第21話 決着
「縫い止め!」
俺は至近距離から、スキルの名を叫んだ。紐が的確に由比ちゃんの腕を巻き取り、強制的に砂浜へと打ちつける。
俺は無理矢理、七里と由比ちゃんの間に身体を差し入れて、由比ちゃんを突き飛ばす。
「……やっぱり、お兄さんは七里ちゃんを選ぶんですね」
突き飛ばされたた由比ちゃんは悠々と体勢を立て直し、巻きついた紐から腕を抜く。あっという間に俺の縫い止めは無意味になる。そりゃそうだ。下が砂場では、縫い止めは相手の行動を封じる手段としては何の意味もなさない。
由比ちゃんの悲しげな笑みに、俺の胸は締め付けられる。
「うん……俺は由比ちゃんが七里を殺すかもしれないって思ったから。例えその可能性が一パーセントしかなくても、兄だったら誰でも止めようとするよ」
「そうですか。お兄さんはやっぱりお兄さんですね」
寂しさの中に喜びを一滴垂らしたような口調で、由比ちゃんは言う。
「お義兄ちゃん……」
七里がゆっくりと立ち上がって、こちらに何とも言えない苦々しげな視線を送ってくる。
「七里、傷が大したことないなら、周囲のモンスターの警戒を頼む」
「……わかった」
七里が小声で頷く。
「由比ちゃん。もういいだろ? 勝負はついたんだ。由比ちゃんの勝ちだよ」
「じゃあ、私を義妹にしてくれるんですか?」
「……するっていうのは簡単だよ。でも、由比ちゃんもわかってるんだろ? 人間の気持ちはそんなにスイッチみたいにオン・オフできるものじゃないって」
「わかってます! わかってますけど! 兄が欲しいんだから仕方ないじゃないですか!」
「……なんで、そんなに妹という立場にこだわるの? 今だって、俺は由比ちゃんと友達だと思っている。それじゃだめなの?」
「友達なんて不安定なもの、頼りにできません。何となく始まって、メール一つで終わりなっちゃうような関係です」
由比ちゃんは勢いよく首を振る。
「そ、そうじゃなくても、色々、人間関係にはあるじゃないか。た、例えば恋人とか」
俺は頬が熱くなるのを感じた。
一般論を言っているだけなのだが、まるで自分が恋人関係になりたいと宣言しているみたいでちょっと恥ずかしい。
「そんな肉欲の延長線上にある関係性なんて話になりません。猿と同じです」
由比ちゃんは、俺の言葉に大きなため息をついて、ばっさりと切って捨てる。なんかシビアというか極端というか、考え方が絶対偏っていると思う。
「……とにかく、今日はこれで終わりにしよう。話ならどこでもできるだろ?」
「そうですか……大和さんがどうしても、私を妹にしてくれないとおしゃるなら――」
「なら?」
「私はお兄さんに勝って、私が妹だってお兄さんの身体にたっぷりと思い知らせてあげます」
七里ちゃんは凄絶な笑みを浮かべてそう放言すると、レイピアを引く腰だめの格好になった。
「そうか。じゃあ、俺が勝ったら、妹になる件は素直に諦めてくれ」
「なるほど、それは婉曲な「私の兄になる」宣言ですね? 七里ちゃん未満の戦闘力のお兄さんが私に勝てるはずはありませんから」
「それはどうかな」
俺は牽制するように巨大針を突き出して、由比ちゃんから距離を取る。何とか硬い地面のところにいかないと、まともに縫い止めのスキルが使えない。
「そうはさせません――グラス!」
由比ちゃんの剣先から飛び出た銀色の光線が、俺の鼻先を通過する。
俺は慌てて後ろに跳んだ。
「やっぱり、魔法剣か……」
魔法剣とはその名の通り、魔法が仕込まれた剣である。発動回数に制限があり、事前の準備が必要な代わりに、詠唱時間もクールタイムもほとんど必要としない。
「はい、ご明察の通り。さて、どうされますか?」
由比ちゃんは悠々と俺の進路を塞ぎ、陸を背中にした位置を確保する。
「どうしようかな……『構造把握』!」
「どうぞ。私の身体をじっくりとご覧になってください」
由比ちゃんは斬撃ついでに、ファッションショーのモデルのように一回転した。確かに弱点は見える。だが、それは『心臓』とか『脳』とか、人間なら当たり前の急所でしかない。
「ちっ……」
俺は舌打ちして、様子見するように針の一撃を放った。
由比ちゃんが冷静にこちらの剣を払う。
(剣圧自体は同じくらいだな)
おそらく、由比ちゃんの攻撃は魔法剣士のスキルで強化されてはいるのであろうが、それでも元が女の子の腕力である。大きな彼我の差は無いようだ。と、思ったら――
「こないんですか? なら――
視界を幻惑するように無数の剣筋が光る。
「蜂の一刺し!」
咄嗟に防ぎきれないと判断した俺は、スキルを発動した。弾けるような手ごたえが手首に走る。
「なるほど……攻撃だけではなく、そういう使い方もあるんですね」
由比ちゃんが痺れたように手を振った。俺の攻撃は由比ちゃんのレイピアの柄――手を防護するための半球状の金属――にぶちあたったらしい。
いくら無数に見えても、攻撃を繰り出すレイピアは一本しかない。手元を封じれば、攻撃は出せないはずだと踏んだのだが、目論見は当たっていた。もちろん、正確に狙えるはずはないので、スキルのクリティカル補正を借りることになったが。
「……うん。確かに、俺の方が圧倒的に不利だよ。それは認める」
「へえ、それでどうするおつもりですか?」
レイピアを握り直した由比ちゃんが試すようにこちらを見た。
「当然、短期決戦さ。――ほら、よくある次の一撃に全てをかけるってやつ」
俺は姿勢を低くして、思いっきり針を引く。
「そうですか。では、私もお付き合いします――でも、どうせ、縫い止めで不意打ちしてからの、突きですよね? 見え見えですよ」
由比ちゃんはクスクス笑って、こちらと同じような格好でレイピアを構える。
「それは――どうかな!」
俺は全身の力を込めた、渾身の一撃を繰り出した。
「
突風が俺の身体を拭き抜ける。頬に走るかまいたちの傷、あまりの風圧に俺の巨大針の軌道は逸れ、やがて手から吹き飛ばされる。
「なっ!」
絶句する由比ちゃんの手を俺はがっちりと掴んだ。
「その通り。俺の切り札は、これしかないよ。由比ちゃんが予想したのとタイミングは違ったみたいだけどね――『縫い止め』」
俺のアイテムボックスから飛び出た糸がぐるぐると巻きついて、手鎖のように由比ちゃんの手首を拘束する。先端の針が精いっぱいの努力とばかりに砂浜に突き刺さった。
この距離なら外さない。外しようがない。
「そ、そんなことしても、すぐほどけるから無意味じゃ――それより、お兄さん。お腹!」
由比ちゃんが驚愕に目を見開く。
頬の裂傷なんて気にならないほどの激痛が俺の腹部を支配している。だけど、思ったほどじゃない。アドレナリンがびんびんなせいだろうか。
「っはあ。はあ。由比ちゃん。俺よりも、自分の心配をしなよ」
俺は苦しげに息を吐きだしながら、由比ちゃんの手首を見る。釣られるように、由比ちゃんも自身の手に視線を上げた。
「こ、これは……まさか、お兄さん。あの毒液がついた服を――糸に戻して」
由比ちゃんは手に巻きついた糸から染みだした青い液体に顔をしかめる。
「そう、俺は裁縫士だからね。縫うだけじゃなくて、ほどくことも楽勝だよ」
『製糸』とは何も、原材料から糸を紡ぐだけじゃない。すでに編んでしまった服をほどいて、糸を再利用するのは、編み物の常道だ。
「そ、それを縫い止めの糸に使った」
由比ちゃんは手を震わせ、腕をだらんと伸ばす。支えを失ったレイピアが、俺の腹から抜け落ちて砂浜に落下した。滴り落ちた血が、砂浜に染みこんでいく。
そう物理的な力ではもちろん、由比ちゃんを止めることはできない。だが、化学的にはできるのだ。たっぷり毒液が染みこんだ糸を由比ちゃんの素肌に接触させる。それが俺の目的だった。
「そう。これが、俺の覚悟……わかってもらえたかな」
俺は勢いのまま、由比ちゃんの肩を掴んで砂浜に押し倒す。
手にした武器はただのかぎ棒。これでも、本気を出せば薄い首の皮を貫くことくらいはできる。
「――」
由比ちゃんは何も答えず目を閉じた。眦の端からこぼれた涙が、彼女の頬をゆっくりと伝っていく。
「お兄ちゃん! やばい! やばいって! ほら、ポーション! 由比は毒消し!」
狼狽した七里の声と砂を踏みしめる軽快な音が、どこか遠くに聞こえた。
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