第13話 推測不可能な思惑
英雄と謳われる聖女は遥か昔、彼女のもとに就いた七人の従者を引き連れて世界中を混沌へ陥れた魔王を撃ち滅ぼした。
魔王や彼に従った魔族と呼ばれる種族は魔法の基盤となる六属性に属さない悍ましい魔法を扱うことに長けており、それを人は闇魔法と呼んだ。
一方で聖女は世界で唯一闇魔法と対となる強力な魔法――聖魔法の才を言伝と共に神から与えられたという。
聖魔法とは闇魔法同様、六属性に属さない魔法。闇を打ち消す物や味方へ強力な能力を付与する物などがあるとされているものの、伝説やお伽噺の延長として語られてきた為に聖魔法自体の詳細な情報はほとんど存在しない。
しかし聖魔法として中でも後世に根強く語り継がれてきたものが――。
回復魔法。
怪我や病等、人へ大きな害をもたらす要因を短時間で癒すその魔法を扱うことができるのは神からの寵愛を受けた聖女のみと言われている。
(……どういうこと)
クリスティーナは自身の手を見つめる。エリアスの声は聞こえなくなり、自身を支配していた感情も鳴りを潜めていた。
しかし魔法を使った感覚は自身の中に残っており、魔力消費による倦怠感も確かにある。
そして先程までエリアスの体を裂いていた傷はすっかり塞がっており、この短時間でそれを成せるものといえば回復魔法以外には考えられない。
そこまで結論が出ていながら、クリスティーナがそれを簡単に認めることが出来なかったのにはいくつか理由があった。
一つ、神からの寵愛を受けるという聖女は誰よりも清く正しい乙女に神が与える称号だというのが世論であったこと。
悪名高いクリスティーナは、噂までの悪女とはいかずとも自分が聖女と呼ばれるほどに清き人間だとも思っていなかった。
更にもう一つ、聖女はこの世に一人しか存在することが出来ない。
どの時代にも聖女を名乗り、聖魔法を扱うことのできる存在は確認されている様だが同時期に二人以上いたという例がないのだ。
この世に人間が一体どれだけいるというのだろう。そしてその中の一人に該当してしまう確率がどれだけ低いことか。
そんな考えが彼女に混乱を与えていた。
重い沈黙に満ちた場の空気が酷く重い。
しかし他人に気を配ってやれる程今のクリスティーナに余裕はなかった。
その時。
誰かが手を叩く音が周囲の沈黙を破った。
ぱち、ぱち、ぱち。
ゆったりとした拍手を続けるのはクリスティーナの傍にいたリオだ。
「流石でございます。貴女様の清廉潔白な評判は誰もが知る程。魔法の才もあり、それに驕ることなく陰ながら誰よりも努力しておられる。更に躊躇いなく人々へ手を差し伸べることのできる心優しきお方。貴女様ほど聖女と呼ばれるにふさわしい方はいらっしゃらないでしょう」
普段よりも仰々しい物言い。周囲に聞こえるよう敢えて高らかに上げられた声。
目を白黒とさせるクリスティーナを置きざりにリオは視線を横たわるエリアスへ向ける。
否、正確に言えばエリアスの傍にしゃがみ込むクリスティーナ以外の存在へ向けられていた。
「――アリシア様」
クリスティーナはリオの言葉に遅れる形で彼の視線の先を追う。
いつからそうしていたのだろうか。エリアスを挟んだ向かい側にはアリシアの姿があった。
彼女はクリスティーナと同じ様にその場に座り込み、エリアスの体に片手を添えている。
息を弾ませていることやその額に汗を浮かべていることから、恐らくは先程まで立っていた場所から慌ててやってきたのだろう。
アリシアは声を掛けられると扇で自身の口元で隠して立ち上がる。
「どうもありがとう。……さあ、この方を運んで頂戴」
「は、はい……!」
彼女の指示に従い、近くに立っていた使用人や騎士数名がエリアスを連れて移動する。
野次馬は暫くそれを静かに見送ったが、エリアスが屋敷の中へ運ばれるのを見送り、その姿が消えたことを合図に次々と口を開く。
「本当にアリシア様が聖女様なのか……!?」
「今の見てただろ? あんなことできるのなんて聖女様しかいないって」
「流石アリシア様!」
その殆どがアリシアに対する賞賛と聖女の誕生を喜ぶ歓声だ。
先程までの重苦しい雰囲気は完全に面影を消している。
使用人たちは喜び、アリシアがその歓声に笑顔で答える中、クリスティーナだけが取り残された。
確かに今、魔法を使ったのは自分のはずであった。
にも拘らずリオは聖女の力を使ったのはアリシアであると断言をし、使用人達はそれを鵜呑みにした。当の本人であるアリシアもそれを否定することなく次々と自身へ降り注ぐ賞賛を享受している。
どういうことだろうか。
もし本当にエリアスの傷を癒したのがアリシアであるのなら、今感じている倦怠感も魔力の喪失も全て勘違いであるとでもいうのだろうか。
そもそも遠巻きに見ていた野次馬達がアリシアが聖女であることを信じてしまうのは仕方がないとして、始めにアリシアが聖女であると主張したリオはクリスティーナが魔法を使う瞬間を間近で見ていたはずだ。
本人へ問いただそうと顔を上げた時、クリスティーナよりも先にリオが口を開く。
「……クリスティーナ様、行きましょう」
そう言って彼はその場を離れるよう促した。
彼の言葉に異を唱えてやろうかと思ったクリスティーナはしかし、結局口を噤んだ。
大勢の前で何を言っても、リオを咎め、罵ったとしても誰も悪女の言葉など信じてはくれないだろう。それどころか双子の姉が注目を浴びたことに対して面白くないと感じた妹の癇癪だと白い目で見られるかもしれない。
であれば悪目立ちする前にその場を離れることが最善である。
クリスティーナはリオの言葉に答えることなく足早に移動する。
しかしリオの横をすり抜ける時、彼の視線が自分でもアリシアでもないどこかへ向けられていることに気が付いたクリスティーナはその先を見つめる。
(……お兄様?)
それはセシルの立っている方角だ。
リオの視線を受けたセシルもまたリオを見つめ返し、互いに相手の心情を汲み取っているようだった。
やがてセシルはリオに背を向けたかと思えば屋敷の中へ姿を消してしまう。
「リオ」
声を掛けられた彼は視線をクリスティーナへ戻すといつもと変わらない微笑を浮かべた。
「失礼しました。行きましょう」
使用人達に道をあけさせて先導するリオの背中を見つめながらクリスティーナは顔を曇らせる。
リオとは長い付き合いになるが、主人に忠誠を誓う彼はいつでもクリスティーナの為を思って動いてくれていた。
だからだろうか。姉に手柄を横取りされるような形になったことや使用人達の態度について普段であれば気に留めることもないのに、彼がアリシアの肩を持つような言動を取ったことに対して動揺している自分がいるのだ。
今まで一番近くにいたのだから、彼の言動の意図は自分が一番理解できると思っていた。
だがしかし。
(……貴方が何を考えているのかがわからないわ)
クリスティーナはリオと自分の間に大きな壁を感じていた。
殆どの使用人が未だ庭に集まっているせいだろう。
自室へ戻るまでの間クリスティーナは誰ともすれ違うことがなかった。
「……今日はもう休むわ。貴方も下がりなさい」
自室前で立ち止まり、従者に声を掛ける。
今は一刻も早く一人になって休みたい気分だった。
「畏まりました。おやすみなさい」
「ええ……」
先程まで騒ぎの中心に立っていたのにも拘らず従者の様子は普段と何一つ変わらない。
人前で外面を取り繕うことが得意な彼は自身の感情を表に出すことが殆どない。人の心を読むことに長けているクリスティーナでも予想出来ないことがある程だ。
そして今も彼の考えは読めない。そのことに少なからず不安を覚えた。
(……駄目ね。色々あったから疲れが溜まっているんだわ)
自室の扉を開けてもらい、中へ入る。
従者が立ち去るのを見送ることもせず背を向けていると後ろから声が掛かった。
「クリスティーナ様」
リオがクリスティーナの名を呼ぶときは決まって彼が真面目な話をする時だ。
彼は自身の言動が公爵令嬢の従者としてはあまりそぐわないものであるという自覚があった。やや砕けた口調や軽口を使ってクリスティーナに接するのは家族を抜けばリオくらいのものである。
長年の付き合いと信頼、忠義から構築されたそれはクリスティーナにも受け入れていたものの、だからこそ言葉に重みを持たせることが難しい。
しかしクリスティーナを名前で呼ぶとき、決まって彼は素に近い自分を見せた。これは彼の感情の裏表が今よりもわかりやすかった幼少期、クリスティーナを名で呼んでいたことに起因しているのだろう。
例え彼の表情を読むことが出来なくとも、その時ばかりは彼の真剣さを推測することが出来た。
故にクリスティーナは彼に対し不満を抱いたまま背を向けてはいるものの、耳だけは傾けてやる。
リオは主人が自分と目を合わせてくれずとも続きを話し始めた。
「クリスティーナ様は聡いお方ですからきっと察しているでしょうが、俺は貴女様にお話しできていないことがあります。……そして今もまだ話すことが出来ません」
リオはクリスティーナが抱いた不信感に気付いたのだろう。
主人にも話せないことがある、それはクリスティーナが先ほど推測した通りであったがそれを自身の口から明確に伝えられることで彼なりの誠意を見せてくれていることをクリスティーナは悟る。
「しかし、俺はいつだってクリスティーナ様をお慕いしています。いつだって貴女様の身を案じていますし、貴女様の為であれば俺の全てを捧げられます」
主人の背中をまっすぐ見つめながらリオは言葉を紡ぐ。
その言葉をどれだけ彼女が受け止めてくれているのかは彼にとって大した問題ではなかった。
いくら都合の良い言葉を並べても結果が異なれば戯言に過ぎない。彼女であればそう考えることをリオは知っていた。
だからこれは己の為の言葉に過ぎない。
「信じてくれとは言いません。……ただ、今の話を少しでも覚えていてくだされば、と思いました」
数秒、静寂が訪れる。
しかしクリスティーナが振り返ることはない。
リオはそれを確認してから失礼しますと頭を下げ、クリスティーナの居室の扉を閉じた。
自分以外に誰も居なくなった自室。それでもクリスティーナは暫く動かなかった。
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