第98話 箱庭の王
「ん……」
石造りの窓から差し込む曙光に、俺は目を覚ます。
中世風のテンプレートで造った城の最上階にしつらえられた窓にガラスはなく、四月とはいえまだ冷たい奥多摩の寒風は、室内に直に吹き込んでいるはずだ。
しかし、俺の身体がそれを感じることはなかった。
俺の部屋全体を包むオレンジ色のバリアが外気を防ぎ、室内を適切な気温と湿度に維持しているからである。
バリアの発生源――異世界の獣人たちが未知の科学技術で作ってくれた住環境保護装置は、今日も順調に機能しているようだ。
装置のスイッチを切り、扉から歩廊に出て、新鮮な空気を胸いっぱいに吸い込む。その冷たさが、身と心を引き締めてくれる気がした。
眼下を見渡せば、そこに奇妙な街並が広がっている。
俺が各種生産スキルで切り開いた山並みには、SFっぽいサイバードームと中世っぽい木造りの小屋が交互に広がり、元から町であった部分には、現代日本の住居がそのまま残っている。
文化も、人種も、時代さえもごちゃ混ぜにした空間が、そこにはあった。
「あれから、もう三ヶ月か」
はるか遠くに視線を転ずれば、そこには俺自身が築いた壁が延々と広がっていた。
マオとカニスに王になるように言われたあの日から、やらなければいけないことに追われている内に、あっという間に時間は過ぎ去ってしまった。
学校はいまだに休校状態だし、世間もいまだに元の日常を取り戻したとは到底言い難い状況だが、それでも一応市民生活というものが成り立つ環境にまでもっていくには、色々な苦労があった。
俺がまず始めに取り掛かったのは、異世界人たちのために
マオとカニスたちの種族がその壁の中に定住することになれば、彼女たちの王となった俺も、鎌倉の実家に戻るという訳にもいかなくなる。そこで俺は、王として居住区を管理するために、邪竜プドロティスが鎮座していた奥多摩の山頂を平らにならし、そこに城を築いて、該当区域の統治にあたることになったのだ。
リリリリリリリ。
デバイスが鳴る。
石上からの音声通信だ。
『アミーゴ。おはよう。今時間大丈夫か?』
「おはよう。さすがに坊主は朝が早いな」
俺は冗談めかして言う。
『まあな。もしかしかして起こしちまったか? 早すぎるかと思ったが、これからしばらく色んな遠征やら会合やらが重なって忙しくなりそうだからな。今くらいしか時間がとれねえんだ』
石上が気遣わしげに呟く。
「いや、ちょうど起きたところだったから問題ないよ。それより、何かあったか?」
『ああ。特にこれってこともないんだが、諸々の定時連絡って感じだな。前にアミーゴから頼まれていた市役所の手続き諸々は終わったぞ。後、留守にしているアミーゴの家も修行ついでに換気して掃き掃除しといた。後は、俺たちに協力的な日本各地のギルドが、アミーゴの造る装備品を欲しがってる。妥当だと思えるやつはリストにまとめてデバイスに送っておいた』
石上がハキハキと報告する。
「そうか。ありがとう。石上も色々忙しいのに雑用を押し付けるみたいになって悪いな」
俺は石上に見えないと分かりつつ、ついつい頭を下げる。
『いや、謝るのは俺の方だ。他のザイ=ラマクカのメンバーはアミーゴと一緒に城に入ったのに、俺だけ鎌倉でのほほんと暮らしていて申し訳ねえよ』
石上が声を落として言った。
多分、あいつも向こうで頭を下げているのだろう。
色々あって、石上は鎌倉に残った。
石上本人は家の事情を理由にしていたが、俺は、奴の恋人(と思われる)恵美奈さんを近くで守りたいと考えたからじゃないかと邪推している。
「いやいや、石上のおかげでめちゃくちゃ助かってるよ。色々ロックさんが気を遣ってくれてるとはいえ、俺だけじゃ仕事が多すぎて手が回らなくなっていたところだった」
俺はそう事実を口にする。
政府とか、企業とか、難しい相手に対する交渉はロックさんが担当してくれているが、俺個人が動かなければいけないことも結構あって、その内のかなりの部分を石上が肩代わりしてくれているのは、とてもありがたかった。
今も、気軽に外に出れなくなった俺に代わって、『ザイ=ラマクカ』の使者として他のギルドと連携し、関東近郊の治安維持に尽力してくれているのには本当に頭が下がる。
『そう言ってもらえるとやりがいがあるぜ。2~3週間はアミーゴの所に顔を出せそうにないが、その内鎌倉ハムでも手土産にそっちに行くよ』
「ああ。じゃあこっちは取れたての山菜でも用意して待ってるよ」
『じゃあ、とりあえずは以上だ。まだまだ寒いが、風邪をひくなよ』
「そっちもな」
俺たちはそれだけ言葉を交わし合って、デバイスの音声通信を切った。
(さあ、今日も一日頑張るか)
「あ、ヤマトにゃ。おはようにゃ!」
そう心の中で気合いを入れた俺の眼前に、ふわふわと一台のモービルが漂ってくる。
マオだ。
朝の陽光が彼女の艶やかな毛並みに反射して、宝石みたいにきらきらと光る。
「おはよう。マオは散歩?」
俺は片手を挙げて彼女に挨拶する。
「そうにゃ! やっぱり早起きすると気持ちいいにゃー。ヤマトも一緒にどうかにゃ?」
マオがそう言って相好を崩す。
「そうだな。せっかくだから、昨日応じきれなかった陳情をいくつか片付けておこうか。朝食まではまだしばらく時間がありそうだし」
「おー! ヤマトは仕事熱心で偉いにゃ! 乗るにゃ!」
マオが背中をこちらに向け、モービルをバックさせて歩廊に乗りつける。
「じゃあ、よろしく」
俺は防寒と万が一のためカロンファンタジアの兵装を展開し、マオの後ろのシートに腰かける。
「かしこまりにゃ。で、まずはどこからいくかにゃ?」
「順番的には、アコニ族の人たちの畑仕事の手伝いだけど、こんなに朝早く行って迷惑じゃないかな?」
「マオたちは基本的にはお天道様に合わせた生活をしてるから問題ないと思うにゃ。もし寝てても、その時は叩き起こせばいいにゃ。なんてったて、大和は王様なんだからにゃ!」
「ははは、王様だからって自分勝手な振る舞いをしちゃダメだよ。ましてや俺は、まだ名目上はただの一般人なんだから」
俺は苦笑する。
獣人たちの王になることを承諾した俺だったが、実はまだ正式には王になっていない。
世界中が混乱している中、勝手に獣人たちの王を僭称すると、異世界人たちを束ねて国に何かしらの害を与えるのではないかという疑念を政府側に与えかねないというロックさんのアドバイスもあり、就任を控えているのだ。
「そうかにゃ? まあ、とにかく行って見てから考えるにゃ!」
マオが楽天的にそう言い放ち、モービルを発進させる。
野を超え、川を通過し、山を一つ二つ超えた先にある盆地の上空でモービルは停止した。
眼下ではすでにアコニ族の女性たちが木製の鍬を手に、数人で横一列に並んで畑を耕していた。
「みんな! ヤマトが来てくれたにゃー!」
マオが手を振る。
アコニ族の女性たちが元気よく手を振り返してくる。
モービルがゆっくりと畑の傍に停車した。
「おはようございますですにゃー。王様に御足労頂いて申し訳ないですにゃー」
マオより数歳は年上だろうと思われる女性が、代表として進み出て、俺に頭を下げる。
「おはようございます。気にしないでください。俺も人からもらった力を偉そうに使っているだけですから。それより進捗状況の方はどうですか?」
「男手が減ったから、中々厳しいですにゃー。このままだと種まきの時期に間に合わないかもしれないですにゃ」
「それは大変ですね。では、早速スキルを試してみましょうか。作りたい畑の詳細を教えてください」
「わかりましたにゃー」
俺はアコニ族の女性たちから、
モコッ。
地面が盛り上がり、あっという間に一本の畝ができあがった。
「こんな感じでいいですか?」
俺は代表の女性の顔を窺う。
「もちろんですにゃ! 完璧ですにゃ!」
「じゃあ、残りもやっちゃいますね」
同じ要領で次々畝を増やしていく。
一分も経たない内に、畑が完成した。
後は種を撒くだけの状態だ。
「はえー、あっという間だにゃー!」
「さすが伝説の勇者様は強いだけじゃなくてなんでもできるんだにゃー」
「素敵にゃー!」
「抱いてにゃ!」
「シャー! お前ら調子に乗るなにゃ! ヤマトは先に目をつけていたマオのものにゃ! お前らはその後にゃ! 順番は守るにゃ!」
黄色い声を上げて盛り上がるアコニ族の娘たちに対して、マオが威嚇するように両腕を挙げ、蛇にも似た声を漏らす。
「いや、俺はマオのものでもないし、順番でどうこうされても困るから。――それでは、後はよろしくお願いします。農作業頑張ってください」
俺はマオの肩を軽く叩いて突っ込むと、アコニ族の女性たちに別れを告げてモービルに戻る。マオも俺に従ってモービルの操縦席に戻った。
「「「ありがとうございましたにゃー!」」」」
アコニ族の女性たちがぴょんぴょん飛び跳ねながら、嬉しそうに手を振って俺たちを見送る。
「それでヤマト。次はどこに行くにゃ?」
「そうだな。山向こうの外れの畜舎に行こうか。飼ってる豚の調子が悪いみたいだから」
「あー。あのニンゲンの飼ってる四足のおいしそうな獣にゃ。了解にゃ」
*
「最近、この子たちがあまり食欲がなくて心配でねえ。獣医さんが都会に避難してしまったから相談できる人もいなくて困ってるのよ」
「そうですか……。では、餌を変えてみたらどうでしょうか。畜産のスキルで品質の高い餌を生産しておきましたので、試しにあげてみてください」
「どれどれ――あらあら。すごい! 昨日は一口も食べなかったのに。こんなにがっついて。まるで魔法みたいだねえ」
「よかったです。では、とりあえず同種の飼料を数か月分置いておきます。一応、『薬師』のスキルで調合した病気治療のポーションもお渡しておくので、なにかあったら飲ませてあげてください」
「なにからなにまで親切にしてもらってありがたいねえ。お代はいくらかしら」
「いや、大丈夫ですよ。国から一定の税金が交付されてますから。これも仕事の内です」
「ヤマト! 大変にゃ!」
「どうしたの? マオ?」
「川でエシュ族の女の子が溺れてるらしいにゃ! 素手で魚を獲ろうとして川に入って足を滑らせたっぽいにゃ!」
「わかった。すぐいこう」
*
「ふう。間に合ったにゃー。ぎりぎりセーフにゃ。大和もナイスフィッシングだったにゃ! 一発で子どもをひっかけるなんてさすがにゃ」
「まあ、『釣り』のスキルがあるからね。針と糸の扱いは裁縫で慣れてるし」
「――わふうー。助けていただいてありがとうございましたー」
「とりあえず無事でよかったよ。それにしても、どうしてこんな流れの速い川に入ったのかな。ちゃんと警告の看板もあったはずだけど。――もしかして、食料が足りない?」
「いいえー。私たちは十分なご飯をもらってますー。だけど、おばあちゃんが出来合いのおかずが口に合わないって言っていうので、新鮮な魚を食べさせてあげたいと思ってー」
「そうか。確かに今配給している食料の多くは地球人向けに工場で生産されたものだから、口に合わない人もいるかもね。生鮮食品は『創世のラグナロク』の関係でだいぶ貴重になっちゃってるし」
「にゃー。お前、わがまま言っちゃだめにゃー。ヤマトが頑張ってくれなかったら、マオたちは冬を越せなかったかもしれないのにゃ」
「わふうー。ごめんなさいー」
「まあまあ、この子も悪気があってやったんじゃないし、あんまり怒らないであげてよ」
「全くヤマトは甘いにゃー。でも、これ以上、ひいきするのはダメにゃよ。例えばこの子にだけ配給のおまけをするとかは絶対禁止にゃ。他の人が不公平に思うにゃ」
「釘を刺さなくてもわかってるよ。……ということで、ごめんね。俺が直接新鮮な魚をあげることはできないんだ」
「はいー。当然ですー」
「――だから、代わりにこれをあげるよ。今即興で作ったやつだから使い心地は保証できないけど」
「わわっ。釣り道具だ! いいんですかー?」
「うん。君の敬老の心に免じてね。他にも道具が欲しい人がいれば俺が作ってあげるから、そう伝えておいて。あ、でも、一応、漁業権の問題とか色々あるから、釣るのは家族が食べる分だけにしてくれないと困るんだけど」
「もちろんですー! ありがとうございますー。カニスさんがおっしゃる通り、勇者様は素敵でご立派な御方ですねー。もう少し大きくなったら、お城のご奉公に志願しますから、私をお側で使ってやってくださいー!」
「ははは……俺はまだ王様じゃないから、約束はできないな」
「にゃー! ヤマトはジゴロにゃー。こうやってニンゲンもエシュ族もアコニ族も、老若男女のべつ幕なしにとりこにしていくにゃね」
「人聞きの悪いこと言わないでくれよ。さあ、次の陳情を片付けよう」
*
「ふうー。朝からいっぱい頑張ったにゃー。ヤマト。お疲れさまにゃ」
「ああ。マオもお疲れ」
さらにいくつかの仕事を終えた俺は、再び城へと戻ってきた。
マオのモービルが城に横付けされ、俺は再び歩廊の上へと戻る。
「じゃ、早速リビングに行くにゃ。そろそろ朝ご飯ができる頃にゃ!」
「先に行ってて。俺は身支度をしてからにするよ」
「わかったにゃー」
俺はマオと別れると、部屋の中に戻り、カロンファンタジアの兵装を解く。それから、顔を洗ったり、服を寝間着から着替えたり、一通りの身だしなみを整えた。
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