第100話 とある朝の風景(2)

「おっ。なんだなんだ。今日も賑やかだな!」


 突如聞こえてきた明るい声に、俺の沈んだ思考が中断される。


 視線を遣れば、そこには高そうなスーツをばっちり着込み、ビジネスバッグを片手に持ったロックさんが笑顔で佇んでいた。


「ロックさん! お久しぶりです」


 俺は立ち上がって挨拶しようとするが、礫ちゃんが太腿に乗っかってるので諦め、ロックさんに目礼する。


「おう。兄弟。元気そうでなによりだ。――礫、兄弟に甘えてないで、何か食い物を用意してくれよ。今日はまだ朝飯を食ってないんだ」


「知りません。自分で適当に食べてください。私はご主人様のお世話で忙しいので」


 礫ちゃんがそう言ってそっぽを向く。


 相変わらずの無表情だけど、今回ばかりは彼女の気持ちが分かる。


 礫ちゃんはすねているのだ。


 ロックさんには、あの日からずっと俺のため――もとい、獣人サイドと日本政府との執り成しのために奔走してもらっている。一応、城の中に礫ちゃんとロックさんのための部屋も用意してあるのだが、日本政府の方が利害関係者が多いので、どうしてもロックさんが俺たちの下にいる時間は少なくなる。


 もしかしたら、礫ちゃんも、人恋しくてこんな風にメイドの真似事をして、俺について回っているのかもしれない。


「おいおい。久しぶりに会った兄に向って随分な言い草だなあ。悪いな。兄弟。礫が色々迷惑かけてるだろ」


 ロックさんが苦笑しながら、こちらに近づいてくる。


「いやいや、全然そんなことないですよ。むしろ、俺たちのために礫ちゃんとロックさんの時間を奪ってしまって申し訳ないくらいで」


「気にしすぎだ。ゲーム時代の俺はもっと忙しかったからな」


「そうですか……。あ、立たせっぱなしですみません。とりあえず、そこに座ってください」


 俺は向かいの席を示して言った。


「おう。ついでにパンもらっていいか?」


「もちろん。どうぞどうぞ。どれでも好きなだけ食べてください」


「サンキュー。じゃあ遠慮なく」


 ロックさんはそう言うと、席について食事を始める。


 ロックさんは、食べる量も早さもものすごい。


 根源的な生命力の強さを感じる。


「それでー、ロックさんはー、今日はー、なにをしにこられたんですかー?」


 カニスがすっと目を細めて問う。


 いつもの間延びした喋り方だが、その声色にはどこか刺がある。


「そうにゃ。まさかタダ飯を食いにきただけとは言わないにゃ?」


 マオが耳をぴくぴく動かしながら問うた。


「お、そうだったそうだった。朗報だぜ! ついに国がお前達異世界人の人権と、居住区域における自治権を認めたぜ」


 ロックさんがビジネスバッグから書類を取り出して、俺たちに見せてくる。


 この距離だと詳しい文章は読めないが、紙面にびっちりつまった文字と、何個も押された判子を見ると、いかにもお役所が発行した書類といった感を受けた。


「わふうー! やっとですかー。よかったですー」


「これで一安心にゃ。マオたちは人間のために物を運んだりしてやってるのに、全く音沙汰がないから心配だったにゃ」


 マオとカニスがほっとしたように息を吐き出す。


 先ほどまでのロックさんへのピリピリした態度が嘘のようだ。


 まあ、その気持ちも分かる。


「待たせて悪かったな。だけど、日本の社会って奴は色々複雑なんだよ。これでもお役所仕事にしちゃあ、相当早い方なんだぜ」


 ロックさんが自身で空のコップにオレンジジュースを注ぎゴクゴクと飲み干す。


「お疲れ様でした。俺には想像もできないですけど、交渉、めちゃくちゃ大変でしたよね? 本当全部ロックさんのおかげです。ありがとうございます」


「まあ簡単だとは言わないが、俺だけの力って訳じゃないさ。まずなによりも、交渉の際には『英雄』になった兄弟の名も散々使わせてもらったからな。世論の後押しを受けた兄弟の頼みだったから、国も迅速に対応したんだぜ」


 ロックさんは首を振って言う。


「まあ、ただのチートのおかげですけどね」


 俺は謙遜ではなく、本心からそう言った。


 色々なメディアが俺のことを取り上げ、まるで救世主のように扱われる度、俺は何ともいたたまれない気分になる。努力して得た裁縫の技能と違い、棚ぼた的に手に入れた生産チートでやったことを褒められても、あまり嬉しくはない。


「それでも、兄弟のおかげで、諸外国に比べて日本の犠牲者が圧倒的に少なかったのは事実だからな。俺が小耳に挟んだところでは、政府が人気取りのために兄弟に国民栄誉賞を授与するって話も出てるくらいだ」


 ロックさんが冗談めかして言う。


「やめてくださいよ。そりゃ敵の攻撃を乗り切るのには多少の貢献はしたかもしれませんが、その後の国民生活を守ってくれたのはむしろ、マオやカニスたちです。獣人たちが、地道に各地への物資輸送や、インフラの維持に積極的に協力してくれたから、今も市民生活が辛うじて維持できている訳ですし」


 『創世のラグナロク』のwaveごとに天空城から放たれる飛行系のモンスターは、『英雄』となった各国有志のカロンファンタジアプレイヤーにより随時撃退されているが、一度、ダンジョンから郊外に溢れ出したモンスターや海から上陸したモンスターは数が多すぎて一朝一夕に殲滅することはできず、都市間の輸送は当然滞ることになった。


 もちろん、それは世界各国が共通して遭遇した問題だったが、こと日本に限っていえば、俺が各都市を城塞で囲って多くの命を助けたので、総人口の二~三割近くを失った諸外国よりも、さらに多くの救援物資が必要になる状況になってしまったのだ。


 もし、今まで、マオやカニスの部族の組織的な協力がなかったとすれば、とてもこの困難は乗り切れなかっただろう。超科学の飛空船による物資の輸送は、そう断言してもいいほどに効果的だった。


「まあな、確かにその実績も交渉材料としては大きかったな。そして、俺は商社の人間として、政府からの業務委託を受けて、兄弟たちと政府を仲介することでちゃんと利益を得てるんだ。だから、そうかしこまることはないぜ。兄弟は獣人たちの王になるんだから、簡単に頭を下げちゃだめだ」


「そうですね。気を付けます」


 ロックさんの忠告に俺は顔を上げて頷く。


「そうそう。それにゃ! 『王』にゃ! いつになったら、ヤマトの戴冠式のお祭りをやらせてくれるのにゃ? 早くヤマトを正式に王にしろって、マオは部族の仲間から突き上げくらってるのにゃ!」


 俺とロックさんの会話を聞いていたマオが、手を叩いて叫ぶ。


「マオ。よく見てくださいー。ここに書いてありますよー。人間さんたちもヤマトさんを私たちの部族の『王』にすることを一応、認めてくれるようですねー。まあ色々制限つきのようですがー」


 書類に目を通していたカニスが、その中の数行を指さして呟く。


「今の所は自治権で満足しておいてくれよ。さすがに日本もあんたらに独自の軍事権や外交権までは与えられねえさ。それをやったら、日本っていう国の中に別の国がもう一個できちまうのと同じことだからな。政府はあくまで、『一つの日本』ってやつにこだわっている。だから、今回、兄弟が王になるって話も、特定機密保護法の名の下に、外には漏れないよう、メディアに報道管制が敷かれてるくらいだぜ」


 ロックさんが肩をすくめて言う。


 マオの持っている文章をよく読むと、『王』という呼称の使用についても、今俺がいる奥多摩一帯の城塞に囲まれた範囲内についてだけは認めるが、対外的には俺はあくまで『首長』――つまり、県知事や市長とかと同じような扱いを受ける旨が記されている。


「色々納得いかない部分もありますが、まあ、仕方ありませんねー。私たちは人間さんたちに比べれば圧倒的に数が少ないですからー、とりあえずは従っておきますー」


 カニスが不承不承と言った感じで頷いた。


「もうカニス! 朝から難しい話はやめるにゃ。頭が痛くなるにゃ! とにかく、ヤマトの戴冠式のお祭りをやってもいいのにゃ? いいのにゃ?」


 マオがうずうずしたように尻尾をしきりにくねらせて、カニスの顔を見つめる。


「ええ。やりましょうー。戴冠式―。ここの所、あまり明るい話はありませんでしたからねー。きっとみんなにとっても、いい憂さ晴らしハレの日になりますよー」


 カニスが頷いて、マオに微笑みかける。


「やったにゃー! 祭りにゃ! 祭りにゃ! 早速準備をするにゃー」


 マオが椅子から勢いよく立ち上がり、部屋中を駆け巡る。


「ふふふ、マオー。嬉しいのは分かりますけどー、今からはしゃいでいたらー、祭りの当日まで体力がもちませんよー」


 カニスは微笑みを浮かべたままマオをたしなめる。


「なにを言ってるにゃ! 祭りはもう始まってるのにゃ! 早速、子分に命じて、野生のモンスターの卵を集めさせるにゃ。当日は卵パーティーにゃ!」


 マオはそれでもカニスの言うことを聞かずにそこら中を跳ね回り続ける。


 いよいよ俺は王になるらしい。


 未だに実感はないのだけれど。


「俺の会社からも差し入れするから、存分に楽しんでくれ――そうだ! 兄弟。仕事の報酬の件でちょっと話したいことがあるんだが、顔かしてくれるか?」


 ロックさんが右手の親指を立て、テラスの方を示す。


 俺はその仕草で大体の事情を察した。


 みんなのいる所で話しにくい件ということは、俺が相談していた天空城の攻略に関する話だろう。


「あ、はい。礫ちゃん。ちょっとごめんね」


 礫ちゃんを抱き上げて、椅子に降ろしてから、ロックさんの後を追った。

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