第58話 私

 エマさんの車に乗せられて、私はとある病院に到着した。私は来たことがないけれど、かなり大きな病院。この近くにさくらさんは住んでいたのだろう。そして自宅で見つかって、運び込まれた。


 エマさんは車を駐車場に止めて、


「どうする? 1人で、行ける?」

「……はい……」かなり地に足がついてきた。「大丈夫……だと思います」

「そう……じゃあ、私がいても邪魔よね。ここで待ってるから、行ってきなさい」それから、とエマさんは紙を一枚取り出して、「これ、私の連絡先。1人で帰りたいとか……なにかあったら連絡して」

「……ありがとうございます……」


 私は紙を受け取って、歩き始める。本当は走りたいのだけれど、体が言うことを聞かない。しかもここは病院なのだ、走るわけにはいかない。


 そのまま自動ドアをくぐって院内に入る。転びそうになりながらフロントにたどり着いて、


「あ、あの……さくらさん……さくら牡丹ぼたんさんがここにいるって聞いて……」

「あ……」その名前を聞いて、係員の方の表情が暗くなる。「さくらさんの、ご遺族の方ですか?」


 遺族……つまり……やっぱり……


「いえ……会社の同僚で……」私とさくらさんの関係は、それだけ。「あの……会うことは、できますか……?」

「……」係員さんは目をそらしてから、「……301号室です。今は警察の方がいらっしゃいますが……」

「行きます」誰がいても関係ない。私は、さくらさんに会わないといけない。「ありがとうございました」


 頭を下げて、階段を上がる。エレベーターを待っている時間が惜しかった。エレベーターのほうが早いのはわかっているのに、階段を使ってしまった。もう冷静な判断力は失われていた。


 できる限り早く歩いて、それから地図を確認する。301号室という場所の位置を頭に入れて、また歩き始める。


 病院の内装を見ている余裕などない。ただ一直線に301号室を目指す。途中で医者らしき人から怪訝そうな顔を向けられたが、気にしていられない。


 そして、たどり着いた。301号室、と書かれた部屋だった。


 私はその部屋をノックする。中にいる人……おそらく警察官の方から入室許可を得て、私は扉を開けた。


「……さくらさん……」


 そこに、さくらさんはいた。


 彼女はベッドで眠っていた。安らかに、とても穏やかな表情だった。不安なんて一切ない、キレイで幼い……美しい寝顔だった。

 ……首に跡がある……たぶん、ロープの痕跡。さらにロープを取り外そうともがいたのか、傷跡もたくさんあった。

 その細い首にロープを巻き付けて、彼女は……


「あなたは……」警察官の人が私に話しかけてくる、「さくら牡丹ぼたんさんのお知り合いですか?」

「……」答える余裕はない。私はフラフラとさくらさんに寄っていって、「どうして……?」


 ベッドにすがりついて、私はさくらさんの顔を確認する。


 呼吸は、していなかった。まるで人形みたいに、彼女はそこに存在していた。ピクリとも動かない……ただの、人の姿をした肉体だけが残っていた。


「なんで……?」私はさくらさんの頬を撫でる。冷たくてサラサラで……人間のものとは思えない。「なんで……さくらさん……」


 どうしてさくらさんは自殺したのだろう。そんなに思い悩んでいたことがあるのだろうか。

 私は、気が付かなかった。先輩だったのに。慕ってくれていたのに。一緒にいたのに。私は気が付かなかった。


 どんな悩みがあったのだろう。どんなに苦しんだろう。どんな決意で実行したのだろう。どんな恐怖があっただろう。今の私には、想像することすらできない。


「私が気づいてれば……」


 私が、さくらさんの苦しみに気づいていれば……


 ……さくらさん、ダイエット中だって言っていた。その時から、少し痩せていたように見えた。思えばあの時から、さくらさんの悩みはあったんじゃないのか? なんで私はあのとき、もっとさくらさんに助言をしなかった? どうして彼女を1人にしてしまった?


 私は、彼女を救えたはずだ。こんな未来を変えられたはずだ。私しかいなかったはずだ。彼女の変化に気づけたのは私だけだった。私だけだった。私だけ……なのに私は、彼女を救えなかった。何もできなかった。


 なんで、こんなことになった?


 ……


 ……ああ……そうか。


 私のせいか。

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