第33話 試験勉強
六月も下旬。
ささやかな冒険の成功も空しく、所詮は学生であるところの俺たちは、来週に迫った期末試験を前に、学生の本分である勉学に追われていた。
リビングのテーブルに集まったのは、俺と七里、由比に、腰越、そして石上だ。
俺の両隣に七里と由比が座り、対面に腰越、テーブルの短辺部分に石上が座っている。
「お義兄ちゃんー、ここ分かんない」
紙のノートを俺の前に押し出してくる。数学の幾何学問題らしい。
「お前、それさっきの問題と解き方同じだぞ。ちゃんと公式覚えろや」
俺はデバイスに送られてきた七里の問題を一瞥して言う。
「ええー、公式なんて冒険にも人生にも必要ないよー」
七里がダメ人間丸出しの言い訳で反論してくる。
「進学には必要だけどな」
授業がほぼ電子化された今でも、テストだけは物理媒体への筆記で行わる。前時代的だとは思うが、カンニング対策などを考えると、これが一番安価で効果的な方法らしい。今は、問題は電子版を使っているが、本番は当然、問題も解答も紙で配られる。
電子版に慣れきっていると、本番の筆記で思わぬ手間をとったりするので、せめて紙に解答を書く練習だけはしておこうと、紙のノートを使っているのだ。
「兄さん。兄さん。私はここが分かりません」
由比が代数のノートを共に俺に身体を寄せてくる。
「おめー、さっきすらすら問題解いてただろうが! それも暗算で!」
腰越が牽制するようにシャーペンを投げる。由比はノートでそれを挟んで受けた。
「問題共有のためにグループチャットをつないでいるからって、人の勉強事情を覗かないでくださいます?」
由比が頬をひくつかせて小首を傾げる。
「ははははは、なんだ。ほとんど、優等生ばっかだな。勉強会の必要あったのか?」
石上は豪快に笑って、由比が淹れた麦茶を煽った。手元には、『国語』、『社会』、『数学』etc、種々のノートが科目別に広げられている。
「いやー、俺は理数系はまあまあいけるけど、文系、特に社会系の科目は苦手なんだよ。公式覚えて問題数こなせばいい理系と違って、覚えることが多くてな」
編み物の歴史なら訊かれなくても喋りたいくらい知っているが、過去の武将がどうしただの、古語の活用がどうだの言われても興味が持てない。
「ウチは逆に、理数系が理屈っぽくて無理。つーか、石上こそ、ここ来る必要あったの? あんた確か、めっちゃ成績よかったよね? あんま成績とかクラスのことに興味ないウチでも、あんたの名前聞いたことあるもん」
「いや、クラスメイトの俺に名前聞いたことあるっていうのはな……」
腰越の悪意ない辛辣な質問に、石上が苦笑する。
「つーか、石上、学園で五本の指に入るほど頭いいんだぞ」
だからこそ、問題が分からない時に聞こうと思って、俺が石上を呼んだのだ。
「最近はそうでもない。カロン・ファンタジアにはまっちまってたからな。ま、騒動以後は落ち着いているけど」
「そう言いつつも、各教科の対策ノートを作ってる石上さんぱねーっす。あざーっす」
俺がDQN調に頭を下げる。
「いや、これは――、恵美奈のやつに差し入れてやろうと思ってさ。あいつ放っておくと多分赤点だから。あ、もちろん、コピーくらいはとらせてやるけど」
石上が『英語』のノートを閉じて、遠い目をする。
「恵美奈って誰? そんな奴クラスにいた?」
腰越が石上の『日本史』のノートを引き寄せて覗き込む。
「いや、いない。っても隣のクラスの娘だから俺も詳しくは知らないけど、石上の彼女だろ? たまに弁当とか持ってくる」
俺もあまり話したことがないから詳しいことはわからない。というのも、恵美奈という子が来た時には、二人の発するラブコメ的結界に遠慮して、誰も割って入ろうとしないからだ。
「ち、ちがう。昔からの腐れ縁で、幼馴染ってだけだ。
石上は顔を真っ赤にして首を振る。まだまだ、煩悩を滅する修行が足りないようだ。
つーか、名のある寺の跡継ぎで、頭脳明晰で、身体能力もリアルでモンクができるくらいに高く、かわいい幼馴染がいるって、良く考えたらとんでもないリア充だこれ。
「そこまでは言ってねーし」
腰越が冷静に突っ込んだ。
「あーあ、インテリさんたちは余裕の世間話ですかー。良いご身分ですなー」
隣の七里がいじけたようにそう言って、俺の腕をシャーペンで突いてくる。
「妬む暇があったら手を動かせ。俺は石上のノートを借りてレベルアップするのだ」
「お義兄ちゃんせこいー、ていうかー、試験よりも夏休みどうするか考えようよー」
「あ、私もみんなでどこかに行ってみたいです」
「うーん、そうは言っても、モンスターのせいで夏のレジャー系行楽は随分、割高になってるし、行くとしてもプールとかしかないじゃないかなあ」
鎌倉市は意地でも海開きはするつもりらしいが、安全の維持にものすごい動力がかかるので、海水浴客から高めの料金を取るらしい。山でも他の海でも条件は同じで、その分、屋内レジャーに人が集中することを考えると、あまり気が進まない。
「鎌倉の寺社巡りなんかはどうだ? なんなら、うちでやってる修行体験ツアーに参加してもいいぞ」
「ドMかよ」
腰越がそんな埒もない突っ込みを入れるのと同時に、俺のデバイスにメッセージが入電する。
一瞬、見慣れぬアドレスにスパムかと思って削除しかけたが、差出人に見知った名を見つけ、指を止める。
『タイトル:ダンジョン探索のお誘い 差出人:鴨居こづえ
お久しぶりです! 陸軍3尉の鴨居こづえです。覚えてるかなー? 外人墓地の時に記入してもらった連絡先を参考にメッセージを送らせてもらったよ。
突然ですが、ダンジョン探索のお誘いです。ダンジョン化した秩父の廃鉱山に国企画の探索隊が入ることになりました。で、それには敵の排除と探索の主体となる本隊の他に、アイテム回収を目的とした運び屋(ポーター)の人員が必要なんだけど、それに急にキャンセルが出ちゃったの。出発が一週間後と間近で、一度潜るとしばらくは外に出れないから、中々都合のつく人がいなくって、大和くんたちなら時間あるかな、と思って誘わせてもらいました。
クエストランクは一応、C。報酬は、現金か現地採集アイテムの分配。詳細は以下の参照して』
俺は内容を一読してから、チャットの回覧機能を開いた。
「渡りに船……かは知らないが、今し方こんなのが届いた」
メッセージを転送にして、全員に送る。本当は、パーティーメンバーでない石上は除外した方がいいのだろうが、安易に情報を漏らすような人間ではないので大丈夫だろう。
「廃鉱山! なにそれ! 本当の冒険っぽい!」
七里が興奮のあまり、椅子をがたつかせて立ち上がる。
さっきまで死んだ魚のように淀んでいた目が、発光LEDのごとくどきつく輝き始めた。
「一週間後、というと、中等部はちょうど試験が終わった次の日ですね。兄さんの方も?」
由比が確認するように問う。
「うん。こっちも同じ。ぎりぎりだけど日程的には不可能じゃないくらいだね」
俺は頷く。
「え? これ、報酬に鉱石貰えるってマジ? だったら、ウチもやりたい!」
鴨居さんが添付してくれた詳細資料を確認したらしい腰越が声を震わせる。
添付の資料には、先に予備調査に入った冒険者によって、入り口から近いところでも鉄鉱石をはじめとした種々の鉱物が確認されているとの報告が記されていた。早く鍛冶をやりたい腰越にとっては、これほどうってつけのクエストもないだろう。
「ニュースでは聞いていたが、人間の居住区域外がダンジョン化するって本当にあるんだなあ」
石上が恐れとも興味ともつかない声で呟く。
どういう理屈かは知らないが、世界中でこの手のダンジョン化は確認されている。しかも、ダンジョン化した場所では、土地そのものの組成すら変化してしまうらしい。
モンスターの発生源という意味では非常に厄介な場所なのだが、今回みたいに枯渇した資源が復活するという奇跡的な恩恵もあるので、あながちデメリットばかりとも言えない。
「かなりいい条件のクエストですよね。敵の排除はもっと高レベルのパーティーがやってくれて、私たちは基本的に自分たちの身の安全にさえ気を配っていればいい。しかも、転送の宝珠も支給されるなら、いざという時は逃げ出せますし」
由比が顎に指を当てて考え込むような仕草をした。
転送の宝珠は、ダンジョンのどこにいてもそれを消費すれば脱出できる魔法アイテムである。ゲーム時代でもそこそこ値を張るアイテムだったのだが、安全に帰還できることの価値がはるかに上がった今となっては簡単に補充できない代物になってる。俺たちももちろん、いくつかは持っているが、支給されるならこんなにありがたいことはない。
「まあ、要はアイテムボックスの空きを貸すためについていくみたいなものだからね。最悪、俺たちは武器の装備を外して、その分の重量を全部防具に回してもいい」
アイテムボックスはどんな重いものでも収納できるファンタジーじみたギミックだが、それでも制限はある。例えば、アイテムの個数がそれだ。戦闘を専門にする人間なら、できるだけ素材アイテムみたいなものの回収は別の人間に任せた方が効率がいい。
「へえー、鶴岡がギルド仕切っていると聞いた時にも驚いたけど、お前ら結構、ちゃんと冒険してるんだな」
石上が感心したように口を開く。
「全然駆け出しだけどな。まあ、今回の運び屋くらいならできると思う。なんなら、石上も今回だけでも俺たちのパーティーに入らないか?」
「いや、誘ってくれるのは嬉しいが、俺は寺の修業があるからな。すまん」
石上は申し訳なさそうに頭を下げる。
「お義兄ちゃん! こんなことしている場合じゃないよ! 早くダンジョン攻略の戦略を練らないと!」
適当な理由をつけて勉強から逃げ出そうとする七里を、言葉で制する。
「その前に、お前赤点だったらクエスト行けないぞ。補講期間とクエストの指定日がまるかぶりだから」
「ぐっ……」
七里は絶望的な表情で唇を噛みしめた。
「ああー、そういえば七里ちゃんのこの問題って、吉岡先生か? だったら、たぶん出題傾向は変わらないだろうし、確か、昔、俺がまとめたノートを電子化して――ああ、あったあった。良かったら見る?」
石上が思い出したように手を打って、デバイスをいじり始める。
「やったああああああ。お義兄ちゃん! やっぱり、寺生まれってすごい!」
七里が歓喜のあまり、どっかの部族みたいなMPが吸い取られそうな踊りを繰り出してきた。
「良かった。これでお姉ちゃんの問題は解決ですね。じゃあ、兄さんは私につきっきりでこれを教えてください」
由比が満面の笑みで見せつけてきたノートには『保健体育』と書かれていた。
「う、うん。いいけど、それって教えるところある?」
「うふふふ、男と女のことを、兄さん以外の誰に教われっていうんですか」
由比がそう言って俺の腕を取る。
「ちっ……発情したメス牛が。鶴岡、あんた妹に構っている暇あんの!?」
腰越が不機嫌そうに舌打ちし、俺には聞こえないような小声で何事かを呟いた。それから、俺の眼前に石上がまとめた『日本史』のノートをちらつかせてくる。
「あっ、そうだった。由比、ごめん。ちょっと、今はこっちに集中したい」
「はい。わかりました。兄さん」
由比は素直にそう答えながら、ノートにものすごい濃い筆圧で殴り書きし始める。『思春期のヒスババアに注意』が回答になる設問って、どんなだろう。俺には想像もつかない。
こんな感じで、試験勉強の時間は慌ただしく過ぎ、石上の寺パワーによって、俺たちは何とか試験対策を終えたのだった。
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