第14話 きっと優しい人なんだと思います

 私の話を静かに聞いていたみなとさんが、やがてゆっくりと口を開いた。

 

「なるほど……むぎさんは自分のことをそう評価しているのですね」あくまでも私の意見を受け入れてから、みなとさんは言う。「自己評価というのは非常に主観的なものです。自分のことを、自分が一番良くわかってないこともある。逆に自分を深く理解している人もいます。むぎさんがどちらかは、僕にはわかりません」


 そりゃそうだろうな。まだ出会って数十分だ。みなとさんが私のことを理解しているはずもない。


 みなとさんは、今のところたしかに否定していない。私が私に対する悪い評価を言っても……それすらも否定しない。むぎさんはむぎさんをそう思っている、と受け入れてくれた。そんなことないですよ、なんて気休めの言葉をかけられるより、よっぽど心が楽だった。


「では……今からむぎさんに対する、僕の印象を述べさせてもらいます」

「客観的な意見、ってことですか」

「そうなりますね。まぁ、僕が公平性を保てているかは疑問ですが」そう前置きして、みなとさんは語り始めた。「むぎさんは、きっととても優しい人なんだと思います」


 思わず、ため息が出そうになった。


――きっと優しい人なんだと思います――


 結局、当たり障りのない肯定だった。何度かもらった言葉だった。まったく実感のない、まったく響かない中身のない言葉。全肯定するなんて言っても、結局はこのザマだ。

 私が悪いんだよな。褒めるべきところがないから、薄っぺらい称賛しか浴びることができない。


 やっぱりお金をムダにしたな……なんてことを思っていると、みなとさんは続ける。


むぎさん、周りがとても見えていますよね」どこがだよ。私の視野は狭いよ。「この喫茶店に入る前……子供たちが揉めてましたよね。僕はそれに気が付きませんでした。結構距離が離れていましたし……それに、仮に見つけても、僕は気づかなかったフリをすると思います」


 本当だろうか。この人なら、助けに行きそうだけど。それとも、優しいのは仕事上だけなのだろうか。


 それにしても……私の視野が広い? そんな事言われても……


「それに、その視野の広さは物理的なものだけじゃない。精神的にも視野が広くて、結果として相手のことを深く考えることができる」……精神的な視野? そんな言葉は、はじめて聞いた。「さきほどこの喫茶店の前で……女性たちが絡んできましたね。そのときに、むぎさんは何も言い返さなかった。それは『相手が盛り上がっているか、邪魔したくなかった』という考えからだと思います」


 そんなことない。そんなことない。私が弱いから、声が出なかっただけだ。そんなことを言われたって私は……


「出会ったときもそうでした。あなたは男たちに詰め寄られていましたが……それでも相手のことを気遣っていましたよね」違う。そうじゃない。私は……「あなたは……とても深く物事を考えられる人なんです。だから、結果として言葉が出なくなることもある。それを短所だと捉える人もいるかも知れませんが……僕はむぎさんの長所だと思っています。こうして会話をしていて、僕は安心できますから」

「あ……安心?」

「はい。むぎさんの言葉は、つい口に出してしまった、というものじゃない。しっかりと考えて、相手を気遣った上で出てきた言葉です。だから僕はあなたの言葉を安心して聞くことができる」


 ……


「そんなむぎさんのことを、僕が嫌う要素はありません。ですが……むぎさんが変わりたいと願うのなら、それも否定はしませんよ。変わるあなたも、変わらないあなたも……僕は受け入れます」


 ……


 ……


「この喫茶店に入ったときも……むぎさんは席を迷っていましたね。それは僕がどの席を好んでいるのか、考えてくれたから。僕を不快にさせないように、ちゃんと悩んでくれたから。だから僕は――」


 言葉の途中で、みなとさんは息を呑んだ。目を丸くして、みなとさんが突然オロオロし始めた。


「す、すいません……」なぜかみなとさんが謝っている。「なにか不快にさせるようなことを……言ってしまいましたか?」

「え……」


 どうしてそんなことを思うのだろう。どうして私が不快になったと、みなとさんは思ったのだろう。


 その謎は、すぐに解けた。


「あ……」いつの間にか、私は泣いていた。テーブルに涙がたれて、ようやくそのことに気がついた。「あ、あれ……なんで……」


 袖で涙を拭うが、涙はとめどなく溢れ出してくる。自分が泣いている感覚もないのに、涙だけが溢れ出てくる。


 なんで私、泣いてるんだろう。意味がわからない。悲しいことなんてなにもなかったのに……


「ご、ごめんなさい……」震える声で、なんとか謝罪する。「なんで私……あの……深いってわけじゃなくて……その、逆で……」


 逆……そうだ。喋りながら、ようやく自分が泣いている理由がわかった。


 私は、嬉しかったのだ。みなとさんに肯定されて、心の底から嬉しかったのだ。

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