第5話 誰にも見られずに①
新村治臣は学校を卒業してからようやく、あれって嫌なことだったんだな、とわかってきたことがいくつかある。
その一つが進路希望調査の「長所」「短所」を書く欄だった。どう頑張っても白い記入欄に、自分のことを分析して書き込むことができずに、頭を抱え込み、ついに枠を塗りつぶして何か出てこないか始めたところで、一枚紙をダメにして、当時の新村は気づいたことがある。
自分は特に長所も短所もない、普通の人間である、ということ。
帯に短し襷に長しという言葉があるとおり、誰かの使い勝手に対して長さや短さが現れる。しかし、着物を着る時にTシャツを持ってきたり、帽子から持ってくるバカに長いも短いもない。ところが新村は着物を着たことがないので帯も襷も分からない役立たずなのである。
学校を卒業してみて、ようやくこの「長所」や「短所」を書かせたかった意味も分かってきた。が、当時の新村には理解ができなかった。役立たず寄りの普通の人間はこの世にいっぱいいる、と新村は信じているが、ひょっとしたら頭のいい普通の人間も沢山いるのかもしれないと思って、未だにびくびくしている。
新村にはあまり人と比べて際立った思い出や、特徴的な経験談はない。最近の日本でのテロや事件、海外の戦争、地震、災害、病気で次々と家族や友達も亡くなってしまうことを思うと、学校時代に友達……知り合いを失くしたことも、普通のことだな、と新村は感じている。
だから、いくつかの記憶は誰とも話さずにしまっておいた。
これらの話は失われて、誰にも聞かれずに消えてしまう。
でも、それは大勢の人にとって、役に立たない。なにか他人にとって便利で、使い物になるような話はない。
それは、普通のことだ。
5月。
高校2年生の5月だ。
新村は東村に声をかけられた。
進路希望調査票を台無しにして、教師に叱られた後に声をかけられたので、新村は戸惑った。大体、新村は部活に入っていなかったし(帰宅部ではなかった。つまり、積極的に部活に入らなかったのではない)、クラスから浮遊していた。こちらからクラスメイトの顔も名前も把握していなかったので、相手がまったく自分を知り尽くしているかのように接してきたのに驚いた。
東村は、文芸部(?)なるものに所属していた。そして、部活勧誘PR誌(?)作成のために、クラスの女子が探している猫捜しを手伝ってくれないか、と頼んできたのだった。
「流山さん、いるだろう」
「……いるね」もちろん新村は知らなかったが、知っているふりをした。
「彼女が猫を探すのに、自分で動画を作ったらしいんだ」
新村はそれを見せられながら、興味なさそうに流し見た。自校の制服を着た人がなにかを訴えて、猫の写真が流れていく……。
「文芸部のいいPR動画を作れそうだと思わないか?」
「……そう、だね」
東村が何を言っているのかは理解しがたかった。(というより、頭が理解を拒否していたので)適当に返事を返していると、話はやがておかしなことに転がり始めた。
「この動画、動物好きの投稿者が見たみたいなんだ」
「へえ」
「それで広めてくれたみたいでね」
「良かったじゃない」
「ところが、その中のやつの一人がどうもおかしい。ほら、そいつ。サムネイル(画像)をよく見てくれ」といって、東村はいちいち指で視線まで押し付けた。そこにはモザイクがかかったサムネイル動画が一部上がっている。
「そう、それ! 変だろう、おかしいだろう。動物好きの振りしてモザイクなんてかけるかなと思って」
「……」
「中を見てみたらびっくりだよ。虐待を許せない、閲覧注意、と称して実態は猫イジメを紹介している動画だったんだ。手法なんかをね」
「……それで?」
「つまり、こいつは行方不明の動物を捕獲して虐待している可能性がある」
東村はそこで言葉を止めた。
新村が聞きたかったのは、その、顔も知らない「流山さん」の行方不明の猫の話を自分に吹っかけてきた理由と、それに関する推理を長々と披露した理由だった。ところがそれらは、最初に知っているふりをしてしまったがために何の説明もなく続けられた。
新村は進路希望調査票を振って、抵抗して見せた。
「ごめん、これ書かないといけないんだけど」
「それいつ提出なの?」
「金曜日……」3日後だった。
「あっそう。じゃあ、猫見つけたら『猫を探すのが得意です』と書けばいい。探偵なんか向いてるよ」
めちゃくちゃなことを言って、東村は話を打ち切る。
この時、なぜ新村についてきてほしかったのか、東村は一切なにも言わなかった。新村の記憶する限り、文芸部に入れとか、そういうのもなかった。猫捜しに猫の手も借りたい、なんてことも言わなかった。
しかし、そういうことはあるんだろう。
結局新村は、『猫を探すのが得意』と書くことはできなかったのだが。
夜は死んでいる @moyo
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