第78話 隠し味

 私に声をかける女の子……? 誰だろう。私の知り合いなんてとても少なくて、子供となるとさらに少ない。小学生くらいの声に聞こえるけれど……


 振り返って、少女の姿を確認する。

 

 小さくてあどけなくて、気弱そうな女の子。小学生くらいの……


 ……この女の子、どこかで見たことがあるような……?


「あ、あの……」女の子は勢いよく頭を下げて、「この間は……ありがとうございました……!」

「……?」なぜかお礼を言われたが……「……ごめん……なんでお礼を言われたのか、わからない」

「あ……」女の子は頭を上げてから、「そ、そうですよね……いきなりごめんなさい……」


 おそらくこの女の子と私は知り合いなのだろう。私がそれを忘れているのだろう。思い出すためにしっかりと女の子の顔を確認すると……


「ああ……」ようやく、思い出した。「ランドセルの……?」

「は、はい。ランドセルが木に引っかかって……その時に、助けていただきました」


 ああ……そういえばそんなこともあったな。仕事帰りに疲れた体で木登りをした記憶がある。何度も木から落ちてボロボロになったっけ。


 その時の女の子が、お礼を言いに来てくれたらしい。


 ……って、あの時からかなりの時間が経ってると思うけれど……まさか……


「ずっと……お礼が言いたくて……」女の子はうつむきながらも、「あのときは、ランドセルの中身にお金が入ってて……絶対なくしちゃダメだよって言われてたんですけど……クラスの男の子にランドセルを木に投げられて……その、ランドセルの中身を確認しなくちゃって、焦りってしまって……だからお礼が言えなくて……」


 なるほど……あのランドセルはクラスの知り合いに投げられたのか。そして中身には大切なお金が入っていた。だから手元に戻ってきたランドセルに飛びついたわけだ。

 

「ずっと、あなたのことを探してました」やっぱりか。「お礼を言わなきゃいけないのに……私はあのとき、お礼の前にランドセルを確認してしまいました……ごめんなさい。今、お礼を言われてください」


 ありがとうございました、と女の子はまた頭を下げてくれた。


 ……あの時から、ずっと私のことを探していてくれたのか。結構な日にちが警戒しているけれど……諦めずに私を探してくれたらしい。お礼が言いたいという理由だけで。


 この子……ちょっとヤンデレの才能があるな。もしかしたら、仲良くなれるかも……


 ……いや、やめておいたほうがいい。私と知り合いにならないことが、この子のためだ。だから、当たり障りのない言葉でごまかしておこう。


「どういたしまして」私も頭を下げて、「ランドセルと、中身が無事で良かったよ。お礼もありがとう。じゃあ……これで……」

「待ってください」立ち去ろうとする私を、女の子が呼び止める。そしてペットボトルを差し出して、「これ……よろしかったら……」

「え……」女の子が差し出してきたのは……メロンソーダ、のペットボトルだった。ラベルがないが……「……これは……?」

「その……見ての通り、メロンソーダです。お礼に……渡したくて……」

「え……あ……」……わざわざ毎日持ち歩いていたのだろうか。それとも偶然持っていたのだろうか。「そんな……お礼なんて……」

「受け取ってください……!」女の子はズイッと距離を詰めて、「そうじゃないと……私の気が済みません。私のためだと思って……どうか……」

「あ……じゃ、じゃあ……いただこうかな……」


 私がそういうと、女の子の顔が一気に明るくなる。そんなにメロンソーダを渡せたことが嬉しいか。


 ……まぁ、嬉しいならいいか。私がここでペットボトルを受け取ってこの女の子が幸せになるのなら、それでいいや。


「ありがとう」ペットボトルを受け取って、「じゃあ……今度こそ……」

「……」


 女の子が無言の圧をかけてくる。今この場で飲めと、目が言っている。


「ひ、一口だけもらっちゃおうかな……のども乾いたし……」実際、のどが渇いているのは本当だ。ゆきさんの家でお茶はもらったけど、それ以外で水分補給はしていない。「い、いただきます……」


 言ってから、私はペットボトルのキャップを開ける。炭酸が抜ける気持ちのよい音がして、そのまま私はメロンソーダを一口もらった。


 爽やかな口当たりだった。炭酸は強すぎもせず弱すぎもせず……ちょっとした甘さが鼻に抜ける。まろやかで飲みやすくて…… 


 これは……


「おいしい……」素直な感想が口から出てきて、「これ……どこで売ってるの?」

「あ、その……市販品ではなくて……」女の子は照れくさそうに、「私が……作ってみました」

「あ、そうなんだ……」


 それはすごい。称賛しよう。こんな小さな女の子がここまで……


 ……


 ……待てよ……なんかおかしいぞ? 違和感があるぞ?


「いろいろ研究しました。どうやったらおいしくなるのか」女の子は満足そうに、「シロップとか炭酸水とか……試行錯誤して。味にも見た目にもこだわって……」

「そ、そうなんだ……」


 なんか嫌な予感がしてきた。女の子の説明が耳に入ってこない。


 ……この子は……毎日私を探していたのか? 私が助けた日からずっと? まだそこまでならわかる。登下校の時間に公園を軽く探すくらいならできるかもしれない。

 だが、なんで今日……偶然にもメロンソーダ入りのペットボトルを持っている? 市販品ならまだしも、これは手作りらしい。そんなものが偶然、私にたどり着くか?


「本当は水筒に入れたかったんですけど……炭酸飲料を入れられる水筒がなくて……ペットボトルにしました。ラベルは作れなかったんですけど……味には自信があります」

 

 そもそも……なんでこの子は知っている? 私がメロンソーダが好きだということを。なんでこの子はそれを知っていた? なんで自作するくらいまでこだわる? 


「それに、隠し味も入れましたから」女の子は笑顔で言う。「たっぷりの愛と……」

「睡眠薬……?」


 その隠し味に気づいたときには、もう遅かった。体から力が抜けて、ペットボトルが地面に落ちる。そしてそのまま私自身も地面に倒れ込んだ。


 意識が薄れていく。だんだんと目を開けていられなくなって、すぐに私の意識は夢の中に落ちていった。


 ……


 ……


 ……


 え……? なんでこうなるの?

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