第90話 希望と絶望の相克

 支えが外される。


 モービルは斜めに急降下。


 うなるロープ。


 それを握り締める俺。


 鈍い手応え。


 霧は晴れない。


 再び鋭角に上昇する機体。


 俺は腕を伸ばし、ロープを握る位置を変え、振り子の長さを調節する。


 二度目の衝撃。


 それでも霧は晴れない。


「だめにゃ! やっぱり勘で狙うなんて無理にゃ! あんな霧があるのに、正確に頭に当てられるはずないにゃー」


 マオが叫んだ。


 俺はプドロティスのHPゲージを確認する。微々たる量だが、それは減少していた。つまりは、身体に当てることはできている。


 できているのに――。


 もうだめなのか?


 まだだ。


 まだ、全ての可能性を試してはいない。


「カニス! 『精霊幻燈』の技術を試してみてくれ!」


「はいー。位置データ照合完了。量子演算で攻撃に最適な高度・距離・タイミングを導き出しますー。マオ! 完全自動操縦に切り替える許可をくださいー」


「了解にゃ! 科学技術の前には霧ごとき無意味にゃー! ど頭にぶつけてやるにゃー!」


 マオがそう叫ぶと同時に、モービルは一人でに動きだし、巧みなハンドルさばきで機体を誘導すると、再度攻撃を敢行する。


 俺は申し訳程度にロープに手を添えた。


「やったにゃ! 絶対当たったにゃ!」


 マオが快哉を叫んだ。


 しかし、俺の手に衝撃はない。


 俺はHPゲージを確認する。


「今度は、補正が入ってしまったようです!」


 礫ちゃんが悲痛な声で叫ぶ。


「くそっ!」


 俺はモービルの側部を殴りつける。


 勝算はあるつもりだった。


 鎌倉の大仏を沈めた際に船を利用した時は、操縦する漁師のスキルにこそマイナスの補正がかかっていたが、それに同乗している俺たちへの影響はなかった。程度の差こそあれ、モービルも、科学技術の粋を集めた移動手段であるということには変わりない。であるならば、もしかしたらその補助を受けることも可能かもしれないと踏んだのだが、結果はこのざまだ。


 さすがにここまで積極的に『攻撃目的』に転用することを、世界のどこかにいるかもしれないゲームマスター様は許さないらしい。思えば、今まで俺たちは、装甲車や船、モービルと様々なものを利用して来たが、その使用方法は、どれも本来の『移動手段』以上の使い方は逸脱していなかった。


 地球と異世界を混ぜるなんて非常識なことをする癖に、何て融通の利かない神様だ!


 俺は奥歯を噛みしめて、天を仰ぐ。


 もう、何も思いつかない。


 雪が俺の頬に当たって溶けた。


 途端に世界が温度を下げ、寒さが致命的な毒のように身体に回り始める。


「兄さん! まだです! まだ方法はあります!」


 俺の心を温めたのは、由比のそんな叫びだった。


「由比。でも――」


「大丈夫です! あの霧さえ何とかすればいいだけです! 私が行って大嵐の旋風(シュトロム)で吹き飛ばしてやります! 兄さんのために! 一台くらいモービルがいなくなっても、作戦には支障はないでしょう!?」


 弱気になった俺の心を叱咤するように、由比がまくし立てる。


「それはー。十五台で十分ですからー。もちろん、大丈夫ですけどー」


「由比、そんなことをしたら――」


 霧は厚い。全部のそれを払おうとすれば、霧の手前から大嵐の旋風を放った程度では、足りないないだろう。間違いなく石化してしまう。


「兄さん。やらせてください。私、今、すごく幸せなんです。誰かのために命を捧げたい何て思えるほど幸せな瞬間、産まれて初めてなんですから」


 由比が決意の炎を宿した瞳と共に、晴れやかにそう宣言する。


 分かってる。彼女がここぞという時で譲るような性格の女の子じゃないことは。


「わかった。由比の命、俺にくれ」


 だからせめて、俺は由比と決意を共有しようと、柄にもないセリフを吐いた。


「はい!」


 由比が今まで一番の天使のような笑顔を浮かべて頷く。


「大した度胸にゃ! 気に入ったにゃ! ヨン! お前も付き合ってやるにゃ! アコニ族の意地を見せるにゃ!」


 由比のモービルの操縦席に乗っていた獣人が、頷く。


「行ってください!」


 由比のモービルが、円陣から離脱して、『邪竜の霧衣』へと一直線に突っ込んで行く。


「マオ! 頼む」


「にゃー!」


 モービルが上昇する。


 俺は震える手で、ロープを掴み直した。


「大嵐の旋風!」


 由比の身体が霧に隠れるその頃、大空に朗々たる響き。


 俺たちの視界を阻んでいた霧の一部が、まるく晴れる。


 プドロティスの後頭部を、俺の二つの眼が、はっきりと捉えた。


「行くぞ!」


 モービルの急降下。


 俺はロープを調整し、放つ。


 行ける――


 俺がそう確信したその瞬間、プドロティスがわずか数十センチ頭を引いた。

 

重力と加速度をつけた位置エネルギーの塊が、プドロティスの前頭に激突する。


 わずか数十センチ。


 だけど、それは奴の脳をダイレクトに揺さぶるには致命的なズレ。


 グオオ。


 プドロティスは苦悶の声を上げるも、気絶するには至らない。


 再び、霧が穴を塞ぎ始める。


「くそおおおおおおおおおおおおおおお!」


 また失敗した。


 俺のために喜んで命を投げ出してくれた由比の覚悟を、俺は無駄にした。


 残り時間は、後十秒もないだろう。


「惜しかったね。お義兄ちゃん。じゃあ、次は私の出番かな」


 七里が何気ないような口調でそう言った。


「お前――」


「妹ちゃんが行ったのに、姉の私が行かないなんて選択肢はナシだよね。行って!」


「わふうー! 仕方ありませんー。マオ、後は頼みましたよー」


 俺が何か言う間もなく、七里の乗った、カニスが操るモービルが発進する。


「カニスううううううううううううう。その覚悟受け取ったにゃああああああ。泣いても笑ってもこれが最後のチャンスにゃあああああああ!」


 マオが耳と尻尾の毛をビンビンに逆立てて、モービルを上昇させる。


「しかし、直前でまたプドロティスが回避動作を取ったらどうするんですか!?」


「問題ないっしょ! そんくらい、ウチが何とかしてあげる!」


 礫ちゃんの悲観的な予測を一言で両断してから、瀬成がいきなりモービルの座席から立ち上がる。


「瀬成。お前、何を――」


「決まってるじゃん。ウチが錘の上で微調節してやるって言ってるの!」


 瀬成はそう言って口角を上げると、勢いよくジャンプして、ロープに跳び移った。そのままスルスルとそれを伝って、網の上に着地する。


 胸が熱くなった。


 そうだ。


 独りよがりだった。


 俺の薄っぺらい希望が底を尽いても。


 俺には、仲間がいる。


 だから――まだ、終わらない。


「瀬成」


「何?」


「俺、瀬成のことが好きかもしんない」


 俺は、瀬成の告白をそっくりそのまま返して、小さく笑う。


「ばーか」


 瀬成が言葉とは裏腹な笑みを浮かべて、プドロティスに向き直る。


「大回転斬りいいいいいいい!」


 七里の大技が霧を払い、閉じかけていた希望の扉を再びこじ開ける。


「にゃああああああああああ! スピントルネードにゃあああああああああああ!」


 マオが、モービルを物凄い勢いで回転させはじめる。


 俺は、シェイクされる頭も気にせず、ただしっかりとロープを掴んで、ただプドロティスの後頭部一点だけを見つめた。


 遠心力と重力と、その他諸々の俺たち全ての想いを込めて、最後の一投が放たれる。


 ブウウウウウウウウン!



 うなるロープ。


 プドロティスめがけて突き進む錘。


 瀬成が網に両足で蹴りを加え、霧へと跳び込んだ。



 ゴオオオオオオオン!


 爆発にも似た衝撃音。




 ガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!




 それにも増して大きなプドロティスの咆哮。


 その巨体が、大地へとかしぐ。


 悪夢のような霧はせた。


「突っ込め!」


「言われなくてもにゃあああああああああ!」


 円陣から切り離されたマオのモービルが、プドロティスの首を目指して突き進む。


 その減速も不十分なまま、俺は転がるようにして大地へと降りた。


 全力でプドロティスに駆け寄り、その禍々しくて醜悪な喉に目をこらす。


「見つけた!」


 それは、喉の下、胸のすぐ上にある、わずか数センチメートルの希望。


 鈍い赤光を放つ逆鱗。


 その奥に、プドロティスの心臓がある。


「気高き光の精霊よ。これは理を覆すあしの牙。弱き者の祈り。千を束ねて万となし、万を束ねて億となし、匹夫を束ねて英傑と成せ。『寄せ集めの希望アルメル・エスポワール』」


 礫ちゃんの詠唱が、その場にいたありったけの人間の力をかき集め、俺へと集約する。


 その効果が続くのは、わずか数秒。


 つなぐのは、卑小な人間のちっぽけな望み。


 俺は、『白閃』を握りしめ、思いっきり振りかぶった。


「蜂の一刺し!」


 全身が痺れるほどの手応え。





 全てを捧げて放ったその一撃の結果は――






「嘘だろ!?」




 逆鱗のたった四分の一ほど、実寸にしておよそ一センチを破損しただけで終わった。



 そりゃあ、確かに俺は戦闘職じゃない、ただの裁縫士だ。


 プドロティスの硬い鱗を貫くには、力不足かもしれない。


 だけど、仮にも弱点なんだろ!


 たくさんの犠牲を払って、ここまで来たんだろ!


 だったら、少しくらい俺に奇跡を見せてくれたっていいじゃないか!


 そんな俺の祈りも空しく、一心不乱に逆鱗に向けて突き付けた刃が、中程でぽっきりと折れる。最初のフルパワーの一撃に、『白閃』は耐えられなかったらしい。



 ガ、ガ、ガ。




 プドロティスが不気味な途切れ途切れの声を出し、羽をぴくりと動かした。


 俺の仲間が身体を張って獲得してくれた戦闘不能は、わずか数十秒しかもたなかったらしい。


 『魂の玉壁』の縛りから解かれたプドロティスが、悠然と空へ舞い上がる。


「うおおおおおおおおおおおおおおお!」


 俺は無我夢中でプドロティスの首にすがりついた。


 裁縫士。


 俺は裁縫士。




 なら、お前には、俺が裁縫士らしい、最高にダサくて惨めな死に様を与えてやる!




 俺は片手でコマンドを開く。


 そして、取り出した。


 アイテムボックスの一番、初め。


 もっとも取り出しやすい位置にある。


 無料の安っぽい糸のついた。


 何の変哲もないただの縫い針を。


「くらえええええええええええ!」



 一センチの隙間に、針を押しこむ。


 グオオオオオオオオ!


 プドロティスが苦悶の声を上げ暴れる。


 右脚が吹き飛んだ。


 不思議と痛みは感じない。


「『構造把握』」


 絶対に逃さない。


 俺のスキルが、筋繊維の一本一本まで全てを詳らかにし、喉の奥で柔らかげにうごめく血液ポンプの位置を、寸分の狂いもなく把握する。




「『裁縫』!」



 戦闘にはおおよそふさわしくないそのスキルの名前を、俺は万感の想いを込めて叫んだ。


 骨を避け。


 筋を避け。


 肉の柔らかい間を縫って進んだ針は、血管に忍び込んだ。


 そして、全ての血が行きつく約束の地へ、ついにそれは到達する。


「こんな乱暴な縫い方は、俺の趣味じゃないんだけど!」



 縫い目も、デザインも、糸の残量も何も考えず、俺はただ針を暴れ回らせた。


 ギャアアアアアアア!


 ギャアアアアアアアアアアア!


 ギャアアアアアアアアアアアアアアア!





 ギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!





 焦がれる程待ち続けた、奴の断末魔の悲鳴。


 落ちる。


 力を失った腕が、プドロティスの首を離れ、俺は転がる。


 天を仰ぐ。


 解き放たれる真紅の牢獄。


 雪は止んだ。


 星は、輝いている。





『ボスモンスター プドロティスを討伐しました。

 所定条件をクリアしたため、プレイヤー鶴岡大和に新たな称号が付与されます。

称号:英雄レガリア(全ステータス+100%)』

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