第87話 捨身
「奔放なる風の精霊よ。駆け巡る稚気に――」
霧を吹き飛ばそうとしてくれたのだろうか。モービルの速度を落とし、詠唱しようとした『石岩道』の魔法使い――純さんが、あえなく捕まった。
その姿は他人事ではない、すぐそこまで迫った俺の未来。
カニスが、前傾姿勢でハンドルをきつく握る。
マオたちが俺たちの少し前を行く。
科学の粋を集めたモービルの全速力と、ファンタジーの頂点に君臨するプドロティスの羽ばたきが、速さを競う。
その軍配が科学に上がってくれることをただ祈りながら、俺はカニスの腰にしがみついた。
「わふっ!」
カニスが短く叫んだ。
モービルの縁に、濁った緑の霧が接触した瞬間、速度が急落した。モービルが徐々に高度を下げ、石化部分の浸食が広がっていく。
「にゃにゃにゃ! カニス! みんな、カニスを助けるにゃ!」
「お義兄ちゃん!」
「鶴岡さんっ」
すでに霧から抜け出しかけていたマオたちが、俺たちを振り返る。
「きちゃ、だめです! 巻き込まれます!」
「そうだ! 逃げられる奴だけでも逃げろ!」
俺たちはきつい口調でそう制した。
「くっ。すみません!」
礫ちゃんが唇を噛みしめて離脱していく。
「放っておける訳ないっしょ!」
「そうです! 兄さんを見捨てるくらいなら! 一緒に石になった方が百倍マシです!」
けど、俺の願いを聞き届けてくれたのは、冷静な彼女だけで――『ザイ=ラマクカ』の全員は、我が身も顧みず、俺たちを助けに来た。
「早く。上にっ!」
「兄さん!」
みんなが俺とカニスの腕を持って、引っ張り上げようとする。
だけど、もうすでにその時には、俺とカニスの足は石化と共にモービルと一体化して、どうしようもないところまできてしまっていた。いくら石化耐性のある装備と行っても、これだけの濃度の攻撃にはどうしようもないらしい。
一度は、逃れかけた七里たちのモービルにも、みるみるうちに灰色が広がっていく。
俺たちは手を繋ぎ合った間抜けな格好のまま、落ちていく。
「くそっ。終わりか」
痛みはない。ただ、思うように動かせない不愉快感があるだけだ。
悔しい。
こんな所で終わるのか。
まだ、やりたいことはたくさんあるのに。
七里の馬鹿をもっと見守ってやりたかった。
由比の凍りついた心を溶かしてやりたかった。
瀬成の告白にだってまだ、何の返事もしてないのに。
「まだ諦めるのは早いぜ! アミーゴ! 俺の
全てを諦めかけたその時、石上の朗々とした声が、まるで天国からの救いの糸のように降りた。
「石上、お前――」
「南無大慈大悲救苦救難観世音。四苦八苦は浮世の定め。されど、仏心の慈愛は広辺にして無限なれば、今はしばし、衆生の苦しみを救い給う!」
俺が何かを言うよりも早く、石上の全身から溢れる清浄な光が、俺たちの周りの禍々しい霧を払う。
失いかけた感覚がたちまちに蘇り、冬の寒さを俺は全身で感じた。全てが、再びその本来の色を取り戻していく。
石上は乗っていたモービルから立ち上がり、躊躇なく空中に身を躍らせる。
「やっと恩が返せる時が来たぜ。アミーゴ。――『不惑明王撃!』」
そして、放たれる渾身の一撃。
石上の想いが、衝撃波に代わり、俺のモービルのボディにクリティカルヒットする。
手を繋いでいた俺たちは、数珠つなぎのまま、一気に大空へと押し上げられた。
「にゃー! やっぱり坊主は最高にクレイジーにゃ!」
マオの最高の賛辞と共に、俺たちは助かり、石上の身体は靄に覆われて見えなくなる。
こんな時だというのに心底嬉しそうな石上の笑みが、俺の脳裏に深く焼きつく。
ドサリ。
一人分の石像が着地する音は、俺にとって、あまりにも重かった。
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