第8話 建国祭散策
クリスティーナが出かける決意をしたのにはいくつか理由がある。
まず第一に、茶会での話題に困ることが容易に予想できたから。
アリシアの話した通りであるとするならば、皇太子はここ数年ろくに祭りに参加していないクリスティーナの心配をしているそうだ。
皇太子も社交界で歩き回るクリスティーナの噂を知らないわけではないことを考えると彼のクリスティーナに対して抱く心配事とは、自身の悪名や周囲の視線を気にしてしまっていることで祭りを楽しむことができていないのではないか……といったところだろう。
そしてきっと茶会ではこのように問うはずだ。『建国祭はクリスティーナ嬢の気には召さなかったかな』と。
そこでまさかつまらないので家で本を読んでいましたと答えるわけにはいかないだろう。建国祭とはこの国の成り立ちを祝う行事なのだから、将来の皇帝に対してこの国の歴史に興味はありませんなどとは口を避けても言えまい。かと言って自分を嫌っている相手と会いたくないので、と他の貴族の陰口を言うのも好ましくはない。
故に今年は祭りへ行ったという既成事実を作り、祭りに興味がない訳ではないという主張が出来るようにしておこうという魂胆である。事実、クリスティーナは祭り自体が嫌いなわけではない為アリバイさえ作ってしまえばボロが出ることも少ないだろう。
もう一つは茶会への手土産である。皇太子自らが招待した茶会に手ぶらで行くことは出来まい。形だけのものだとしても茶会へ招待頂いた礼として何か持って行くべきだろう。
本来なら家の者に使いを頼んで用意させるところだが、折角であれば今年は祭りを楽しんだという主張に説得力を持たせるべく祭りを回りながら手土産にふさわしい物を吟味することをクリスティーナは選んだのだった。
(どの道祭りでやりたいこともないし)
意味もなく歩き回るより明確な目的を持って歩いている方が楽であるとクリスティーナは結論付けた結果である。
「この喧噪も懐かしいですね」
クリスティーナを行き交う人々からなるべく庇いつつリオが呟く。クリスティーナはその言葉に無言で同意しながら周囲を見渡した。
祭りの期間中は王都と隣接するレディング領にも多くの屋台が立ち並ぶ。その一角に二人は足を運んでいた。
色とりどりの装飾、そこかしこから漂う料理の香り、アクセサリーや怪しい占いの屋台、普段とは比べ物にならない程の通行人。どこを見渡してもお祭り一色である。
「本当に殿下への手土産を選ぶだけで良いのですか?」
「ええ。寄り道をしていないのにこんなに時間が経っているのよ。屋台を回っていたら日がくれそうだわ」
「そうですか」
さっさと良さげな洋菓子屋を見つけるだけの予定が、予想以上の人通りによって思うように先へ進むことが出来ずに立ち往生しているというのが今のクリスティーナたちの状況である。
現在のクリスティーナは少しでも早く予定を終わらせて帰宅したいという気持ちが強かった。
しかし、ふと隣に立つリオの横顔を見て思い至ることがある。
「……気になる物があるなら言いなさい」
彼は幼い頃からクリスティーナの傍についていた従者だ。クリスティーナが祭りに出席してこなかったということは彼自身もまた、この様な祭りへ参加すること自体久しいことになる。
「……っふ、ははは」
というクリスティーナなりの心遣いに対し、不敬な従者は肩を震わせて笑いだした。
「不快だわ」
「失礼、馬鹿にしている訳ではないのです」
未だ笑いを堪えている顔で一体何を言っているのやら。説得力は皆無である。
しかし暫し肩を震わせると満足したらしく、少し考える素振りを見せてから一つの屋台を指さした。
「そうですね……ではお言葉に甘えて一軒だけ寄り道をしても?」
「構わないわ」
主人を笑い者にした罰に前言を撤回してやろうとも考えたが、リオが自身の望みを述べるのも珍しい為今回は目を瞑ってやることにした。
リオはクリスティーナを先導して一つの屋台へ向かう。彼は屋台の男性と短い会話を交わし、手早く会計を済ませると二本のスティックパイを持って振り返る。
そしてその内の一本をクリスティーナへ差し出して微笑んだ。
「よろしければいかがですか?」
予想外の出来事に面食らい、瞬きをする。
その反応が期待通りだったのか、懲りない従者は喉の奥で愉快そうに笑った。
「お嫌いではないでしょう?」
「……受け取らなかったら貴方が二本食べるのかしら」
「主人の前でスイーツを独り占めするような人間にはなりたくないので、受け取っていただけると嬉しいのですが」
困った様に肩を竦める従者は差し出していない方のパイを一口齧って異物が混入していないことを示しつつクリスティーナの出方を窺う。
「……仕方がないわ。貴方の面目は守ってあげる」
「ありがとうございます」
「私の分の支払いは給料に付けておくわ」
「ふはっ、端数の加わった俸給を見るのが楽しみですね」
この従者の笑いのツボは主人に対してのみ何故だか浅い、とクリスティーナは不服に思う。それが自身の細部にまで渡るような義理堅さや生真面目さによるものであることを知らないのだ。
彼をねめつけながらクリスティーナはパイを口に運んだ。
安っぽい、飽きが来るような甘さ。日頃のアフタヌーンティーには絶対に出ないような味だ。
(けれど、悪くはないわ)
気が付けばクリスティーナの機嫌はすっかり直っていた。
結局のところ、建国祭の期間も通常営業をしている洋菓子屋で菓子を注文し終えた頃には日が傾いていた。
注文した菓子は茶会の日の朝に自宅へ届けられる為、特に荷物が増えることもなく二人は帰路に就こうとしている。
「お疲れ様です」
「ええ……本当に」
馬車を混みあった通りに停めるわけにもいかず大通りから外れた場所に停めている為、馬車へ戻るまでの距離がこれまた地味に長い。
更に夕方になれば人が減るかと思いきやパレード等が夜に行われる関係で行きよりも人が行き交うようになったことで尚更馬車までが遠く感じてしまう。
「……早く帰って休みたいわ」
「そうですね。馬車まであと少しですから――」
突如、主人を労おうとしたリオの声を遮って悲鳴が上がった。
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