第3話 意思
目覚めると、そこは見知らぬ喫茶店だった。
「……? ……。………………?」
一度冷静になろう。えっと……どうして喫茶店のソファーに寝ているんだっけ?
……ダメだ。寝起きで頭が働かない。
体を起こし、店内を見回す。レトロな雰囲気だ。そこまで広くもなく、落ち着いた時間が過ごせそうという感想。
カウンターで作業をしている、ガタイのいい二十代後半ほどのお兄さんと目があった。
「よお。やっと起きたか」
不敵な笑みだった。
よく見ると、右頬に斬り傷があったりする。明らかにヤバイ人じゃん……。
普通の人だったら状況確認からだろうけど、僕はそんなことをする気はさらさらない。
ここで言うべきことは……
「ありがとうございました」
出口へ向かう為、カウンターの横を歩くと、何かに躓いて情けないことに転んでしまった。
振り返ってみると、白杖を握った小柄な少女がカウンター席に座っていた。灰色のボブカットのこの娘と目が合うことはない。
僕が文句を言ってやろうとした時、少女は白杖を立てかけ、正面を見たままで言った。
「忘れてる」
そして、目の前のお兄さんを指差す。彼が笑顔で持ち上げたのは僕のカバンだ。
それぐらい口頭で教えてくれてもいいじゃん……。
「それはどうも……」
立ち上がり、渋々礼を言う僕。
お兄さんは、やはり笑顔のままで言った。
「少し付き合ってもらうぜ。お兄ちゃん。そうしたらコレは返すよ」
言っている意味がわからない。首を傾げると、奥のスタッフルームから見覚えのある人物が現れる。
「やっほー」
僕に向かって、彼女は手を振った。
そっか……おかげで思い出せた。どうしてこの人たちが事情聴取をしたがるのかは分からないけれど、これは付き合う以外になさそうだ。
×
僕が諦めてカウンター席に座ろうとすると、「ちょっと待った」とお兄さんが言う。
「そいつの隣はやめとけ」
「……? はい」
一つ席を挟んだところに座り、左隣には僕の命の恩人が座った。
「私は
「はあ、そうですか。いい名前ですね」
漢字なんてどうでもいいだろ、なんて言える訳なかった。
「僕は藍歌姫乃です。適当に漢字変換してください。多分、それであってます」
「ふーん。ふんふん、姫乃くんね。あんまりしっくりこない名前だ」
「自覚してますよ」
けらけらと笑う東条さん。多分、命の恩人じゃなければ眼を合わせて話すことすらしないだろうな、と思った。
「それで。一体何を質問しようと?」
「ああ、それはな」
答えたのは光野さんだった。
「お前さんがどうして殺されそうになったか。その理由を聞きてえのさ」
きっと、この人たちは警察ではない。僕からすれば、僕を殺そうとした少女には及ばないが、この人たちも十分に不審者している。
「そもそも、あなたたちは誰なんですか? 探偵か何かですか?」
「はは! 探偵か。カッコいいな、それ」
「うんうん。なんか響きいいね」
盛り上がる光野さんと東条さん。一方で右側に居る少女はつまらなそうに飲み物を口にしていた。
「俺たちゃそんな存在じゃねえ。客が店を選ぶって構図そのものが逆だと言っても過言じゃねえからな」
「光野さんの発言は無視していいよ。私たちも何言ってるか全然分からないから」
「そうさせてもらいます」
光野さんは困惑したように頭を掻く。
「まあ、なんだ……。とりあえず、正義の味方って思っとけ。踏み込むのも踏込まれるのも、お前さんはどうやら好きじゃねえみたいだしなぁ?」
「まるで心を覗かれている気分です。もう十分踏込まれている気がするのは勘違いですか?」
「細えことはいいんだよ。とっとと答えてくれりゃあ、お前さんも早くここを出られるぜ」
違いない。
頷いて、僕は腕を組んだ。
「殺される理由、ですか。まるで心当たりがありませんね。そういうイザコザが嫌であんまり人と関わらないようにしてますし……。あの女の子が快楽殺人者だとしか。彼女の目に留まった人が、偶然にも僕だった。それだけのことだと思いますけど」
「うーん」東条さんは納得していないようだった。「そういう考え方もまあ、できるかもなんだけどね」
「どんな些細なことでもいい。『関係ないかもしれない』ってことも、話してくれ」
言われて思い出す。
関係あるかどうかはさておいて、異常なことがあったじゃないか。それは——
「——そう言えば、未来を視ました」
「……………………………………………………」
「……………………………………………………」
「……………………………………………………」
「……え?」
僕以外にここには三人しか居ない。その三人が黙り込むものだから、異様な静寂が訪れた。
まずい? ひょっとして、急いで逃げた方がよかったりするのか?
「おい、色奈。今回は大失敗だな。まさか《魔眼コレクター》をむざむざ逃すなんてよ」
「そうだね……。普通に人間関係のトラブルかと思ったら……まさか……」
「あの、どういうことですか?」
僕が訊ねると、東条さんは眼を逸らして言った。
「君との縁は、まだ切れそうにないってこと」
×
「君には、魔術師の素質がある」
東条さんは言った。
曰く、この世には《魔術》の素質を持つ人間と、それ以外の人間がいるらしい。
あまりにも聞き慣れない単語が出てきたものだから、僕は少しばかり困惑した。
「そう困惑するようなことでもねえさ。言っちまえば、魔術は科学の劣化版みたいなものだ。結果を求めるための過程が異なる程度の差だよ」
「……でも、僕は魔術師なんかじゃあないですよ。家系図を見たことがあるんですけど、そんな人は……」
「自然魔力に適応した結果かな」
はっはっは、と軽快に笑う光野さん。僕としては肩を落とさざるを得ないのだが、そんな人を見て笑えるのか。
なんともまあ……幸せな人だな。
「少し疑問があります。魔術師の存在がこの世で普通って言うなら、周囲の人がそれを認知していないのはどうしてですか?」
「神秘に縁のない奴らに魔術なんて見せちまったら、それはありとあらゆる方面から敵を呼ぶことになるからな」
どうやらその辺りの事情は複雑なようだった。これ以上質問すると、僕の小さな脳味噌は悲鳴をあげかねない。
少し整理しようと沈黙すると、今度は東条さんが言った。
「私たちはね、悪い魔術師たちを倒す組織なんだ」
可愛らしい言い方だが、その意味はどうも異様に思えた。
「『目には目を』ってやつですか?」
「そう。魔術師には——魔術師を。魔術師退治の専門家? みたいな。まあ、お金さえ積んでくれたら犬の散歩でもするんだけどね」
「守備範囲が広いですね……」
「公的機関なんかじゃあ頼りにならねえって言う奴らが大抵依頼に来るのさ。まあ、それも無理のない話だがな。あいつらは魔術師じゃねえわけだし」
まるで創作に出てきそうな組織だ。警察が頼るなんでも知ってる情報屋みたいな。「本当にいるの、そんな奴」と思ってしまう。
住んでいる世界が違うから、だろうか。まあ、人ってのは自身で見たもの以外は信じられないものだし、仕方ないだろう。
「組織、か……。それにしても、少し人数が少ないと思いますけど……」
三人でなんとかなるものなのだろうか、魔術師退治というものは。
「いや、あと三人いるんだけどな。今は出張中みたいなもん」
光野さんの説明に、僕は「へえ」と声を漏らす。これは別の意味で守備範囲が広いな、と思った。ただの怪しい集団というわけでもないらしい。
「ねえ、姫野くん」東条さんは綺麗な碧眼を真っ直ぐに向けて言う。「目玉をくり抜かれて殺されるって事件、知ってるでしょ?」
「……? 知りませんけど」
東条さんは「まじ?」と間を置いて反応する。
「テレビとかニュースとか確認しないスタイルなの?」
「あー……僕の家にはソファーくらいしかありませんから。携帯もあくまで連絡する為に持ってるだけですし」
「もぅ。ちゃんと現代っ子しなさい」
そこまで言われる覚えはない。
「被害者の遺族の情報なんだけどね。どうやら、
「魔眼……?」
「特殊な神秘を宿す瞳。何かの成功、或いは失敗で会得することのできる不思議な力。大抵は偶然で発現するモノなんだよ。君のようにね」
「…………」
なんだろう……なんとなく、話の展開が予想できる。
「《魔眼コレクター》はその魔眼を得る為に人を殺しているの。そいつらの捕獲を、私たちはとある人から依頼されてね」
たしかあの少女は『良い眼を持つお兄さん』と言っていたか。なるほど、ならば彼女が僕を殺そうとしたことにも頷ける。理不尽極まりないけれど。
……で。
魔術師退治の専門家である東条さんがこれから何を言い出すのか、予想できない人は少ないだろう。……未来が見えていなくても、予想することなら、誰にでもできる。
「お願い!」
東条さんは体をこちらに向け、胸のあたりで手を合わせる。
「奴らを捕まえたいの。協力して!」
「………………………………」
命の恩人に頭を下げられると、どうも断る勇気が湧いてこない。
多分、囮にしたいってことなんだろうな……。怖い。怖すぎるだろ。でも、だからって断れるモノでもないし。次の被害者が出てしまうかもだし……。
——いや。どうして僕が他人の心配をしなくちゃならないんだ。
もっと鮮明で明確な自分自身の為の理由があったら……。
「……。……、分かりました。いいですよ、別に。どうせ東条さんに救われた命ですからね」
「……わお」
目を丸くする東条さん。
「……?」
「光野さん。読心術はもう得意じゃなくなったの?」
その問いかけに、光野さんは肩を竦めて反応する。
「コイツが珍しい野郎ってだけさ」
二人は笑顔だった。それに対し、僕と、ついでにボブカットの少女は無表情。
別に、僕は珍しい奴なんかじゃない。
魔眼コレクターという人がいる限り、僕がまたいつ危険な目に遭うかわからない。だから、保身の為に協力する……それだけだ。
それだけの——ことなのだ。
×
喫茶店は都心部においても比較的目立たない細路地の場所にあった。古風な見た目の二階建ての一軒家だ。看板すらないので本当に「知る人ぞ知る」といった雰囲気。
地下鉄を使って帰宅。錆びた階段を使って二階に行き部屋に入る。リュックを放り投げ、なにも考えずにソファーにダイブ。
「…………はあ」
なんだか久しぶりに喋りすぎた気がする。しかも内容が飛び抜けているものだから無駄に疲れた。
──光野さんは魔術の例として、紙とペンを用意した。そして何やら文字を書き、ライターほどの火を出現させた。思わず『すごいですね』と言った僕に対し、光野さんはつまらなそうにして言った。
『何がだ? 火を出現されるなんて、今じゃあライターを使えば親指だけでできるんだぜ。お前さんが“すごい”と感じた理由は、単に見慣れない手順だったからってだけだ。魔術なんてこんなもんさ』
この言葉には納得させられた。
火が起こるという結果そのものだけを求めるのならば、たしかに文字を書いたりするんじゃなくて、ライターやマッチを使えば済む話だ。
『まあ、知識と技術の使い方によっちゃあ、現代を大きく上回る現象も起こせるだろうけどな』
そのストッパーとして機能しているのが彼ら……か。
「…………普通のこと、なのか。魔術ってのは」
だとしたら。
それが本当に正しいのだとしたら。
僕の眼が『未来を視る』ことも、普通なのだろうか。
それとも——。
「………………寝る」
まだ六時だけど、どうでもいいや。生活リズムなんて僕にはないようなものだし。
ああ、そういえばあいつの暇つぶしアイテムを買い忘れた。……まあ仕方ないか。殺されそうになったと言えば、きっとあいつも文句を言うことはないだろう。
さて。
今日は一体どんな夢を見るのだろう。
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