第62話 漁師
俺たちが大仏を誘導する目的地、七里ヶ浜は、由比ヶ浜から、徒歩30分くらいの距離にある。
由比ヶ浜の方が俺たちのいる場所からの距離的には全然近いのだが、あの海は海水浴場となっていることからも分かるように遠浅なため、大仏を沈めるには深さが足りないのだ。
市街地を抜け、国道134号線まで出た俺たちは、光線による攻撃に晒されない程度の距離を保ちながら、大仏を誘導していく。
渋滞した車列からクラクションが鳴り響き、俺たちの進行方向にある車が大仏に踏み潰されて何台か犠牲になったりもしたが、中の人は当然、大仏が来る前に逃げ出しているので人的な被害はない。
途中、稲村ケ崎へと通じる上り坂に差し掛かった時、デバイスにコンタクトのメッセージが表示される。
俺は画像の投影機能は使わず、通話だけを許可する形で、そのコンタクトを許可した。
「大和くん。通じてる?」
「はい、問題ないです。それで、小田原さん。交渉の方はどうしでしたか?」
注意を大仏に意識を向けたまま、そう問いかける。
「結論から言うわ。ごめん、やっぱり警察の船はこの騒動で出払っててどうしようもできなかった」
「そうですか……残念です」
俺は落胆を滲ませて呟く。
手にした豪突が、急にずっしりと重くなる。
「早とちりしないで、警察の船は動かせないとは言ったけど、大和くんの目的が達成されないとは言ってないわ」
「? どういうことですか?」
「七里ヶ浜に船を持ってる漁師さんたちが大和くんたちに協力を申し出てくれているの」
「本当ですか!」
希望の言葉に、俺の口元が思わず緩む。
警察の船の方が安全面ではいいにはいいが、海に出てくれるなら俺たちとしては何の文句もない。
「ええ。ただし、これはあくまでギルド〈ザイ=ラマクカ〉のギルドリーダーである『大和くんの要請で』、地元住民の『善意の協力』を得ただけだからね。鎌倉市役所は仕方なく『取り次いだ』だけ。この意味、わかるわね?」
小田原さんが、言葉の端々を強調するように区切って言ってくる。
「要するに責任は俺たちで負えってことですね? で、漁師の人に支払う報酬は?」
「そこまでは話は詰めてないわ。大和くんの交渉次第」
小田原さんが釘を刺すように言った。
「わかりました。で、船はいつ出してもらえるんですか?」
「もうすでに準備を始めてもらってるから、大和くんたちはそのまま向かってくれて大丈夫。船のある場所はわかってるでしょ?」
「はい。大丈夫です」
七里ヶ浜は俺たちの高校のすぐ目の前にある海だ。下手すれば由比ヶ浜以上に馴染みがあるかもしれない。
「じゃあ、もう私の言うことはこれしかないわ。頑張って。大和くん」
「はい。ありがとうございます!」
俺はそうお礼を言って通話を切った。
「みんな! 船の都合がついた!」
「「「ウオオオウ!」」」
俺の報告に、皆が大仏に向かい合ったままで、言葉にならない歓声を上げる。
よかった。どうやら、俺たちの苦労は無駄にならずに済みそうだ。
七里ヶ浜に辿り着いた俺たちは、稲村ヶ先とは反対側の端にある船着き場に向かった。
今日は海風が強い。
潮の香りと一緒に、時折、巻き上がった砂が口に入ってきた。
やがて、見えてきたのは三人の屈強な中年男性。頭にタオルで鉢巻していたり、モンスターが出るかもしれないのに、タンクトップの人もいる。何というか、みんな曲者そうだ。
「すみません。ギルド『サイ=ラマクカ』のリーダー、鶴岡大和と申します」
「おお。あんたらか。船を出して欲しいっていうのは」
褐色に日に焼けた中年の漁師の一人が低い声でそう言って、ふかしていたタバコを砂浜に捨てた。
口元は友好的な笑みを浮かべているが、目は笑っていない。
かといって、敵意を感じるという訳でもない。いうなれば、『くせもの』といった感じだろうか。
「そうです。自分が代表者なので、早速、交渉に入らせてもらっていいですが。時間がないので」
俺は単刀直入に切り出した。
「いいだろ。市役所の姉ちゃんから話は聞いているぜ。で、いくら出す?」
「逆にいくらなら船を出して貰えます?」
質問を質問で返すのはマナー違反だが、腹の探り合いをしてる場合じゃない。大仏は一歩一歩、こっちに迫ってるのだ。
「そうだな。鎌倉の街のためだ。俺たちもふっかけたりはしねえよ。だが、燃料代もかかるからな。タダって訳にもいかねえ。……これくらいでどうだ?」
俺のデバイスに、漁師の人の電子口座の番号と請求額が送られてくる。
高い。確実に燃料代は越えている。でも、人件費やモンスターに襲われる可能性も含めた危険手当と考えれば、漁師の人の言う通り、ふっかけているという訳でもなさそうだ。
船をチャーターする相場はわからないが、鎌倉市役所に来ていた他のクエストの報酬と照らし合わせて、俺はそう判断する。
「構いません。これで全員分の船代ってことでいいんですよね?」
「ああ。出血大サービスだぜ」
漁師の人はにやりと笑った。他の二人も仏頂面のまま頷く。
「では、この条件でお願いします」
俺はギルドの口座から、即座に代金を振り込んだ。
ロックさんとの取引のおかげで資金に余裕があって助かった。
日常生活ならまず扱わない大金だが、冒険者的には、ポーション10個分ほどの値段で、異常な取引額ではない。つくづく浮世離れした職業だと思う。
「よっしゃ、入金を確認した。じゃ、船を出すぜ。あ、だが、言っておくが、俺たちにあのゲーム……カロン・ファンタジアのキャラクターとしての働きは期待すんなよ。一応、装備品を身に着ける都合上、漁師職のアカウントを買い取っちゃいるが、スキルは『海の男の勘』も使えやしねえ。敵を見つけるのもソナー頼りだ」
『海の男の勘』とは、海中にいるモンスターの存在を感知するスキルだ。生産職である漁師は、海に出た際に強いモンスターとのエンカウントを避ける必要があるので、本来、なら漁師職の必須のスキルと言える。
「ああ、なるほど。スキル自体に現代兵器補正がかかってるんですね?」
「そういうことだ。俺たちの獲るのは化け物じゃなくて普通の魚だからな。ゲームのスキルは、ほとんど必要ない」
漁師の人は頷く。
自衛隊の人の銃器が敵にきかないのと同様、エンジンのついた漁船にも当然にマイナスの補正がかかる。ただ、武器や直接生産に使う道具と違い、移動手段は補助的な要素であって対象となる物がない。例えば銃なら弾をぶち当てる相手のモンスター、俺がミシンを使うとすれば縫おうとしている服、そういったものがないのだ。だから、代償としてスキルに負荷をかけ、間接的にチートを相殺するシステムが自動的に作用するのだ。
結果、カロン・ファンタジアの『漁師』としての能力は最低クラスになるが、本人が言ってるように、彼らが獲りたいのはカロン・ファンタジアの謎魚ではなく、鎌倉名物のシラスとか、つまりは元から地球にいた魚だろうから支障がないのだろう。
ゲーム時代は割とたくさんいた漁師だったが、現実となると、まず近くに海がある環境に住んでいる人が限定される上、ただでさえ危険な海での仕事に従事したいと言う者は少なく、アカウントは安めだったはず。今、漁師をやってるのは、この人たちみたいに、『漁でガツガツ稼いでやるぜ』と言った感じの、肝が据わった人ばかりだ。
「わかりました。俺たちも、まともに敵とやり合うつもりはないんで」
「じゃ、乗りな。船は全部で三艘ある」
「ギルドごとに分乗ということで大丈夫ですか? 連絡は普通にデバイスのグループ通話で」
俺は振り返り、二人のギルドリーダーに視線を向けた。
「ああ。俺はそれでいいと思う」
「私も異存はありません」
二人が頷く。
「お義兄ちゃん! 大仏が来るよ!」
「あと100mだ!」
大仏の引きつけ役に回っていた七里たちがそう叫んで、道路から俺の方に向かってきた。
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