第Ⅱ部 第二章 天空城編

第111話 英雄繚乱

 天空城に向かう当日は、生憎の曇天だった。


 だけど、それは俺の周りだけのことで、世界的には良い天気らしい。


 まあ、天気などなんでも構わない。


 どちらにしろ、雲の上に出てしまえば同じことだ。


 すでに出発の準備はすでに整っている。


 世界中の他の英雄たちも同じ状況のはずだが、各国が情報を秘匿しているため、詳しいことは分からない。もちろん、ダイゴから連絡などあるはずもない。


 しかし、それもまたどうでもいいことだ。


 今の俺に、天空城に行かないという選択肢はありえないのだから。


 俺は決意も新たに周囲を見渡す。


 マオとカニスが指揮する四人分のモービルが城塞の門の前に集結し、忙しい合間を縫って駆けつけてくれた石上やロックさんをはじめとして、たくさんの獣人や人間たちが、俺たちを見送りに来てくれていた。


「石上。それじゃあ、俺のいない間は任せた。城と鎌倉の掛け持ちの上、諸々丸投げして悪いけど」


「ああ。任された。アミーゴのおかげで命を救われた全国のギルドが、交替で助けてくれるから何とでもなるさ」


 俺と石上は拳を突き合わせて頷き合う。


 それ以上の言葉はいらない。


 この三日間、石上とは散々話し合った。


 戦いは天空城だけで行われているんじゃない。


 俺が要塞を築いたとはいえ、地上ではダンジョンから溢れたモンスターがいまだ猛威をふるっている。


 俺たちが――そして七里が安心して戻ってこれる居場所を守るために、城に残って戦う者もまた必要なのだ。


「ロックさんも、色々お世話になりました」


 俺はそう言って、ロックさんに手を差し出した。


「お前が俺たちにしてくれたことに比べれば、大したことじゃないさ。……礫をよろしく頼む」


 ロックさんが俺の手を、きつく握り返してくる。


「はい。それでは、行ってきます」


 俺は深く頷くと、踵を返し、仲間たちに向かい合う。


「ご主人様。出発の指定時刻まで、後三分です」


 礫ちゃんがデバイスを確認しながら、俺に報告してくる。


「そうか。……みんな。最後に確認するけど――」


「大和! それ以上言ったら怒るよ」


「私も、思わず兄さんを殴ってしまうかもしれません!」


『今ならまだ引き返せる』。月並みなセリフを吐いてしまいそうになった俺の口を、瀬成と由比が人差し指で塞ぐ。


「ありがとう。みんな、モービルに乗って!」


 俺は小さく微笑んで、そう号令をかける。


「「「はい!」」」


 俺はマオの、瀬成がカニスの、由比と礫ちゃんは、それぞれ別々のエシュ族とアコニ族のモービルに分乗する。


 三回ほど静かに深呼吸し終えると、やがて、デバイスに設定していた、既定の時刻を知らせるアラーム鳴った。


「さあ――出発だ! 門を開けてくれ!」


 俺は叫ぶ。


 両開きの扉が、軋んだ音を立てて開く。


 モービルが音もなく加速を始めた。


「頑張ってにゃー!」


「王よ! 世界を救うのであーる!」


「偉大なる精霊よ! 王に幸運を授け賜え!」


 見送り人たちからの声援を背中に受け、俺たちは門を抜け、大空へと舞い上がる。


 モービルは段々と高度を上げていく。


 森を飛び、山を越え、そしてついに鉛色の雲に突入した。


 俺の髪と頬が、しっとりと濡れる。


 冷たいサウナの中にいるような、ちょっと息苦しい感覚にしばらく耐えていると、ふっと体が軽くなった。


 眩しい光に、目を細める。


 上には太陽。下には雲海。そして、両者の中間に位地する浮遊する大陸と、その中心に鎮座する城を、俺は視線の先に捉えた。


 まだかなり距離があるはずなのに、不思議と近くにあるように見える。


 それだけ天空城が巨大だと言うことだろう。前にニュースで聞いたところでは、浮遊大陸そのものは北海道くらいの大きさがあるらしい。天空城は四角錐型になっているから、高さによって横幅は変わるが、その底面の面積は、四国に匹敵するという。


 モービルがあらかじめ定められた上陸地点に向けてスピードを上げる。


 しばらくすると、遠くにちらほら人影を見かけるようになった。


 といっても、まだ距離があるため、点のようにしか見えないのだが、世界各国の戦力が続々と集結しつつあるようだ。


「そろそろ速度を落としてくれ! 敵の迎撃があるはずだ」


 俺はそう命令を下す。


 モービルが制動するのとほぼ同時に、城から黒い影が一斉に空に向って拡散してきた。


 その内の一部が、こちらへとやってくる。


 およそ十体かそこらのワイバーンだ。


「『縫い止め』!」


 俺はタイミングを見計らい、お馴染みのスキルを放った。


 確かな手応えと重量感に、モービルが高度を下げる。


 一網打尽にされたワイバーンが、爪牙を乱暴に振るい縛めを破ろうとするが、糸はびくともしない。当然だ。今の網の使っている糸は、ただでさえ硬い『至鋼』で作ったものを、さらに錬金のスキルで強化してあるのだから。


 ワイバーンが苦し紛れに吐いてきた炎を、建築のスキルで作った即席の壁で防ぐ。


 やがて、敵の攻撃が途切れた所で、俺はアイテムコマンドを開き、青色の瓶を取り出した。『ブリザードポーション』というアイテム名が表示されたその瓶を、俺は網の中に放り込む。


 瓶が割れると周囲に青色の冷気が広がり、たちまちワイバーンたちは一つの氷の塊となり果てた。


 やがて、『縫い止め』の効果が切れ、網が解けると、ワイバーンたちはなす術なく墜落していく。


 その先にあるのは海面。


 この高さから落ちれば、間違いなく奴らの身体はバラバラになるだろう。


「やったね!」


「兄さん! さすがです!」


 瀬成と由比が快哉を叫ぶ。


「『移り気なる風の精霊よ。その溢れる若き好奇によりて、ありし季節を疾くと巡れ』。ご主人様。詠唱完了致しました」


 礫ちゃんの魔法で、『縫い止め』の再使用制限時間が、40秒に短縮される。


「よしっ。じゃあ、このまま待機して次の敵を――」


 バビュウッ!


 俺が次の敵に狙いを定めようとしたその瞬間、横合いから突風にあおられた。


「にゃ!?」


「ひどいー、風ですねっ!」


 モービルが遊園地のコーヒーカップみたいにクルクル回転し、マオたちの奮闘の末、ようやくコントロールを取り戻す。


「誰ですか! 兄さんの邪魔をする不届き者は! 殺しますよ!」


 由比が虚空を睨みつけて叫ぶ。


「ha!ha!ha! どうやら、ミーのジャイアントパンチの余波に君たちを巻き込んでしまったみたいだね! 大丈夫かい?」


 直後、デバイスに音声通信が入った。


 翻訳アプリが自動的に反応し、外国語を日本語に変換する。


 送れること数秒、風の吹いた方角から、大柄でマッチョな金髪の白人男性が生身で飛来してくる。


 その格好は、まるでアメコミのヒーローのようだった。


 彼の身体を覆うのは、筋肉を誇示するようなぴっちりとした全身タイツ。


 武器は俗にナックルと呼ばれる、巨大なグローブだ。


 胸にも、背中にも、武器にも、おおよそ目につくところ全てに星条旗が刻印されていて、一目で激しい愛国心の持ち主だと判別できる。


 その後ろから、彼の仲間らしいアメリカ人もぞろぞろとやって来た。


 全員白人だ。


 それぞれ格好は違うが、全員コミックヒーローっぽいという点だけは共通している。


「はい。大丈夫ですけど、気をつけてください。命に関わることなんで」


 俺はきつめの口調で答える。


「そうかい! 無事なら良かった! しかし、ここはステイツの英雄たちの持ち場だ! 君たち中国人はあっちでやりたまえ!」


 白人男性は俺の言葉の後半を無視して、一言も謝ることなく命令口調で言う。


「色々言いたいことはありますが、とりあえず、俺は日本人です。中国人じゃありません」


「ha!ha!ha! そうかい! それは失敬。アジア人の顔は区別がつきにくくてね!」


 俺の訂正を、白人男性が笑い飛ばす。


「チーフ。それ、差別発言よ! 謝罪して!」


 白人男性の後ろにいたビキニのような布地の少ない服を着た女性が、すかさず言葉を差し挟んだ。


「oh! Sorry! ともかく、ミーたちの攻撃は威力がとてつもないからね。撒き込まれたくなければ離れていることだ。ha!ha!ha!ha!」


 白人男性はわざとらしく肩をすくめてから、一方的にそれだけ言い残して、仲間と共にモンスターの群れに突っ込んでいった。


「な、なに? あの失礼な男は」


 嵐のように去って行った白人男性を見遣り、瀬成があきれ顔で言う。


「あれは、ジョン・ウェインですね。カロンファンタジアの職業は『格闘家グラップラー』。本国での通称は『チーフ オブ アメリカ』。彼の国で最強の英雄ヒーローです」


「なんかファッションセンスが200年前くらいから止まってませんか? 悪趣味っていうレベルを超えてますよ。あれ」


 由比が嫌悪感を滲ませて呟く。


「うん。でも、無茶苦茶強いよ。あの人」


 ジョンさんはモービルなしで縦横無尽に空中を飛び回り、モンスターの頭を空き缶のように潰していく。


 彼が拳を突き出し大技のスキルを放てば、その衝撃波はモンスターの群れを跡形もなく粉々にしただけでは飽き足らず、勢い余って雲海に大きな穴を空けるほどだ。


「他の人もなんか、アメリカ人の英雄って、強さも世界観もめちゃくちゃだね」


 瀬成の言う通りだった。


 カウボーイみたいな恰好でモンスターを片っぱしから調教テイムしていく一団があるかと思えば、前衛も含め、全員が魔法使いで構成されたギルドもあり、ジョンさんだけでなく、アメリカの英雄たちは、あくが強いというか、派手で個性的な戦い方をする人たちが多いようだ。


 人によって戦法が全然違うので、軍団としての統一感はあまりなく、何百人規模の大きなギルドが一つだけあるというよりは、十数人規模のギルドがいくつも集まって、大集団をなしている感じである。


「アメリカは、古くからe-sportsが盛んでしたから、文化的にプレイスタイルがエンターテイメント性を重視した派手なものになりがちなのです。もちろん、職業としてのプロゲーマーも多く、元々ネットゲーマーのプレイ人口の裾野が広かったため、現実化した後のカロンファンタジアにおいても、多数の英雄を輩出し、諸外国に優位な立場を築くことになりました。総合的な戦力では、やはり世界一じゃないでしょうか」


 礫ちゃんがつらつらと丁寧に解説してくれる。


「とにかく、突入地点を変えよう。彼らに自重しろって言っても無駄だろうし」


 アメリカの英雄たちから離れ、右方向にスライドしていく。


 バチュン!


 しかし、そんな俺の行く手を遮るように、一条の赤い光線が走った。


「……それ以上近づくな。日本人リーベンレン。ここは中国軍の作戦行動範囲内だ」


「はあ。今度は中国か」


 俺はため息をつく。


 デバイスに音声通信が入ってから遅れること数十秒、向こうから人だかりが押し寄せてくる。


 その中から、ローブを目深に被った男が進み出て、俺たちに杖を向けてきた。


 ローブの布に隠れて顔立ちはよくわからないが、血色が悪いのと、目の下の隈の濃さがとにかく印象に残る。


「今のは警告だ。これ以上、我々の邪魔をするようならば、モンスターと同様に扱う」


 男が低い声で呟き、鋭い眼光でこちらを睨む。


「いや、別に邪魔するつもりなんてないですよ。少しでも敵を減らそうと思っただけです。あなた方がメインで戦うのなら、俺はサポートに回っても構いませんが……」


「必要ない。貴様の戦い方は特殊過ぎて連携が取れない。そもそも、自力で飛べないような人間は戦力にならない。――とにかく、警告はした。後は好きにしろ」


 俺はなるべく友好的な態度で接したが、男はそれだけ言うと仲間の下にさっさと引き返して行ってしまった。


「全く! どいつもこいつも! 兄さん以外の英雄は人格破綻者しかいないんですか! ボケェ!」


 由比が去りゆく男の背中に向かって罵声を浴びせかける。


「まあまあ、あの態度には腹が立つけど、言ってる内容事態はそんなに間違ってないと思うよ。――ところで、礫ちゃん。あの人も有名な英雄なのかな?」


 天空城を攻略するにあたって、世界各国の英雄については一通り勉強したつもりなのだが、正直中国人の英雄は数が多すぎて把握しきれていない。


「中国の英雄は向こうの政府があまり情報を開示したがらないのでデータが少ないのですが、あの男には見覚えがあります。本名は分かりませんが、通称『黒蛟クロミズチ』と呼ばれる、ゲーム時代からカロンファンタジアの中国サーバーでは有名なトッププレイヤーだったはずです。職業は、あの外見の通り、大魔導士マスターソーサラーですね」


「なんか、その黒蛟だけじゃないけど、今度はみんな見た目が地味だったね」


 瀬成がぽつりと呟く。


 アメリカとは対照的に、中国の英雄たちの装備品は、無個性なカーキ色で統一されていた。ローブの類ならば無地だし、金属製の鎧ならば刻印などは一切なかった。


「中国は、元は民間人の英雄でも、強制的に軍に組み入れ、手に入れた資源も一元管理して装備を生産しているため、あのような画一的な外見になります。質ではアメリカの英雄たちに劣りますが、数が多く、統率が取れているため、総合的な実力ではアメリカを凌ぐのではないかという意見もあります」


「で、どうするにゃ? このままここにいるのは、あまりお勧めできないにゃ。さっきみたいなことが何度もあったら、やばい事故が起きかかねないにゃ」


 マオが左見右見して言った。


 戦線が横に広がり、アメリカの英雄と中国の英雄たちが、両端から俺たちの方に迫っている。


 のんびりしていたら、乱戦に巻き込まれそうだ。


「そうだな。一度前線から距離を取ってくれ。天空城に入りもしない内に、こんなところで怪我をしてもつまらないから」


 彼らが俺らの代わりにモンスターを討伐してくれるというなら、喜んで任せよう。


 常識的に考えて、可能性の束があるのは、天空城の最奥である。だとすれば、今ここで無理することにさほど意味はない。


 俺が全ての力を注いで一発逆転を狙うべきは、天空城を踏破したその先にある。


 それまでは、卑怯だろうと、他力本願だろうと、できるだけ体力やアイテムを温存すべきだ。


「ではー、退避しますねー」


 モービルが後退していく。


 やがて、俺たちが安全圏までやってくると、戦闘は激しさを増した。


『ha!ha!ha! 敵、200体、いや、300体か? まとめて吹き飛ばしてやったぜ!』


『……ワイバーン63体。ガーゴイル48体、死喰鳥32体、排除完了』


 いたる所で爆炎と血しぶきの花が咲き乱れ、デバイスの共同無線には、ひっきりなしに各国からの戦果を誇示する通信が入ってくる。


「みんな無茶苦茶やる気だね。やっぱり世界のピンチだから、張り切ってるのかな」


「残念ながら、事態は腰越さんのおっしゃるように単純ではないかと存じます。今回の攻略作戦は、世界各国の共同作戦ではありますが、同時にどの国が『可能性の束』を手に入れるかという争奪戦でもあります。誰が初めに天空城の地を踏むかは、作戦への貢献度をアピールするチャンスであると同時に、今後の攻略戦における発言力にも影響してくるので、腕に覚えのある国の英雄たちが攻勢に出ているのでしょう」


 瀬成の素朴な感想を、礫ちゃんがばっさり切り捨てる。


 確かに、今最前線で戦っているメンバーを見ると、アメリカ、中国、EUと、いずれも世界で存在感を放つ大国ばっかりだ。


 反対に、どことは言わないが、俺たちのように微妙な戦力しか持たない国々の英雄たちは、一歩引いた場所から情勢を見守っている。


「そろそろ決着がつきそうですね。兄さん」


「ああ」


 俺は、由比の言葉に頷いた。


 英雄たちの飽和攻撃を前に、敵がどんどんその数を減らしていく。


 各国の精鋭が全方位から我先にと上陸地点に殺到する。


 その中でも抜きん出たのは、やはりアメリカと中国の英雄たちだった。


 『チーフ』が星条旗を片手に駆けたかと思えば、『黒蛟』の魔法で一つの塊のようになった中国軍が、怒涛の加速を見せる。


 空飛ぶ大陸に人類の偉大なる第一歩を刻むのは誰か。


 俺たちは息を呑んで、二つの大国の競争を観察する。


 500メートル、400メートル、200メートル、50メートル。


 双方が互いに譲らず、このまま二つの勢力が衝突するのではないかと、俺が懸念を抱いた、その刹那――

 ダアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアン!


 鼓膜が震えるほどの轟音が、周囲を貫く。


 上陸地点から激しく土埃が舞い上がり、煙幕のようにアメリカと中国の英雄たちを覆い尽くした。


『残念だったな。糞雑魚ども! 天空城への一番乗りの栄光は、俺様たち『首都防衛軍』のものだ!』


 同時にデバイスに割り込んでくる、挑発的なメッセージ。


 その不遜な喋り方に、俺は視認する間もなく現れた第三の勢力の正体を悟る。


「ねえ。大和。この声って……」


「ああ。間違いなくダイゴさんだ」


 俺は瀬成の言葉を継ぐように言った。


 やがて土埃が晴れる。


 ダイゴは勝ち誇った顔で上陸地点に『首都防衛軍』の旗を突き立て、遅れてやってきた他国の英雄たちをあざ笑っていた。

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