第34話 ダンジョン前日
テストとの苦闘を終えた日、俺は買いだしのために、一人で鎌倉の小町通りを歩いていた。商業施設が立ち並ぶ、観光客にも人気の通りだ。
当然、隣に七里も由比もいない。
高等部のテストは午前で終わりなのだが、中等部のテストは午後まで食いこむ時間割だからだ。本当なら、皆でテストが終わった打ち上げでもやりたいところだが、明日は初めての本格的なクエストに出かけるので、あまりはしゃぐ訳にはいかない。
と、いう訳で、明日のためにスタミナをつける意味もこめて、せめて夕飯くらいはちょっと豪華めにしようと色々食材を漁りに来たのである。
「いらっしゃいませー」
「こんにちは。鶏胸肉を300グラム。牛肉のステーキ用を300g、お願いします」
「はい、かしこまりましたー。お肉なんでどうしても誤差でちゃいますけど、勘弁してくださいねー」
「大丈夫です」
そばかすが似合うボブカットの少女が、にこやかに接客してくれる。例の石上の彼女(と俺が勝手に断定している)恵美奈さんとかいう娘だ。俺たちと同じくらいまでテストがあったはずなのに、もう店番しているなんて偉いなあ。
「鶴岡、あんたも買い出し?」
そんなことを考えていると、後ろから肩を叩かれた。振り向くと、そこにいたのは見知った人物だった。
「腰越か。ああ、買い出しだ。七里のやつがどうしても肉が食いたいっていうもんだから。腰越も夕飯の買い出しか?」
「まあね。そんなとこ。明日から私があんたたちと鉱山に潜っちゃうからさ、爺ちゃんにおかずを作り置きしておかないといけないし」
腰越も腰越で働き者である。よくよく考えれば、由比もかなり家事のできる娘だ。ポンコツなのは七里くらいのものだ。
「なるほどなー」
「お待たせしました。2900円頂戴します」
「あ、はい。どうもー」
電子マネーで会計にタッチし、紙の袋に包まれた肉を受け取る。
前より、2~3割高い。やっぱり、騒動以後、物価は上がってるなあ、と実感する瞬間だ。合成タンパク質を使って工場で生産した人工モノの肉なら、この半値くらいで済むのだけれど、それだと味もやっぱり半分くらいになってしまう。
「ありがとうございましたー」
「じゃ、腰越。また、明日な」
「あ、鶴岡、ちょっと待って。この後、時間取れる? ちょっと、聞きたいことがあるんだけど。鍛冶のスキルについて」
「ああ、いいぞ」
まだ、時刻は一時そこらだ。夕飯の準備をするには早すぎる。
「ありがと。じゃ、買い物終わったら、ウチの工房まで来てくれる? そこじゃないと試せないことがあるから」
「わかった。冷蔵庫に材料ぶちこんだら行くよ」
俺は鷹揚に頷いた。
相変わらず、腰越の家の工房は、熱気が籠っていた。
「鶴岡から貰った銅鉱石で、製錬してみたんだけど、なんつーか、全然上手くいかないんだけど。なにか、コツがあるなら教えてくんない?」
そこには、釘を作れる程度の少量の銅があった。いや、正確には銅とはいえないのかもしれない。色も濁っているし、腰越が手にした途端、ボロボロと崩れている。
「ああ、それはコツとか関係ないよ。スキルレベルの問題だから」
俺はデバイスを開いて、目の前のアイテムを確認する。アイテム名は『屑銅』その名の通り、『製錬』に失敗した時にできるゴミだ。
「じゃあ、ウチの鍛冶の腕は関係ないってこと?」
「いや、MNモードでスキルを使うなら、関係はある。『製錬』の腕がいい奴なら、スキルレベルが低くても、上位の素材を入手できたりする。でも、その、腰越は何ていうか、カロン・ファンタジアのプレイヤーとしてのスキルレベルが低すぎるから。腕で補正できるレベルを超えてるんだ」
俺は言葉を選んで説明する。
腰越の努力は本物だ。
もう、ゲームの世界に入れないのに、鍛冶のスキルが上がっているだけでも大したものだ。ただ現実はあまりにもスキル上昇の効率が悪い。それだけだ。
「そっか。つまり、そのレベルさえ上がれば普通に物は出来るってことでOK?」
腰越が確認してくる。
「ああ。腰越の腕なら、あと五レベルも上がればいけるんじゃないかな」
「そっか。ありがと。聞きたいことはそれだけ。じゃ、もっとバリバリ練習しとく」
腰越が大して気負いしない様子で言い放つ。
「……落ち込んだりはしないんだな。こんだけスキル習得するのが大変なのに」
「なんで? 好きでやってることっしょ? あんたの裁縫もそうじゃないの」
腰越が首を傾げた。
「ああ。そうだったな」
俺は苦笑する。他人からみれば、俺の裁縫も似たようなものか。
「じゃ、わざわざ呼びつけておいて悪いんだけど、ウチはもうちょっと練習したいから」
腰越が申し訳なさそうに言う。
「ああ、わかった。練習もいいけど、ダンジョンに潜る前に疲労は残さないようにな」
腰越は放っておけば一日中、鍛冶をしてそうで心配だ。
「こんなんで疲れるような鍛え方してないから」
腰越は自身たっぷりにその腕を見つめた。
「そうか。余計なお世話だったな。じゃあ、また明日」
俺は軽く手を挙げて挨拶する。
「ん、またね」
腰越が小さく手を振った。
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