【短編】楓さんは自堕落に過ごしたい。

白ゐ眠子

自堕落のために努力しすぎて気を抜いたら好きな人が釣れた。


 ここは私立甘尼高校生徒会執行部の一室。

 生徒会長の座る上座の椅子にて、気持ちよさげに惰眠を貪る容姿端麗な美少女がいた。


「会長、会長、起きて下さいよ!」

「ムニャムニャ」


 周囲では困り顔の生徒会員達が彼女を目覚めさせようと躍起になっていた。

 何度も目覚めさせようと努力する副会長。


「ダメだ、起きない」


 しかしどれだけ目覚めさせようと努力しても目覚める気配すら無かった。

 会計はうずたかく積み上げられた書類を見つめて溜息を吐く。


「どうすんのよ、この書類の山? 引き継ぎ書類の決裁を終えないと、新生徒会に引き継げなくなるよ?」


 書記は右頬に手を当て、上品に首を傾げる。


「会長って一度でもスイッチを切ると普段の姿が嘘なんじゃないかって姿に変わりますよね」

「これが本来の姿なんだろうけど困ったわね」


 副会長は同意の首肯を行って再度溜息を吐いた。

 会計は困り顔のまま携帯を取り出す。


「佐藤先生も何処か行って連絡が取れないし、私達だけじゃ無理だよ、これ? 何とか会長には起きてもらわないと」


 携帯は不通。電源が入っていませんだった。

 副会長は彼女の背後からあの手この手で、


「でもさ。こうなると胸を揉もうが、お尻を撫でようが、絶対に起きないよね、会長って?」


 起こそうと努力したが最後は無意味と悟る。

 書記も机の下からスカートの中へと冷たい風を送っていたが、彼女の反応は無かった。


「どうしましょう?」

「「これは、お手上げね」」


 副会長と会計は親友だからこそ知る彼女の特徴として諦めたようだ。

 すると、その直後、


「!!」


 生徒会長が顔を真っ赤に染めてガバッと顔を上げた。

 口元の涎はそのままだが、過去に例の無い恥ずかしげな気配を漂わせ、キョロキョロと周囲を見回す彼女だった。

 生徒会長の唐突な挙動に生徒会員達は呆然と固まる。

 だが、いつもの事なのか自分から起きてくれた事に安堵の表情を浮かべた副会長は、真っ赤な顔で呆然となる生徒会長へと話しかけた。


「お目覚めですか、会長」

「え? えぇ、ごきげんよう」

「ご機嫌なのは会長だけですけどね。それよりも書類の決裁が終わってないのに、寝るってどうなんですかね? 生徒会長の交替が近いからって少々緩みすぎなんじゃないですか?」


 副会長は凄みのある笑顔で微笑みながら書類束を見るよう促した。

 生徒会長は頬をヒクつかせて視線を泳がせ、


「え、えっと、あの、その、てへ!」


 先ほどの醜態を忘れているのか苦笑した。



 ◇ ◆ ◇



 私の名前は格椰いたやかえで

 私立甘尼高校の生徒会長を務める十八歳。

 容姿端麗で成績優秀、運動神経も抜群の文武両道を地でいく、お嬢様と呼ばれている。


「はぁ〜(今日もやってしまった…)」


 実家の家業が大企業の御令嬢と噂される私。


「はぁ〜(期待されると応えてしまう性分が辛いわ…)」


 大学進学を決めて、あと少しで生徒会長という職務もお役御免となる、噂の一人歩きに困っている、奨学金で通う一般生徒の一人である。


「はぁ〜(そのくせ、気を抜くと抜けすぎてしまうのが玉にきずだよね…)」


 私は溜息を吐きながら誰も居ない通学路を一人で歩く。吐きたくなくても吐きたくなる自分の性分が憎い。


「はぁ〜(今日は特に抜けすぎていたよね。夢だと思ったら夢ではなくて会話して)あぅぅ」


 溜息を吐いていたと思ったら、身体中が一瞬で赤く火照り、顔も染まってしまった。

 真冬に近いのにマフラーが不要になるほど身体が熱くなってしまった。

 書類決裁で全て忘れたと思っていたが、どうあっても忘れられないらしい。


「イケメン、絶対見た。責任、取ってもらう」


 それは昼間に見た謎の夢。

 昼食後に気が抜けて生徒会室でそのまま寝入った私が見たどうしようもない白昼夢だった。



 ◇ ◆ ◇



 俺の名は佐藤さとうかじ

 私立甘尼高校で教鞭を執っている非常勤講師である。歳は、まぁ、オッサンだから聞くな。

 容姿は何処にでも居る眼鏡姿のオッサンだ。

 この日の俺は、午前中から校内で見つけた隠れ家へと潜み、ゴソゴソとある事をしていた。


「いや〜。理事長ってば大変粋な離れをお持ちですなぁ。って、言ってないとやってられるかぁ! 俺はただの非常勤講師だぞ! 何で…」


 否、理事長に命じられて、離れに呼び出されて食事を作っている。俺の昼飯は無いの?


「文句は正規雇用になってから言うんだな!」

「うっす」


 理事長は俺の、父親だ。

 かつての俺は家を継ぐつもりがなく、教員免許は取ったものの、アホらしくて実家を出奔。

 有名料亭で板前の修行を行い、ようやく一人前の板前と呼ばれるまでになったのだ。

 そして自分の店を持つという段になって、婚約者でもあった彼女に開業資金を全て持ち逃げされて、路頭に迷う事になってしまったのだ。


「はぁ〜(女は油断ならねぇ。あれは結婚詐欺だったんだな。警察に届けたら常習者って)」


 食うに困った俺は致し方なく、実家が経営する学校の採用試験に臨む事になった。

 

『どの面下げて戻ってきた?』


 書類選考までは通したくせに、面接の段になってニヤけた面で文句を言ってきたクソ親父の言葉だけは今でも耳に残る。

 それでも厳しい板前の世界で生き延びた経験を買われ、非常勤講師兼任で離れ専属の板前をやらされる羽目となった。


「まぁ給与は非常勤より良いからいいけど」


 文句を言う前に仕事しろっと睨まれたので俺は黙々と料理を作る。今回、呼ばれたのは理事長主催の会食だそうで、どうしても寄付してもらいたい相手へと、媚びを売る予定らしい。


「…(それで息子の作った飯で釣るってか)」


 お相手がどのような人物かはさておき願われた以上は作るだけですよ。俺は!

 ともあれ、予定していた料理を全て作り終えると、丁度昼休憩も半ばとなった。

 自分が食べる分のまかないを作って離れの裏手に移動する。


「賄いだけが唯一の楽しみになったな」


 本日の賄いは余り物だけで作った海鮮丼だ。

 しかも大盛りで棄てる食材のみで作った。

 食材を廃棄するにも処理費がかかるしな。

 全て食べてしまった方が無駄にならない。


「寒空で海鮮丼を食べるのって漁船で食べて以来になるかね。あの時よりは寒くはないが…」


 移動した先には屋根付きの、人が一人で横になれるベンチがあって、昼食を食べるには丁度良い場所でもあったのだ。

 だが、本日は先約が居たらしい。

 らしい、らしい? 裸しい?


「はぁ?」


 俺の目の前には一糸まとわぬ女の子が居た。

 寒空の中、曇天の下、艶のある長い黒髪と白い肌の目立つ女の子が目の前に居たのだ。


「おっと、あっぶな」


 危うく盆を落としそうになった俺は何とかそれを回避して左手で目元を擦る。


「ち、痴女?」


 この位置から女の子の顔は分からないが円錐型の張りのある巨乳を上下させ、気持ち良さげに寝息を立てている。骨盤が大きいのか真横から見ても腰の細さが十分過ぎるほど分かった。


「こ、ここって関係者以外立入禁止だよな?」


 俺は呆然としたまま周囲を見回す。

 誰かが入った形跡はないのに痴女が居る。

 俺は携帯を取り出して思案する。


「と、とりあえず、通報か? いや、通報したら親父に怒鳴られるな。問題を起こしたとか言って、最悪解雇される」


 解雇だけならまだ良いが、このまま勘当となったら目も当てられない。特に今日だけは親父にとって重要なお相手が近くに居るのだから。


「さ、騒ぎだけは避けないと」


 呆然と佇む俺は盆を厨房内へと戻す。

 ベンチに近づき、痴女の顔を覗き込む。

 黒髪の前髪は横一線に切り揃えられている。

 目元は切れ長で、キツい印象がある。

 鼻筋は通っているが、口元は緩んでいる。


「こ、この顔、何処かで見た覚えがある?」


 だらしなく口元が緩んでいなければ、一人だけだが思い当たる人物はいる。だが、このような痴態を起こすような人物ではないはずだ。


「他人の空似か? いや、目元の泣きぼくろ」


 俺は視線を顔から胸、胸から腹へと動かす。

 ついつい観察してしまうのは俺の悪い癖によるものだ。無意識に人を見てしまうんだよな。


「つか、なんで透けてんだ?」


 これも幼い頃に身につけた、処世術による悪癖なのだが。腹から視線を戻すと目が合った。


「「あっ」」


 痴女は眠そうな表情のまま目が泳いでいる。

 ここで眼福と思うと職業倫理に反するのでグッと堪えた俺だった。場合によっては犯罪だ。

 片や裸のまま私有地の一角に不法侵入した。

 片や関係者だが未成年と思しき痴女を見る。

 この件で勝負すると俺が一方的に負ける。

 俺はバツの悪い顔のまま注意する。


「ここは関係者以外は立入禁止だぞ」

「ふぇ?」


 注意したにも関わらず首を傾げる痴女。


(まだ寝ぼけてやがるのか?)


 俺は仕方なく卒業生として助言する。


「どうせ寝るなら、鍵の壊れた北棟の屋上に行け。そこなら誰にも気づかれる事なく、その姿のまま寝られるから」

「そ、その姿とは?」


 俺の助言を受けた痴女はきょとんとしたまま問いかけてきた。


(この感じ、己が状況が読めていないのか?)


 俺は心配になり上着を脱ぎつつ差し出した。

 時期は秋過ぎ去りし寒さの引き立つ季節だ。

 そのままの姿で寝るのは風邪を引くだろう。


「お前、大丈夫か? 必要ならこれ着て帰れ」

「え? 大丈夫とは? 帰れって? 何処に」

「は、裸で寝て、大丈夫なのかって言ってる」

「はい?」


 きょとんの痴女は困り顔の俺から胸へと視線を移動させる。

 すると白い肌が一瞬で赤く染まり、


「!!」


 俺が瞬きしたと同時に消え去った。


「は?」


 ベンチには髪一本も落ちておらず、先ほどまでやりとりしていた痴女は忽然と姿を消した。


「な、何だったんだ?」


 すると背後から野太い声がかかる。


「何一人でブツブツと呟いている。さっさと賄い食って食器を洗え馬鹿たれが! お前は午後の授業をふっ飛ばす気か!?」


 声の主は一部始終を見たと思われる親父だ。

 俺は青白い顔のまま振り返り、


「み、見た?」


 親父に問いかける。

 親父は憤然とした表情に変わり、怒鳴った。


「見たのはお前のバカ面と馬鹿げた独り言だけだ! 死んだバカ妻のような行いはするな!」


 言うだけ言って、勝手口から中へと入った。

 オカンをバカ妻というのは、まぁ分かる。

 子供ながらに、バカっぽいと思っていたし。

 オカンはおかしな言葉を頻繁に発していた。

 頭も良くて飛び級で大学を卒業するような才女ではあったが、学業以外では天然というか電波というか、不可思議な場所で謎の会話を行う人物でもあった。最後は俺の見ている目の前で道路に飛び出して大型トラックに跳ねられた。

 親父の言う行いとは、子供を放置して自殺したバカ妻のようになるなと言いたいのだろう。

 俺は勝手口へと消えていった親父に対し、


「分かってるよ。それくらい」


 聞かれる事のない文句を発した。

 その後は賄いを持ってきて大急ぎで食べた。


(あれは一体、何だったんだ?)


 白昼夢? 否、会話は成立していたから。


(俺、疲れてるのかな?)


 最終的に目の錯覚と思う事にした俺だった。

 だが、この日の午後、


「私の方で勝手に面談しておいた。先方も事前に手渡しておいた履歴書とお前の料理にいたく感激しておいでだった。だから本日より非常勤講師と離れの板前、加えて住み込みで板前になってもらうから実家から掻き集めた大荷物を持って先方の小料理屋に向かうように。以上だ」

「はへぇ?」


 父親から一方的に告げられ実家から追い出された俺だった。弟に追い出せと言われたのか。



 ◇ ◆ ◇



 帰宅した私は店の裏手から二階に上がる。

 私の家は母が小料理屋をやっている。

 やっているだけで家を継げとは言われていない。だって、私って料理だけは出来ないもの。

 中三の時、思い立ったが吉日で料理して、


『二度と厨房に立たないで!』


 母に叱られた事を今でも覚えている。

 その日は店が開けられないほど厨房をボロボロにしたのよね。食材を無駄にしたり鍋を焦がしたり。洗い物の片付けが必要になって、数日間もの間、店休日にさせてしまったのだ。

 小遣いもその日より減額され、私立への進学が決まった状況下で、公立高校を再受験しろと言い渡されそうになった。


(まぁそれでも進学したのだけど)


 自室に入って制服を雑に脱ぎ捨てる。

 下着姿になった私はベッドへと飛び込んだ。


「今日も疲れたぁ。このまま寝たい…」


 しかし、汗臭いまま寝ると母に怒られてしまうので、Tシャツを持って、お風呂に向かう。

 コンタクトレンズを外して洗浄液に浸ける。

 下着を籠に脱ぎ捨ててシャワーの前に座る。


「洗うのめんどい。でも洗わないと怒られる」


 ブツブツ言いつつだらけたい気持ちを抑える私は何とか身体を洗い終え、湯船に浸かった。

 湯船は母が入ったあとなのか少し温かった。


「飲食店だから清潔が大事、か」


 清潔が大事だからって、お風呂を嫌う子供にまで押しつけるのは、どうかと思うけどね。


「女の子なのに自堕落でどうするの、かぁ」


 そう言って何度も叱られている。

 大学進学も叶ったが、自堕落な生活をすると思われて、自宅通学になってしまったしね。

 単位を落とさない範囲で自堕落生活が出来ると思っていたのに、母の監視は続くらしい。

 ほどよく身体が温まった私は湯船を出て、


「賄いだけ食べて、予習して、寝よう」


 風呂場から脱衣所へと移動して、身体の水滴をバスタオルで全て拭う。そして換えのTシャツだけを羽織って、雑に髪を乾かす私だった。

 自宅で過ごす時はブラとパンツは着けない。

 Tシャツまたはジャージだけで過ごすのだ。

 一応、生理の時だけはパンツを穿くけどね。


「髪を纏めて、賄いもらいに降りないと」


 私はそのままの格好で階段を降りる。

 すると、階段下を母と誰かが通過した。


「ほ、本日からよろしくお願いします」

「いえいえ、私も助かります。今日の昼食も大変美味でしたし」

「そう言っていただくと板前冥利に尽きます」

「ふふっ、今後が楽しみですね」


 母と誰かはそのまま厨房へと向かっていく。

 その際に、


「あっ」


 誰かの視線がこちらに向いた。

 驚きの声音は聞き覚えのある男性の声。

 格好は板前の白衣姿だった。

 私は目を凝らし母の背後の誰かを見つめる。

 輪郭は何処かで見た事のある容姿だった。

 顔立ちはぼやけているから何とも言えないが梁に頭をぶつけそうな長身である事は分かる。

 すると母が私に気づき背後に般若を背負う。


「楓! あんたはなんて格好してるのよ!」

「なんて格好って、お、お風呂上がりだから」


 私は怯えながら階段に座る。


「それなら下着くらいは穿きなさい!」

「穿きなさいって、いつもは怒らないじゃん」

「いつもと今日は違うでしょ。今日は新しい板さんが入るからって伝えていたのに、もう!」


 そこで私は今朝のやりとりを思い出す。


「あっ、忘れてたぁ〜」


 思い出して慌てて二階に上がった私だった。

 自室に戻ってパンツを穿いてブラを着けて。

 普段は着ない、おしゃれ着を羽織る。

 化粧はしないまでも、髪だけは梳いた。

 コンタクトは着けず、眼鏡を着ける。


「み、見られたって事だよね」


 昼間の白昼夢はカウントしてよいか分からないが私は一日で二人の人に見られてしまった。

 混乱したままの私は自分の顔を鏡で見る。

 鏡越しに顔を見ても真っ赤だと分かる。


「ど、どうしよう」


 今朝、母は言っていた。

 今晩からは女二人の生活ではなくなると。


「今日の試食結果次第では訪れると」


 住み込みの板さんが入るからだらけるなと。

 ここ最近は客入りが多くて母一人では賄えなくなったから、裏で働く人を雇う事になった。

 そして別れた父の友から紹介されたという。

 その方は実家から出なくてはならない方で、


「御年三十五歳の格好いい男性だとか言ってたっけ。母が珍しくキャッキャ言ってた、あの」


 本業が別にあるので、夕方からしか仕事が出来ない条件のある方だった。

 その方が私の目先で視線をそらしていた。


「こ、ここで離職なんてされたら、私の自堕落生活が矯正される! それだけは避けないと!」


 身支度を終えた私は階段を降りて厨房前に向かう。


「母さん。ごめんなさい」

「着替えてきたのね。さぁ、自己紹介して」


 そして母に言われるがまま自己紹介した。


「は、初めまして」



 ◇ ◆ ◇



 女将さんに案内をしてもらっていると、


「母さん。ごめんなさい」

「着替えてきたのね。さぁ、自己紹介して」


 俺の目の前に、我が校の生徒会長が現れた。

 正確に言えば任期を終える前の生徒会長だ。

 地元の有名大学に推薦合格し、大企業の御令嬢と噂されている、見目麗しい生徒会長が…。


(え? まさか、先ほどの、自堕落女子が?)


 彼女は俺との面識があるはずなのだが、初対面とでも言うような反応を示して、


「は、初めまして」


 何故か、お辞儀した。

 一年間も近くて見ていたはずなんだが。

 一応でも生徒会顧問なんだけどなぁ、俺?


(ああ、普段は眼鏡と髪を下ろしていたわ)


 俺は反応に困りながらも彼女に問いかけた。


「初めまして? 生徒会長、目は大丈夫か?」

「え?」


 俺の問いにきょとんと顔を上げる生徒会長。


(これはこれでスーパーレアな反応だな)


 校内ではキリッとしていて、少々冷たい印象のある令嬢と見られているからな、この子は。

 すると驚いた顔の女将さんが問うてきた。


「あら? 娘と面識があったのですか?」

「ま、まぁ、一応、生徒会顧問でもあるので」


 親父の野郎、校内での俺の立場を女将さんに伝えていなかったらしい。校内で一番暇しているから生徒会顧問でもやっていろと一番忙しい仕事をあてがってきたからな。女将さんもそうだが生徒会長は目を丸くして、俺を見つめる。

 両頬は赤く染まり、微妙に引きつっていた。


「こ、顧問? さ、佐藤先生?」

「ふむ。目は大丈夫そうだな?」


 俺はそのまま生徒会長の顔を覗き込む。

 そのうえで額に手を当てて心配してやった。

 先ほどは薄暗い中で何か見た気もするが。


「あまり薄着で出回るなよ。風邪引くと辛いのはお前だからな?」


 直後、生徒会長は真っ赤に染まり、


「きゅう」


 その場で腰を抜かせてしまった。


(熱が急に上がった?)


 女将さんは生徒会長に駆け寄り様子を見る。


「あらあら。湯冷めかしら? 櫂さん、早速だけど、この子の部屋まで連れて行ってもらえないかしら? 私はほら、下拵えがあるし」


 そして男手としてお願いされた俺だった。


「そうですね。分かりました」


 俺は白衣の上だけ脱いで、Tシャツだけとなり、座り込む生徒会長を背負った。


(重いと思ったが軽い)


 その瞬間、


「だ、大丈夫、です、から」


 声が頭上から響いた。

 俺は生徒会長を背負いつつ頭上を見ると一糸まとわぬ生徒会長が真っ赤な顔で漂っていた。

 女将さんは気づいておらず厨房に向かう。


(一体、どういう現象なんだこれ? こちらには息がある生徒会長が居て、こちらには恥ずかしい見た目の生徒会長が、頭上で睨んでる?)


 俺は呆然としたままその正体から察した。

 見覚えのある尖った胸、細い腰、大きな尻。


(そういえば昼間の痴女は透けていたような)


 俺は昼間を思い出し、小声で叫んだ。


「あ、昼間の痴女!」

「痴女って言わないで下さい! つい油断すると抜け出てしまうんですよ、私は」

「抜け出てしまう? まさか、幽体離脱的な」

「まさかも何も、そうですが?」


 あり得ない事だが、目の前で起きた不可思議な現象に、俺は開いた口が塞がらないでいた。


「それと直視したので責任取って下さいね?」

「はい?」


 責任とはどういう意味の責任なのだろう?



 ◇ ◆ ◇



 出て行ってもらいたくない心情のまま小綺麗に身支度して厨房へと降りたのだが、そこに居た板さんが私の良く知る人物だったとは。

 私は呆然と、板さんの名字と敬称を呼ぶ。


「こ、顧問? さ、佐藤先生?」


 私の目前には大好きな先生が居たのだ。

 初恋では無いと思うんだけど、生徒会での仕事であれこれ手伝ってもらう内に、惚れちゃったんだよね、私が。

 教師と生徒の禁断の恋というのは少しベタだけど、ガツガツしたクラスメイトの男子とか後輩男子に比べると、大人だと思えたから。


(以前、ちらっと見た素顔じゃん! やばい、格好いい…)


 すると先生は心配そうに私へと近づき、


「ふむ。目は大丈夫そうだな?」


 私の顔を覗き込んだ。


(ち、近い)


 心臓がドキドキと脈打ち、先生の左手が額に触れる。先生は心配した素振りで私を叱った。


「あまり薄着で出回るなよ。風邪引くと辛いのはお前だからな?」


 それは先ほど私が晒してしまった件だろう。


(やっぱり見られてるぅ!?)


 それだけで私の思考は停止した。

 好きな人に見られただけでこれである。


「きゅう」


 そのまま女の子座りで床に座り込んだ。


(今回は別の意味で気が抜けちゃったぁ)


 母は私の様子を見つめながら心配する。


「あらあら。湯冷めかしら? 櫂さん、早速だけど、この子の部屋まで連れて行ってもらえないかしら? 私はほら、下拵えがあるし」

「そうですね。分かりました」


 先生は母さんにお願いされると白衣を脱ぎ驚くほどガッチリした腕と肩と胸板をTシャツ越しで晒し、私を背負って触れさせる。


(あ、胸が、太腿が、先生に触れられてるぅ)


 私はあまりの出来事に混乱し、


「だ、大丈夫、です、から」


 つい、言葉を発してしまった。


(やっちゃったぁ〜。先生と目が合ったし)


 母は気づかないまま厨房へと向かう。

 そもそも見える者しか分からない話だけど。

 先生は私を担いだまま私を見つめ、視線と頭が忙しなく交互に動き回っていた。


(また見た。また? 待って? この顔)


 そこで私は思い出す。

 昼間の白昼夢、そこに居たイケメンの事を。

 すると先生は何を思ったのか小声で叫んだ。


「あ、昼間の痴女!」

「痴女って言わないで下さい! つい油断すると抜け出てしまうんですよ、私は」


 痴女って失礼な。

 好きで裸のまま出入りしてないよ。

 それは母が父と別れる切っ掛けとなった事故だった。父が私に高い高いしながら投げて、受け止められず地面にドサッと落としたのだ。

 その時に私の中の何かが緩んで、油断すると出てしまうようになってしまった。

 成長してもそれは続き、


「抜け出てしまう? まさか、幽体離脱的な」

「まさかも何も、そうですが?」


 あり得ない事だが私も受け入れざるを得なかった。まぁいくら寒かろうがその状態で真冬でも日なたぼっこが出来るから重宝してるけど。

 寝ぼけた時は状況を忘れる弊害もあるが。

 その間の先生は呆然と口を開いたままだ。

 私はこの際だと思いつつ、微笑んだ。


「それと直視したので責任取って下さいね?」

「はい?」


 先生は理解していない反応を示した。


「昼も先ほども今も見ましたよね? 私の裸」

「先ほどのはノーカンでは? 薄暗かったし」


 薄暗くてもやっぱり見てたし!

 言い訳がましく言い逃れる先生に対し、


「見ましたよね?」


 凄みのある笑顔を演じながら問いかけた。


「み、見ました、はい」

「では、卒業したら結婚して下さいね?」

「はぁ?」


 そんな鳩が豆鉄砲食った顔しなくても。

 私はどうせ聞かれる事が無いと思ったので、


「私、先生の事、異性として好きなんで!」


 恥ずかしい格好ではあるが、告白した。

 告白を聞いた先生は一瞬固まり大絶叫した。


「? はぁあぁぁあぁ!?」


 あまり大声出すと母に聞こえるよ?

 今は勝手口から外に出てるからいいけど。


「責任、取ってね?」

「えぇ…」



 ◇ ◆ ◇



 そして卒業後、私は無事に入籍を果たした。


「お前なぁ? あれは針のむしろだったぞ」

「いいんですぅ、先生は私の物ですし!」

「も、物って」


 実は卒業式の答辞でプロポーズしたのだ。


『私も佐藤先生の責任取るので私と結婚して下さい! 夜は楽しませる自信ありますから!』


 卒業生・在校生・教職員・来賓の視線を一斉に浴びた先生は真っ青な顔で即解雇となった。

 意図せず教え子に手を出したと知られた先生は学校から解雇されてしまったが、板前として仕事を続けて、母の店を継ぐ事になった。


「娘の暴走とはいえ、ごめんなさいね?」

「い、いえいえ。俺としても本望ですので」

「そう? そう言ってくれると助かるわ〜」

「頑張ります」

「孫の方も頑張ってね」

「う、うっす」


 私も大学の経済学部に通いつつ佐藤楓と名を変えて、合コンに参加することなく家に帰っては美味しい賄いと自堕落な生活を手に入れた。

 先生が作ってくれる手料理は格別だもの。

 それと先生の愛情も私が全ていただいた。

 その分、先生が自堕落になってしまったが。


「ね、寝たい、休み、たい、腰、痛い」

「それ、昼間の私の台詞じゃん! 腰以外は」

「か、楓の体力が、過ぎる、保たない」

「そう? まぁいいや、私も寝る!」

「ね、寝てくれるなら、たすか、る」



 了



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