第59話 破門

 緑色の血を垂れ流し、ゴブリンたちが次々に絶命していく。


 ゴブリンシャーマンたちがその杖を天空に掲げ、これまた地面に倒れ伏す。


 全滅したゴブリンたちの死体から黒い靄のようなものが抜け出して、大空へと立ち昇っていった。


『イベント『邪宗門の蜂起』をクリアしました。

 突発レイド 『悲壮なる生贄』が発生しました。

 蜂起が失敗に終わったと悟ったゴブリンたちは、自らの魂を犠牲にして、不完全なまま邪神の降臨の儀式を発動しました。

 精神体として降臨した邪神は、真の姿をこの世に得るため、各地の宗教的シンボルに乗り移り、さらなる生贄を求めて活動を始めます。』

 

 呆気にとられてその光景を見守るしかなかった俺たちに、唐突にテキストメッセージが届く。


 辺りを見渡せば、この山だけではなく、近くの丹沢連邦の他の山々や、遠くに望む富士山からも、同じような黒い靄が立ち上っていた。


 やがて、その靄は天で雲のような塊となって、太陽を覆い尽くす。


 月食にでも遭遇したかのように、黄金の太陽が黒く染まった。


「七里、由比、戻ってこい!」


 衝撃から立ち直った俺が叫ぶ。


 嫌な予感がした。


「うん!」

「わかりました!」


 ビュン!


 慌てて俺の方に駆けてきた七里たちのすぐ後ろを、何かが薙いだ。


 ゴブリンたちの死体が吹き飛ばされ、玉砂利に跳ねる。


 先行していた何人かの冒険者も、避けきれず地面に転がった。


「何……あれ?」


 瀬成がすっと目を細めた。


「さあな……。とりあえず、『宗教的シンボルの乗っ取り』の一貫だってことはわかるけど」


 見たこともないモンスターである。


 それもそのはずだ。


 いつの間にか、境内の樹に巻かれていた荒縄が撚り合わされ、大蛇に変化していた。


 鳥居の高さを超えるほどの大きさのそれには、目も牙も鱗もないが、その無機質な感じが帰って不気味だ。


「不測の事態が発生しました! つきましては今回のクエストの依頼には含まれていませんが、是非皆さまにも討伐への協力をお願いしたい! 討伐者には、ゴブリンの百倍の報酬を支払いましょう!」


 僧の代表らしき男性が叫んだ。


「ボビラパイソンに似てるね。モンスターとしてはCランクくらいかな? だったら、私たちでも倒せるんじゃない?」


 戻ってきた七里が、モンスターの方を見てそう推測を口にした。


 七里としては戦いたいんだろう。


「そうかもしれないが、断定するのは危険だ。様子を見るぞ」


 俺は、モンスターに身体の正面を向けたまま、じわじわと後ずさる。


「どんな特殊効果を持っているかわかりませんからね……」


 由比が俺に賛同するように呟いた。


 冒険者たちの対応も、戦闘に参加する者と、様子見する人間が半々といった所だ。


 三十歩ほど引いた位置から、敵を観察する。


「『構造把握』」


 試しにスキルを使ってみるが、藁同士の絡みつきが見えるだけで、ゴーレムの核みたいに特に弱点などは発見できない。つまり、敵は物理的な生命体ではなく、魔力を帯びたアンデッド系統のモンスターということになる。


「お義兄ちゃん。何かわかった?」


「たぶん、敵はアンデッド系だと思うんだよな。だから、物理攻撃主体の俺たちのギルド向きの敵じゃない」


 スケルトンとの戦闘でもそうだったように、破壊しても破壊しても蘇ってくるアンデッド系の敵は、物理的攻撃で倒すのは難しい。


「うおおおおお! 『大切断!』」


 一人の戦士が、剣を振りかぶり、大蛇に挑みかかる。


 見事、一撃は決まり、大蛇の身体が二分割されたが、すぐに切断面が結び合わされて元の形に戻ってしまう。


 復活した蛇に、戦士は吹き飛ばされた。


「炎爆!」

「アイスニードル!」

「バニッシュ!」


 ならばと魔法使いたちが、非物理攻撃を繰り出すが、大蛇はダメージを受けた箇所だけをすぐさま切り離して、被害を最小限に止める。


 そして、また魔法使いたちが弾き飛ばされた。


 一撃に大した能力は無いようだが、大蛇の攻撃は素早い。


呪いカースだ! 呪いだぞ!」


 先に吹き飛ばされた戦士が起き上がり、青ざめた顔で苦しげに呻いた。


「『呪い』か……」


 呪いは、代表的なバッドステータスの一つである。このバットステータスにかかると体力が徐々に削られていくのに加え、スキルが一定時間発動禁止になる。しかも、全てのステータスに一定のマイナスの補正が入るので、中々に厄介だ。


「『解呪!』」


 すぐさま僧たちがフォローに入る。


 対アンデッド戦闘なら、僧たちも得意分野。


 状態異常回復も、お手のものだ。


「これは……長期戦になりそうですね」


 由比がぽつりと呟いた。


「そうだな……。敵の攻撃がこちらに及ばないように注意して静観で」


 敵は、防御力が高くて、敏捷であり、しかも状態異常を使ってくる『めんどくさい』タイプ。


 一方でこっちも、僧たちのバックアップがあるため防御や回復する人材は豊富だが、ゴブリンへの戦闘を前提とした、Dランク程度の冒険者がほとんどのため、攻め手に欠くのが現状だ。


 まあ、でもそれは時間がかかるだけのこと。こちらの方が圧倒的に数が多いので、最終的な勝利への難易度は高くないはずだ。


「どうして助けに行かないんですか!」


 そんなことを考えている俺に、石上の怒声が聞こえてきた。


 僧の代表らしき男性と口論になっているらしい。


「なんか。あったのかな?」


 七里が首を傾げた。


「そうみたいだな。石上がキレてるとこなんて初めて見たぞ。俺」


「ウチも」


 俺の言葉に、瀬成が頷く。


 いつも穏やかなアルカイックスマイルを浮かべていう石上からは想像もできない形相である。


「とりあえず、事情を聞いてみましょう」


 俺たちは遠巻きに石上に近づいて行く。


「こっちの人員は十分に足りてるでじゃないですか! 少しくらい鎌倉の方に回したっていいでしょう! 向こうには檀家さんもたくさんいるんですよ!」


「今はこの霊地の平穏を確保する方が優先だ」


「しかし――」


「石上、どうした?」


「アミーゴ! 恵美奈から連絡があったんだ! 鎌倉の大仏が動き出して、小町通りに向かってるって! 何とか食い止めないと!」


 石上が切羽詰まった調子で叫ぶ。


「石上さんの言う通りだよ! トゥイッターにも動く大仏のムービーが投稿されまくり!」


「まじか!」


 いや、でも良く考えれば当然なのだ。


 鎌倉の一番有名な宗教的象徴と言えばあの大仏しかない。より多くの生贄を求めるとすれば、人通りの多い小町通りに向かうのも合理的な行動だ。


「国は何やってんの?」


 瀬成が眉を潜める。


「鎌倉には寺社が多いですからね。そこの全てがここみたいに突然のモンスターの出現に遭遇しているとすれば、とても対応しきれないんでしょう」


 由比が冷めた調子で言った。


「苦しむ衆生を救うのが俺たちの務めでしょう! 今いかないでどうするんですか!」


 石上が食い下がる。


「どちらにしろあの大仏は真言系の寺社の管轄だ。私たちが手を出すいわれはない」


「そんなこと、些細な違いじゃないですか! 御仏の道を極めようとしてることには代わりない!」


「……如庵よ。御仏を盾にして妄語を吐くな。お前が助けたいのは衆生ではなく、あの肉屋の娘と、その店だろう」


「そ、それは……」


 石上が口ごもる。


「だったら、何が悪いんですか」


 俺は思わず口を出していた。


「ん? 何かおっしゃいましたかな、冒険者の方」


 僧が感情の読めない目で、こちらを見た。


「幼馴染を助けたいと思うのは当然でしょう。それの何が悪いって言うんですか」


 自分が感情的になってるのがわかる。俺は他人の事情に口を突っ込むような、熱い人間じゃない。でも、いつも誰にでも優しい石上が、当たり前の願いを口にしただけでここまで責められるのに納得がいかなかった。


「なるほど。確かに幼馴染の危機に駆けつける勇敢さは、一般的には美徳かもしれない。しかし、あなた方はご存じないでしょうが、仏門に下るということは、全ての執着しゅうじゃくを捨てるということなのです。御仏の下に下ったからには、家族も、恋人も、友達も、幼馴染もありません。それらにこだわることは全てが執着。御仏の道の妨げになる」



「アホらし。その仏が人を殺しかけてんじゃん」


 瀬成が険しい口調で突っ込んだ。


「仏像は仏ではありませんよ。ただの鉄塊です。いずれにしろ、如庵は修行中の身。勝手にこの霊場を離れることなど許されようはずもない。如庵よ。もしこれ以上、身勝手な振る舞いを続けるというなら――破門だ」


「わかった……」


 石上が震える声で頷く。


「そうか。ならば、早く仏敵の懲罰に――」


「破門上等だ! 俺は俺の御仏の道を探してやるよ! 親父!」


 石上がそう啖呵を切った。


 つーか、このおっさんは石上のお父さんだったのか。


 素っ気ない態度過ぎて全くわからなかった。


「……致し方ない。ならば、如庵、望み通り貴様は破門だ。それに伴い、組合天洞宗ギルドからも追放する」


 石上の父親が、そう呟きデバイスをいじる。少なくとも彼はギルドのメンバーを管理できるくらいの権限がある立場のようだ。


「勝手にしろ!」


 石上が肩をいからせ、踵を返す。


「おい。石上、ちょっと待てよ」


 俺はそのまま下山して行こうとする石上の肩を掴んだ。


「止めないでくれ! アミーゴ! 一刻も早く俺は街に戻らないといけないんだ」


「止めないさ。でも、まさか、今から普通に山を降りていくつもりじゃないだろうな。なんで『帰還の宝珠』使わない? 鎌倉に戻るんだったらそっちの方が断然早いだろ?」


 俺はやる石上を落ち着かせるように、わざとゆっくりとした口調で問う。


 同じ神奈川県内とはいったって、今から普通に下山して鎌倉に向かったのでは、どう考えても、六時間以上はかかる。とても大仏が暴れている現場に間に合うはずがない。


「わかってる! でも、修行中の俺が、そんな脱出用のアイテムなんて持つことを許されてる訳がないだろ! 仮に持っていたとしても、俺にはもう帰るギルド本拠地がない!」


「……そうか。だったら――」


 俺はデバイスのコマンドを開き、おもむろにタップする。


『鶴岡大和のギルドリーダー権限に基づいて、プレイヤー 石上(いしがみ) 世附(よつぐ)をギルド『ザイ=ラマクカ』に招待します。 YES』


「おい、アミーゴ――」


 石上が何か言う前に俺は再び、メッセージを割り込ませた。


『 アイテム:帰還の宝珠をプレイヤー 石上(いしがみ) 世附(よつぐ)に譲渡申請しますか?  YES 』


「アミーゴ――、帰還の宝珠をくれるっていうのか? でも、俺、これに見合うだけの金なんて持ってないぞ」


 石上が大きく目を見開き、声を震わせる。


「前にテスト勉強に付き合ってくれただろ。そのお礼だよ」


 俺はしごく当たり前のように言った。


「そんなの全然釣り合ってないじゃねえか!」


「……たまには、いいだろ? いつも石上は与える側なんだから、たまには与えられる側になったってさ」


「でも、俺がこれを使ったら、アミーゴはいざって言う時、どうするんだ」


 石上は心配そうに言った。


「大丈夫だよ。それは予備のやつだから。ちゃんと俺たち全員の分は確保してある」


「でも――」


「俺たちの心配はいいんだよ。石上。今のお前には、他の全てを投げ出してでも助けたいものがあるんだろ?」


「ああ! 助かるっ――」

 石上は目をぎゅっと瞑り、声を詰まらせた。


「――っていうことで、みんな、勝手だけど石上をギルドのメンバーに加えさせてもらった。ついでに言うと、さらに勝手にこの後のギルドの行動も決めさせてもらおうと思ってる」


 俺はそう言って、ギルドのメンバーを見渡した。


 皆、一様に、すでに俺の言わんとしたことを理解したような、微笑みを浮かべている。


「ウチらも戻るんでしょ? 鎌倉に」


「ああ。そのつもりだ」


 瀬成の言葉に、俺は頷いた。


「お前ら、いくらなんでも俺のわがままでそこまでは付き合わせられねえよ」


 石上がぶんぶん首を振る。


「別にお前のためだけって訳じゃない。鎌倉は俺たちの街でもあるんだから、何かしたいと思うのは当然だ」


「うん。お義兄ちゃんに言う通りだよ! それに、動く仏像と対決とかおもしろそうだしね!」


「私も兄さんに大賛成です」


「お前ら――。ありがとうっ。本当にありがとう」

 石上が瞳を潤ませた感動の面持ちで、俺たちを見つめてきた。


「そんなに感謝されても困る。できる限りは力を尽くすつもりだ。でも、俺は敵の強さを見て、メンバーに命の危険が及ぶようなら、ギルドリーダーとして、躊躇なく作戦を中断するつもりだぞ? そこは承知しておいてくれ」


 鎌倉は地元だし、もちろん愛着もある。石上の願いも叶えてやりたい。でも、たとえ街がめちゃくちゃにされたとしても、さすがに命に換えてまで、大仏と対決することなんてできやしない。


「当たり前だ。それでも――、俺はお前らの気持ちが嬉しいんだ」


 石上はそう言って、何度も首を縦に振った。


「では、ギルド『ザイ=ラマクカ』は、ここでクエストを中断するということでよろしいか」


 石上の父親が平坦な口調で、口を挟んできた。


「ええ。クエストは途中離脱自由ですよね?」


 俺は石上の父親に向かい合い、そう確認する。


「然り。では、後日、討伐したゴブリンのアイテムを本庁まで持参くだされ。規定通り相応の礼をお支払いしましょう」


 丁寧な口調で、石上の父親が説明する。


 彼にも別に悪意がある訳ではないのだ。ただ、決定的に考え方が違うだけで。


 そう考えると、先ほど感情的にこの人に話しかけた自分の行動は、無礼だったように思う。もちろん、石上を擁護した発言の内容そのものは後悔している訳ではないのだけれど。


「わかりました。……先ほどは、仏教のことなんて何も知らない癖に余計な口出しをして申し訳ありませんでした」


 俺は深く頭を下げる。


「いえいえ。問いかけることこそ、求道の初め。あなたは何ら恥じることはありません。ただ――」


 石上の父親はそこで何かを言いにくそうに口籠る。


「なんでしょう? おっしゃってください」


「拙僧はあなたに仏道を理解せよとは申しません。そもそも、御仏以外、仏道の真を理解されたものはおられないのだから。しかし、あなたは冒険者であられる。ならば、冒険を極めようとなされるべきだ。行動をその場の感情に委ねるのは、冒険者としてもふさわしい振る舞いではないのではなかろうか?」


 なるほど。遠回しだが、言いたいことは分かる。

 

 確かに、今、『帰還の宝珠』を使うことは、経済的には大損で、冒険者としては合理的ではない。石上を助けることに、明確なメリットがある訳でもない。


 でも、それでいいのだ。


 だって――


「俺は日常の延長線上で冒険をしているのであって、その逆ではないんです。だから、冒険者としての合理性よりも、家族とか友達とか、そういう『当たり前』の方がずっと大事です」


「……承知致した。拙僧の愚問、お許しくだされ」


 石上の父親は合掌したまま、頭を下げてくる。


 たぶん、向こうは俺の言い分に納得した訳ではないだろう。『お互いが違う』というとを納得し合っただけだ。


「構いません。では、失礼します」


 俺は石上の父親に背中を向け、仲間たちに向き直る。


「さあ、行こう」


 俺の呼びかけにみんなが静かに頷く。


 こうして帰還の宝珠を使った俺たちは、一瞬で本拠地(俺の家)へと舞い戻った。

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