第76話 最終回

 雨の中、しばらく私は泣き続けた。ゆきさんもみなとさんも、なにも言わずに見守ってくれていた。自分自身もずぶ濡れになりながら、ずっと待っていてくれた。


 雨が降っているのが、唯一の救いだった。大声を出しても、ある程度はかき消してくれる。涙も雨に流されるから、ふく必要もない。


 さくらさんは、私のために耐えていてくれた。私の嫌がらせを自分が受けることによって、私に恩返しをしようとしてくれた。

 

 そんな恩返しは、的外れだ。もっと他に方法があったはずだ。さくらさんがいるだけで、私は嬉しかったのだから。

 

 私の大切な後輩、さくら牡丹ぼたんさん。その人は、いなくなってしまった。それだけが、私に残された事実だった。


――せめて先輩だけでも、幸せに生きてください――


 遺書に残された言葉。


 生きる……幸せに生きる。私にできるだろうか。こんな私にも、幸せな未来が待っているのだろうか。こんな私でも、幸せになっていいのだろうか。


 さくらさんが望むのなら、私は生きよう。できる限り幸せに、長生きしよう。何もかも手に入れようとしよう。


 泣いている場合じゃない。悲しんでいる場合じゃない。さくらさんのためにも、私は幸せにならないといけないのだ。そのために、今すぐにでも動き出さないといけないのだ。


「……みなとさん……」


 私は涙声で言う。


「……なんですか?」

「私は……きっとあなたを振り向かせてみせます。あなたが私を好きになってくれるくらい、良い女になります。だから……もし、その時が訪れたら……私の、恋人になってくれませんか?」

「……いいですよ」意外にも、あっさりと返答が帰ってきた。「あなたといれば、退屈しなさそうだ。あなたほど危険な魅力がある人を、僕は知りませんから。むぎさん……いえ、笑美えみさんならきっと、僕を非日常に連れて行ってくれる」


 非日常……そういえばみなとさんは非日常願望があると言っていたな。そんな非日常に、私があんないしてあげればいい。トラブルメイカーの私なら、できるかもしれない。私といるだけで、非日常が出来上がるかもしれない。


 でも、


「……危険な人なら、ゆきさんのほうが適任かもしれませんよ? ゆきさんを狙ったほうが……」

「そうなるかどうかは、あなた次第ですよ。あなたがつまらない人だと判断したら、容赦なく逃げさせていただきます」

「逃しませんよ。絶対に」

「……」みなとさんは私の目を見て、「良い目ですね……その狂気を含んだ目線……僕にとっては魅力的だ」


 なんだか心が通じ合った気がした。まだみなとさんの恋人になれたわけじゃないけど……きっと私ならできる。いや、ならないといけない。素敵な恋人を作って、幸せに生きてやるんだ。さくらさんのためにも、私が幸せにならないといけない。


 そんなやり取りを見ていたゆきさんが、


「……みなとさん……あなたも大概、変な人だねぇ……私が言えたことじゃないけど、危険人物からは離れなよ」

「じゃあ僕はあなたの探偵事務所から逃げないといけませんね」

「それもそうか……」ゆきさんは肩をすくめて、「でもまぁ……お二人共、自分の身は守りなよ。危ない領域に足を踏み入れてるってことは、忘れないように」

「わかりました」


 私もわかっている。わかっているつもりだ。この先どんな危険が待ち受けていたとしても、私はくじけない。逃げても、泣いてもいい。ただ、絶対に幸せに長生きする。それだけが目的。さくらさんの最後の願いを叶えるために、私は生きる。


 きっとこれは最終回。青鬼あおき笑美えみという人物の物語は、これでおしまい。この先も私の人生は続くけれど、それが語られることはない。


 だって私は、幸せになるのだから。波乱万丈なんて程遠い、幸せな人生を送るのだから。必ず幸せになるとわかっている……そんな物語はつまらないじゃないか。


 それくらい、幸せに生きてやる。見る人すべてがつまらないと思う人生を生きてやる。全員が嫉妬するくらい安全で、平和な生活をしてやる。ゆきさんの言う危険な領域にいても、私だけは絶対に生き残ってやる。


 ……いや、ちょっとくらい危険があっても、面白いかも? まぁどっちでもいい。私がその状況を幸せに思えていれば、それでいい。それだけでいい。


 思えば私も、ずいぶんと変わったものだ。会社の仕事だけで精一杯で押しつぶされそうになっていた頃の自分とは、大きく異なる。


 その変化が、私に幸せをもたらすのか……それはわからない。だけど関係ない。もしも今の私でダメなら、また変化するだけだ。幸せになるまで変化し続けてやる。


 みなとさんに恋をして変わった私の人生……


 これからは……できる限り幸せな人生がおくれますように。

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