第5話 湊
私の人生といえば否定されることが大多数を占める。なにかやれば失敗するし、大したアイデアを出すわけでもない。お前は黙ってろと、よく言われる。喋ってなくても黙ってろと言われることもある。たぶん顔がうるさいのだろう。
もしかしたら私は、肯定という単語に飢えていたのかもしれない。だから、それは目にとまった。
『あなたのすべてを肯定します。一時間3500円交通費込み(犯罪行為や誹謗中傷、公序良俗に反する行為は肯定しません。また、個人情報の開示は一切しておりません)』
あなたのすべて……私のすべてを肯定してくれる……? こんな私を? いったい私のどこに肯定してもらえる要素があるのだろう。
……どうせ生きてるだけで素晴らしいとか、あなたはあなたでいいとか……そんな当たり障りのない言葉しか言わないのだろう。そんな言葉を受けても、今の私が救われるとも思えない。
やさぐれつつも、商品紹介ページを開く。なんだかんだ、私はこのサービスに心を奪われ始めていた。
『あなたのすべてを肯定します。一時間3500円交通費込み(犯罪行為や誹謗中傷、公序良俗に反する行為は肯定しません。また、個人情報の開示は一切しておりません)』
商品紹介にはそう書かれていた。文字サイズも変更していない。色も黒。写真も掲載されていない。無骨で無愛想なページ。
そのページには、サービスに関する情報が書き連ねられていた。
『〇〇県内のみ。県内であればどんな場所にでもお付き合いします。そしてあなたの行動や言動のすべてを肯定します。またタイトルにもあるように、犯罪行為や誹謗中傷、公序良俗に反する行為は肯定しません。また、個人情報の開示は一切しておりません』
県内……私の住んでいる県と同じだ。つまり申し込める。なんなら、今すぐ私の家に来てください、なんて言っても肯定してくれるかもしれない。
……申し込んだところで、結局傷つく結果になると思う。どこにでもある言葉を投げかけられて、最終的には否定される。自分には肯定される要素なんてなにもないんだと思い知らされる結果になる。
だけど……だけど……ちょっとだけ、申し込んでみようかな……1時間くらいなら、3500円だし……最近仕事ばっかりで遊んでないからお金は多少たまってるし……
恐る恐る、私は商品紹介ページを眺めていく。
出品者の名前は……『
男性だろうか。それとも女性だろうか。若いのだろうか。年配の人なのだろうか。考えれば考えるほど想像が膨らんでしまう。経験上、こうして考えている時間が一番幸せだ。いざ本番が始まってしまえば、緊張してなにもできない。ただただ苦しむ。
それでも、それでも申し込んでみたいと思ってしまった。こんな私を肯定できるものならしてみろ、という卑屈な感情もあった。
「1回だけ……1回だけ……」
呪文のように繰り返して、私は注文ページを開く。慎重にアカウントを選択して、必要な情報を打ち込んでいく。
そして『注文確定』のボタンに指が吸い寄せられようとした瞬間――
「――っ……!」
突然、スマホが震え始めた。壊れたかと思ったが、そんなわけはない。
……着信だ。しかも、上司から。こないだ私を買い出しに行かせて、怒ってきた上司である。役職は……なんだっけ。ぜんぜん覚えてない。もう私の認識力では、上司か同僚かくらいしか認識できていない。
上司から電話ということは……
「また出勤か……」
2ヶ月連続出勤……どうやらその記録は更新されそうである。嬉しくもなんともない。なんで休日なのに働かないといけないのか。しかも給料無しで。
……このまま無視してやろうか。気がつかなかったことにしようか。電源が切れていたことにしようか。そうすれば私は休みを満喫できる。
……
……
結局、怖くて着信を無視するなんてできないんだよなぁ……
恐る恐る対応ボタンを押して、
「……はい……」
「
「……家で……」なにをしてるんだろう。わからない。「……」
「なんで家にいるんだ?」
「……休日、なので……」
「お前な……休日を休日だと思ってるのなら、社会人失格だぞ」日本語って難しい。休日=休日という図式は成り立たないらしい。「会社の状況を考えて、休日でも仕事をしに来る。その判断ができてこそ社会人だ」
「は、はい……」
そんな社会人は嫌だ。社会人なんてなりたくない。
「とにかく、今すぐ来い」
「え、ちょ……」反論しようとして、「……切れた……」
電話が切れた。ついでに私も切れそうになった。とはいえ怒りをぶつける相手もいない。サンドバックでも買おうか……近所迷惑だな。
……ああ……しかたがない。今日も出勤しよう……
私は服を着替えて、会社に向かった。
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