第9話 騒々しい騎士
「何事……?」
「クリスティーナ様、こちらへ」
リオは主人の手を引いて自身の背後に庇うと悲鳴の上がった方角へ視線を移した。
クリスティーナもまた、様子を窺う為に彼に庇われながらもその先を覗き見る。
祭りの参加者の間に割って入ったらしい存在は黒い毛皮に鋭い爪、鋭い目つきを持つ人ならざるもの。
それらが三体、道の中央を陣取っていた。
「……魔物」
クリスティーナの呟きを肯定するようにリオが庇う姿勢を保ちつつ道の脇へ後退る。魔物を刺激して襲われることを避ける為だろう。
一方で他の参加者らは混乱に陥り、悲鳴を上げながら魔物へ背を向けて散り散りに退散する。
しかし敵意を剥き出した魔物に対して大声をあげる、背を向けるという行いは逆に刺激を与えやすく適切な対応とは言えない。
「建国祭期間中、この地域は公爵家の騎士団が見回りを強化しているはずです。すぐに到着するかと」
潜められた声に頷きつつ目下に広がる光景を慎重に観察する。
唸り声をあげて獲物に狙いを定める魔物と彼らから背を向ける人々。いくら騎士が近くにいるからと言えどこのままでは被害者が出そうである。
クリスティーナが魔法を使用すれば撃退も不可能ではないが、失敗すれば標的は確実に自分となるだろう。公爵令嬢という立場上、自分の身の危険が周囲に大きな影響を及ぼすことをクリスティーナはよく理解していた。
故に無鉄砲な真似をすることはできない。
騎士団の到着が少しでも早いことを望むしかないとクリスティーナが小さく息を吐いたその時。
彼女たちの脇を突風が吹き抜けた。
正確に言えば誰かが駆け抜けたのだが、魔物に気を取られていたクリスティーナは既に臨戦態勢に入っていたその人物の姿を瞬時に視認することが出来なかった。
唯一視覚が認識したのは、自分達を見下ろす夕焼けよりも鮮やかな赤い髪。
素早く引き抜かれた刀身はあっという間に一体の魔物を脳天から一刀両断し、更に二体目の首を切り落とす。
しかし二体目が鮮血を散らして倒れた時、赤髪の騎士の背後から悲鳴が上がる。最後の魔物が騎士から離れ、尻餅をついた少年へ距離を詰めたのだ。
子供と魔物の距離が今にも噛みつかれそうなものであるのに対し、騎士と魔物の距離は彼の握る剣ではリーチが足りないことが明らかな程度には離れている。
しかし彼はそれに動じることなく剣の柄を両手で握りしめたかと思えば大きく振り上げる。
いくら武器を力強く振り下ろしたとて、当たらなければ意味はない空を切るだけに留まる攻撃だ。だが彼が武器を振り下ろす瞬間、鍔から小さな火花が散った。
「――フレイム・ヴェイル」
更に呟かれる短い詠唱。
刹那、剣の刀身は炎に包みこまれ、その長さは二倍近くまで上った。
彼の周囲の気温を急速に上昇させる程の灼熱の剣は迷いなく振り下ろされ、その切っ先が魔物へと届く。
瞬間、その身に炎が宿り魔物を包み込んだ。
悶え苦しむ魔物の咆哮が上がろうが火の手は緩められることなく、灼熱はその身体が炭となるまで燃やし尽くした。
魔物を一掃し、その全てが絶命したのを確認してから赤髪の騎士エリアスは自身の武器を鞘に納めて少年に手を貸す。
遅れて駆け寄る母親らしき女性に少年を引き渡し、何度も礼を述べる彼女らにへこへこと会釈をした。
そしてすぐに二人へ別れを告げたかと思えば必死の形相をクリスティーナ達へ向ける。
思わずその目力に圧倒されて面食らっていると、エリアスは鍛え上げられた脚力で瞬時に二人との距離を詰め、口を開いた。
「リオ、クリスティーナ様! お怪我は!?」
「リンドバーグ卿、近いです」
リオが間に挟まっていなければその勢いに思わず仰け反っていたかもしれない。
詰め寄るエリアスをリオが片手で制して宥めると彼は我に返って咳払いを一つした。
「お陰様で俺もお嬢様も無傷です。ありがとうございます」
「そっか、よかった」
エリアスは胸を撫で下ろす。心底ほっとしたと言わんばかりの様子だ。
その様がまたもや意外であるとクリスティーナは感じる。
自分が面倒ごとに巻き込まれた時の関係者は大抵心配だと口にしつつも厄介だと言いたげな目をしていることが多いのだ。
故に不思議そうに彼の顔をまじまじと観察してしまったのだが、当の本人は安心して気が緩んだからなのかクリスティーナの視線に気付くことなくぺらぺらと舌をよく回した。
「いやあ、本当によかった……。オレ、噂通りクリスティーナ様に首を飛ばされるんじゃないかって心配で心配で……」
なるほどと納得をする。この男は怪我を負わせてしまったことによってクリスティーナの機嫌を損ね、自分の首を刎ねられてしまうかもしれないことを危惧していたようだ。噂によるとクリスティーナは些細なことでも腹を立てれば使用人の首を刎ねる程気性の荒い存在らしいので、それを信じているのであれば純粋な心配や安堵といった感情にも納得である。
……しかし仮にも本人がいる前でそのような話をするとは。その剣捌きや口数とは打って変わって頭の方は良く回らないらしい。
「未だ且つてここまで不敬な人間に会ったのも初めてよ。お望み通り首を刎ねて家の門にでも飾ってあげようかしら」
「俺以上だそうですよ、よかったですね」
どうやら主人と騎士の間に立つ従者は日頃の己の言動が不敬なものである自覚があった様だ。全く舐められたものである。
それはさておき、問題の騎士の顔色は真っ青だ。
「ヒッ、も、申し訳ありません……! これは……違うんです! どうかお許しを!!」
自身の過ちに遅れて気が付き、言い訳とも言えないような言い訳を口走った思えば情けなく命乞いをする騎士。
守っているつもりなのか、両手で自身の首を覆いながら震える様子は先程の戦闘時のような騎士としての威厳は一切見えず、いっそ別人だと言われた方が納得も出来そうである。
勿論実際に首を刎ねるつもりはない。些細な失態で人材をいちいち切り捨てるという行為は非生産的なのだ。
つまりクリスティーナの先の発言は言葉に気を付けろという忠告程度のものなのであるが、本人はどうも本気にしてしまっている節がある。
仕方あるまい、誤解を解いてやろうとクリスティーナが口を開いた時。
「――エリアス! エリアス・リンドバーグ!」
エリアスの名を呼ぶ声が後方から飛んだ。どうやら彼を探している様だ。
「げっ」
自身の名を呼ばれたエリアスは反射的に背筋を伸ばして振り返り、バツの悪そうな顔になる。
「魔物の姿が見えたんで、班抜けてきちゃったんですよねー……そろそろ戻らないと。こりゃげんこつ食らいそうだなぁ」
「……団体行動を乱す騎士なんて、自覚が足りないのでは?」
「柔軟な思考はどんな戦場でも必要じゃないですか? 団体行動に重きを置きすぎて判断が鈍くなりゃ意味がないでしょう」
確かに一理はある。事実、エリアスが駆けつけなければ怪我人が出ていたことは間違いないのだ。
なるほどとクリスティーナが頷いていると、未だエリアスの姿を探しているらしき声の方角を向きながらリオが口を挟む。
「リンドバーグ卿、そろそろ行かれた方がよろしいかと。幸い馬車までの距離もそこまでありませんし、お嬢様は俺が責任をもってお連れ致します」
「おー、そうだな。まだ他にも魔物がうろついてるかもしれないし、一応気を付けろよ」
「畏まりました。ご忠告ありがとうございます」
リオの発言にどこかむず痒そうにしつつもエリアスは敬礼をしてその場を離れる。
しかし結局その途中で勢いよく振り返ったかと思えばリオに対して指をさしながら叫んだ。
「ほんっと……次会うときまでにそのかたっ苦しい口調何とかしろよな! 卿とか……聞いてるこっちがむずむずするって!」
そう吐き捨てるや否や、今度こそ走り去る赤髪の騎士。一方でリオは彼の言葉に返事をするでもなく誤魔化すように微笑みを浮かべている。
その姿を離れた場所に立つ騎士団の団員達と合流するまで見届けてからクリスティーナは口を開く。
「頭の悪そうな騎士ね」
「否定はしません」
エリアスは確かにリオに懐いている様だが、一方で懐かれている側はといえば聊か辛辣な態度である。
それは親しみから来るものでも嫌悪から来るものでもなく、恐らくは単純に彼に対して興味がないのだろう。
リオは元来他人に興味を示さない、そういう男である。故に客観的な評価を下しているに過ぎない。
「腕は確かなようね」
「騎士団の中でも特に秀でた剣術の才を持つという噂もありますね」
「優秀なのね」
「そうですね。……ただ」
リオは騎士達の集まる方角を見たまま目を細める。
一方で視線の先のエリアスはというと、本人が危惧していた通り班長らしき人物の拳を脳天から受けて悶え苦しんでいる最中だ。
「何か?」
クリスティーナの問いにハッと我に返ったリオは首を横に振る。
「何でも。それよりも移動しましょう。彼がおっしゃっていたように他にも魔物がいるかもしれませんから」
「わかったわ」
使用人の内情についてはリオの方が圧倒的に詳しい。彼には何か思うことがあるようだが、本人がクリスティーナに話す必要がないと判断していることについていちいち言及する必要もあるまい。
クリスティーナはリオに手を引かれてその場を離れた。
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