第3話 心
夕方に講義が終わり、すぐさま寮に戻って一休みした。本来は二人一部屋が基本となっているのだが、授戒さんのお気遣いにより、なんと一人で部屋を使えることになった。他人に寝顔を見られたくない僕にとって、とても嬉しい配慮だった。
「……さて」
特にやることもないので、記憶した被害者たちの情報でも掘り起こすとしよう。
一番目の被害者は一年の男子。十二月に行方不明。それからひと月おきに二年の女子が二人、二週間連続で三年生女子が二人、計五人が行方不明。
枕に顔を埋め、脱力して唸る。
「意味わかんね」
強姦とかが目的ではないだろう。にしても、ここの生徒たちだけを狙う理由はなんだ? 回数が増えることによってリスクも増すだろうし……。
「相当な《意思》をお持ちのようで……」
ただの快楽殺人者って考えるのはありえないよな。
だとしたら——だとしたら?
僕に分かるわけがないだろう。人として空っぽな僕は他人の心を読むことすら苦手なのに、犯罪者の気持ちなんか分かるはずもない。
分かってたまるか、そんなもの。
「…………、あー……いらんこと思い出した」
記憶する必要がない記憶。忌むべき過去はそれでも僕の中で、まるで『忘れるな』と囁くように、そこにある。
ありえたはずの未来。
ありえてはならなかった過去。
くだらない妄想をして、僕は目を瞑る。
×
目が覚めたときには既に月が昇っており、側の窓から星々が見えていた。
そして……僕の体調は最悪だった。尋常じゃない頭痛だけでなく、悪寒が絶えないのだ。
測るまでもない……こりゃ三十九度は出てるぞ。倦怠感だけでなく、筋肉痛や関節痛まである。
「……サイアクだ」
この風邪を引いたときの謎の絶望感。どうして自分がこんな目に遭っているのか、と神を恨んじゃうよなあ。別に神様は悪くねえのに。と言うか、神様っているのかな。いるんだとしたら早く僕を殺してくれないかな。
「……やばいな、自分でも何考えてるのかわからない……」
なんだか目まで痛んできた。いよいよ誰かにヘルプ求めるしかないぞ。
僕はポケットの中からスマホを取り出し、みちるに電話をしようとした。
「いや、あいつに連絡してどうする」
とは言え、僕のスマホの電話帳には計三人しか登録されていない。もう一人は絶対にかけることはしないと決めているし、消去法で彼女に電話をすることにした。
「姫乃くんから電話なんて、この先一生ないだろうね」
東条さんはおかしそうに笑って言った。軽口の一つでも返したいのだが、今はそんなことをしている場合ではない……大袈裟だけど。
「悪いんだけどさ、スポドリとビニール袋を僕の部屋に持ってきて欲しい」
「うん? いいけど、なんで?」
「どうも風邪みたいで。頼れる人が東条さんしかいなかったから」
「…………」
にやけている東条さんが容易に想像できた。この人、頼られるのと褒められるのがよっぽど好きなんだよな……。
「すぐ行くよ」
「ありがとう」
通話が切れる。
さて……すぐとは言っても少しは時間がかかるだろう。その間に僕は死ぬ思いをしてシャワーを浴び、適当な薄着に着替えて再びベッドに入った。
いよいよ嘔吐寸前というところで、タイミングよく東条さんがやってきた。
「やっほー」
陽気に手を振る東条さん。なんでマスクしてないんだろう。あ、するべきなのは僕なのかな。まあどうでもいいや。
「助かるよ、東条さん」
東条さんはベッドの端に腰を下ろし、僕の額に手を当てた。その意味不明な行為に思わず「え」と声を出す。
「なに?」
「うわ、すごい熱」手を当てずとも分かるであろうことを言う。「四十度くらいありそうだね」
「ないって」
細い手を払い、上半身を起こす。
スポドリを受け取り、一口飲んだだけでもだいぶ回復したように思う。少なくとも今嘔吐することはない。
「多分だけど、明日は一日中寝ることになる。えっと……教員たちは僕たち三人の事情は知ってるんだよね?」
「うん。連絡の必要はないよ」
「そりゃあよかった」
会話が終わると、そこから沈黙が続いた。
どうして黙ったままここに座っているのだろう。この人ならば「それじゃあお大事に」の一言で出ていくと思うのだが……。
ぼうっと寂しげな後ろ姿を見つめていると、暗い碧色の瞳と目が合った。
「寝ないの?」
「…………」
なるほど。眠りにつくまで側にいてくれると。……なんじゃそりゃ。僕は小学生か何かか?
「気遣いは嬉しいんだけどね。他人がいると安心して眠れないんだ」
「大丈夫、寝顔は見ないから」
僕が大丈夫じゃないってことが分からないのかな。
変なところで頑固というかなんというか……良くも悪くも面倒見がいいから憎めない。
「……分かったよ。じゃあ、電気を消してから出て行ってね」
再び横になり、反対の壁を向いて目を瞑る。
「未来視はね、二つの種類に分けられているの」
寝かす気がないんじゃないかと思ったが、興味深い内容なので僕は何も言わなかった。
「視覚で捉えた情報を無意識に処理し、『これから』を予測するのが一つ目。そして、超能力や魔法にも近く、何の代償も条件も前提も必要なしに『これから』を閲覧するのが二つ目」
「…………」
——《予測》と《閲覧》。言葉にするとだいぶ違うな。どちらかというと後者の方が便利そうに感じる。
「私としては……閲覧の方が安心できる。こっちは厄介なことにならないからね。でも、姫乃くんは……」
「……つまり——」
「うん。予測の場合だと、慣れるまで視覚から得る情報と脳が処理する情報のコントロールができないから、頭に負担がかかるかもしれないの。今日は風邪だからともかくとして、目や頭が痛むとか、睡眠時間がいつもより長くなったりとかないかな?」
僕が未来を見た後日、いつもより起きるのが遅かった。今の風邪にしたって、過去にここまで頭と目が痛むことはなかった。
確証はない。けれど、本当に、まったく。
僕は運が悪いな。
「察しの通りさ」
目を瞑って答える。
そしてすぐに意識が落ちた。
×
「……姫乃くん……」
色奈は囁き、彼が眠りについたのを確認した。起こさないように慎重に近づき、紅色に染まった頬に手を当てる。
本当に苦しそうだ。色奈の指に伝わる熱が更にそう思わせる。
「寝顔はかわいいんだけどな」
部屋の電気を消して、視界が悪くなってもなお、色奈は姫乃を寂しげに見つめ続ける。
どうしてもっと笑わないのだろう、と詮ない思考をする。
いつもどこか寂しげで、考え事をしているようで。
藍歌姫乃という人物は、どこか他人を恐れている。必要以上に他人に近付かず、踏み込まない。これを意識していると色奈は見ていた。
彼は人を時には憎悪し、時には恐怖する。ただの人間不信で片付けてはならないような、中途半端で曖昧な感覚。
色奈は藍歌姫乃に何があったのか興味があった。何事にも無関心であるように生きることは、並大抵の人間にできることではない。
一体どんな過去があって、今の彼を形成したのか。
色奈自身に過去視があれば早い話なのだが、そんなものは当然持ち合わせていない。
必要以上にこの男に構うのは、それが理由であって——
「……どうなんだろうね」
色奈にとって、自身の思いは他人の気持ちよりも理解に苦しむ。
「私が君に好意を向ける理由は——」
彼の横たわる姿は、色奈には昔に死んだ弟と重なって見えてしまった。
幻想だと言い聞かせ、心のモヤを振り払うように首を振り、不意に流れた涙を拭って部屋を出る。
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