は他の奴らとは違う! 目的達成の為に全てを犠牲にできる!」


 ああ……なんて馬鹿な女だ。法号さん。僕は君が何をしているかはまったく分からないってのに。もしかすると、本当にただの散歩だと言っていたら誤魔化すことができたのかもしれないのに。

 君は、僕が全てを知っていると勘違いしたんだね。ざまあみろ。


「あんたも殺してやる!」


 思わず後退してしまいそうになるほどの殺意を向けられる。これほどの殺意は久しぶりだ。魔眼コレクターの時とは比にならない。

 一旦距離を取り、適当に身構える。それに対し——法号さんは立ち上がり、長袖を捲った。

 そして露出させた右腕を僕に向かって伸ばし、


「erosion——!」


 と叫ぶ。

 白い肌に黒色の霧のような魔力を纏い、こちらに向かって黒色の球体を飛ばしてきた。

 速度は五十キロか、それ以上。尻餅をつくようにしてそれを回避。直後に聞こえる破壊音。確認すると、なんと木に猛獣の爪痕のようなものができていた。

 erosion……侵食、みたいな意味だった気がするけれど。……それがアレか?


「さすがに優秀なクラスに居るだけあるな……」


 一先ず距離をとって東条さんに連絡を——いや、このまま接近して法号さんの右腕をへし折るか?

 思考させる暇を与えないようにする為か、法号さんは続いて僕に向かって球体を放つ。必然的に引かざるを得ない状況だ。

 一発、二発、三発とギリギリで回避し、十分な距離をとってからスマホに手を伸ばす。

 すると。

 バンが彼女の横で停車した。

 法号さんはポケットから手に収まる程度の宝石を取り出し、バンの中に放り込む。


「彼は私が殺すから、問題ない」


 僕に向ける瞳は殺人鬼のものだった。

 さすがに緊張感が膨れ上がったその時、東条さんから折り返しの電話が来た。


『ごめんごめん、充電切れしてて……』

「東条さん! 正門の反対方向にあるバス停に——」


 思わず、言葉に詰まる。

 バンの窓から拳銃を持った手が見えたら、誰だって何も言えなくなる。

 狙いは僕ではなく、真横で殺意を放っている法号さん。


「ちょ、法号さ——」


 彼女は、

 横の拳銃に気付くことすらなく、

 頭部を撃ち抜かれた。


 ×


 バンの中はこちらからは見えず、ナンバープレートも取り外してあったため、必要な情報を得ることはできなかった。

 なぜ僕を殺さなかったのか。それはきっと、僕を犯人に仕立て上げる為だろう。ご丁寧なことに、犯人は拳銃を捨てていってくれやがった。殺人現場の第一発見者が疑われるのは避けようのない未来だ。しかし、僕がただの傍観者であったことはそのうち分かるだろう。


「法号さん」


 死んだ彼女の側で名前を呼ぶが、反応はない。当然だ。


「君は一体何をしたんだ?」


 ふと力が抜け、スマホを血溜まりに落としてしまった。


『姫乃くん⁉︎ どうしたの? さっきの音は!』

「………………」


 血が付着することを気にせず、僕はスマホを拾って耳に当てた。


「人が殺された。とりあえず来て欲しい」

『待って、どういう——』


 通話を切り、再び携帯を血溜まりに落とす。

 死体。

 目は、開いたまま。

 読み取れる感情は、憎悪——或いは驚愕。

 予知できなかった死に、法号さんは何を思ったのか。


 そして。

 友人とも言える人物の死体を前に、何も感じない僕。


「……く、ぅう——」


 泣こうと思った。

 でも、無理だった。

 わざとらしく歪めた顔も、すぐにいつもの無表情に戻ってしまう。

 転校して初めて話しかけてくれた二人のうちの一人。

 面白い話を聞かせてくれて、退屈な沈黙を作らなかった法号さん。本当に友達になれるんじゃないかと思っていた。

 しかし、所詮は知り合って間もない他人。僕は法号さんの誕生日や趣味も何も知らない。おまけにコイツは僕を殺そうとした。そんな奴の為に、一体誰が涙を流せるってんだよ。


「あー……死ねよ、僕」


 青い空に向かって言い放つ。

 幼い頃に読んだ絵本または小説では、こういう気分が沈んだ時には天気が空気を読んでくれるはずだが。——やっぱり、そううまくはいかないか。

 世界は僕を中心には回っていない。だから、仕方のない事なのだ。

 両手を血につけて、僕はそっと目を閉じる。

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