第16話 思案
建国祭七日目の早朝、皇宮の一室で目を覚ましたクリスティーナは深く息を吐いた。
謹慎中の為外出も許されなかったクリスティーナは、この三日間の殆どを最悪の場合の状況を打破する手段を考えるために費やしていた。
これからどうしたものか。真相は明かされるのか、それとも自分が冤罪を被せられることになるのか、万が一そうなった場合どう動くのが最善であるのか……そのようなことを考えていれば眠りの質も当然衰え、疲労も蓄積される。
本当に皇族暗殺を目論んでいたのであれば当然死刑だろうが、今まで自身の悪名に目を瞑ってきたクリスティーナでも流石に冤罪で殺されるのはごめんである。
貴族間での問題であれば裁判が執り行われたのだろうが、皇族と貴族間のいざこざとなると裁判を経ることなく皇族の決定に従って貴族が処罰されることが殆どである。
謁見の間で罪状が言い渡された際に弁明する機会は設けられるはずだがそれは形だけのもの。例え冤罪がその場で露呈したとしても公衆の面前で自身の過ちを認めることになる為、皇族が罪状を覆すことは考えにくい。
皇族のミスは貴族たちの支持率を落とすことに繋がり、皇族へ反発する勢力が強まる恐れがある。皇族は何よりも安定した王政の持続、即ち自分たちの権威を最優先させるはずだ。
更に一度冤罪に掛けられた貴族が仮に無罪放免されたとして、皇族はその負い目から該当の貴族に対し強気な姿勢を貫くことが難しくなることだろう。
以上のことから皇族によって一度言い渡された罪状を覆すことは難しいことが考えられる。
現時点はあくまで謹慎という体だが、それは判決を先延ばしにしているだけに過ぎない。一度謁見の間に呼び出されてこいつは皇太子暗殺を目論んだ犯人だと断言されてしまえば基本的に逃れようはないのだ。
勿論冤罪などということが起こらないよう、皇族も可能な限り慎重に真相を突き止めてから動くのが常であるという前提はある。
皇族が動くということは皇宮に用意された国中の敏腕な技術や豊富な知識を持った人員が動くということであり、事前に慎重な捜査が行われるはず。それを考えれば冤罪が発生すること自体考え難いことではあり、イニティウム皇国の歴史上で皇宮側の判決によって冤罪が出たという事例は一つも存在しないはずだ。
だが、歴史上存在しないという現在の事実が常に当時の事実と同一である保証はない。クリスティーナは皇族に悪い感情を抱いているわけではないが、皇族が常に正しく在る存在であるとは微塵も考えていない。
故にクリスティーナは自身が冤罪を被せられるという皇族が過ちを犯す可能性についても視野に入れるべきだと考えていた。
一方でクリスティーナは未だ数日前の何かに気付いたかのようなフェリクスの様子が気に掛かっていた。もしかしたら皇太子の勘が冴え渡った結果捜査も円滑に進み、真の犯人が見つかってクリスティーナには無罪が言い渡される可能性もあるかもしれない……などとも考えてはいたのだが。
――残念なことにその期待は本日の起床一時間後に打ち砕かれた。
騎士を通じて皇帝と皇太子から謁見の間への呼び出しを言い伝えられたのである。
クリスティーナの部屋近くで話していた皇宮の使用人の話を何度か盗み聞いた所、警備の強化はあったものの祭事事態はほぼ通常通り決行されているという。仮にも皇族が暗殺されかけたというのに祭事が続行されている現状はクリスティーナにとって理解しがたい状況であるわけだが。
何の意図があってかはわからないが、フェリクスは暗殺未遂の件を公にしないことを選択したらしい。
そして建国祭が予定通り進められているということは、皇太子の祭事に関する数多き仕事も通常通り。それに加えて事件の発生によるスケジュールのずれなどが伴い、彼の仕事の予定は不規則且つ激動を極めていることだろう。
皇宮直属の専門家や皇太子の頭脳がいくら冴え渡ろうが、真犯人を捕らえて判決を言い渡すまでを数日で行うということは時間的な問題から不可能なのだ。
つまり現時点で皇帝と皇太子がクリスティーナを呼び出した意図として考えられるのは有罪判決を下す為という説が濃厚ではなかろうか。
それにしたって捜査の切り上げもクリスティーナを有罪にするという判断もいくら何でも早すぎるだろうと異を唱えたくはなるが、消去法でそういった結論にしか至ることができない。
事件の全貌が明らかになったわけではないにも拘らず早急に結論を出そうとしているということは、皇族はこの件について深堀をするよりも上辺だけの早急な解決へ走ったようだ。
故にクリスティーナは自分の身を守るべく出来ることを、呼び出されてから謁見の間へ連れていかれるまでの一時間で考えていた。
従者であるリオは部屋の隅で控えているが、昨日のあの一件から彼は必要以上の発言を控えている。表にはあまり出ていないが珍しく気落ちしている様だ。
身を挺してでも主人の無罪を主張した従者の気持ちに多少なりとも報いる為にも自分にできることは何か。
彼から視線を外しつつクリスティーナは再び考え込む。
(……一応高確率で罰から逃れられる方法はあるにはあるのだけれど)
時に相手が皇族であろうと優位な立ち位置を確保できる程大きなカードをクリスティーナは持っている。
簡単な話だ。皇族の前で自分こそが聖女であると示せばいい。
謁見の間に集うのは何も皇族だけではない。皇族に仕える者や政治で主力を振るう者達が皇族の決定を見届ける為に同席する。
謁見の間で自身が聖女であるという主張をすれば、その言葉は皇族以外の耳にも入るわけである。
すぐ傍に他者の監視がある以上、聖女である可能性を秘めた相手に対し皇族は慎重に動かざる得なくなり、少なくとも即座にクリスティーナの首を落とすという判断はしないはずだ。
そしてこれは皇宮という皇国一警備の厳しい場所で行われた暗殺未遂事件である。結論を急がず状況を整理すれば真犯人を炙ることも難関ではないだろうとクリスティーナは踏んでいる。
聖女として名乗りを上げれば真犯人を見つけるまでの時間稼ぎくらいにはなるし、時間をかければ自身の冤罪が晴れる可能性も大いにあるはずだ。
しかしこれにはいくつかのデメリットも生じる。
まずこの先、自分が聖女としての大きな責務を背負って生きていかなければならなくなる可能性。
歴代の聖女は清く正しく、困っている者を見れば誰であっても手を差し伸べる……そんな存在だ。更に世界で一人しか存在しないという聖女の貴重さは折り紙付き。
故にその身柄は皇宮に隔離されることによって安全を保障されるだろう未来は想像に難くない。今まで以上に自分の行動の自由は制限され、有象無象の民たちへ無償の愛を持って尽くし続けなければならなくなることだろう。
しかし生憎と、クリスティーナはそのような面倒且つ非生産的なことはごめんである。
聖女という存在が一人しか存在できない限り、その手で救える存在には限りがある。顔も知れない誰かの為にその生涯をささげるなどクリスティーナはごめんであった。
自身の手が届く範囲にいる、自分にとってメリットのある存在だけを手中に収めておければそれで充分なのだ。
次にアリシアの立場が危うくなる可能性だ。
聖女を騙ることは大罪であり、清き存在を偽ることは全ての人間を敵に回す行いだ。どのような理由があったとしても許されることではない。
厳密にいえば彼女は一度も自分の口から自身が聖女であるとは告げていないのだが、それと大差ない立ち振る舞いをしている以上、彼女が聖女ではないことが露呈すればお咎めは避けられないし彼女の立場は危ういものへと変わるだろう。
クリスティーナはアリシアに対し苦手意識を持っている反面、家族としての情は少なからず存在している。故に保身の為に家族を売るというのはどうにも気が引けた。
それに加えて昨日の茶会で彼女がクリスティーナを庇うような発言をしたこともクリスティーナが躊躇う要因となっているのかもしれない。
彼女もまた、クリスティーナに対して家族としての情は持ち合わせていたのかもしれない。そんな期待染みた憶測が胸の内に小さく留まっているのだ。
(……頭を抱えるような状態ではあるけど、案外落ち着いているわね)
クリスティーナは一度深呼吸をする。
疑念の眼差しを受けた数日前の動揺は鳴りを潜め、彼女の頭は実に冴えていた。今一度自身の中の優先順位を整理するだけの冷静さは存在している。
死すれば全てが終わり。自身の生存という大前提が成り立ったうえで他の選択は生まれているのだ。
躊躇いはあるが、彼女の中の優先順位が狂う訳ではない。
最悪のケースが自身へ降りかかった時には姉を売ってでもこの身を守ることだろう。
そう結論付けたクリスティーナはそれ以上考えることを辞めた。自分が成すべきことは明確になったからだ。
思考を停止したクリスティーナの様子を見計らったかのように扉がノックされ、騎士が姿を現す。
視線で退室を促す彼らへ歩み寄るが、クリスティーナはその途中でふと振り返ってリオを見た。
「貴方は残りなさい」
「クリスティーナ様、しかし……」
「どの道謁見の時は傍に居られないでしょう。そこで待っていなさい」
「…………畏まりました」
昨日彼の忠義を再確認したからこそ、クリスティーナは彼を連れていくことを拒絶した。
忠義を尽くす相手が冤罪に掛けられ、責め立てられる様を目の当たりにしながらも口を挟むことすらできないという状況は彼にとっても苦だろう。
「では、帰り支度を手配してお待ちしております」
視線を落として暫し考えたリオは顔を上げて微笑んだ。
彼の言葉の意図を理解したクリスティーナは何度か瞬きをした後、その言葉に応えるように薄く微笑んだ。
「ええ、お願いするわ」
彼はクリスティーナのことをこれっぽっちも疑っていない。そして彼女が無罪であることを知っているからこそありもしない罪で裁かれるべきではなく、何事もなく帰宅が許されるべきであり――何も後ろめたさを感じる必要はないのだと暗に伝えているのだ。
リオの言葉に後押しされるようにクリスティーナは彼から背を向けて騎士と共に部屋を出た。
その後姿は凛々しく、自信に満ちている。謁見へ向かう彼女の足取りは堂々たるものであった。
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