第7話 建国祭と茶会の誘い

 学業を終えたクリスティーナを乗せた馬車が街中を通り抜けていく。

 窓越しに見える夕暮れの街並みは日頃の面白みのない風景とは異なり、風船や大きな看板、ガーランドなどによって彩られている。


「建国祭ももうすぐですね」


 ぼんやりと窓の外を眺めていたクリスティーナにリオが声を掛ける。


 イニティウム皇国の建国日が近づくとこの国は皇宮周辺で一年で最も大きな祭り、建国祭を催す。皇帝や皇太子によるスピーチに耳を傾けて国が建ったその日を共に祝う他、様々な屋台が立ち並び、パレードやショーなどが至る所で開催される。


 学院はイニティウム皇国内に設立されていることもあり、建国祭期間中は生徒たちの羽休みとなるよう休暇が設けられる。


 そしてその休暇は丁度明日からの七日間。自分を敵視する人々の視線から解放されることに喜びを感じつつ、クリスティーナは休日をどう過ごそうかと計画を立て始めていた。


 ……計画とは言ったものの、基本的にインドア派のクリスティーナが休日にすることといえば家の庭を散歩することか書庫で本を読み漁ることくらいであるが。


「今年も祭りには参加されないのですか?」

「わざわざ休日に人にもまれるなどもっての外だわ。……気になるのなら半休でも取らせてあげるけれど」

「お気遣いありがとうございます。しかし休暇を頂くには及びません」

「そう」


 祭りの雰囲気が嫌いなわけではないし、クリスティーナは屋台に並ぶ安価な料理の味も悪くはないと評価している。


 しかし大規模な催事ともなれば参加するのは平民だけではない。祭りへ足を運び、クリスティーナの顔を知る貴族と鉢合わせでもすれば嫌味の一つは嫌でも聞くことになるだろう。


 自業自得とは言え折角の休暇にわざわざ不快な気持ちになる必要もあるまい。


 一方でリオは建国祭にあまり興味がないようであった。というよりも、休暇を欲してはいないように見える。建国祭に限らず、彼が自主的に休暇をもらう姿を一度も見たことがないのだ。


 兎にも角にも、ただの休暇と特に変わり映えもない時間を過ごすことになりそうだとクリスティーナぼんやり思った。



***



「……茶会、ですか」


 そんな彼女の予想を裏切ったのはアリシアからの一つの誘いであった。

 自室で本を開いていたクリスティーナの元へやってきたアリシアは淡く微笑んで肯定する。


「ええ。皇太子殿下が妹の貴女も一緒にどうかとお誘いくださったの」

「……祭事は殿下もお忙しいことでしょう。何もそのような時期にお誘いくださらなくとも」


 現在催されているのは建国を記念する祭りなのだ。皇宮へは祝辞を持った他国の重要人物らが引っ切り無しに足を運んでいるはずだし、皇太子ともなれば皇帝陛下と共に彼らを出迎える役割が回ってきているはずである。


 そんな彼にわざわざ時間を割いていただき茶会など恐れ多い……という名目の元、何とか茶会を回避したいクリスティーナであった。


 兄の友人であり姉の婚約者である皇太子と顔を合わせるのも、こうして茶会へ呼ばれることも何も初めての出来事ではない。


 故に今更そこまで恐縮をする相手でもないというのが本音ではあったが、そんなことよりも折角の休暇に目上の人間と茶会などという楽しくもない行事に参加することが面倒であるということが問題であった。


 以上のクリスティーナの心情を簡潔にまとめるとつまらなさそうだから行きたくない、である。

 しかしどうやら姉は引き下がる気がないらしい。


「確かに殿下は現在多忙でいらっしゃるけれど、休息は取っているそうよ。だから業務が一段落するだろう時間にどうか……とおっしゃっていたわ。確かに長い間お話することは難しいかもしれないけれど、この時期に殿下がわざわざ時間を割いてくださると提案してくださったの」


 つまり殿下のお心遣いを無駄にするつもりなのか、ということが言いたいのだろう。


 確かに最近すっかりご無沙汰ではあったが婚約者の妹という立ち位置であれば本来はその程度の関係だろう。皇太子が婚約者の親族までわざわざ気に掛けて茶会に招待するということの方が珍しい話のはずだ。


「それにこれは毎年貴女が建国祭の期間を家だけで過ごしている貴女に対する気遣いでもあるのよ」

「それと茶会がどう関係するというのですか」

「貴女について殿下にお話をしたら、殿下は貴女の休暇に少しでも彩りを齎せることのできるようにと計画してくださったの」


 何をどう考えたらそのような発想になるのか、大変良い迷惑である。皇太子とその婚約者に挟まれた茶会で一体誰の思い出が彩るというのだろう。精々皇太子を通じてコネの広がる可能性がある程度である。


 そして丁重にお断りしたいのは山々だが、どうやらアリシアもクリスティーナがイエスと言うまでは引くつもりがない様だ。


 クリスティーナは深々と吐き出してやりたくなったため息を何とか呑み込んだ。


「……わかりました。殿下のお心遣いに感謝致します」

「ふふ、楽しみにしているわね」


 相変わらず冷たい色をした瞳を細めてアリシアはおっとりと笑う。

 それに応えるように軽く頭を下げ、クリスティーナは離れていく彼女の後姿を見送った。


「…………リオ」

「はい、お嬢様」


 姉の姿が見えなくなってから大きく息を吐いたクリスティーナは後ろに控えていた従者の名を呼ぶ。

 どんよりとした重苦しい空気に満ちた自室で、彼女は渋々告げる。


「……祭りへ行くわ」



***



 身支度を整えたクリスティーナは馬車の停まる広場までの廊下を歩く。

 すれ違う使用人たちは彼女の姿に気が付くと道を譲り、そそくさとその場を後にする。その表情は怯えであったり嫌悪であったりと様々だがそのどれもがクリスティーナをよく思っていないものであることは明らかであった。


「義姉さん」


 気分が重く機嫌もお世辞にも良いとは言えない心境であったクリスティーナは自分へ近づく人物がいることに気が付けず、名を呼ばれたことで漸く我に返ることとなった。

 彼女の前に立ったのは義弟、イアンであった。


 クリスティーナよりも落ち着いた明度の彼の髪色は銀というよりはグレーと呼ぶ方がしっくりとくる。少し長い前髪から覗く濃紺の瞳はクリスティーナの姿をはっきりと映し出す。


 我に返った義姉が自分の姿を捉えたことを確認してから彼は再び口を開いた。


「自ら外出なんて珍しいですね。祭りへ?」

「……色々あったのよ。イアンこそ祭りはいいの?」

「明日、友人と向かう予定です」

「そう」


 イアンは含みのある『色々』という言葉に小さく首を傾げつつクリスティーナの問いに答える。

 クリスティーナとイアンとの関係は悪くはない。家で鉢合わせる時にこうして世間話をする程度には友好的だ。


 強いて問題点を挙げるとすれば互いに口数が多いわけではない為会話がすぐに途切れるということくらいか。本人たちはあまり気にすることがないのだが、傍に仕える使用人らの居心地が悪そうな光景が出来上がることもしばしばある。


「お気を付けて」

「ええ」

「……ところでリオさんは連れて行かなくとも良いのですか?」

「え?」


 イアンはクリスティーナの後方へ視線を向ける。

 彼の言葉につられるように振り返れば自分から数メートル離れた先で立ち止まるリオの姿が見える。


 そして彼の傍には公爵家の騎士団の制服に身を包んだ青年の姿。

 リオはどうやら彼に声を掛けられたらしく足止めを食らっていたようだった。


「……珍しいわね」


 リオは職業柄クリスティーナの傍につくことが殆どだ。他の使用人と話す場面に遭遇することもあったが基本的に業務連絡など仕事関係の会話が多い。


 他の使用人にとってリオの印象が良いものであることは彼と会話をしている姿から見て取れたが、互いに必要以上に干渉はしない、いわばビジネスライクな雰囲気の関係性だと認識していた。


 しかしあの騎士のリオに対する接し方はどうにも他の使用人とは違う様だ。


 リオの様子は至っていつも通りだが、騎士の方は無邪気に笑ったかと思えばリオの背中を軽く叩くといった姿も見られ、随分と親しげである。

 騎士と一使用人であれば接点もあまり多くはないはずである為、何とも珍しい光景だとクリスティーナは感じた。


 物珍しさから二人の様子を暫く遠巻きに見守るが、やがてリオがその視線に気付いたらしくこちらを見る。


 邪魔をするつもりはなかったのだが視線が交わったのならば無視をするわけにもいかない。

 クリスティーナはイアンへ軽く別れを告げてからリオの元へ向かった。


「リオ」

「クリスティーナ様、お待たせしてしまい申し訳ありません」

「構わないわ」


 頭を下げるリオの言葉にクリスティーナは首を横に振る。


 そしてリオと話していた赤毛の騎士へ視線を移した。

 剣術に長けており騎士団の統括を任されている兄であれば彼の名がわかったのかもしれないが、生憎クリスティーナは騎士団に属する者の名は覚えていない。


「し、失礼致しました。レディング騎士団所属、エリアス・リンドバーグと申します」


 二十か、僅かにそれより至らない程度の歳に見える若い騎士だ。


 先程まで快活な笑顔を浮かべていた彼だったが、クリスティーナと目が合うとその顔を強張らせ、仕事中の従者を引き留めてしまったことを謝罪した上で自身の素性を明かす。


 敬礼する彼の灰色の瞳からは緊張とは別の興味や疑念……クリスティーナを見定めるようとしている様な雰囲気が感じ取れた。

 公爵家に属する者であればクリスティーナの悪名も知っていることだろう。つまるところ彼も日頃見る使用人と同じく彼女に良い印象を抱いていないことがわかる。


 もう慣れてしまったものであるし、相手の心情を理解できてしまうのはクリスティーナの察しのよさのせいであり彼自身が無礼を働いているわけでもあるまい。特に気にすることもなく彼の言葉に答えることとした。


「クリスティーナ・レディングです。私も義弟と話していたし、問題ないわ。……私の姿に気付かず職務中の従者に声を掛けるという行いは褒められたものではないけれど」

「お、おっしゃる通りです……大変申し訳ございません」


 灸を据えるとエリアスという騎士は委縮し、深々と頭を下げる。

 意外にも彼はクリスティーナの言葉をきちんと受け止めたようで、その落ち込み具合は実にわかりやすかった。


 間違ったことは言っていないのだが、その様が気落ちした大型犬のようでクリスティーナはいたたまれない気持ちになる。


「もういいわ、下がりなさい。……リオ」

「はい」


 クリスティーナはエリアスに一言残してから彼が離れるのを待つことなく気まずさから逃れるように自らその場を離れる。

 リオは返事をしてからエリアスに軽く会釈を残し、主人の背中を追った。


「貴方が誰かと話し込むなんて、珍しいわ」


 エリアスから十分に離れてから、クリスティーナはリオに話しかける。

 リオは何度か瞬きをしてから肩を竦めて苦笑した。


「そうですね、話し込んでいたというよりも絡まれていた……の方が正しい様な気はしますが」

「確かに、あの騎士は騒がしそうだわ」


 おっしゃる通りですと苦笑するリオ。


「歳が同じようで、親近感を抱いたようです。それから見かける度に声を掛けられるようになりまして」

「ということは十八くらいかしら。……騎士団ではあまり聞かない年齢だわ」

「やはりご存じではなかったのですね」


 公爵家の騎士団は若くて二十五前後というのがクリスティーナの認識であった。


 レディング家の外であれば十代後半から厳しい経験を積まされるという訓練兵の話も聞くが、レディング公爵家の騎士団はその殆どが他の場所で実戦経験を積んだ者達や剣術大会で好成績を収めた者達で結成されている。その為訓練兵を育成しているという話もないはずだ。


 少々不思議に思いつつ、予想通りの反応だと言わんばかりに笑うリオへクリスティーナは話の続きを促す。


「ここに仕える者の間ではそれなりに有名な方だというだけですよ。良くも悪くも」

「そう」


 しかしリオはそれ以上彼については語らなかった。

 クリスティーナ自身もその若い騎士について大した興味があったわけでもなかった為、それ以上言及することもしなかった。

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