第一章―イニティウム皇国 『皇国の悪女』
第5話 追憶
遅れてやってきた赤髪の騎士は面白い程リオの予想通りの反応を見せてくれた。
彼は血塗れのクリスティーナの様子を見たかと思えば真っ青な顔で泡を吹きながら卒倒したのだ。何ともまあ質の高すぎるパフォーマンスだ。
彼と合流した頃には日が暮れかけていたこともあり、この日は小道に停めていた馬車まで戻って騎士が目を覚ますのを待ちつつ野営をすることになる。
クリスティーナが焚火に当たりながらぼんやりと炎の動きを眺めていると、野営の支度を整えたリオが静かに隣へ腰を下ろした。
「野営も随分板についてきましたね」
「私は仮にも貴族よ。皮肉にしか聞こえないわ」
「素直に受け取ってくださればいいのに」
やれやれと肩を竦められるが、その言葉には返事をせずクリスティーナはそのまま焚火へ視線を注ぎ続ける。
暫く沈黙が訪れるが、程なくしてリオが再び口を開いた。
「やはり、セシル様のお考えに思うことがおありですか?」
突如出された兄の名前に僅かに反応してしまったクリスティーナはこめかみを押さえながら答える。
「ないわけがないでしょう。一体どこまで計算していらっしゃったのか……今となってもわからないわ」
「あの方は秘密主義ですからね」
兄へ対する不満がぽつりと漏れては夜の冷えた空気へ溶けて消える。
公爵令嬢という立場でありながら今こうして野営を強いられているのは主に兄の魂胆の賜物である。
立場の急変。それが身内による企みであれば一層、不満の一つや二つ持ったとしてもおかしくはないだろう。
「……しかし、俺は決して無条件にあの方の肩を持つわけではありませんが」
表情は変わらずとも主人の虫の居所が悪いことを察したのか、リオが付け加える。
ちらりと彼の顔へ視線を向ければ、美しく整った顔に穏やかな微笑を浮かべた様が窺える。
ぱちぱちと音を立てて弾ける火の粉の色が彼の長い睫毛に反射する。
「セシル様がクリスティーナ様のことを思っていらっしゃるということは紛れもない事実だと思いますよ」
宥めるような、優しい声音。
彼の純粋な気持ちから生まれた言葉掛けに素直に頷いてしまいたい気持ちが首をもたげるが、残念ながらクリスティーナの心情は聊か複雑なものであった。
少なくとも兄がクリスティーナに対して一〇〇パーセントの善意と好意から行動を起こしてくれるとは到底思えないのだ。
「それは……どうかしら」
リオの言葉への返答に迷いを生じさせながら、彼女は視線を彷徨わせる。
やがて動揺を誤魔化すように、行き場を失った視線を持ち上げて夜空を見上げる。
相変わらず森の木々は空を覆う程に枝を伸ばしていたが、その隙間から覗く月の姿くらいは視認が出来た。
リオもそれ以上は何も言わず、ただ静かに時間が過ぎて行く。
クリスティーナはぼんやりと月を見上げながら、現在に至るまでの事の経緯についてゆっくりと振り返ることにした。
***
大理石の柱が立ち並び、吹き抜けの中庭の横を伸びる広々とした廊下をクリスティーナは真っ直ぐに突き進んでいく。その傍らに付き添うのは勿論彼女の従者であるリオだ。
ファーマメント魔法学院。魔法の技術を身に付けるべく由緒正しき家の出の令息、令嬢が挙って集まる大規模な学院にクリスティーナは在籍している。
中でもレディング公爵家の次女であるクリスティーナの身分は同年代の者達と比べても明らかに高いものであった。
しかしながら、彼女に対して身分相応の待遇を施す者は殆どいない。
「見て。レディング公爵家のクリスティーナ様よ」
「本当だわ、あれだけ悪名が流れておきながらよくも堂々と歩けるわね」
「それにあの側仕えの容姿。あの不気味な――」
「しっ、聞こえてしまうわ。あの方の反感を買ってしまったグレンヴィル伯爵令嬢は学校へ来れなくなってしまう程の精神的な傷を受けたそうよ。気を付けないと……」
移動するクリスティーナの傍に寄る者はリオくらいであり、同年代の令息や令嬢はそれを遠巻きに見ているだけ。
嫌悪を隠さない視線や悪意のある言葉で噂をしたためては固唾を呑んでクリスティーナがこの場から離れるのを見守っていた。
「……ご忠告なさいますか?」
「放っておけばいいわ。そもそも貴方は口出しできるような身分でもないでしょう」
こっそりと耳打ちをするリオをクリスティーナは諫めた。
主人の言葉に頷いて大人しく引き下がる従者。ふと至った考えに耽り、彼の顔を見上げながら立ち尽くしていると赤い瞳が瞬きを何度か繰り返した。
「俺の顔が何か?」
「いいえ」
不思議そうに小首をかしげるリオに首を横に振る。
主人に向けられた悪意へ巻き込まれるような形で陰口を叩かれていた彼だが、どうやら気にも留めていないようだ。
光を程よく反射する艶やかな黒髪に、少し上がった目尻と長い睫毛。よく通った鼻筋と薄い唇。真顔であれば話しかけ辛さを持たれそうな系統の端正な顔立ちをした彼は、きつい印象を受けやすそうだという欠点とも言えぬような欠点すら淡い微笑み基、常に浮かべている外面用の笑みで補っている。
顔面黄金比を網羅した彼を観察した後にクリスティーナはそれから目を逸らす。
「最近の令嬢の見識は的が外れて来ているようだわ。この国の行く末が心配ね」
この口が零すのはあくまで皮肉。
しかし目の前の彼はその言葉の意図にすぐ気付いてしまう。
「もしかして、気遣ってくれてますか?」
「貴方はいい加減身の程を弁えるべきだわ。何故私が貴方の機嫌を取らなければならないのかしら」
「ふっ……くくっ、本当に貴女というお人は……」
リオは片手で口を押えながら俯いて肩を震わせる。
何を言っても都合の良いように――否、言葉の裏に隠した真意に気付いてしまう従者が気に食わない。
クリスティーナは眉根を寄せて不機嫌な空気を前面に出しながら速足で先へ進んだ。
置いて行かれそうになった従者の引き留める声が聞こえたが、待ってなどやるものか。
「容姿が珍しい自覚はありますし、今更そんなに気にも留めていませんよ。だから俺のことは気にしないでください」
「……自意識過剰も他者に振り撒けば公害だわ」
「流石に言い過ぎでは?」
身長差からか、すぐに追いついて背後から投げられる従者の言葉に冷ややかな返答を与える。
昔から自身の評価には点で無頓着であった従者だが、それは主人に巻き込まれる形で陰口を叩かれても健在であるようだ。
一方でクリスティーナも自身へ向けられた悪意ある言葉に動じることはない。
彼女について回る悪名は何も今に始まったことではないのだ。
横暴且つ我儘だという性格の話から始まりやれどこぞの令嬢を陥れただの、暗殺予告を下しただのといった物騒極まりない噂まで。
学院へ入学する前からそういった彼女の悪名は社交界へ飛び交っていたし、当事者が正面から否定することが必ずしも正しい選択とはなり得ないことを悟っていた。
それに、あながち間違いとは言い切れない要素が混ざっていることもある以上クリスティーナ側に一切非がないとも言い切れないのは事実である。現に噂されているグレンヴィル伯爵令嬢についても無関与という訳ではなく、クリスティーナが彼女に強く当たったのは紛れもない事実と言えよう。
……グレンヴィル伯爵令嬢が登校しない理由が本当にクリスティーナの言動によるものであるのかは定かでないが。
そして彼女の悪い噂が広まりやすい理由の一つとして家族の存在も挙げられることだろう。
レディング公爵家嫡男のセシルはフォーマメント魔法学院の卒業生であり、在学中、生徒会長の座についていた上に第三席という成績で卒業した歴史を持つ。また、レディング公爵領を含めた大陸最大規模の領地を統括するイニティウム皇国の皇太子とは親しき間柄であることも有名で、皇宮へ出入りする姿もよく目撃されるという。
またレディング家に養子として迎え入れられた義弟に当たるイアンも口数は少ないが温厚で知的、学院の中等部で主席の座に就く程の秀才さから将来性を期待されている人材だ。
身内に優秀な人間を持つということはそれだけ比較されやすく、身内に比べて劣っているということは非の打ち所がない者を批判するための材料として利用されやすいということだ。
クリスティーナの魔法の才は人並外れたものなのだが、他の家族に比べればそれも霞んで見えてしまう程度の物なのだろう。
そしてクリスティーナが最も引き合いに出される相手が――
「あら、クリス」
通路の角を曲がろうとしたクリスティーナは同じく反対から曲がろうとしていた女性と衝突しかけてしまう。
しかし幸いリオがクリスティーナの肩を軽く引いてくれたことによりぶつかることは避けられる。
クリスティーナと同じ銀色の髪を持つ彼女は翡翠色の瞳を細めて微笑んだ。
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