第7話 本質
血の色に染まった空の下。河川敷横の芝生で目を覚ました。
他に生きている者が居ないんじゃないかと思うほどに静かだ。街並みは相変わらずなのに、あたかも絶海の孤島に見える錯覚。
「夢、か……」
そう結論付けるのが当然だ。
体を起こす。服装は制服のままだ。
そうか。僕はまた家に帰るなりソファーにダイブしたんだったか。
「夢……夢ねぇ……」
背筋を伸ばし、息を吐く。
暖かい風が僕の全身を撫でたその時、僕の隣に誰かが居たことに気づく。
右手数メートル先、白い着物に身を包んだ誰か。体格からして女性。顔が黒い霧に包まれている。さすがは夢、何でもありだ。
「あなた誰です?」
彼女は答えない。
「僕の知り合い?」
彼女は答えない。
「…………」
夢だと自覚して、それから目を覚ますにはどうしたらいいのだろう。
定番なのは頬に刺激を与えることだよな。僕は右頬をビンタした。
「……痛い」
それだけだった。無念。
……待てよ。僕は勝手に夢だと決め付けているが、未来って可能性もあるのか。魔眼コレクターの少女に殺される未来を見た時も、そのほかの登場人物はいなかった訳だし、可能性としてはなくもない。
未来だとしたら意味がわからないな。どうしてここで向かい合っているのか。その人物が着物を着ている理由も不明だ。
何より顔が見えないので誰だか分からない。
未来だとしたら、曖昧がすぎる。
「あなたは——」
言ったところで、彼女は一瞬にして僕の目の前まで移動した。
瞬間移動としか思えない速さだ。
心臓が止まりそうになる。
驚愕や恐怖を感じるはずなのに、体が動かない。
「————」
首筋に刃物を当てられた感覚だ。動こうにも動けない。きっと動いてはダメだ。これは本能で理解できる。
未来を視るまでもなく、分かる——。
×
「は……。あ、ぁ……」
硬いフローリングで目を覚ます。どうやらソファーから落ちてしまったようだ。寝相のいい僕が落ちるなんて珍しい。
「……何してたんだっけ……。いや、寝てたに決まってんだろ」
自分に突っ込んで起き上がる。
変に汗をかいていたのでシャワーを浴びた。そして制服に着替え準備オッケー。あとは時間を確認して……
「………………午前十一時三十分。なるほど……」
ここで二つの選択肢が出てくる訳だ。
一つはこのまま大人しく学校に行くこと。連日で遅刻とかまず間違いなく浅沼先生に怒られる。
「んで、二つ目……」
これは単純に自主休校を決行すること。なんだか疲れも取れていないようだし、体調が優れないと言い換えることができるだろう。
つまりは体調不良。
「よし、決定」
僕は私服に着替えてから外に出た。
×
そしてやって来たのは繁華街の書店。学校休んで外に出る……これが高校生らしさか。…………浅いな。間違いなく浅い。
心の中で自分に相槌打って、ミステリー小説を二冊購入してから本屋を出た。
基本は賑やかな
開けた土地にポツンと立っている洋館が見えてくる。
もうここまで歩いていたのか、と自分の気抜けさに驚いてしまう。地下鉄や電車を使えばいいのに、いったいどうして僕は徒歩という移動手段を選んだのだろう。
「……ああ、天気か」
晴天だからという理由で、僕は三キロ四キロを歩いたのか。
馬鹿じゃん。
門の前に立ち、インターホンを押す。
ぴんぽーんと鳴ったその直後、「はーい」と明るい女性の声が聞こえる。
「こんにちは。僕です」
「姫乃くん⁉︎」
彼女は叫ぶと、間もなく門の向こうの扉から豪快に出てきた。
腰辺りまでの茶髪。いかにもお嬢様って感じの服装をしているのだが、しかし無邪気な笑顔をしているのでプラマイゼロ。今年で二十二歳のお姉さん。名前は
門を蹴り破ると、彼女は僕に抱きついてきた。
「久しぶりだね、姫乃くん! 来るんだったら連絡してよ! こっちにも準備があるんだからさ! いやー、何年ぶり?」
「先月会ったばかりじゃないですか」
「おや? そだっけ?」
じゃあいいや、と蔓さんは萎えたように僕から離れた。
「そいで何用?」
「あいつに届け物です」
僕は右手に持つ袋を上げて見せる。すると蔓さんは「なるなる」と言って、くるりとUターンした。
「さあさあ上がって。今日、ご飯はどうする?」
彼女の背中を追って僕は答える。
「ごめんなさい。今日は先約がありますから」
まあ嘘だけど。
「そりゃ残念の極みだわー。ま、ゆっくりしていってよ。あいつも久しぶりの来客で嬉しいだろうしさ」
×
扉をノックして言う。
「僕だ。入るぞ」
返事がない。中で屍になっていそうだ。……いや、冗談抜きで。
ゆっくりと扉を開ける。十畳ほどの部屋の中は足の踏み場もないほどに書類でいっぱいだった。……だけでなく、飲食物のゴミまで床に捨てられている。
「おいおい……」
ゴミの上を歩いて中に進む。
奥には机があり、三台のモニターが並んでいる。左からオセロ、チェス、将棋の画面が写っている。椅子に座るのはヘッドホンをした少女。茶色のボサボサのショートヘア。なんと上下黒のジャージ姿。
こいつは蔓さんの妹、
みちるがどうしてそんな無駄なことをしているのか僕には理解できなかった。
キーボードとマウスは一つなのだが、三つの画面はそれぞれ同時に、かつ別の動きをしている。パソコンに詳しくない僕からすれば、それが普通なのかはたまた改造をした結果なのかは分からない。
ただ一つわかるのは、それぞれの対戦相手のCPUが最高レベルで、しかしそれでも三画面それぞれが休むことなく動いているあたり、こいつの頭は少しおかしいということだ。
決着は同時につき、将棋とチェスは見事勝利。オセロだけは惨敗だった。
「はあ⁉︎」
結果に苛立ったみちるはキーボードに繋がれてるコードを違って壁へと投げつける。
「意味わっかんない! 白と黒が挟み合うだけのクソゲーじゃないの⁉︎ なんで? なんで負けるの! チート? チートなのかこいつ!」
オセロにチートなんてあるのだろうか……。そもそも相手はCPU。言い掛かりもいいところだ。
「眼鏡は投げるなよ。拾ってやらないからな」
「分かってるよ」
こいつは眼鏡を取ると、おそらく僕の顔すら見えなくなるほどには目が悪い。
「なあ、僕が暇つぶしグッズ買ってくる意味あったか? なんだか楽しそうにしてんじゃん」
「楽しくない。クローゼットに眠っていたから、なんとなくいじっただけ」
「ふぅん? おまえらしくもないな、パソコンなんて。機械関係で言ったら蔓さんの方がしっくりくるけど」
「これ多分蔓のだよ。ほら、この部屋以前は蔓が物置として使ってた部屋だし。多分数年前に気分で作ってそのまま放置って感じだろうね。埃被ってて気持ち悪いしもう捨てる」
「自分で捨てるみたいな言い方するな。結局お前の部屋の掃除をするのは僕の役目なんだぜ?」
「はいはーい」
みちるは椅子に立つと、「とう!」とベッドにジャンプする。器用に宙で一回転して僕の隣に座った。
なんて無意味な行動だ。部屋から出ないでよくその技術を得たな。
乱れた髪を手で直しながら僕の買ってきた本を手に取った。
「ん〜なになに……Xの悲劇と不連続殺人事件、ね。作者くらい統一してやー」
「はいはい。そりゃ悪かったな」
うなあーと唸り、僕の腿の上に頭を乗っける。
僕は嘆息してからみちるの髪を撫で始める。
「前髪が長いな。髪、切ってやるか?」
「いやん。めんどっちい」
「そっか……なら、今度来る時にはヘアピンでも買ってきてやるよ。何色がいい?」
「じゃあ黒」
「本当に黒が好きだな」
「姫乃の次だけどね!」
「——そうか……」
例えば、僕に欠陥があったとしよう。
酷く滑稽で露骨で、その上救いようのない欠陥だ。側から見れば微笑ましいそれも、自分から見てみると人生の障害とも成り得るだろう。
誰もが一度は思ったことがあるはずだ。
自分は他人にとって、まるで必要のないモノだ——と。自分にとって他人というのは、本当に障害でしかないモノだ——と。
しかし、
そんな精神の内側に入り込めた人間が居たとしたのなら。
僕はきっと、依存するだろう。
確かな未来。
見るまでもなく、みえている。
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