第24話 運動不足

 完全にみなとさんだけが生きる糧になっている。そんな危ない状況であることは自覚しつつも、どうしようもない。今の私からみなとさんまで奪われたら、いよいよ生きる意味を見失ってしまう。


 というわけで、仕事を終えて帰宅。書類を乾かしたりするのに時間を取られたが、なんとか仕事を終えることができた。


 現在時刻は10時30分。いつもより少し早めの帰宅だ。なんだか最近仕事の調子が良いので、少しだけ早く終えることができた。


 このくらいの時間なら、依頼を送っても大丈夫だろう。もともとアプリに通知が行くだけだ。夜中に着信音がならないように設定することもできるし……送っておいて問題ないだろう。


 ということなので、みなとさんのサービス……全肯定を依頼する。日時は来週の土曜日。


 そこまでは前回と同じ。しかし、今回はその他の欄にいろいろと書き込んでおく。


『久しぶりに運動がしたいので、一緒にテニスをしませんか。前に待ち合わせた公園にテニスコートがあります。用具は私が用意するので、少し動きやすい格好で来てくれるとありがたいです。もしよろしければ昼食もご一緒したいです』


 という一文を添えて、送信。今日は奮発して3時間コース。いろいろと確かめたいことがあるので、テニスをしたあとに食事もご一緒してもらおう。


 さて……これで来週の土曜日にまたみなとさんと会える。楽しみだ。恐怖もあるけれど、楽しみのほうが勝っている。


 目的のある待ち合わせというのは、これほど心が踊るのか。今までの待ち合わせは漠然としていて、私にとって嫌なものでしかなかった。

 だけど今回は、みなとさんの個人情報を推測するという目的がある。そのための会話をしなければならない。その背徳感が高揚感に変わっている。


 ……ルールを破ろうとするのって、こんなに不思議な気持ちになるんだな。缶コーヒーを私の書類にこぼした同僚も似たような気分だったのだろうか。だったら許してあげよう。


 目標があると、仕事にも少しやる気が出てきた。今までサボっていたわけじゃないけれど、仕事に向かう気分が違う。1週間経てばみなとさんと会える。6日経過すればみなとさんと会える。5日すればみなとさんと会える。4日でみなとさん。3日、2日……1日……


 明日……明日だ。ついに明日みなとさんと会える。やったこともないテニスの準備をインターネットで調べて万端にして、テニスウェアまで買ってしまった。ジャージまで新調して、鏡の前で着てみる。普段は気にならない背中のほうまで気になって、鏡の前でクルクル回る。


 おしゃれに気を使ったのなんて生まれてはじめてだ。はじめてがジャージというのが私らしいかも知れないが……ともかくこれが初のおしゃれ。みなとさんならきっと褒めてくれるから、安心しておしゃれができる。


 ……


 ああ……なんだかいよいよ私……危ない領域に足を踏み入れかけている気がする。法的にも、精神的にも……でもまぁいいか。このままその領域に入ってしまえばいい。そうすれば、きっと楽になる。


 準備を終えて、私は待ち合わせの場所に向かう。公園の大きな時計。はじめてみなとさんと出会ったときと同じ場所。


 同じ場所のはずなのに、なんだか見え方が違う。景色がカラフルに見えた。この場所はこんなにも空気が澄んでいただろうか。気の持ち方一つで、こうも景色が変わるのか。前回の待ち合わせのときもキレイに景色が見えるようになったと思っていたけれど……今日はさらにキレイに見える。


 また男の人達に襲われかける……なんてことはなく、待ち合わせの時間になった。


「おまたせしました」そう言って現れたのは、前回よりもスポーティな格好をしたみなとさんだった。「お久しぶりです、むぎさん」

「はい」ニヤつきそうになってしまうのを抑えて、「お久しぶりです。今日は無理を言ってしまって……申し訳ないです」

「いえいえ」爽やかな笑顔だった。癒される。「僕もここのところ運動不足でして……誘ってもらえてありがたいです」


 運動不足……つまり自転車に乗って移動とかはしてないのだろうか。ということは、割と都会のほうに住んでるんだな。電車に歩いて乗れる距離感にいるのだろう。


 いや待てよ……車に乗っているという可能性は? 免許を持っていてもおかしくない年齢だし、車に乗れれば移動範囲も広がる。

 しかし……大学受験しようとしてお金をためていて、車を買う余裕があるだろうか。車代も受験費に充てたいのではないだろうか。そう考えると、やはり駅の近くに住んでいるのかもしれない。かといって駅に近すぎると家賃も高くなるし……


「あの……むぎさん……?」

「え……あ」考え込んで自分だけの世界に入り込んでしまった。これでは疑われてしまう。私がみなとさんの個人情報を取得しようとしてることはバレてはいけない。「すいません……ちょっと仕事のことを思い出しちゃって……」

「なるほど……」なんとかごまかせたようだった。「お仕事……お忙しいんですか?」

「そう、ですね……結構忙しいです」

「……そんな忙しい中、僕のサービスに申し込んでくださったのですね。ありがとうございます」

「いえ……」そんな爽やかにお礼を言われると、ちょっと心が痛む。下心丸出して応募している身としては、心が痛む。「と、とにかく行きましょう。すぐそこにテニスコートがあるんですよ」


 そう言って、私は歩き始める。


 目的は1つ。みなとさんがどの辺に住んでいるか、それを会話から引き出す。さらに、私が個人情報を集めようとしていることがバレてはいけない。あくまでも自然に、気づかれないレベルで情報を引き出さないといけないのだ。


 はたして私にできるだろうか。いや……できるはずだ。というより、やらないといけない。


 なにがあっても、みなとさんを手に入れる。そのための第一歩なのだから。 

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