最終話 初任務
央語舞邸を出てすぐにポケットのスマホが振動した。画面に表示されている電話番号は昨日登録したばかりのものなので覚えている。
少し躊躇ってから応答ボタンを押した。
「どうしたんですか……東条さん」
「敬語」
指摘され、つい「あ」と声を漏らす。
「どうしたの」
棒読み感が拭えない返事に唸る東条さん。しかしそこにそれ以上触れることはなく、東条さんは続ける。
「ショーシューです」
「……招集? なぜ?」
「姫乃くん、学校サボったでしょ。今どこ?」
「まさか」
反射的に嘘をついたが、別にバレるものでもないだろう。わざわざ東条さんが僕のクラスに足を運ぶようなことでもない限り、サボりかどうかは分からない。
なんというか、あれだな……先輩って存在は叱ることが好きだよな。教師と同じで面倒だ。
「クラスの人たちは『あいつは今日は休みだ』って言ってたよ」
「………………」
おぉ、なんて行動力だ。好きじゃない。
「ダメじゃない。サボったら」
「どうしてサボりって断言するのさ」
「浅沼先生に連絡入れてないんでしょ?」
……くそ、担任まで敵か。いや、単に東条さんに味方が多いってだけか。
「ま、サボりだけどね……」
だからと言ってこの人にどうこう言われる覚えはないのだけれど。
「まさか、お説教ってわけじゃないでしょ? 一体どうして招集されなきゃならない?」
「出張中だった二人が帰ってきたから、姫乃くんを紹介しようってことになったの。だから、できるだけ早めに来てね。それじゃ」
集合場所すら言わずに電話を切るとは……中々真似できないことだ。どうせあの喫茶店なんだろうけれど、一応そういうことは言おうと思わないのか。
どうでもいいんだけどさ、別に。
「……地下鉄使うか」
あんまり人混みは好きじゃないんだけど、さすがにここから歩くのは時間がかかるし仕方がない。
そして三十分ほどで路地裏の喫茶店にやって来た。……そして、十分ほど立ち尽くしたままだった。
なんと情けないことに緊張しているのだ。この感覚は久しぶりだ。
“お前は自分自身を感情のない人間だと自称することがあったな。だけど、そりゃあ間違いだ。お前は表情に表すのが苦手ってだけで、感性自体はそこまで歪んじゃいないんだよ”
そこまで。そこまで、ですか。
やれやれ……このままここに突っ立っていても意味がない。
「とりあえず相手に合わせれば……」
僕はドアを開けた。小さな空間にはいつも通りに柩ちゃんと東条さん、それから光野さんが居て。
カウンター席の後方のソファー席には、僕と同年代に見える男と女が座っていた。
「やあ」
男の方が僕を見て手を振る。
美少年という言葉が当てはまるような奴だ。短く整えられた焦げ茶色の髪。目鼻立ちも文句のつけようがないほどに整っている。僕に人を見る目があるかは分からないけれど、コイツは多分いい奴だ。今まで『性格の悪いイケメン』というのは何度も見てきたが、コイツにそんな雰囲気は全くない。……うん、好きじゃない。
「えー! なになに、あんたが新入り? クッソ弱そう!」
きゃはは、と男の隣に座る女が身を乗り出して僕を指差し笑う。
苗色のセミロング。大きくて綺麗な青漆の瞳をしていて、可愛らしい顔立ちをしてるってのに、女の子らしからぬ佇まいがマイナスとなってしまっている。
というかこの二人、大丘高校の制服を着ているぞ。
なぜ。いや、なぜって、生徒だからに決まってるだろ。
「こら。いきなり失礼だろ?」
いきなりじゃなかったら失礼じゃないのかな。
「俺は
「井宮、ね……」
僕が繰り返すと、井宮は爽やかな微笑みを浮かべた。
「よろしく」
顔が引きつってしまいそうになるのを抑え、申し訳程度に会釈した。
「ほら、お前も」
井宮が隣に座る女を肘で小突く。彼女は言われて面倒くさそうな表情を浮かべ、テーブルに置かれていたコップに口をつけてから僕を見た。
「はいはい。あたし
吹き飛ばしたくなる態度だった。人はここまで他人をイラつかせることができるのか。そのことに呆然としていると、桜内は井宮の
前に置かれているコップにまで口をつけ始めた。
「動物…………」
「あい?」
片眉を上げる桜内。僕は肩をすくめて「別に」と誤魔化した。
東条さんの隣に座り、一息。
「案外平均年齢の低い職場だね。高齢社会だから、てっきりおじさんおばさんばっかりかと思ってた。……というか、一人足りなくない?」
「あー……。あの人はまた出張。またしばらくは帰ってこないよ。彼は光野さんよりも年上なんだよ。今年で三十五になる」
どんな男性なのだろう、と想像したところで分からなかったので、すぐに思考を切り替えた。
「それで。今日のところはもう終わり? だったら帰りたいんだけど」
「うっわ」
そう反応したのは東条さんでも光野さんでもなく、背後の桜内だった。
「付き合いワリー。あんた人生つまんなそうだね」
「おい……」井宮はまるで飼い犬が他人に噛みつくのを止めようとしているようだった。
「ボッチって根暗が多いからなあ〜」
僕は彼女を横目で見て、
「……いいね、何も考えずに生きていて。楽ちんったらありゃしない」
と煽った。
「はあ? めちゃくちゃ考えて生きてるし! これでもかってほど考えてますし!」
「遊び人」
「じゃねえし」
「浮浪者」
「じゃねえし」
「犬」
「じゃねえし!」
ヒートアップしてきたところで、井宮が「まあまあ」と仲裁に入る。
「せっかくだし、藍歌の話を聞かせてくれよ。どういう経緯で東条さんと知り合ったとか、そこらへんに興味があるからさ」
「………………」
まあ、この組織に入った以上、柩ちゃんレベルで孤立するのは得策じゃないか。仕方ない。ここは近寄らせない程度の距離感を作るために乗せられておこう。
そして、僕は一通りの話を二人に聞かせた。ちょくちょく桜内と僕が衝突し、その度に井宮が仲裁に入るものだから、必要以上に時間が掛かった気がする。
「未来視……か」
井宮は何かを思考しているようだった。
対して桜内は、
「未来視なんていらねー。直感と妄想で十分だわ」
などとケチをつけていた。
僕の前に現れる人間ってのは本当に個性が強いな。この空間で柩ちゃんよりも空気になっている気がする。
「……僕も少し聞きたいことがある」
僕は回転椅子を回して二人に体を向けた。
「学校休んでまで出張って……どうしてだ?」
「どうしてって……」
井宮はあくまで当たり前のように、それが常識だと思っているかのように、誇らしさも何もなさそうに、至極単純なことを言った。
「誰かが助けを求めてるんだ。それは何よりも優先すべきことじゃないのか?」
「んま、似たような感じ」
「……正義感が強いんだな」
僕が言うと、井宮は困ったように笑った。
「さすがに東条さんには負けるさ」
東条さんに視線を移す。カウンターの方を向いていて俯いているだけに思えたが、僅かに頬が赤く染まっていることに気付いた。誤魔化すように飲み物の一気飲みを始める。
「本当それ。色奈さん良くも悪くもぶっ飛んでるからなあ」
続いて桜内が褒め始める。すると、東条さんは更に顔を赤くして「光野さんおかわり!」と要求するのだった。
これは誰にでも褒められたら嬉しくなっちゃうタイプだな。なんてちょろそうな先輩だ。
「いいけど……お前、今日こそ金払えよ?」
「分かってるよ」
払ってなかったのか……。
……にしても。
なんとなく予測はしていたが、やはり、ここにいる人(柩ちゃんに関しては不明な点が多いが)は善の心を持つ者だったか。僕という存在は若干浮いているような気がするのだが、この人たちはそれすらもどうでもいいものとしてしまう。
それがまた距離を感じさせてしまうのだけれど——。
「奏斗くん。彼はいつ頃戻ってきそう?」
ここで初めて東条さんは振り返った。
うーん、と腕を組む井宮。
「さあ。少なくとも今回よりは長引きそうだね。なんでも、名家の継承争いに巻き込まれたって話だから。断らない方もどうかと思うけど……まあ、彼も彼で正義感が強いから仕方ない」
「……そう。分かった」
若干沈んだ空気が訪れたその時、店内に電話のベルが鳴り響いた。
「はい、光野です」
カウンターに置いてある固定電話を取り、光野さんが対応する。
「これはどうも! お久しぶりじゃないですか。はい……そうですね。ええ、全然構いませんよ。…………——なんですって⁉︎」
一瞬にして張り詰めた空気に変化する。真剣な顔つきになる一同に、僕は少しばかり驚いていた。
「分かりました。すぐに捜索します」
電話を置くと、光野さんは強張った表情で言った。
「ローズが行方不明になった。今回は奏斗、お前に任せる」
「分かった」間も無く即答し、立ち上がる井宮。「そうだ。折角だし藍歌もどうだ?」
「……は?」
僕は否定の姿勢で応じる。
「いや、無理だろ。行方不明って……また魔術師の殺し合いが始まるんだろ? 未来を見る明確な方法も知らない、そんな僕にできることなんかない」
「いや、心配しなくていいよ」東条さんが言う。「今回は厄介なことにはならないから」
「どうして?」
「ローズって人じゃないから」
「……え、バケモノ?」
「じゃないって! きゃはは! あんた馬鹿かよ!」
桜内に視線を向ける。
「だったらローズってのはなんだよ」
「犬だってーの」
「……犬?」
「犬」
「犬?」
「しつけーよ! とっとと行ってこい!」
×
僕は基本的に夕方であるこの時間には読書や昼寝に洒落込んでいるので、他人と外をぶらりと歩くのは初めてだった。
しかも、その目的が犬探しだってんだから笑えてしまう。笑わないけど。
「一人暮らしのお婆さんの飼い犬でね。過去に二回脱走してるんだ」
「へえ。光野さんは身内が殺されたと思わせるほどにショックを受けていたけど、あの人の前世は犬なのか?」
「そんなことは分からないさ。ただまあ、犬好きっぽくはある」
井宮はそんなことを言っていた。
それから寒月公園にやって来た。広大な敷地の中を歩き回っても、丘の上から辺りを見回しても、そこには元気な子供の姿しか見られない。
「仕方ない……」
井宮は呟いてから片膝をついた。
ポケットから黒い粉の入った袋を取り出すと、それを地面にまぶして目を瞑った。
「Endless──obsession」
「…………?」
詠唱みたいな……? へえ、よく分からん。というか、それで探せるんなら最初っからそうしろよ。
「なんだ。やっぱりここにいるじゃないか」
粉は目を離せば見失ってしまいそうなほどの、薄く僅かな霧となって、何処かへ向かう。
僕は井宮と霧を追いかけ、そしてたどり着いたのは公園内の道を外れた森の中だった。
そこに、大樹に向かって吠えるシェパードが居る。僕らがローズを見つけると、霧は跡形もなく消え去った。
「お前、こんなところで何してるんだ?」
井宮が近づきローズの頭を撫でると、大樹に吠えることはせずに落ち着きを取り戻した。
「懐いてるな」
「そりゃあ犬だし」
そっか、と僕はとりあえず頷いた。
それからの話は早い。犬を飼い主の家まで届けた。それだけである。『道中で殺人鬼に襲われた』なんて事でもあれば、少しは語ることも増えるのだろうが、もちろんそんなことはなかった。
届けた後で少し意外だったことはあるが。これは仕事ではなくボランティアだということ。どんな便利屋も多少のお金は貰っているものだと思っていたのだけれど。
「そりゃあ貰う時もあるさ。けれど、この程度は誰にだってできるだろう? だったらボランティアとして動くのが正解さ」
本当に爽やかな男だ。感心してしまう。憧れはしないけれど。
街を見下ろせる道を歩いていると、突然井宮はガードレールに尻を乗っけた。
僕は足を止めて「どうしたんだよ」と聞く。
「俺たちは確かな正義がある」
「……なんだよ、いきなり」
「誰かの為に傷付くことを恐れない、そんな組織だ。依頼のリスクとリターンが合わない時もある。場合によっては『楽しさ』なんて微塵もない。藍歌……お前はどうしてそんな組織に入ったんだ? 東条さんに惚れたのか?」
「まさか」
本当にありえない。鼻で笑ってやりたいところだった。
「生憎、そんなにすぐ人を好きになれたりはしないよ。僕は他人と知り合ってからは《嫌い》から始まるんだ」
「賢いな」井宮は肩をすくめた。「賢いが、とても寂しい生き方だ。よく潰れないな」
「潰れてる。潰れっぱなしさ。もう中身のない推理小説よりも薄っぺらくなってる」
「…………脱線したかな」
優しげな視線が送られる。僕は目を逸らして街を見る。
「それで、どうなんだ? お前にもどこかに正義があるのか?」
「……かもね」
「俺は組織に入ったことに後悔したことはないけれど、もしかすると違った未来もあったかもしれないと思うことがある。よく考えた方がいいぞ、藍歌。完全にこっち側に来るのなら、それなりの覚悟がないと」
井宮が僕を連れた理由は研修目的ではなく、結局柩ちゃんと同じで忠告する為だったのか。
「分かったよ」
無難な返事をして会話が終わる。
そして井宮は喫茶店に、僕は寄り道せず家に。
またすぐに眠りにつくのではないかと思っていたのだが、今日はそんなことはなかった。
明日は遅刻しなければいいのだけれど——
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