第110話 祭りのあと
騒がしくも楽しい時間は、瞬く間に過ぎ去る。
エシュ族がどこか郷愁を誘う歌を紡ぎ、アコニ族の娘たちが陽気に踊り跳ねる中、俺はといえば、余興に次ぐ余興を観覧する暇もなく、ひっきりなしに挨拶にくる獣人たちのお酌を受けるのに忙しかった。
それがようやく一巡して、さてこれから楽しもうかと思った時には、いつの間にかもう宴は終盤にさしかかっていて、まさしく『後の祭り』状態。
やがてキャンプファイヤーも尽き、燃え残った薪が名残惜しそうに灰色の煙をくすぶらせる段階になると、祭りは自然とお開きの空気を醸し出し始める。
「じゃあ、俺はそろそろ城に戻るよ。礫ちゃんをちゃんとした所で寝かせてあげたいし」
俺は、傍らの礫ちゃんを一瞥して言う。
『下僕の使命ですので』と、無理して夜遅くの宴会にまで付き合ってくれた礫ちゃんは、今は俺の腕にもたれかかって、すやすやと眠りこけていた。
「了解ですー。今日はお疲れ様でしたー」
「うん。カニスも、お疲れ。――後始末とかはお願いしちゃって大丈夫?」
俺はそう尋ねると、毒消しのポーションを飲んで酔いを中和してから、礫ちゃんを起こさないようにそっと抱き上げる。
「もちろんですー。お任せください。――あっ。そうでした。一応、マオのために料理を取り分けておいたんですけどー。これどうしましょうー。ヤマト王は、手がふさがってますよねー」
カニスがラップをかけた皿を指して言う。
俺の指示で、事前に別にしておいたやつだ。
「そうだな。じゃあ、悪いけど、誰かこの料理をマオのところまで運んでくれるかな?」
「はい! では、そのお役目私が引き受けます!」
俺の呼びかけに、由比が間髪入れずに手を挙げる。
「そうか。ありがとう」
「いえいえ、これくらい当然です。では早速、城まで一っ走りしてきますね!」
由比はそう言うと、皿を手に走り出す。
「そ、そんなに急がなくても、普通に一緒に帰ればいいんじゃない?」
俺は去りゆく由比の背中に疑問符を投げかける。
「いえいえ! マオさんがお腹を空かせて待ってますから。兄さんは瀬成さんとゆっくーり時間をかけて帰ってきてくださーい!」
由比はこちらを振り向くと、意味深にそう言って、瀬成に謎の目配せをする。
それから、再び前を向き、あっという間に城の方に向かって走り去って行った。
何の配慮だ。
いつもの由比なら、『泥棒猫と兄さんを二人っきりにするなってありえません!』とか言いそうなのに。
「や、大和。じゃ、じゃあ、ウチらも帰ろっか?」
瀬成がぎこちない口調で尋ねる。
「う、うん。行こう」
俺はそう答えて歩き出す。
瀬成の緊張に当てられて、こっちまで声が上擦ってしまった。
俺たちはゆっくりと歩きだす。
春とはいえ、まだ肌寒い奥多摩の空気が、祭りの熱気で火照った俺の頬を、程よく冷やしてくれる。
お互い、何も喋らない。
名前も分からない虫のさえずりだけが、俺の鼓膜を震わせる。
「……大和。あのね。一つ聞きたいことがあるんだけど」
十分ほどは歩いただろうか。
森と街の中間くらいの場所まで来た時、瀬成がふと立ち止まり、口を開いた。
「なにかな?」
足を止め、瀬成を見つめる。
その憂いを帯びた横顔が持つ意味を、俺は恐れる。
人生において重要な意味を持つ何かが、瀬成の口から発せられようとしている気がする。
「大和が、マオとカニスから、結婚の話を持ちかけられてるって本当?」
瀬成が意を決したように疑問を口にする。
(ああ、ついにこの時が来てしまったか)
先延ばしにしていた宿題を突きつけられたみたいな絶望感が俺を襲う。
いや、そんな感情を抱くのはずるいな。本来ならもっと早くに、俺の方から話すべき事柄だったんだから。
出来れば瀬成には知られたくなかったけど、いつまでも隠しておけることじゃない。
「……本当だよ。異世界人である俺が、真に王として受け入れられるには獣人の伴侶を持つことが必要だって言われてる」
俺は深く頷いて、そう呟く。
「それで、大和はどうするつもり?」
「少なくとも今は、七里を取り戻すことで精一杯だから、話を受けるつもりはない。でも、将来のことは分からない。――いや、この言い方は卑怯かな。将来的には話を受けざるを得なくなる可能性の方が高いかもしれない。獣人と、日本人全体の関係性に関わることだから」
俺は正直に今の気持ちを吐露した。
「そうなんだ……。それでね。大和。あの、その、私たちの関係についてなんだけど……」
瀬成が言いにくそうに口ごもる。
「うん」
俺は静かに頷いて、先を促した。
断頭台に上るような気分だった。
ここまでくれば、誰だってこの先の展開の予想はつく。
政略結婚の話題が出たということは、当然、次に待っているのは俺たちの恋人関係の解消だ。
「ええっと、……ああー。ううー。ええー。やっぱ無理! ウチからは言えない!」
瀬成がそう叫んで、両手で顔を覆う。
こうなった以上は男らしく、瀬成に振られるのが俺の役目と思っていたけど、彼女から言い出せないならしょうがない。
俺自らの手で、この恋に終止符を打とう。
「瀬成。大丈夫。大丈夫だから。言いたいことは分かってる。もう、俺たち彼氏彼女の関係じゃいられないよな」
俺は瀬成に一歩近づいて、彼女を落ち着かせるように言った。
「大和――うん! ウチ、彼女はいや!」
瀬成が手の覆いを外し、潤んだ瞳で俺を見つめてくる。
「そうか……。じゃあ、別れよう」
意を決して言う。
さようなら。初恋。
俺が断腸の思いで下した決断に瀬成は――
「は? なんでそうなる訳?」
ぽかんと大口をあけて首を傾げた。
「え、だって今、彼女は嫌だって……」
「そ、それは、そういう意味じゃないし! 彼女じゃ、嫁には負けるから嫌って意味だし!」
「え? は? え? ええ? ど、どういう意味?」
俺は目を見開いて聞き返す。
瀬成から発せられる予想とは真逆の答えに、理解が追い付かない。
「うう! だから! 異世界人と結婚するくらいだったら、それより先にウチを大和のお嫁さんにしてってこと! 何度も言わせんなし!」
瀬成が逆切れするように叫んで、俺の肩を揺さぶってくる。
「ちょっ、た、タイム! タイム! 礫ちゃんが起きちゃうから! ――せ、瀬成。本気か? 本気で俺と結婚したいと思ってるのか!?」
「本気だけど!? 文句ある? それとも、大和はウチと結婚するのが嫌なの!? もうウチのことが好きじゃないの!?」
瀬成がぐっと俺に顔を近づけてくる。
彼女の息遣いが直接感じられるような距離感に、俺の心臓が早鐘のように脈打った。
「もちろん、好きだよ! 好きだけど、瀬成の方こそ、嫌じゃないのか!? もし俺がマオやカニスと結婚したら、重婚状態になるんだぞ!?」
もし、俺と瀬成が逆の立場だったら――瀬成が誰かと結婚しなければいけない状況になってしまったとしたら、俺はとても耐え切れないだろう。
「そ、それはもちろん嫌!」
「だろう? だったら――」
「嫌だけど! 大和が他の人のものになっちゃう方がもっと嫌! ――だ、だから、や、大和が、う、ウチを一番にしてくれるって約束してくれたら、他にもお嫁さんをもらっても、ゆ、許してあげる」
瀬成が顔を真っ赤にして、声を震わせて、真っ直ぐに俺を見つめてくる。
彼女の覚悟と、想いが、俺の胸を震わせた。
「約束するよ! マオやカニスと結婚するかどうかはともかく、俺が恋人として好きなのは瀬成だけだ! 今も、昔も、これからもずっと! だから、俺と結婚してくれ!」
俺は感情の高ぶるままに叫ぶ。
「はい!」
瀬成がこれ以上ない最高の笑顔で頷いた。
「大和――」
「瀬成――」
俺と瀬成は、お互いを見つめ合う。
どちらからでもなく、不思議な引力に吸い寄せられるように、俺たちの唇が近づき、そして――
「ご婚約おめでとうございます。ご主人様」
突如割り込んできた黒髪が、俺の視界を遮る。
「れ、礫ちゃん!?」
「あんた! 起きてたの? いつから!?」
俺と瀬成が、慌てて後ろに跳びのく。
「数分前から。どうにも声をかけづらい雰囲気でしたので、眠ったふりをしておりました」
礫ちゃんはこともなげにそう言って、俺の腕を離れ、地上に降り立つ。
「兄さん! 私もいますよ!」
近くの家の物陰から、由比が突然ひょこっと顔を出す。
「あ、あんた! ずっとウチらのこと覗いてた訳!?」
瀬成が顔を怒らせて由比を睨みつける。
「当たり前でしょう! ――さあ、兄さん。本妻さんから重婚の許可も頂いたことですし。これで兄さんが私を娶ることに何の障害もなくなりました。これからは妹、兼嫁二号として存分に私をかわいがってください」
こちらに駆け寄ってきた由比が、俺の右腕を抱きしめて。当然のようにそう要求してくる。
「では、私は、下僕、兼嫁三号として、生涯ご主人様にお仕えします」
礫ちゃんが、俺の左手をそっと掴んで言った。
「だから、妹と嫁は両立しないって言ってるでしょうが! 礫ちゃんに至ってはまだ小学生っしょ! 犯罪じゃん! ああ、もう、どこから突っ込めばいいかわかんない!」
瀬成が地団太を踏みながら、早口で叫ぶ。
「全く。ギャギャ―うるさい人ですね。兄さんの本妻になるんだったら、これくらいのことで動揺しないでください」
「ここは獣人の方々の自治区なので、地球の法律は適応されません。アコニ族の娘さんには8歳で結婚した方もいらっしゃるそうですから、私とご主人様が結婚しても何の問題もないということになります」
「あー、うるさいうるさいうるさい! や、大和! た、確かにウチは他の女の子と結婚してもいいって言ったけど、嫁はなるべく少ない方がいいことには違いないんだからね!」
あれこれ言ってくる由比と礫ちゃんの言葉を遮るように、瀬成が大声で叫ぶ。
「……。とりあえず、全部まとめて保留でお願いします」
俺は小声でそう呟いて、頭を下げた。
なにはともあれ、瀬成とお互いの気持ちを確認し合えたことは良かった。
おかげで、俺の心はだいぶ軽くなった。
――もっとも、新たに二つの悩みの種が追加されたことは、頭の痛い問題なのだけれど。
「おっ。なんだ。なんだ? 祭りは終わったって聞いたのに、こっちは随分賑やかじゃないか!」
その時、城の方角から聞きなれた陽気な声が響いてきた。
「ロックさん! お疲れ様です!」
薄闇の中でも目立つその大柄な人影に、俺は駆け寄っていく。
「よう。兄弟――なんてこれからは気安く呼べないか。大和王? 戴冠おめでとう。せっかくの晴れの舞台に顔を出せなくて悪かったな。会議が長引いてしまってよ」
ロックさんが申し訳なさそうに呟いて頭を掻く。
「とんでもないです! ……それで、あの、ロックさんがわざわざいっらっしゃたということは、もしかして、例の作戦の詳細が決まったんですか?」
俺は気持ちを落ち着けるように一呼吸おいてから、ロックさんに尋ねる。
「ああ。決まったぜ。――世界各国の英雄たちが、天空城の攻略を開始する日は、三日後だ」
ロックさんが厳かに言って、天を仰ぐ。
(待ってろよ。七里。俺が『可能性の束』を手に入れて、絶対にお前を助けてやる。七里が俺と結び付けてくれた、最高の仲間と一緒に、な)
俺も首を上げ、これから目指すべきそのダンジョンを、決意も新たに睨みつけた。
もはや日常の一部となってしまった禍々しい城は、星々を汚す緑色の妖光を放ちながら、わが物顔で夜空に君臨している。
決戦の時が、目前に迫っていた。
===============あとがき=================
いつも拙作をお読みくださり、まことにありがとうございます。
いよいよ始まるようです。
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