第99話 とある朝の風景(1)
コンコンコン。
ふと聞こえた木製の扉を三回、丁寧にノックする音に、俺は振り返る。
「礫です。入ってもよろしいでしょうか」
「ああ。どうぞ」
ここ数ヶ月ですっかり耳慣れたその声に、俺は出入り口まで歩いて行って、扉をを開けてやる。
「おはようございます。ご主人様。朝食の準備ができましたのでお伝えに参りました」
メイド服姿の礫ちゃんはそう言って、俺に向かって丁寧に一礼した。
「おはよう。あのさ、礫ちゃん。わざわざ呼びに来てくれるのはありがたいんだけど、そのご主人様っていうのやめない?」
俺は礫ちゃんにおずおずとそう問いかける。
「岩尾兄さんたちを救って頂けた暁には、『ザイ=ラマクカ』に私の命を差し上げますと、約束致しましたので、その長たるご主人様に敬意を払うのは当然のことです」
礫ちゃんが淡々と答える。
「うん。その気持ちは嬉しいよ。でも、何も下僕みたいに振る舞わなくてもいいんじゃないかな。……まあ、そのメイド服を縫い上げた俺が言うのもなんなんだけど」
礫ちゃんが『では約束通りこの身を捧げ、皆さんにご奉仕します』と言い出した時、俺は数日だけのおままごとのようなものだと思っていたので、ノリノリで彼女のためにメイドっぽい衣装を縫ってしまった。
七里もよく俺にコスプレ衣装を作るようにねだって、いざ仕上げてやったら、ろくに着もせずに数日で飽きるといったようなことがよくあったから、それと同じような感覚でいたのだ。
でも、当たり前だけど、七里と礫ちゃんは違う。
彼女は、七里と正反対に超がつくほどの真面目な性格で、律儀に三か月もの間メイドの役割を果たし続けていた。
「物事にはケジメが必要ですから。『ザイ=ラマクカ』の皆さんへの感謝を忘れないように、形から入るべきだと考えています」
「ええっと。じゃあ、せめて俺の呼び方は変えてくれないな。言い換えるだけでもいいから。例えば、ご主人様からマスターにするとか」
マスターなら、まだ『彼女に言うマスターは、ギルドマスターの意味です』と言い訳できる。
このまま小学生くらいの女の子に、ご主人様と呼ばせてるというのはあまりにも外聞が悪い。
自意識過剰かもしれないが、日本にいる数少ない英雄ということで俺もそれなりに有名になってしまったので、週刊誌などが知ったら、おもしろおかしく書きたてられそうだ。
「マスターだと、私たちのギルドのリーダーの岩尾兄さんと混同しますので、ややこしいです。さあ、ご主人様。早く食卓へ。スープが冷めてしまいますので」
「あ、うん。わかった」
上手いことはぐらかされてしまった。
階段を下りていく。
一階の広間には、すでにみんなが集合していた。
テーブルには、バターロールとコーンスープ、そしてサラダといった洋風の朝食が並んでいる。
「あ、大和。おはよう」
「兄さん。おはようございます」
「ヤマト。早く座るにゃ。マオはお腹が減ったにゃ。一番偉いヤマトがいないと食べ始められないにゃ」
「マオー。そんなこと言ってー。口の端がすでに白くなってるんですけどー」
「の、飲み物はセーフにゃ」
長方形の六人がけのテーブル席に、すでに四人が腰かけている。
テーブルの長辺の部分に、マオとカニス、瀬成と由比が、それぞれ並んで座っている形だ。
「おはよう」
俺はみんなに軽く挨拶して、テーブルの短辺に用意された席につく。
礫ちゃんは席につかず、直立したまま俺の椅子の隣にぴったりとくっついていた。
「じゃあ、食べようか」
俺はそう声をかけた。
俺や由比や瀬成は『いただきます』と言い、マオやカニスはそれぞれ精霊に祈りを捧げてから、食事に手をつける。
「にゃー。世界がめちゃくちゃになってから、色々大変なことばかりだったけどにゃー。ご飯がおいしくなったことだけはよかったにゃー。幸せにゃー」
マオはバターロールをコーンス―プに浸してから口に運び、満足そうに両手を頬に染める。
マオは猫舌なのか、温かいスープに直接口をつけるのはいつも最後だった。
「ですねー。生のまま野菜を食べようなんて、ついこの間まではやろうとも思いませんでした」
カニスがレタスをハムハムしながら頷く。
「どうして? マオとカニスの種族も農耕はしてたんだろ? とれたての野菜を丸かじりするのとかおいしそうだけど」
テレビの情報番組とかで良くみる光景だ。
多くの野菜が工場生産されるようになった昨今、俺が今朝畝を作ったような畑で栽培されるような野菜は一種の高級品の扱いになっていた。モンスターが発生し、自然の中で食糧を生産するリスクが上がってからは特にだ。
「もちろん野菜は収穫してたにゃ。でも食べる時には火を通すのが常識にゃ。寄生虫とか色々危ないにゃ」
「こんな風に工場で衛生管理されたような清潔な野菜ではありませんからねー」
「へえ。そうなんだ」
俺はスープをスプーンで掬い、口に含む。
想像が至らなかった自分がちょっと恥ずかしい。
俺たちの時代に生きる人間は何でもデジタルで解決しちゃうから、便利さに慣れて生物本来のサバイバル能力を消失している気がする。もし異世界に召喚されでもしたら、冒険に出発した瞬間、食あたりで死にそうだ。
「ご主人様。どうぞ」
礫ちゃんがスプーンでコーンスープをすくい、俺の口元にもってくる。
「ゴクン。――じゃあ、お礼に礫ちゃんもどうぞ」
俺はそう言って、バターロールを礫ちゃんに差し出す。
「いただきます」
礫ちゃんは無表情のまま、俺の手ずからバターロールをもそもそとかじる。
なんだろう。
礫ちゃんには失礼だけど、小動物に餌をやっているような不思議なヒーリング効果があるな。
「ああああああああああああもういくらちびっこだからってこれ以上我慢できません! 前から言おうと思ってたんですけど、なんなんですか、それは! 新手のプレイですか!? 介護ですか!?」
由比が唐突にそう叫んだかと思うと、テーブルを叩いて立ち上がった。
うん。
確かに客観的に見たらかなりおかしな光景だよなあ。
俺も最初は礫ちゃんに席について食べるように言ってたんだけど、結局毎朝俺の席の横で世話をしようとする彼女に根負けして、今みたいな奇妙な食事法を編み出すに至ってしまった。
「ただのご奉仕ですが。なにか問題でも?」
礫ちゃんが小首を傾げる。
「大有りですよ! 兄さんは一人で食事ができますし、大体、もし必要があったとしても、兄さんのお世話をするのは妹である私の仕事です!」
「いや。由比。それはそれでどうかと思う」
俺は思わず突っ込んだ。
「『どうかと思う』じゃないですよ! 兄さん! 密着スキンシップは、兄妹にしか許されない特権なんですから! それを赤の他人の小娘に許していいんですか!? ひょっとして兄さんはロリコンですか!? だから私にも手を出さないんですか!?」
由比が興奮してめちゃくちゃなことを口走る。
少し前なら、冗談でも由比が俺を誹謗するような言動をとることはなかった。
だけど、最近はしばしばこうやって軽口を叩いてくる。まるで、昔、七里が俺にそうしていたように。
多分、七里のいなくなった穴を埋めようとしてくれているのだと思う。
今、こうして騒がしくしているのも、きっと俺が寂しさを感じないようにという配慮だ。
だから、俺は由比の想いを受け止めて、敢えて気づかないふりをする。
「まあまあ。礫ちゃんがやりたくてやってることならいいんじゃないかな」
「だからって、兄さんがこの子に食べさせてやることないじゃないですか」
「うーん。でも、礫ちゃんだけ食べないで立たせておく状況も何となく気まずいし」
「そんな。ずるいです! だったら私もやります!」
由比がそう宣言して、俺の口にバターロールをダイレクトで突っ込んできた。
もぐもぐ。
食物に口を塞がれた俺は、黙ってそれを咀嚼する。
うん。さっき考えたようなことはやっぱり俺の深読みかもしれない。
割といつもの由比だ。
「藤沢さん。落ち着いてください。恩人である『ザイ=ラマクカ』のメンバーである藤沢さんに食事の世話のような雑用をさせる訳にはいきません。ここは、私にお任せください」
礫ちゃんが冷静なトーンで由比をなだめる。
「恩人という割には兄さんにべたべたしてばっかりで、私とか瀬成さんには全然ご奉仕してきませんんよね。それもおかしくないですか?」
由比が礫ちゃんをジト目で睨む。
「はい。確かに藤沢さんのおっしゃる通りです。しかし、私の身体は一つしかありませんから、同時に複数の方のお世話をすることはできません。ですので、この場合、『ザイ=ラマクカ』のリーダーであり、邪竜プドロティスとの戦いでの一番の功労者でもあるご主人様にお仕えするのが、恩返しという観点から考えて最適ということになります」
礫ちゃんが真っ向から由比の目を見て答える。
「ああいえばこう言う小娘ですね……。兄さんからも座って普通の食事をするように言ってやってください! この子がちょろちょろ動き回っていると、落ち着いて食事もできません」
由比が俺の服の袖を引く。
「そうだね。毎日こうして甲斐甲斐しく世話をしてくれる礫ちゃんの心遣いはありがたいけど、やっぱりご飯は落ち着いて食べた方がいいと思うし、これからは普通に座って朝食を取ったらどうかな」
俺はなるべく押し付けがましくないように礫ちゃんに提案する。
「ご主人様がそうおっしゃるなら。わかりました。座りましょう」
礫ちゃんはそう言って頷くと、あっさり腰かけた。
ただし――俺の太ももに。
子ども特有の高い体温がメイド服のスカート越しに俺に伝わる。
ふっとシャンプーの甘い匂いが香った。
「あ、あの? 礫ちゃん? どういうつもりかな?」
人間椅子となり果てた俺は、彼女の突拍子もない行動に、ただただ困惑する。
「合理的な判断です。この体勢ならば、私の落ち着いた食事とご主人様への奉仕を両立することができます」
礫ちゃんが俺を上目遣いで見て言う。
真顔なのでギャグなのか本気なのか判断しづらい。
「っつ! &%‘*#$+&+#$!」
由比が顔を真っ赤にしながら、右手で礫ちゃんの方を指さして、左手でテーブルをバンバン叩く。
感情が高ぶりすぎて言葉が出てこないらしい。
「賑やかで楽しいにゃー」
「興味深いですー」
マオとカニスがクスクスと笑い合う。
「うん。もう好きにしてくれ」
俺は諦めて、食卓の中央にあるオレンジジュースの入ったピッチャーに手を伸ばす。
「あっ」
「あっ」
瞬間、俺の手が、同じようにピッチャーを取ろうとした瀬成の指先に触れる。
「ご、ごめん」
「ううん。ウチこそなんかごめん」
俺たちは頭を下げ、同時に手を引っ込める。
(き、気まずい)
瀬成と俺の間に、特になにか問題があった訳ではない。
いや、むしろないから問題なのだ。
邪竜プドロティスとの決戦を控えた前夜、俺は瀬成に告白された。
そして、俺は邪竜プドロティスとの戦闘の最中、彼女の想いに応えた。
だから、俺と瀬成は恋人同士のはずだ。
一応。
理論上は。
多分。
(今でも、もちろん、瀬成のことは好きだ)
その気持ちは変わらない。
でも、俺が瀬成の告白に応えてから、世界がこんなめちゃくちゃなことになってしまって、息をつく暇もなく次から次へと脅威が振ってわいて、それへの対処に躍起になっている間に、つい告白の件についてちゃんと話す機会を逸してしまったのだ。
それだけならまだ、俺が時間を作るなりして話しかければいいのだが、今、俺は七里を救うために、『可能性の束』を入手することを最優先に動いている。
もし、俺が瀬成を守ることを最優先に考えるなら、生産職の身で世界を滅ぼしてしまうかもしれなほど危険なダンジョンを攻略しようなんて無茶なことは考えるべきではない。
でも、俺は七里のことを諦めきれないし、諦めるつもりもない。そんな自分勝手な俺が偉そうに瀬成の彼氏面をしていいものかと考えると、どうしても瀬成に話しかけるのを躊躇してしまうのだ。
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