誘拐屋怪談

 わたしがを起業して最初に直面した課題は、単語を選ぶセンスだった。

 たとえば、〈平和〉。

 この二文字を誘拐すると、この世界から平和が無くなってしまうのだ。だから、このような依頼は、安易には受けられない。たとえ売上げが減っても、断固として依頼を断る経営判断も必要だ。

 あるいは、〈殺人〉。

 これなら、この世界から殺人が無くなることだから、誰からも歓迎されるはずなのに、〈殺人〉の二文字を誘拐してほしいという依頼は、いまのところまったくない。オーダーなしに仕事はできない。このあたりがなんともこの商売では難しいところだ。

 先日、久しぶりに仕事の依頼があった。

 〈希望〉を誘拐して欲しいというものだった。依頼主はおそらく闇の世界に属するものであったろう。

 わたしは思案した、考えた。

 この依頼を受けるべきかどうか。迷いに迷った挙句、やはり、依頼をることにした。この世界から、〈希望〉をすべて奪ってしまうのは、いかがなものか……とわたしなりに判断したのだ。

 その代わりに……と、わたしは代案を提案してみた。せっかくの依頼を断ってばかりいると、依頼主クライアントからの信用を失いかねない。事業家としては、逃げる経営者、などと失格の烙印らくいんを押されかねない。わたしとしてもここが正念場というものだ。

 そこで、代案を企画書のかたちで提出してみることにした。逆提案で、依頼主クライアントの意向を満たしつつ、こちらの良心にも恥じない程度のもの=単語を選ぶことにした。

 ブレーンミーティングを重ねて、慎重かつ大胆に単語を選んでみたつもりだ。

「うーん、キミ、これでは、なんだかインパクトに欠けるのではないかね」

 先方の担当者から、そんな嫌味をチクリと言われた。

 けれど、ここで引き下がってしまっては、わたしもプロとしてのプライドにかかわる。何度も説得し、ついにゴーサインがでた。

 よし、いいぞ……わたしはニヤリと微笑んだ。

 依頼主クライアントからゴーサインが出た、誘拐対象は、〈今日〉。


             ( 了 )       

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