第63話 誤算

 船の先頭に石上、中程に俺と由比、船尾には七里と瀬成という配置で俺たちは出発した。


 それぞれが、別々の方向を向いて、全方位でモンスターを警戒する。船尾に二人配置したのは、大仏とそれ以外のモンスターを監視する人員を分けたためだ。


 他の二つのギルドは俺たちの左にいて、二十メートルくらいの距離を取って、並走している。


 沖へと船を進める俺たちを、大仏は律儀に一歩一歩追いかけてきていた。


「で、あの大仏が沈んだところで俺たちの仕事は終わりってことでいいんだな」

 船のハンドルを回しながら、漁師の人は呟いた。


 船はモンスターを避けるためか、複雑な航路を描いていたが、それでも着実に陸との距離は開いていた。


「はい。後は安全に浜へと帰って頂ければ」


 俺は頷く。


「でも、もうだいぶ砂浜からは離れましたよね。後少しじゃないんですか? さっき見た時は大仏は腰まで沈んでましたよ?」


 由比が呟いた。


「ああ。そろそろ、がくっと水深が深くなる頃だ。もうしばらくすりゃあ、大仏は水の底だろうさ」


 漁師が由比の言葉を肯定し、そう推測を口にする。


「アミーゴ。大仏が沈んでも、きっとビーム攻撃は生きているはずだ。事情を知らない船が攻撃されないように、ブイで規制線を張ろうぜ」


 石上が船の先で波しぶきを身体に浴びながら、そう提案してくる。


「そうした方がいいだろうな」


「おいおい。あんたらがそうしたいと思うのは勝手だが、俺らの船を使う気なら追加料金を払ってもらうぞ」


 漁師はすかさず釘を刺してきた。


「まあ、とりあえずは目の前の仕事に集中しましょう」


 規制線を張るとなればどうせ警察とかとも相談しなきゃいけないから、俺たちの勝手にする訳にはいかないだろうし。


「お義兄ちゃん! なんかおかしいよ!」


「大仏が全然沈まなくなってんだけど!?」


 俺たちの会話に、七里と瀬成の大声が割り込んでくる。


「なにっ!?」

 俺は慌てて大仏の方に視線をやった。


 そこには、十分前と変わらず、中途半端に沈んだ ――いや、むしろ浮んだと言った方がいいのだろうか――大仏の姿があった。胸のちょっと上の位置くらいまでを海水に浸しながらも、そこから上ははっきりと海上に出ている。


「おいおい、話が違うぜ。放っておいても深いところにくりゃ大仏は沈むんじゃなかったのか?」


 漁師の人が怪訝そうに眉を潜めた。


 もはや、海底に足がつかなくなっているであろう大仏は、顔だけを上に出した平泳ぎのような格好で俺たちの方に泳いできていた。


「どういうことだ。あの大仏は余裕で120トンを越えてるんだぞ」


 石上が首を傾げる。


「大仏の中身は空洞でしたよね? その浮力では?」


「いや、いくら空洞だって言っても、さすがにあの巨体は支えられないだろ」


 由比の疑問に、石上が首を振った。


 確かに普通に考えれば、あの青銅の大仏の巨体が海に浮くなんで、どう考えてもおかしい。


 でも、現に大仏は浮いている。


 だとすれば考える可能性は――


「そうか! あの大仏の組成自体が変化してるのか!」


 俺は眉間に指を当てた。


 愚かしい自分の失態に、頭が痛くなる。


「なるほど……そういうことでしたか」


「それしか考えられねえな」


 由比と石上が得心したように頷く。


「どういうこと? 大仏って言ったら、青銅で出来てるに決まってるっしょ!?」


 瀬成が大仏に視線を固定しながら叫んだ。


「普通の大仏ならそうでしょうね。でも、あれは確かに大仏が変化したものですけど、『モンスター』に変わってるんですよ」


「見た所、あの大仏はB~Cランクくらいだもんね。だったら、その身体の材質も低級素材の銅な訳ないかー。なんだろ、アダマンタイトかな。ミスリルにしてはちょっと色が変? でも、素材の組み合わせによってはあり得るよねー」


 七里の言う通り、カロン・ファンタジアの空想的な金属もまた、現実のそれと同じく、素材の組み合わせ次第で千変万化にその性質を変える。全部を把握できているはずはない。


 そもそも、俺たちは普通の出来立ての銅の色というものに見慣れてないし、金属に詳しそうな腰越は逆にゲーム内の金属に詳しくないから気付けなかったのだろう。


「悪い。迂闊だった」


 俺は皆に頭を下げた。


 ダンジョンがそうであったように、モンスターが生まれる原理も不明だ。しかし、それでも、俺は気がつくべきだった。モンスターはその強さに応じたアイテムをドロップするっていう、ゲームならば当たり前のルールに。


「仕方ありませんよ。大仏っていう先入観が強過ぎたんです」


「そうだぜ、アミーゴ! 大体、仮に素材がわかっても、あんな状況で律儀に浮力と重量の釣り合いなんて計算してらんねえ!」


「ウチは何となく違和感はあったんだけど、浮力がどうとかまで考えらんなかった。ごめん」


「そうだよ。お義兄ちゃんは人の子なんだからさ」


 皆が口々に慰めてくれる。


 でも、もちろん、そんなに寛容なのは、もちろん、仲間だけで――。


「反省会も傷の舐めあいも結構だがよ。何か策はあんのか。ねえなら俺は帰るぞ。貰った金分の仕事はしたからなあ」


 漁師の人が当然の指摘をしてくる。


 さらに、デバイスのグループ通話から漏れ出す、二つの声。


「どうやら、想定外の事態が発生したようだな」


「今のままでは、撤退の判断をせざるをえません」


 大人な二人のギルドリーダーは俺を罵倒したりはしなかった。でも、その声色には確かに冷静な俺への不信が渦巻いていて、正面から罵られるよりもむしろ心にこたえる。


 でも、それは仕方がない。客観的に見れば、今の俺は間違いなく失敗した無能なのだ。


「待ってくれ! 確かに、大仏は沈まなかった。だけど、他の人間に被害の出ないこの場所に奴を誘導できたことは確かじゃないか! このまま、俺たちで大仏を海に釘づけにして時間を稼いで救援を待てば、鎌倉の街を守れる!」


 石上がグループ通話で必死にそう訴えかける。


「おう! 坊主のあんちゃん。簡単に釘づけにするとか言ってくれるがなあ。今、俺たちの船が敵に襲われないように航行するのがどれだけ大変かわかっていて言ってんのか! そこの戦士の嬢ちゃんの『案山子』のスキルに引き寄せられているモンスターはあの大仏一体だけじゃねえんだぞ!」


 漁師の人が怒声を響かせる。


「すみません! 石上は気が動転しているだけです! このまま航行を続けるのが難しいことはみんなわかっています!」


 俺はすぐさま頭を下げた。


 戦士のモンスターのヘイトを集める『案山子』は範囲で効果を発動するスキルだ。当然、都合よく大仏一体に効いている訳じゃない。


 今は三つの船が順番に持ち回りでスキルを使うことで、一箇所に敵が殺到する何てことにはなっていないが、逆に言うと間断なく敵を引きつけようとしている訳なので、航行時間が長くなればなるほど、モンスターの密度は上がっていくのだ。


 いずれ、漁師の人の腕とソナーをもってしても躱しきれない時がやってくる。


「ちっ。なら、結論は一つだろうが。さっさと帰るぞ」


「そんなヘタれたこと言ってないで、ちょっとは根性出したら? 大仏も動きにくくなってんだから、みんなで囲んで叩けばいいじゃん! それか、大仏以外のモンスターを叩いて減らしたり! 出来ることは色々あるっしょ!」


 瀬成がじれったそうに言う。


「なら、それは『ザイ=ラマクカ』だけでやってくれ」

「残念ながら、私たちもそこまでの危険は冒せません」


 ギルドリーダーたちから、冷静な拒絶の言葉が降った。


「だとよ。俺も付き合いきれねえぞ。あいつに近づくと、額の穴から変な光線を撃ってくるんだろうが。船に穴でも開けられたらたまらねえ!」


 漁師が肩をすくめて首を振る。


「万策尽きた、という訳ですか」


 由比が悔しそうに唇を噛みしめる。


「どうするの。お義兄ちゃん。諦める?」


 七里が俺に試すような視線を向けてきた。


 まるで、俺なら何とかできるとでも言わんとするかのように。


「……」


 決断の時が迫る。


 何か――、何か、利用できる物はないのか。


 アイテム欄を開く。


 糸、糸、裁縫道具、見慣れた道具たち。


 大仏の無機質な顔の額に、ちょこんと突き出た突起。


 深海にうごめくモンスターの聞こえるはずのない息遣いが、耳元で唸っている気がした。


 そうだ。


 まだ、手はある。


「魚釣りをしませんか?」


 俺はわざと余裕ぶった態度で、漁師の人にそう微笑みかけた。

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