黒の正義

第1話 繋がり

 十八日の土曜日。ソファーで熟睡していた僕はいつもより早く目覚めてしまった。耳元に置いていた携帯が騒ぎ出すものだからぶん投げてやろうと思ったのだが、それで後悔するのは僕自身である。なのでそんなことはしなかった。応答のボタンを押して起き上がる。


「おはようさん、姫乃くん」

「……おはようさん」


 まだ十時だってのに、いきなり電話する人がいるのか。休日のこの時間は平日で言う六時だぞ。なんて非常識な人なんだ。


「大抵の人は起きてるよね」

「……そりゃあそうでしょ。僕だって起きてたさ」


 平然と嘘をつく癖はもう一生治らないだろうな。まあ、見抜かれているのだろうけれど。


「さあ、今すぐ来て」

「なんで? 次は来週の月曜日に顔出すだけでいいって……」

「依頼が来たんだもの。仕方ないでしょ。ほら、早く早く」


 ブラックがすぎる、なんて文句を言うつもりはないけれど、なんだかなあと思ってしまう。

 ……なんか具合が悪い気がしてきた。よろしくない病気かもしれない。もしかすると感染するかも。よし、こうなっては仕方ない。


「悪いんだけどさ、東条さん。なんだか体調が優れな……」


 途端。ぴんぽーん、とインターホンが鳴る。そして東条さんとの通話が切れる。

 おいおい……マジで?

 僕が扉を開けると、予想通り、そこには私服姿の東条さんが立っていた。


「やっほー」

「…………」

「寝癖直しなよ」

「…………」

「喉乾いたから何か貰える?」


 東条さんは僕を押し除けて中に入り込んだ。そして部屋を見回しながら珍しそうに「へえ」と言う。


「まさに一人暮らしって感じだね。何も無い」

「何かあったところで邪魔になるだけだから」


 僕は台所に置いてある缶の紅茶を手に取り、ソファーに座る東条さんにパスした。


「ありがとう」


 それをあっという間に飲み干す。いいご身分なことで……。


「いきなり男子の部屋に上がり込むのもどうかと思うけど。というか、どうやって調べたの? まさか、東条さんはストーカーだったり?」

「そんなわけないでしょ。桃春ちゃんに調べてもらったの」

「ああ、あのうざい奴」

「そういうこと言わないの」


 呆れたようにため息を吐く東条さん。こういうところは大人っぽいんだけどな……なんか色々残念だ。いきなり男の部屋に凸してくる女の先輩ってありえないし。


「ほら、早く寝ぐせ直して着替えて」


 僕は渋々髪の毛を水で濡らして着替えを済ませた。


「あ、そうだ、姫乃くん」

「うん?」

「お邪魔します」

「遅えよ」


 ×


 喫茶店へ向かう道中、東条さんは依頼主について説明してくれた。


「私も今朝電話で起こされてね」


 なんでも、その人は魔術の優れた才能で名を馳せているらしい。魔術世界を指揮する者たちが集う機関、魔術の発展を目指す機関、魔術とそれ以外の関係の均衡を望む機関、これらの全てに関わりを持っている。

 それほどの者が他人の手を借りたい理由はなんだろうと東条さんに質問したら、実につまらない答えが返ってきた。


「手も回らないほどに多忙か、それとも『彼女らが片付けるまでもない問題』か」

「なるほど」


 僕は空を見て言った。


「その人嫌いかもしれない」

「こらこら。いきなり人を嫌いになったらダメでしょ」まさに先輩っぽく僕を叱ってから東条さんは言う。「ちなみにどうして?」

「いやさ、漫画とかでよくあるじゃん。別に小説とかでもいいけど。ボスが自分で主人公を始末すればいいのに、『私が手を下すまでもない』とかなんとか理由を付けて見逃すパターン。主人公はボスの部下を倒してボスを倒すわけだけれど、正直言って馬鹿じゃねえのって思うんだよ。ストーリー上仕方ないのかもしれないけど、だからってキャラの頭を悪くするのはやめてほしいよな」

「フィクションにリアリティを求める人間はごく僅かだよ。面白ければそれでいいじゃん」


 ドが付くほどの正論だ。


「あの一家の場合は本当に忙しいんだと思うよ。一度娘さんの愚痴を聞いたことがあるんだけど、聞く限りじゃすごいもん」


 愚痴を言う時間はあるんだな。……いや、それくらいあって当然か。


「それで。依頼の内容ってのは?」

「それは改めて光野さんに聞こう」


 いつのまにか辿り着いていた喫茶店の扉を東条さんは開ける。

 店内には柩ちゃんと光野さんしかいなかった。

 二人に軽く挨拶をし、僕と東条さんは席に座る。


授戒じゅかいの娘からの依頼だって話は聞いたよな?」


 僕は頷いた。


「彼女が任されている魔術師育成学校の生徒がここ数ヶ月で五人行方不明になっている。事が公になる前に犯人を捕らえて欲しいとさ」

「それだけだと情報が少なすぎますね。詳しい事は教えてくれなかったんですか?」

「『とある学校で、とある生徒が、とある誘拐犯の被害者となった。情報としては十分だろう。この程度の事件も解決できないのなら前世からやり直せ』……だってよ」

「うわあ……」


 東条さんは顔を引きつらせていた。


「やっぱりえぐいね、授戒の一家は」

「ま、天才に他人の心は分からねえもんさ。そう言ってやるなよ」


 悲しい言い分だ。それは偏見だ、と言い切れない部分が、特に。

 しかし、僕は知っている。

 この世界には他人の心しかわからない天才も居るということを。


「とにかくだ。被害者の友人らに聞き込みをして、それでもダメなら学校に乗り込むしかない。そこらへんの手続きはやってくれるとよ」

「警察を頼ればいいのに……」

「警察はこっち側の専門家ってわけじゃあないからね」


 東条さんは指を立てて得意げに答える。


「その為の私たち」

「……ですか」


 若干ドヤ顔に腹が立つが、可愛いのでプラマイゼロ。僕は東条さんから光野さんに視線を移す。


「あの二人は? どうやらここには居ないみたいだけど……」

「奏斗は別の依頼に対応している。桃春の奴は……もう乗り込んだ」

「は?」


 僕と東条さんが同時に声を漏らす。


「の、乗り込んだって……」


 東条さんは呆れ果てたようにでこに手を当てる。察するに、いつもこのようなことをしているのだろう。あまりにも行動が早過ぎる。桜内桃春……イメージ通り無茶苦茶な女だ。


「色奈と姫乃は聞き込みから始めてくれ。潜入はそれからだ。あそこの講義は為になる。姫乃にとってはいい機会かもしれねえな」

「潜入って……そもそも必要あるんですか?」

「間違いなく」


 光野さんは間を開けずに断言した。


「決まって同じとこの学生が誘拐されてるんだぜ? 内通者が居るかもしれない。偶然にも犯人を目撃した奴が居るかもしれない。或いは——犯人そのものが居るかもしれない。これらを犯人にバレないように探る確実な方法……それが潜入さ」

「可能性、ですか。……また別の可能性が現れたら……」

「その時はその可能性を潰すだけだ。可能性——仮説を一つ一つ消し去っていけば、どれだけの時間がかかろうと真実に繋がる」


 当たり前のことを当たり前に主張すること。それができない僕からしたら、今の光野さんはとても格好良く見える。

 ふふふ、と東条さんは髪をかきあげて立ち上がった。そして僕らに背中を見せる。


「時には挫折も頓挫もある。けれど、そういった困難を乗り越えてこそ見れる誰かの笑顔がある。私たちの原動力はそこにあるの!」


 くるりと振り返ってドヤ顔をキメる。


 時間が止まったのではないかと思わせるほどの冷たい空気。東条さんのドヤ顔もだんだんと崩れていく。

 再び時が動いたのは(別に本当に止まっていたわけじゃないが)、柩ちゃんが飲み物を啜る音がしてからだった。それを機に東条さんは席に座る。


「…………なるほど。これが頓挫なんだね」


 成功を例にするのではなく、失敗を例にするとはいい先輩だ。

 うん……東条さんのキャラが掴めてきた。一緒にいて退屈しないタイプなのだから、学校で人気なのも頷ける。


「光野さんみたいにカッコ付けたかっただけ……決して頓挫の例を見せたかったわけじゃない」

「そういうのは自然な流れでやらないと」

「んー……やっぱ顔の傷がデカいよね」

「関係ないって。傷のある人がかっこいいんじゃなくて、かっこいい人に傷があるとよりかっこいいってだけだから」

「いやいや。もしかすると私だって……」


 詮ない議論をする僕たちの間に光野さんが割って入る。


「どうでもいいから早く仕事に移れ……。住所なんかはコレに書いてあるから」


 光野さんは小さく折られた紙を東条さんに渡す。

 東条さんが中身を確認すると、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。


「被害者はとてもいい性格をしていたようだね……」そう言って紙を畳んでポケットにしまう。

 察するに聞き込みする人数が多いのだろう。


「……さ、東条さん。困難を乗り越えに行こうぜ。赤の他人様を笑顔にするのが役目なんだろう?」


 むぅ、と頬を膨らます東条さん。

 いや、そんな顔されても……。正義感強いってのは口だけだったりするのかな。なんて思っていたのだが、東条さんが立ち上がるのは早かった。


「そうだね。それじゃあ、一緒に頑張ろうか」


 ×


 そんなわけで始めた聞き込みだが、想像以上に苦痛だった。夜遅くまで地下鉄、電車、バスなどを乗り回し、僕の三半規管は限界寸前。東条さんもさすがに体力的に厳しそうだった。いや、体力的にというよりは精神的にか。

 僕たちが喫茶店に戻ってきたのは十一時を過ぎた頃だった。入ってすぐそこに座るのは柩ちゃん。ひょっとしてここに住んでいるのだろうか。


「疲れた〜……」


 東条さんに続いて僕も席に座る。


「光野さん、いつもの」

「僕は水でいいです」


 喉を潤し、しばらく休憩する。この時間となると外も静けさが増し、とても落ち着いた時間が過ごせた。まあ、結局自分の家が一番なのだけれど。

 そしてある程度回復した後、東条さんは光野さんに報告を開始する。


「五人の被害者それぞれに接点はなし。誰かに恨まれていた、誰かを恨んでいた、なんて話も一切なし。私生活にも問題はなく、周囲の人とは良好な関係を築いていた。……なんのヒントも掴めなかった」


 その通り。僕たちが長時間かけて行った調査には、はっきり言って何の意味もなかったのだ。だからこそ休憩が必要なレベルで魂がすり減った……。


「ってことは、潜入調査しかないわけだ」


 はっはっは、と何がおかしいのか光野さんは笑う。


「でも、桜内が既に潜入してるんですよね。僕たちまで行く必要があるんですか?」

「あいつだけに任せられたらどんなに楽か……」

「あー……、なるほど」


 なんか仕出かすに違いない。よく分からないけど、きっとよくないことを起こす。

 ここまで確信させるなんて桜内は凄いなあ……。


「まあ、一週間もあれば何か分かるだろう。学校には適当に連絡しておけよ。家族旅行だとかオープンキャンパスだとか入院だとか、そんな理由があったら問題ないだろ」

「ですね」


 ……にしても、学校休んで学校に行くとか、なんだか勿体ない気もするな。欠席日数が多いと後々面倒な事になりそうだし。三年になったら受験勉強の為に学校を休まなくちゃだし。

 えっと、残りのストックはどれくらいだろう。


「意味のないサボりはやめろよ」


 平然と読心術を使う光野さんに対し、僕は間の抜けた返事しかできなかった。

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