第26話 calm

 結局、それ以降テニスの最中に有益な情報は得られなかった。みなとさんのガードは硬いし、私もあまり深くは聞けない。間接的にしか聞けないから、遠回しな情報しか得られない。


「……そろそろお昼にしましょうか」テニスを切り上げて、私は提案する。「ちなみになんですけど……みなとさん、オススメの飲食店とかあります?」

「あるにはありますね。ここから少し距離が離れるので、今は行けませんが」

「ちょっと遠いくらいなら大丈夫ですけど……」私は時計を確認して、「まだ2時間くらい、予約の時間はありますし」


 予約は3時間。そしてテニスは1時間くらいおこなっていた。だから、残りは2時間。


「2時間……うーむ……間に合わなくも……ちょっと厳しい? どうでしょう……微妙なラインです」


 つまりみなとさんの住所はここから2時間くらいだ。これは有益な情報が得られた。かなり範囲を絞り込むことができる。

 いや待てよ……オススメの飲食店がみなとさんの住所の近くだとは限らないか……? みなとさんは仕事柄いろんなところに移動しているだろうから、そこで知ったお店という可能性も?


 ともあれ、深掘りしてみる。


「チェーン店ですか? だったら近くにもあるかも……」

「チェーン店……どうなのでしょう。あまり気にしたことはなかったのですが……ちょっと調べてみますね」


 そう言ってみなとさんはスマホを取り出す。


 ……覗きたい。そのスマホの画面を覗きたい。夢にまで見たみなとさんの住所がおそらく表示されている。みなとさんの個人情報の塊が目の前にある。

 掴みたい。盗みたい。このまま後ろに回り込んで画面を見たい。よだれが出そうだ。


 だが、ここは我慢しないといけない。いきなり背後に回ってスマホを盗み見るなんて論外だ。みなとさんに警戒されてしまう。もうサービスを提供してくれなくなるかもしれない。ここは我慢だ……


「残念ながらチェーン店ではないようですね……そこにしかないみたいです」

「へぇ……じゃあ隠れ名店なんですかね。風光明媚みたいな」

「そうかもしれませんね」そこで、みなとさんは言う。「オススメといえば……風光明媚も当然オススメですよ。まぁ、むぎさんに言うことではありませんが」


 そうかもしれない。むぎさんに風光明媚の場所を教えたのは私なのだから、オススメなのは当然知っている。


 まぁ、これはちょっとした会話のテクニックだろう。私が教えたお店をオススメされて、嫌な感じはしない。


「じゃあ、風光明媚に行きますか。すいません、同じお店ばっかりで」


 ということで、私たちは風光明媚に向かう。あそこなら秘密厳守もバッチリだろうし、会話にはうってつけだ。人もそこまで多くないから、気兼ねしないで済む。


 そんなこんなで、風光明媚に到着した。道中もいろいろと話しかけてみたけれど、やっぱり情報は得られない。今まででも結構情報は得られているので、ここは怪しまれないことを優先しよう。


 扉を開けて、


「いらっしゃいませ」従業員の赤星あかほしさんが出迎えてくれた。この人、毎日働いているのだろうか。「お好きな席へどうぞ」


 今日は店内に一組先客がいた。男女の……同い年くらいだろうか。おそらくカップルだろう。彼女が楽しそうに喋って、彼が適度に相槌を打つ。とりあえず仲が良さそうだった。お熱いカップルである。


 私もあれくらいみなとさんと楽しくおしゃべりしたいなぁ……


 ともあれ、私たちはいつもの席に座る。奥のほうの端のほう。目立たず、店内が見回せる場所。一応窓の景色も見える。私はここがベストスポットだと思っている。


 それぞれメニューを決めて注文する。それぞれ、といっても同じものを頼んだのだけれど。オムライスと紅茶……一応この風光明媚の看板メニューになっているオムライスだ。まぁどの料理も美味しいから、なにを頼んでも良いのだけれど。


「おまたせしました」


 しばらくして、赤星あかほしさんがオムライスと紅茶を運んできた。そして手を合わせて、みなとさんが料理に口をつける。


「あ、美味しい」心から出た一言に思えた。「さすが看板メニューですね」

「そうですね……他のメニューも美味しいですよ」そう前置きしてから、「みなとさんのオススメのお店のオムライスと、どっちが美味しいですか?」

「うーむどうでしょう……ちょっと甲乙つけがたいですね」

「そうですか」


 引っかかってくれた。これでみなとさんのオススメのお店のメニューにオムライスがあることが確定した。ちょっとずつ情報が集まってきた。これはみなとさんの住所に行き着くのも時間の問題かもしれない。


「私もみなとさんのオススメのお店に行ってみたいなぁ……」踏み込んで聞いてみる。「なんていうお店ですか?」

「……」みなとさんは一瞬言葉に詰まる。しかし、それくらいでは個人情報にはつながらないと判断したのか、「calmカーム、という喫茶店です」

calmカーム……」聞いた瞬間にスマホで検索したい衝動に駆られる。しかし、そんなことをしては怪しすぎる。「ありがとうございます。今度時間があれば行ってみようかなぁ……」


 という適当なことを言っておく。もちろんお店なんかに興味はない。興味があるのはみなとさんだけだ。


 それにしても……今日一日でかなりみなとさんに近づいた気がする。もしかしたら、なんとなくの住所が判明するかもしれない。そうなれば、プライベートで出会える可能性もある。


 今日のオムライスは、いつもより美味しく感じた。やはり気の持ちようってのは、重要なんだなぁ……

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