第7話 七里のごり押し 由比の不審

「うわあああああああああああああん。また、お義兄ちゃんばっかり、冒険してずるいいいいいいいい」


 俺がキッチンで夕飯の下ごしらえをしながら、今日あった出来事を話してやると、七里が拗ねて泣きわめき始めた。もちろん、こいつに出来るのは振りだけであり、実際に涙をこぼす程の演技力はない。


「いや、だから巻き込まれたんだって言ってんだろ。人の話聞けや」


 タマネギをきざみつつ答える。むしろ、俺の方が泣きたいくらいだ。現に泣いている。


「だってええええ、お義兄ちゃん、調子のってるじゃん!」


「のってないわ! 勝手に断定するな」


「ふんっ。いいよね。お兄ちゃんは。ちょっと前までは、裁縫師といえばゴミジョブの代名詞だったのに、今や超希少な神スキル持ちじゃん。かたや私の戦士職なんてマジでゴミのようにたくさんいる感じだし」


 七里が拗ねたように言う。


「だったら、お前も転職しろよ。裁縫なら俺がいくらでも教えてやるぞ」


「おちょくってるの!? スキル習得効率が無茶苦茶鈍化したこと、わかっていて言ってるんでしょ? そうでしょ?」


 七里は、由比ちゃんがおやつに作ってくれたクッキーを噛み砕き、歯を剥き出しにする。


 カロン・ファンタジアがオンラインだった時代、一日は30分ごとに入れ替わるシステムだった。時間帯によって出現するモンスターやアイテムが異なるため、もし、ゲーム内の時間を、地球のそれと流れと同じにしていては、ニートか暇な学生以外は昼のアイテムを入手できないことになってしまうからだ。


 ゲーム内の30分が地球の一日に相当するということは、騒動以後は単純計算で、スキル習得の効率は四十八分の一になってしまったということになる。すでについてしまった差を挽回するのは至難だ。


「それでも、普段使えないスキルを持つ職よりは、日常使いする職に切り替えた方がマシだと思うぞ。ゲームみたいに、睡眠も補給もなしでぶっ続けで戦える環境なんてもうないんだからな」


「だったら、普段使えるようにすればいいじゃん! 私たちも冒険ギルドに登録しよ! 明日休みだし。ね!」


「えー、それって、公営のって意味か?」


「そう! っていうか私は冒険できれば何でもいいけど」


 騒動以降、モンスターが引き起こす種々の問題の解決を望む者と、それに応える者を仲介する数々の施設が生まれている。それは、私営・公営問わずたくさんと。


「お兄さん。洗濯もの干し終わりましたー。お料理の方もお手伝いしましょうか?」


 こちらに向けて由比ちゃんがトテトテと歩いでくる。腕まくりした袖から覗く白い二の腕が眩しい。


「ああ、大丈夫。もうちょっとで終わるから」


 俺は鷹揚に頷いた。


「ねえ、由比ー、由比も冒険したいよねー? ヘタレのお義兄ちゃんに何とか言ってやって」


 七里がクッキーの粉がついた手で由比ちゃんに縋りつく。


「え? えーっと、うん、どうかな」


 由比ちゃんが、困ったようにはにかんだ。


「あのなー、どんな簡単なミッションでも命を落とすリスクはあるんだぞ。そうまでしてする冒険に価値があると思うか?」


 俺はきざんだ玉ねぎを炒めながら問う。


「あるよ! つまんない学校よりは何倍もマシ! 貴重なヒーラーの由比ちゃんがいるんだから、めったなことで死んだりしないもん。大体、これからも非常事態が起きるかもしれないんだし、ギルド本拠地に指定することによる安全システムだって、いつまでも続くとは限らないじゃん。いざという時に備えて戦闘の訓練をしておくのも絶対必要だよ」


「まあ、それはそうかもしれないが……」


 普段はアホな七里なのに、自分の欲望に忠実な時だけ脳内の論理回路がつながるらしい。適切な反論が思い浮かばず、俺は口ごもった。


 未だこの現象が起きた原因も不明な状況だ。ある日突然ルールが変わってしまうこともないとは言い切れない。


「とりあえず、登録するだけしてみたらどうでしょう。実際に依頼を見ないで議論しても不毛ですし」


 由比ちゃんが俺たちの間をとりもつように折衷的な案を口にする。


「はあ……わかったよ。だけど、今から行っても、時間的に窓口閉まっているだろうし、行くのは明日な」


「やったあああああ。お義兄ちゃん大好きー。じゃ、早速部屋で戦闘の研究しよーっと。由比も早く来てー」


 やる気まんまんの七里が、由比ちゃんの腕を引く。


「うん。お風呂の掃除をしたらすぐに行くね」


 由比ちゃんが笑顔で頷く。


「わかった。急いでね!」


 七里がリビングから出て行く。階段を乱暴に踏みしめる音が響いてきた。


「あー、風呂掃除なら俺がやっておくから、七里のとこに行ってもいいよ?」


「いえ。私は居候させてもらっている身分ですから。これくらいは」


 由比ちゃんはそう言って固辞した。


 なし崩しに同居を初めて、もう一ヶ月が過ぎてしまった。今の治安の状況なら普通に由比ちゃんは実家に帰れるはずだが、向こうの両親から何の連絡もないし、七里から中学校のクラス連絡網を聞き出して由比ちゃんの親にそれとなく連絡を取ろうとしても梨の礫、なにより由比ちゃんがどことなく帰りたくなさそうな雰囲気を醸し出していて、同居が慢性化してしまっている。


 もちろん、生活費は受け取っているし、俺としては一向に居てもらっても構わない。しかし、このまま由比ちゃんの滞在を許可しておくのが本当に彼女のためになるのか、とか、俺の理性はいつまで持つのだろうか、とか。真面目な意味でもエロい意味でも色々考えてしまうのだ。


「気を遣わなくていいんだよ……って言っても気遣っちゃうと思うけど、無理に七里のわがままに付き合うことはないよ。マジで。あいつ、自分が心を許した人間に対しては甘えすぎっていうか、自己中なところあるし」


「大丈夫ですよ。私、妹が兄に甘えるのは当然の権利だと思ってますから」


 由比ちゃんが力強い口調で断言した。それから、七里が食べ終わったクッキーの皿をこちらに運んでくる。上から覗くとワンピースを着た彼女の胸の間に豊かな谷間があって、思わず目がいってしまう。


「そ、そういうもんかな」


「……お兄さん。妹の視点から見た、究極の家族関係とはなんだと思いますか?」

 由比ちゃんが上目遣いでこちらを見上げてくる。歪んだ口元に、俺はわずかながらの狂気を感じた。


「ごめん、どういうこと? 言ってる意味がよくわからない」


「妹にとって家族の中で一番結びつきが強いのは誰か、というお話です」


「うーん、家族に一番とか二番とかなくない?」


「いいえ。あります。家族とはいえ、所詮は他人の集合です。その親密度は、接触している時間に比例します。まず、大抵の場合、父親は働きに出ているため、接触する時間は短くなり妹との関係は希薄です。母親は働きに出ている場合と家にいる場合、両方ありますが、どちらにしろ同性である妹と母は、父と兄の愛情を奪い合う潜在的な対立関係にあります。従って、妹にとっては兄との関係性が最高なのです。年が近く、自分を庇護してくれる存在であり、本音を見せられる存在。まさに、パーフェクトです」


「そ、そうなんだ……とにかく、由比ちゃんが七里のことをそんなに真剣に考えてくれて嬉しいよ。本当、いい友達を持ったよ。七里は」


 家族関係は頭で論理的に考えて結論を出す類のものではないと思うのだが、由比ちゃんがあまりにもマジなので、俺はそれ以上、突っ込むこともできず、無難な言葉でお茶を濁した。


「はい。そうですよね。七里ちゃんがお兄さんの妹なんですよね」


 由比ちゃんが一瞬、寂しげに睫毛を伏せる。


 俺は、由比ちゃんが何故いまさらそんな当たり前のことを言うのかわからず、彼女をじっと見つめた。


「……私、お風呂洗ってきます」


 由比ちゃんはそう宣言し、こちらの視線から逃れるように踵を返した。

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