第53話 俺は行かんぞ

 通勤の電車の時間が長く感じる。空はすっかり太陽が見えなくなって、曇り空。


 ……嫌な天気だ。ついでに心も暗くなってくる。もう仕事を辞める決心は半分くらいできているけれど、それでも心が沈む。


 ……なんで社長に謝罪を求められているのか……その理由はわからない。理由を判明させるためにも出社するしかない。なんだか心が重いな。


 ……まぁどうしても程度が重いようなら、退社すればいい。唯一さくらさんのことだけが気がかりだけれど……まぁ彼女ならうまくやるだろう。私がいなくても、きっと大丈夫である。


 そんなこんなで、会社に到着する。会社を見上げて深呼吸をしてから、階段を上がってオフィスにたどり着いた。


 そして、そのオフィスに入るなり、


青鬼あおき!」部長が血相を変えて駆け寄って、私の腕をつかむ。「行くぞ」

「行くって……」私は部長に引っ張られながら、「ど、どこに行くんですか……」

「社長室だよ」


 ……やっぱり社長関連の話なんだな……私は社長に謝ることをした覚えはないけれど……


 社長室に引っ張られていく途中、社長の言葉が脳裏に蘇った。


――私の女にならないか? もしも断れば……なにかキミにとって不利益なことが起こるかもしれないぞ?――


 ……これから、なにかが起きるということか。今までは嵐の前の静けさ。今から、私の身に不利益なことが起こる。


 覚悟はしている。何が起ころうと、受け止めるつもりだ。私が我慢すれば良いのなら、我慢できるはずだ。


 そのまま引っ張られて、私は社長室の前まで連れてこられる。


 社長室の前で、部長は私の手を離す。


「よし、行け」行け、って……部長は来ないのだろうか?と思っていると、「俺は行かんぞ。怒られるのはお前1人でいいだろう」

「は、はぁ……」


 ……じゃあ引っ張らないでほしかったけど。社長室に行けと言われたら、自分の足で行っていたけれど。


 ともあれ、部長は足早に去っていった。どうやらかなりご立腹らしい。見たらわかるけど、ご立腹らしい。なんでご立腹なのかはよくわからないが。


 ……どうせクビになるのなら、謝らないでクビになりたい。怒られる前に逃げて、そのままクビになりたい。そのほうが、まだ精神的ダメージが少ない気がする。


 でもなぁ……ここで逃げても、その後ずっと心に残り続けるよな。どうして自分がクビになるのか、その理由を聞かないまま帰るわけにはいかない。


 ……私がクビにさせられる理由は、あとでさくらさんにでも聞けばわかるかな……でもさくらさんにそんなことを報告させるのも気が引ける。それに私が会社を辞めれば、さくらさんとの繋がりもなくなってしまう。


 ……まぁ、いいかな。私とつながっていなくても、さくらさんが幸せなら。さくらさんが順調に人生を生きれるのなら、私も幸せだ。さくらさんのストーカーには……ならないと思う。どこか知らない場所でも、彼女が幸せなら……


 誰かのために生きるというのも、悪くないな。誰かの幸せを願うというのは、本当に悪くない。それが自分の幸せにもつながるし、生きがいにもなる。


 ならば……もう怖いものなんてないな。会社をクビになるくらい怖くない。それくらい、いくらでも取り返せる。


 そう決意して、私は社長室の扉をノックした。

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