第153話 魔王・ナナリ(1)

 浮遊感が身体を包む。


 次に目を開いた時、俺たちの前に広がっていたのは、何もないただただ真白い空間だった。


 それは原初の風景か、それとも、ただ単に背景の構築が間に合わないほどにカロンが切羽つまっていたのか、今となっては分からない。


 色も匂いも音もない、その荒涼とした空間に、彼女は一人佇んでいる。


 俺の前からいなくなった、あの時のままの姿で。


「……来ちゃったんだね。お義兄ちゃん」


 七里はそう呟きながら、大剣を振りかぶり、俺に襲い掛かってくる。


 その瞳は寂しげで、口元は緩んでいて、喜びと悲しみの相反した感情を抱え込んでいるみたいだった。


「ああ。来たよ。約束したからな。お前を助けに行くって」


 俺は、七里の繰り出してきた全ての攻撃を余裕でいなす。


 平常時の七里よりは若干強くなっている気がするが、それでも、結婚ブーストによって能力が大幅に底上げされている今の俺の敵にはならない。


「うん。そうだよね。お義兄ちゃんはそういう人だよね。――だけど、だめだよ。かわいい女の子を三人もこんな危ないところに連れてきちゃ。大人しく日本でキャッキャうふふのハーレムラブコメをやってればよかったのに」


 七里はそう言って、非難がましく俺の三人の仲間を横目で見る。


「できないよ! 姉さんがいないと、私の理想の家族は完成しないんだから!」


「分かってるっしょ。七里ちゃんがいないと、大和は幸せじゃないんだよ。そしたら、ウチだって悲しいじゃん。それに、ウチにとっても、七里ちゃんは妹みたいなものだし!」


「私と岩尾兄さんは皆さんに命を救って頂きました。もちろん、七里さんにも相応のご恩返しをしなくてはなりません」


「……はあ。さすが、私がお義兄ちゃんの側にいて欲しくて選んだ人たちだけあって、みんないい娘だなあ。もうちょっと、ビッチ《性悪》な娘を選んでおけばよかったかな」


 口々にそう言い募られた七里は、冗談めかして呟く。


「ふう。減らず口は相変わらずだな。魔王七里っていうから、どんなにガチガチに洗脳されたのが出てくるのかと警戒してたんだが」


 俺はため息をつく。


「うん。だって、私の人格がそのままの方がお義兄ちゃんたちが攻撃しにくくなるでしょ。でも、身体の自由は利かないの。だから、私は生きている限り、こうしてお義兄ちゃんを攻撃し続ける」


「これくらい大したことないな。お前は知らないかもしれないけど、俺はさっきあのダイゴを倒してきたんだぞ」


「全部見てたよ。強くなったね。お義兄ちゃん。最後に元気なみんなを見られて、嬉しかった。でも、世界にはもう時間がないから。――さあ、お義兄ちゃん! 一思いにやっちゃって」


 七里はそう言って、気丈に微笑む。


 ああ。


 いらいらする。


 本当のお前は、そんなキャラじゃないだろうが!


 こんな時だけ物分かりのいいフリをしたって、俺が納得する訳ないだろう!


「そうだな――」


 だから、俺は駆けだす。


 わがままで、無邪気で、偉そうで、だけど、なぜだか憎めない――そんな俺の義妹を取り戻すために。


「……」


 覚悟を決めたように七里が目を閉じる。


 それでも彼女の首から下は、別の生き物のように回転斬りを繰り出してきた。


 うなる大剣。


 俺はそれを難なく下に弾き落とす。


 そのまま七里に突進した俺は、彼女を床に組み敷いた。


 強引に鎧を剥ぎ取り、金属製のロープで手と足を縛る。


「ちょっ! お義兄ちゃん!? 何やってるの!? 私を脱がせて縛ってなにする気!?」


 動転したのか素に戻って叫ぶ七里。


「そうだな。強いていえば、お医者さんごっこ、的な?」


 俺は、そんな彼女に巻き付けたロープを釘で床に打ち付け、七里を大の字の格好で仰向けに固定する。


「ええ!? ちょっと! 何? 思い出作り? いくら私が好きだからってそれはだめだよ! いや、お義兄ちゃんがどうしてもっていうなら付き合ってあげないでもないけど、瀬成さんも見てるでしょ! 浮気ダメ絶対」


 七里が頬を染めながら、早口で並べ立てる。


「ああ。そうだな。――瀬成も手伝ってくれ」


 俺は七里の戯言を聞き流して瀬成に目くばせする。


「わかった」


 瀬成が七里の肩を押さえ、拘束に加わる。


「そんな! 三人で!?」


「いや、もちろん、由比と礫ちゃんにも手伝ってもらうけど」


「欲張りセット! 欲張りセットなの!? お義兄ちゃん!」


「はあ。お前は一体何を勘違いしてるんだ。――礫ちゃん。気にせずやっちゃって」


「かしこまりました。ご主人様。――くらき沼より涌き出でし混沌の邪霊よ。汝は肉を持たぬ身故に生者を妬みし者なり。吠えよ。怒れよ。呪えよ。『パラライズ』」


 礫ちゃんが七里に『麻痺』の状態異常を与える魔法を放つ。


「お、お、お義兄ちゃん。な、なんか身体痺れてるんだけど?」


 七里が舌ったらずな声で、抗議するように俺を見つめてきた。


「ああ。それでいいんだよ。じゃあ、今から腕とか脚とか、色々斬り落とすから。礫ちゃんの魔法のおかげで大丈夫だと思うけど、もし痛かったらごめんな」


「いやいやいやいや! いくらなんでもそのプレイは上級者すぎるよ! っていうか、お義兄ちゃんはどちらかといえばMのキャラじゃん! そんな鬼畜ドSじゃないじゃん! ヘタレじゃん!」


 喚く七里。


 もちろん俺はドSではないが、かといってMでもない。


 あー、相変わらずこいつの憎まれ口はうざい。


 でも、なんだか懐かしいんだよな。この感じ。


「じゃあ、まずは右脚からいくぞ」


 剣を振り下ろし、太ももの付け根から、七里の右脚を切断する。


 流れ出る血を漆黒の剣――影の掌握者で吸収しつつ、俺は胴体と離れた脚を、即回収し、アイテムボックスへと転送した。


「痛く――はないけど、えぐい感触があるよ!  ごめんごめんごめんヘタレって言ったから怒ったの? なら謝るから、変なことせずにさくっととどめ刺して!」


「刺す訳ないだろ。俺はお前を助けにきたんだから。大体、あの程度の悪口で怒っていたら、俺はもう七里を一万回は殺してるよ。――さあ、由比。頼む」


「はい。兄さん。慈悲深き光の精霊よ。戦い傷つきし者たちに大いなる生命いのちの息吹を恵み給え。『ヒール』」


 由比の回復魔法で、再び七里に脚が生える。


「あああ、治った。よかった。――じゃなくて! お義兄ちゃん! どういうこと!? 説明プリーズ!」

「お前も言っていた通り、世界がやばいから説明している時間はない。じゃあ、次は左脚な」


 俺は横目で時間を確認しながら、剣を振り上げる。


 制限時間の残りは、すでに5分を切っていた。


「えええええええええええええええええ!」


 俺は七里の叫びを無視して、左腕、右腕、左腕と同じ工程を繰り返していく。


「………ショックだよ。いつの間にか私のお義兄ちゃんが陵辱趣味の変態野郎になり果てていたなんて」


 その全てが終わった頃には、七里の瞳はどこか遠くを見つめていた。


「この程度で音を上げて貰っちゃ困るぞ。次は、臓器いくから――礫ちゃん。ポーションで傷のコントロールをお願い」


「かしこまりました」


 俺は七里の腰の上に馬乗りになって、剣の先端を彼女の胃の下に当てる。


 礫ちゃんがポーションの入った試験管の栓を抜いて、それを七里の口に近づけた。


「え、ちょっと待って。冗談だよね? そんな、色んな意味でピュアっな私に帝王切開みたいなポジションで! ひいいいいいいいいいいいいいいいい」


 俺は『構造把握』で七里の臓器の位置を完全に把握しつつ、それらを傷つけないように、慎重に彼女の腹に縦の切れ目をいれた。


 再びあふれ出てくる血を剣で吸収しつつ、臓器や骨ごとに摘出した細胞のサンプルを、試験管に収集していく。


 スピード的には、臓器や骨をそのまま丸ごと摘出したいところだが、ポーションで回復しながらの作業とはいえ、一歩間違えれば回復が追い付かずに死んでしまうので慎重を期した。


「よし。これで大体、胴体のパーツは集まったな」


 俺は集めた細胞や骨の欠片を『錬金術』のスキルで培養して、元の臓器に復元していく。


 礫ちゃんがポーションの残りを一気に飲ませ、再び七里の傷が塞がった。


「あばばばば、もう出産も怖くないよ。お義兄ちゃん」


 七里が青ざめた顔で呟く。


「次は頭だ」


「もう好きにしてよ。よく兄妹だからお互いの尻の痣まで知ってるなんて言い回しがあるけど、身体の中身まで把握されちゃったら、もうお嫁にいけないどころじゃないじゃん! むちゃくちゃ責任取ってもらうからね! サイコお義兄ちゃん!」


 七里がふてくされた猫のようにそっぽを向く。


「それだけ元気があれば大丈夫そうだな。今までで一番えぐいから、目を閉じとけ。まあ、その目も採取するんだけど」


「いやああああああああああああああ」


 絶叫する七里。


 さすがに俺もグロすぎてビビるが、迷ってる時間はない。


 目、耳、鼻、口から、頭蓋骨に至るまで、先ほどの胴体と同じ要領でサンプルを採取していく。


 とはいえ、さすがに脳みそだけはちょっと傷つけただけで即死しかねないので、全く手をつけられない。なのでサンプルすら抽出せずそのままだ。


 作業を終えたところで、また由比が七里を回復する。


「よく我慢したな。次で最後だから」


 俺は七里の頭を撫でて労をねぎらった。


「いやいやいや。飴と鞭のバランスがおかしいよ? 今までの仕打ちに対してこのご褒美って。こんなの世界一従順なワンコでも納得しないと思うよ? っていうか、もうこれ以上取るところなくない!?」


「ああ。もうどこも取らない。後はお前の中の血をそっくり俺のと入れ替えるだけだ」


 俺はそう言いながら、鍛冶のスキルを駆使して、中が空洞の先端の尖った細いパイプ――輸血用のチューブを作り出す。


「じゃあ、由比。作戦通りに」


「はい。兄さん。――あまねく照らす光の精よ。汝は常に我らの側にありて、全ての生を言祝ことほぐ者なり。願わくば今、傷つきしかの者に、恵を分かち給え。『リジェネレーション』」


 俺は由比に継続的な回復効果のある魔法をかけてもらってから、そのチューブを、躊躇なく自身の左腕の静脈に突き刺し、七里の左腕の静脈と繋ぐ。


 もちろん、俺は医療関係者ではないが、『構造把握』で血管の位置を知り尽くしているので間違いはない。


 俺は同時に、空いた右腕で漆黒の剣を握りしめ、その先端を七里の右腕に当てた。


 ダイゴ愛用のレアアイテムが遺憾なくその力を発揮し、七里の中を流れる既存の血液をジュルジュルと吸い取っていく。


「うへえ。怖いよー」


「何がだ? お前はB型だろ? 俺の血液型はO型だから輸血しても大丈夫だぞ」


「そういうことじゃないよー。これはあれだね。お義兄ちゃんが私を好きすぎるのがいけないんだね。私にお義兄ちゃんの血を流し込むって、『お前と一つになりたい』アピールでしょ! 重い! お義兄ちゃんの愛が重いよ! 純然たる狂気だよー シスコンマスターだよー」


「そうやってわざとうざいこと言って嫌われようとしても無駄だぞ。俺ははっきり覚えてるからな。奥多摩でお前が俺に言ったセリフ。『お義兄ちゃんの馬鹿――でも、大好き!』だっけ?」


 俺は七里の口真似をして言う。


「ち、違うもん! あれはあのままいなくなったらお義兄ちゃんのトラウマになっちゃいそうだから、リップサービスで言ってあげただけだもん! 慈愛だよ! 仏の心だよ!」


 七里が頬を真っ赤にして否定する。


「はいはい。じゃあそういうことにしとくか」


「……ふう。もう! 最後くらいはかっこつけたかったのに、お義兄ちゃんといると調子狂うなあ」


 七里が溜息と共に呟く。


「なに言ってんだ。状況が異常なだけで、むしろいつもの俺たちはこんな感じだっただろうが」


「そうかもしれないね。――でも、マジでもう時間がないよ。何をしたいのかは分からないけど、このままじゃお義兄ちゃんが世界を滅ぼした戦犯になっちゃう。……だから、早く私を殺して」


 七里が一転真剣な表情で俺を見つめてくる。


「ああ。そうだな。そろそろ『七里』を倒さないとな」


 俺は漆黒の剣で吸収した七里の血を、錬金術で用いるガラスのフラスコに放出していく。


 その総量、およそ4リットル。


 これは、40kg程度の人体を満たすのに十分な量の血液だ。


 今、ここに、全ての材料は揃った。


「やっと決意してくれたんだね。さあ、お義兄ちゃん! 早く! 化けて出たりしないから!」


「わかった」


 俺は頷いて剣を振りかぶる。


 七里が再び固く瞳を閉じる。

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