第15話 掲げられる忠誠

 クリスティーナは顔を上げる。

 声を発したのは彼女の後ろに控えていたリオであった。

 彼は騎士の主張を鼻で笑いながら主人の前へ出た。


「手土産のクッキーに毒物を入れて殿下を暗殺? ……ッハ、あまりにも考えが短絡的且つ安直ではありませんか」


 リオは鮮やかな赤の瞳を鋭く光らせ、フェリクスへ跪く騎士を睨みつけた。

 日頃の穏やかな口調は鳴りを潜め、淡々とはしているもののその言葉の端々には怒りが滲み出ている。

 彼は横目でテーブルへ視線を移しながら続ける。


「そちらは街の洋菓子屋から取り寄せたものです。公爵邸へ届けられたのは今朝の事。包装まであちらに委託していますし、手荷物は私達使用人が持ち運びます。クリスティーナ様は殿下へ差し上げる物を選びはしましたがそれに一切触れてはいないのです」

「し、しかし……! 人目のない場所で小細工などいくらでも……!」

「それはクリスティーナ様でなくとも可能でしょう」


 今朝はクリスティーナが起床してから茶会へ出席するまでの間、必ずリオが付き添っていた。

 しかし従者一人の証言など彼女を庇う為の虚言の可能性があると指摘されてしまえばそれまでだ。


 事実、忠義を尽くす従者であれば自身が罪を被ってでも主人を庇おうとする者の存在は歴史上に何人も確認されている。それ程までに従者一人の立場とその証言は軽んじられるものであった。

 それがわからないリオではないはずだ。しかし彼は憤りを隠すこともなく主人の無罪を主張する。


「それに今の時代、自身の貢ぎ物にわざわざ毒物を仕込むなど……その後結ぶ結果がわからない者などおりますでしょうか?」


 そして毒を盛ったという確固たる証拠がない中で真っ先にクリスティーナを疑い、ありもしない罪を口にした騎士へ彼は視線を戻す。

 それは国から認められるほどの戦闘能力を持った皇国騎士が思わず怯むほどの気迫だ。


「こちらにいらっしゃるのはクリスティーナ・レディング公爵令嬢様に在られます。その軽率な発言が全て偽りであった場合の覚悟があって発言していらっしゃるのでしょうか」

「そっ、それは……っ」


 クリスティーナは目を丸くしながら、自身へ注がれる冷たい視線を隠すように前に立つ背中を見つめた。


 一介の使用人が皇族の前でその許可なく発言をすることは勿論不敬に当たる。

 彼は日頃から主人に対し不敬な態度が目立っていたが、それがまさか皇太子を前にしても健在だとは。もはや感服する勢いである。

 

(馬鹿ね……)


 皇太子を前に発言をする不敬さを備えた従者も、彼の考えが読めないとくだらないことに悩み続けていた自分も実に滑稽である。

 先ほどまでの自分は一体何を不安に思っていたというのだろう。

 不安に思っていた気持ちの正体とその要因に気付いたクリスティーナはそんなことを思った。


 彼の忠義は紛れもなく本物だ。

 それは長い付き合いの中で理解していたつもりである。しかしそれでも尚、意図がからない従者の言動を目の当たりにした時、今更ながらに彼の心変わりを懸念し自分に愛想を尽くしたのではと身勝手に気落ちした自分がいたらしい。


 不敬さが目立つという部分を除けば、仕事面に於いて優秀な彼はクリスティーナにとって必要な人材と言えるだろう。

 どうやらそんな彼を失うのは惜しいという考えがクリスティーナの中にはあったらしい。


 しかしそれもどうやら杞憂のようだ。現在の彼の振る舞いを見ればそれは明らかである。

 全く持ってしょうもない不安に時間を費やしてしまったものである。


(けれど、悪くない気持ちだわ)


 自分を信じ、自分の為に尽くそうとする存在がいるのだと再認識するだけで、何故だかクリスティーナの心は軽くなっていく。

 彼が何を考えていようが、どのような理由で主人の予想を越える行いを施しているのかがわからずとも、それが主人に反するものである可能性は一切ないのだろう。それがわかっているだけでクリスティーナにとっては充分であるはずだ。


 そして今自分がすべきことは何か。

 今まで抱えていた悩みが剥がれ落ちていくのと同時に、普段の落ち着きと冷静さが戻ってくるのを感じた。


「――リオ・ヘイデン」


 従者の名を呼ぶ。

 息を吸い込み、感情を押し殺して。


「一体いつ私が発言を許可したのかしら。皇太子殿下の御前でこれ以上私の顔に泥を塗るつもり?」

「クリスティーナ様……! しかし」

「黙りなさい」


 身を呈して発言したリオに対する罪悪はあった。

 しかしここでどれだけ騒ごうが自分に対する措置はそう変わらないことがクリスティーナにはわかっている。


 それどころか、これ以上リオに発言を許してしまえば彼が不敬罪に問われる可能性も高まってしまう。

 故にこの場はこれ以上騒ぎになり場を悪化させるよりも前に丸く収めるべきだと考えたのだ。


 クリスティーナは席を立ち、フェリクスに対し深々と頭を下げる。

 今自分がすべきことは従者を窘めること、そして――


「私の従者の無礼をお許しください、殿下。私は殿下に対し後ろめたいことなど断じてございません。しかしこの場で自身の無罪を証明することが難しいのも事実でございます。……ですから真相が明かされるまでの間の私の処遇は殿下のご判断にお任せ致します」


 ――堂々たる身の潔白の主張だ。


 忠誠を誓う従者が己の体を張ってまで呈した主張をどうして無下にできようか。

 決して受け入れられずとも信頼を寄せてくれる者の主人として相応の振る舞いをしなければならない。

 これは己が身の可愛さから為る主張などでは決してなく、主人の為に言葉を尽くした従者への労いと感謝である。


 リオは未だ物言いたげな顔をしているが、クリスティーナがそれを望んでいないことを悟ると彼女の後ろに下がり、分不相応な己の振る舞いを謝罪すべく主人に続いて頭を下げた。


「……殿下。妹の腹心が無礼を働いたことは事実ですが、私も彼と同じ考えですわ」


 どうしたものかと青い顔を顰めるフェリクスに対し、更にアリシアが口添えをした。

 彼女の発言はクリスティーナにとって意外なものであったがその表情には若干の狼狽えが見えるのみ。何か裏があるわけでも、クリスティーナを疑っているわけでもないようである。


 フェリクスは三名の主張に耳を傾け、目頭を押さえて考え込みながらクリスティーナを見た。


「――クリスティーナ・レディング」


 深くため息を吐き、ゆっくりと瞼が持ち上げられて顕わになった碧眼。動揺で揺らぐその瞳はしかし、疑念も嫌悪もない。ただ真っ直ぐとクリスティーナの姿を映していた。

 まるで何かを悟っているかのような、確信しているかのような顔つき。


「事の収拾がつくまで君を皇宮内にて謹慎とする」


 しかしフェリクスの様子に様々な憶測を立てるよりも先に、彼は重々しくクリスティーナの処遇を告げた。

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